荒馬研究室

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西嶋一泰の荒馬研究室


ここでは、「和太鼓ドンのくりりん」こと、西嶋一泰が大川平の荒馬の由来や、文化財指定、現代的変遷や伝播、そして現在の状況についていろいろ考察していきます。荒馬をもっと詳しく知りたい、考えたいという方は、よければお読みください。


年表

できごと
1600初頭 初代津軽藩主津軽為信が米増産のため、農業に馬を積極的に導入。津軽藩二代目藩主津軽信牧が、今別地方を開墾。その際、津軽半島西部の金木や相内地方から荒馬が伝播(大川平荒馬保存会会長宮越氏の説)? cf.金木のさなぶり荒馬
1700前半 飢饉の際に蓄米を窮民に与えた能登半島出身の袰月の商人小倉十兵衛への礼として荒馬を行なったという記述。(小倉十兵衛文書、現在所在は不明)
1962 劇団わらび座が今別を訪れ荒馬を習い、舞台化。→その後、荒馬が全国に知られる
1963 今別荒馬保存会結成
1968 分裂し事実上数年間消滅していた大川平青年団が、新たな団員によって組織される。田中多市氏、宮越哲英氏ら。
1969 大川平荒馬、第十八回青森県青年大会郷土芸能に出演。二位。審査員の評として、由来と衣装の弱さが指摘され、舞台用の衣装として半纏を採用。
1974 大川平小学校、運動会で荒馬を発表。平山久志氏が指導。以降、小学校で荒馬を扱うように。
1970後半 大川平の荒馬、青森ねぶたの影響で、ラッセーラーの掛け声広まる。
1980 今別・大川平の荒馬、町指定の無形民俗文化財となる。大川平荒馬保存会結成。しかしまだ青年団が主体で実態はない→由来探しが行なわれるも、文献発見できず
1986 二股の荒馬が町指定の無形民俗文化財となる。大川平荒馬保存会、青年団のOBを主体に結成
1987 大川平荒馬保存会、未来の東北博覧会(仙台)に出演。→舞台用に踊り、衣装を改める。
1988 大川平荒馬保存会、青函トンネル開通記念博覧会青森EXPO'88に出演
1990後半 大川平荒馬保存会、上野夏まつり(東京)に三年連続で参加→三年目に嶋中廣明氏が手平鉦を初疲労、以降大川平荒馬の囃子に手平鉦が加わる
2000 和太鼓ドンが、今別・大川平地区を訪れ荒馬の指導をうける。→翌年以降、和太鼓ドンもまつりに参加
2003 で今別・大川平・二股の荒馬、県指定無形民俗文化財となる
2004 大川平小学校が閉口。小学校を荒馬の里資料館としてオープン
2006 大川平荒馬保存会、ひたち秋祭り郷土芸能大会に出演
2007 大川平荒馬保存会、ハネトを復活させる
2010 大川平荒馬と和太鼓ドンがであって十周年の記念企画が、保存会と和太鼓ドンらとともに企画される。

資料






西嶋一泰(くりりん)
立命館大学大学院先端総合学術研究科大学院生。
専門は民俗学・文化人類学。研究テーマは民俗芸能の現代史。
大学のサークル和太鼓ドンに在籍時に大川平荒馬踊りにふれる。
以来、その魅力にとりつかれ、荒馬を調査・研究する。
http://d.hatena.ne.jp/souryukutsu/





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最終更新日 2010年07月07日
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