開幕前 テスト走行(シルバーストーン)
[初] Part1(197)
J.J.レートがテスト走行中のクラッシュで、頚骨を折る重傷を負った。
彼は第3戦・サンマリノGPで復帰したが、再度クラッシュに遭ってしまう。
開幕戦 ブラジルGP(インテルラゴス) 決勝
[初] Part1(89)
J.フェルスタッペン(Benetton-B194)と、E.アーバイン(Jordan-194)が接触。
コントロールを失ったフェルスタッペンのマシンが、スローダウン中のM.ブランドル(McLaren-MP4/9)に追突。
追突した瞬間にフェルスタッペンは宙を舞い、その際に右リアタイヤがブランドルの頭に当たってしまった。
E.ベルナール(Ligier-JS39B)も行き場を失いコースアウト、合計4台がリタイアとなった。
アーバインはフェルスタッペンの進路を塞ぎ、クラッシュの原因を作ったとして1万ドルの罰金と出場停止が科せられている。
タイヤが当たったブランドルは無事で、次戦・パシフィックGPに参戦している。
第2戦 パシフィックGP(TIサーキット英田) 決勝
[初] Part24(240)
鈴木亜久里(Jordan 194)
スポット参戦していた鈴木亜久里が、45周目にマシントラブルでコースアウト。
リタイア後の津川氏によるインタビューで「次、ないんだよ」の発言は有名。
第3戦 サンマリノGP(イモラ)
[初] Part1(2)
1.金曜日フリー走行
R.バリチェロ(Jordan-HART) が最終シケインでコースアウト、タイヤバリアに突っ込み横転。
このクラッシュでバリチェロは鼻骨を骨折したものの、命にかかわる事にはならなかった。
2.土曜日・公式予選
タイムアタック中に、R.ラッツェンバーガー(シムテック)のマシンからフロントウイングがビルニューブコーナー手前で脱落。
コントロールを失ったマシンは時速310kmで、アウト側のコンクリートウォールに激突、
マシンはトサコーナーまでウォール沿いを滑りながらコース中央で停止。
ラッツェンバーガーは頭部に激しく衝撃を受けて意識を失っており、直ちに病院へ搬送されたが、約一時間後の現地時間14時14分に彼の訃報が伝えられた。
ウイング脱落の原因は、直前の周回で一度コースアウトしており、その際にダメージを受けていた可能性が高いと言われている。
事故の衝撃は、強度の高いカーボンモノコックに穴が開くほどのものであり、ラッツェンバーガーの体が露出してしまっていた。
F1のレースウィーク中の死亡事故は、1982年のR.パレッティのクラッシュ以後は発生していなかった。
3.日曜日・決勝(スタート直後)
決勝スタート時、J.J.レートがスタートできず、そこへ後方からP.ラミーが突っ込んでしまう。
レースはセーフティーカーが導入された。
このクラッシュにより飛散したパーツで、観客に8名の負傷者が出た(ドライバーは軽傷で済んでいる)。
クラッシュ直後のP.ラミー(Lotus107C)
4.日曜日・決勝(再スタート後)
セーフティカー明けの5周目、高速コーナー・タンブレロで突然コントロールを失ったA.セナ(Williams-Renault)のマシンが、アウト側のコンクリートウォールに激突。
マシンは右側部分が激しく壊れ、モノコックが曲がってしまうほどの衝撃を受け、コースすぐ脇に停止した。
すぐさま救助隊が駆けつけ、A.セナは応急処置の後にヘリで病院へ運ばれるが、搬送先の病院で死亡が確認される(死因は折れたサスペンションアームが、頭部を貫通したことによるダメージだとされている)。
セナはコックピットに、オーストリア(ラッツェンバーガーの出身国)の国旗を忍ばせていた。
5.日曜日・決勝(再々スタート後)
44周の周回を終えたM.アルボレート(Minardi-M193B)は、ピットに入り作業を済ませたが、ピットアウトの際に、彼のマシンから右リアタイヤが脱輪。
外れたタイヤがピットのメカニックに襲い掛かり、フェラーリとロータスのメカニックが負傷してしまった。
第4戦 モナコGP(モンテカルロ) 木曜フリー走行
[初] Part1(197)
K.ヴェンドリンガー(Sauber-C13)が、トンネルを出た後のシケイン手前でコントロールを失い、エスケープゾーンとシケイン間のタイヤバリアに激突。
彼は頭部をウォーターバリアに強打し意識不明、搬送先の病院で脳に水腫が認められており、昏睡状態が続いた。
ザウバーはモナコGP参戦から撤退し予選を走ることはなかった。
ヴェンドリンガーは命を取り留めたが、94年シーズンは復帰できなかった。
この事故がきっかけとなり、モナコ自動車クラブでドライバーによる緊急会議の後、GPDA(Grand Prix Drivers' Association)が再結成された。
FIAは、このモナコGPよりピットレーンに速度制限を設け、スペインGP以降のマシン・レギュレーションの変更を示唆した。
後日、マシン・レギュレーション変更について、F.ブリアトーレは孤立闘争を覚悟で、M.モズレーへ抗議文を送付している。
テスト走行中(シルバーストン)
[初] Part6(610)
スペインGP前のテスト走行中に、P.ラミーがクラッシュにより首を負傷。
94年シーズンを終えることになってしまった(95年・第10戦ハンガリーGPから復帰)。
第5戦 スペインGP(カタロニア) フリー走行~予選
[初] Part6(610)
5月27日(金)
先の安全問題に対し5チーム9台を除くドライバーが、フリー走行をがボイコット。
マシン・レギュレーションの変更は導入されたが、GPDA側もコースにシケインを設けることを要求、FIAはこれを承認し、タイヤによりシケインが敷設された。
予選2日目、このGPから参戦したA.モンテルミニ(Simtek-S941)が、高速全開(約230km/h)で最終コーナーを飛び出し、タイヤバリアに激突。
救出されたドライバーに意識はあったが両足を骨折、来シーズンまで復帰を待つことになった。
第9戦 ドイツGP(ホッケンハイム)
[初] Part1(99)
1.決勝(スタート直後)
スタート直後、隊列後方でA.デ・チェザリス、M.アルボレート、P.マルティニ、A.ザナルディが絡み、メインスタンド前で4台がリタイア。
隊列中央では、M.ハッキネンがD.クルサードとの接触から、コースを横切りグラベルへコースアウト(クルサードは難を逃れている)。
そしてハッキネンを避けようとした、M.ブランデルのマシンがコース中央でスピン。
ブランデルは横を向いたまま、H.H・フレンツェン、E.アーバイン、R.バリチェロを道連れにコースアウト。
レースが赤旗中断とならなかった為に、電気系でリタイアしたJ.アレジを含め11台が0周リタイアで姿を消してしまった。
ハッキネンはこの一件で、次戦出場停止のペナルティを受けた。
2.決勝(引火事故)
15周を周回したJ.フェルスタッペンが、ピットイン。
給油の際に燃料が漏れて炎上、炎はピットクルーにも燃え移ってしまったが、直ちに消し止められ大事には至らなかった。
ピットでの給油が再び認められるようになってから、初めての火災事故である。
なお、序盤から混乱を極めたこのレースを制したのは、G.ベルガーで、フェラーリは59戦(3年10ケ月)ぶりに優勝した。
第15戦 日本GP(鈴鹿) 決勝
(1)Lap3-4
[初] Part37(393)
井上 隆智穂(Simtek S941)、片山 右京(Tyrrell 022)、J.ハーバート(Benetton B194)
(2)Lap14
[初] Part2(735)
大雨の中で行われた決勝の14周目、既にリタイアしたJ.モルビデリのマシンを撤去しているコース脇の現場に、M.ブランドルが突っ込んでしまう。
この事故でオフィシャルが撥ねられてしまい、レースは赤旗中断となった。
オフィシャルは足を骨折、後遺症を残すことになってしまった。
中止を求めるドライバーもいる中、25分後にセーフティーカー先導の後に再スタート、中断前との合計タイムで争う2ヒート制となった。
第16戦 オーストラリアGP(アデレード) 決勝
[初] Part33(230)?
M.シューマッハ (Benetton B194)、D.ヒル (Williams FW16B)
92ポイントのシュマーッハ、91ポイントのヒル、僅か1ポイント差で迎えた最終戦。
36周目、それまで先頭を走っていたシューマッハが、コースアウトし外壁に接触。コース復帰後、後方からやって来たヒルが彼のインを突くが、シューマッハがこれをブロック。
両者は接触し、シューマッハのマシンは跳ね上がり、タイヤバリアにクラッシュ。
ヒルもマシンにダメージを追い、両者がリタイア。
チャンピオンはシューマッハに決定したが、彼の強引とも思える行為は非難された。
最終更新:2007年08月12日 04:06