城の中庭には椿が植えてある。赤いその花は花の盛りをすぎるとぼとりと花弁を纏ったまま首を落とす。侍を名のる国であるからそれを不吉とは思わないがしんと静まり返った庭でその音は酷く耳につくものだ。

 

 ある日、今日も元気に脱走した藩王様を追いかけて地獄絵図に思わず足を踏み入れ、摂政様に報告すべく逃げ出したところ、中庭に面した濡れ縁に珍しい人影をみた。白い横顔を切りそろえた暗い色の髪が縁取っている。人形のように静謐な横顔は、いつもは地下のモニターの光に青く浮かび上がっている。視線を流してみても周りには誰もいない。この涼やかな人にはいつも誰かしらついて歩いてるはずなのに、と驚きながらもあまりに薄着なのに気づいて声をかけると夜明け色の目がゆっくりとこちらを見て庭を指差した。

 
―あの花は誰が散らしたのです。
―アレはあんなふうに散るのです。椿といいます。その姿から潔いとされ、侍が好む花です。
 
 昨日から降り始めた雪は中庭を白く染めて、濃い椿の葉さえもその白に埋められているなか、華の色だけが鮮やかに赤い。椿は盛りというようにみっしりときに咲き、盛りとばかりに又ぼとりとひとつ花が落ちた。たっぷりとした袖からのぞく白い指が僅かに震えてるのを見て大慌てでコートを脱いで肩からかける。こんな時に一番に毛布の山を作りそうな人が見当たらない疑問を口にすると、また椿を見ていた目がゆっくりとこちらをみた。その目を見るたびに夜明けの色だと感心する。暗い色なのに遠く奥底にキラキラと瞬く何かがあるのだ。
 
―掛ける物をすぐに取ってくるそうです。
―なるほど。どっちに行きました?
―あちらに。
 
 彼女が指差した方向をみて、あー、と呟く。そちらは自分が歩いてきたほうであり、ただいま藩王様の捕獲大作戦真っ最中であり、ついでに言うならエステルさんのだんなさん捕獲のための罠の実験も一緒にやっちまえとばかりに阿鼻叫喚の図が展開されている場所だ。(落とし穴inスライム地獄、赤いの青いの黄色いの好きなのどうぞ刺激物入りはどんなもんかと思う)
 
―巻き込まれたのかもしれません。
―そうですか。
―地下に戻られますか?
 
エステルが大好きな彼はここで凍えているよりも地下に戻っていることを望むだろうと思って尋ねると、エステルは少し考えるように頤を動かし、首を小さく横に振った。
―待っています。
 
ここで待っているといったから、と続いた言葉にほんのわずかに微笑む。彼女の目は椿に向けられたままではあったけれど、ならばと首に巻きつけていた青色のマフラーをほどいてその白くて細い首にぐるぐると巻き付けた。阿鼻叫喚の中からでもきっと彼はすぐに山ほどの毛布やコートを抱えてくるだろうけれど、その細い首が酷く寒そうだったので。
歩き出して最初の角を曲がる前に、ひょいと首を傾けて濡れ縁へと視線を向けると、白い横顔の彼女はやっぱり夜明けの色の瞳のまま、ぼとりと静かに音を響かせる椿を見ていた。
 
 
 作:1700322:天河宵:FVB
最終更新:2008年01月31日 23:02