『K.Kの日記』



K.Kの日記(1ページ目)

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 *月**日
数ヶ月ぶりに冥さんから手紙が来た。
先週、私の手紙が受取人不在で戻ってきたので、嫌われてしまったかと思ったが違ったようだ。
今は日本で働いているらしい。早速、返事を書くことにしよう。

リターンアドレスが書いていない。




K.Kの日記(2ページ目)

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 *月**日
待ちに待った冥さんからの返事が来た。2か月待った。
住所が分からなかったから、消印から勤めてる検察庁を推測して送ってみたが、無事に届いていたようだ。
どうやら、検察庁の窓口で不審物扱いされて鑑定室に留め置かれていたらしい。
検察庁の住所と名前しか書いてなかったから、仕方ないか。
おかげで検事オフィスの室番号を教えてもらえた。
これでちゃんと手紙が送れる。

自宅の住所を教えてもらいたかったのに。



K.Kの日記(3ページ目)

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 *月*日
今日は冥さんとランチに行った。検察庁の近くのカフェでホットサンドを食べた。
本当ならディナーが良かったんだけど、夜は仕事がいつ終わるか分からないから、と断られてしまった。
でも粘ってお昼に会えるようにお願いして良かった。
さすがに日付を指定して「待ってます!」とだけ言ったのは、無理矢理すぎたかもしれないけど。
それでも冥さんは来てくれた。嬉しい。
約束の日の前日に着くように手紙を送ったのが良かったのかも知れない。
断る手紙を出している時間がないから。
この約束を取り付けるために、手紙を5往復もした。
久しぶりにお会いした冥さんは、やっぱり凛々しくて綺麗だった。
あまり時間がないと言われて、たいしたお話はできなかったけど、私は目の前に冥さんがいるってだけでお腹いっぱい。
アメリカの検事局は辞めて、正式に日本で働くことになったらしい。
これからもっと頻繁にお会いできると思うと小躍りしたいくらい嬉しい。
相談したい事もあるからどうしてもとお願いして、電話番号を教えてもらった。
しかも冥さんのオフィスに直通の番号だ。

どうせなら自宅か携帯の番号を教えて欲しかった。



K.Kの日記(4ページ目)

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 *月**日
近くを通りがかったフリをして、また冥さんをランチに誘うのに成功した。
やっぱり電話を掛けられるっていうのは素晴らしい事だ。
今日も冥さんは綺麗だった。
昨夜から泊まり込みで仕事だったらしく、仮眠を2時間しか取っていないそうだが、そんなやつれた表情も憂いがあって素敵。
でもいくら仕事だからって、こんな綺麗なうら若い女性に徹夜仕事をさせるなんて許せない。
第一、お役所なんてまだまだ男社会だって聞くのに。
ムサ苦しい男がうろうろしているフロアで仮眠なんて、想像するだけでオソロシイ。
そんな事を考えていたら、仕事が動き出したらしく、電話で呼び出されて冥さんは戻っていってしまった。
貴重な時間をどうでもいい想像で無駄にしてしまった。
それはそれで心配だけど、冥さんのお姿を見ることの方が大事だったのに。
でも今日は冥さんのメールアドレスを聞くことが出来た。
食事の途中でメールを送ってきた高菱屋の営業、いい仕事よ。
おかげでアドレスを聞くきっかけに出来た。
電話だと大抵は不在か、忙しいって事務官に取り次いでもらえないから。

でも仕事のPCじゃなくって、携帯のアドレスが知りたかったな。



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 >> side.M

見慣れたドアを開けると、中には見慣れた男――御剣怜侍がいた。
「遅かったな」
デスク上の書類をぱさぱさと整理しながら、彼のオフィスにやってきた冥に軽い笑顔を見せた。
「外に食事に出てたのよ」
冥は迷いなく御剣の横に歩を進める。
「君の部屋に掛けたら、森屋君がしきりに謝っていたぞ」
“森屋君”とは冥のオフィスの事務官の1人。地味で仕事は早くはないが、真面目で何より腰の低い好青年だ。冥はたまに、そんなに頭を下げてばかりいたら首が痛くならないか不思議になる。
「彼はあなたに恐縮してるから。後で労っておくわ。で?」
冥が横に身を寄せると、御剣は揃え終わった書類の内、一束を冥に手渡した。
「ご要望の資料だ。中は確認してくれ」
渡された書類の内容を一瞥すると、冥は納得したように頷いた。
「しかし、この長時間労働の最中に外で食事とは、意外と疲れ知らずだな、君は」
同じく昨夜帰宅できなかった御剣は、欠伸を噛み殺しながら言う。
『鬼検事』『鉄仮面』と影で揶揄される彼がこんな姿を見せるのも、側に彼女がいる時だけだ。サブデスクでモニタに向かっているこの部屋の事務官達はもちろん、見て見ぬ振り。
「まぁ、丁度休憩しようと思った時に誘われたから‥‥。それにこの書類待ちだったしね」
書類を掲げていたずらっぽく微笑むと、御剣と向かい合うようにデスクに寄りかかる。
「誘われた?」とあまり起こりえない事態に眉を潜めると、もう少し近くに来いとばかりに彼女の腰を引き寄せた。



「そう。華宮霧緒にここの番号を教えたの」
「あぁ、彼女か‥‥」
それなら御剣も知っている。どうやら彼女は冥を慕っているようだし、人付き合いの少ない冥にも同年代の知り合いが増えるのはいい事と思っている。
「でもちょっと困ってて」と今度は冥が頬に手を添えて眉を潜めた。
「私、法廷や会議であまりオフィスにいないでしょう? どうやら日に4~5回は掛かってきてるみたいなのよね。私用電話だし、急ぎじゃないって言うから、取り次いでなかったみたいなんだけど‥‥。この間森屋事務官に聞くまで全然知らなくて」
「‥‥‥‥‥‥‥‥それは」
思わず御剣はたっぷり5秒は絶句した。
「やっぱり多いわよね? 忙しい時なんか、事務官が気を利かせて断ってもくれてるみたいで‥‥」
確かに、忙殺されてイライラしている冥に、急ぎでない電話など取り次いだら確実に鞭の叱責を受けるだろう。
どうしよう? と小首を傾げて御剣の返答を待っている冥を『可愛いな』と眺めつつも、御剣の脳内では考えられるだけの憶測が飛び交っていた。
「‥‥‥‥とりあえず、勤務中の私用電話は控えるように勧告すべきだろう」
一番無難な選択をした彼の答えに、「そうね」と納得した冥は書類を持って自分のオフィスへ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、プライベートな番号だけは教えない方が、と思わずにはいられない御剣だった。


K.Kの日記(5ページ目)

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 *月**日
スゴイ事をしてしまった。驚くべき事態になってしまった。
なんと、冥さんをショッピングに誘うことが出来た。
今日、いつも休日はどう過ごされてるのか訊ねたら、明日はショッピングに行くらしいので、同行させてもらう事にしたのだ。
あいにく、私は明日休みじゃなかったんだけど、そんな些細なことは同僚に代わってもらって解決。
冥さんとおでかけできるなんて、こんな千載一遇のチャンスを逃す事だけはできなかった。
明日は冥さんとどこへ行こう?
最近出来た総合ファッションビルに誘ってみるのもいいかも知れない。
疲れたらカフェでお茶なんかしちゃったりして。
買い物が済んだら、明日こそゆっくりお食事をしたいし。
そういえばあそこは映画館も入ってるんだった。もし映画まで誘えちゃったらどうしよう。
何を上映してるのか調べておかなきゃ。冥さん、どんな映画が好きかしら。
そうだ、何を着ていこう。この前買った新作のバッグおろしちゃおうかな。
冥さんはどんな服を着てくるのかしら。スーツ以外の格好で会うの初めてだし。
行動的な人だし、やっぱりパンツスタイルかしら。
でも育ちのいい人だから、シックなスカート姿もいい。
先月号のキャズに載ってたスモッグの新作なんて冥さんに似合いそうだった。
〈以下、ごちゃごちゃと服の落書きがいくつかされている。略〉
なんだか緊張してきた。とにかく、念入りに準備しなくちゃ。



K.Kの日記(6ページ目)

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 *月**日
今日はスゴイ。スゴイ、記念すべき一日だった。
冥さんとショッピングに行ってきた。
それも冥さんは私服姿だ。
淡い萌葱色と白のトップスに落ち着いたピンクのふんわりしたスカート。
想像してなかった可愛らしいコーディネイトで、私もまだまだ知らない姿があるのだと勉強不足を実感。
何より目を引いたのは、爪先を今日のスタイルにぴったりの可愛らしいミュールで飾った脚が、素足だった事だ。
いつも厚手のストッキングを履いているのに、生足。
ふわふわしたミニスカートから覗く脚も当然、生足。
若いって素敵‥‥。
今日が暖かい日でほんとーに良かった!
〈横にごちゃごちゃとした*キリオのファッションチェック!と題した挿絵付き。略。〉
色々な事態を想定して、湾岸の複合ショッピングエリアに誘ったんだけど、行くお店が決まってたらしく、待ち合わせの駅から2分のすごうに行った。
着くなり「じゃあ何時にここで」と言われて、颯爽とエレベーターに乗られてしまったのには少しびっくりしたけど。


一生懸命フロアを探し回ったら、3階のガラス工芸店の前で合流できた。
もう小さな買い物袋を持っていて、ちょっとがっかり。
一緒に行きたかったとちょっと詰ったら、きょとんとしていた。
話を聞くと、女の子と一緒に“ショッピング”というカタチで買い物をした事がないらしい。
友達とお店を見て回りながら色々喋るのが楽しいのだ、と教えたら、じゃあそこらでウロウロしてるのは暇なんじゃなくて、そうやって楽しんでるのか、と感心されてしまった。
さすがお嬢様、箱入りなんだ、とこちらが感心してしまった。
せっかくなので“オンナノコのショッピングの仕方”というのを実践してみようと誘って、色々見て回った。
興味のあるお店に足を止めてたっぷり時間をかけて見て回って、と普段女友達といるように振る舞って見せたら、少し戸惑っていたみたいだけど、付いてきてくれた。
結局3~4軒回ったけど、私はシャツを一枚。冥さんもニットのトップスを一枚買っただけ。
効率が悪いと冥さんは納得いかなかったみたいだけど、どうやら楽しんではもらえたようだ。
あのトップスは私も一緒に選んだものだから、それを冥さんが着てくれると思うとちょっと嬉しい。
私のシャツはお財布的には辛かったけど。




すごうの3階なんてブランド店や高級ファッション系しか入っていないようなフロアだもの。
シャツ一枚でも普段見ないような価格基準で、とても贔屓にして買えるようなお店じゃない。
でも冥さんのトップスと同じお店の服。ちょっと嬉しい。
5階のカフェで遅めのランチとお茶にした。
バジルソースのパスタとオレンジティーにプチフール。
さすがにお揃いの服は買えなかったから、ランチくらいは同じものを頼んじゃった。
向かい合って座ってたから、せっかくの生足は近くで見ることは出来なかったけど、代わりにゆっくり手元を見ることが出来た。
いつもは革の手袋で守られてる指先はとっても細くて綺麗。
襟ぐりが広めの服だったから、普段はお目にかかれない首筋も、鎖骨のラインもたっぷり鑑賞できた。
今でもあの白くて透き通るような肌をはっきり思い出せる。
ほんっとーに、暖かい日で良かった。
残念なのは、お茶の後すぐ冥さんが帰ってしまった事だ。
これからだと思ったのに、用事が済んだからとあっさり置いて行かれてしまった。
‥‥まぁ、ランチまで一緒できたし、あまり贅沢は言わないことにする。

でもあの最初の買い物袋が気になるなぁ‥‥。
見たことないブランドだったけど、高そうだったし、聞いて見れば良かった。







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 >> side.M

「はい、これ」
差し出された小さい包みを思わず受け取って、ようやく御剣は疑問を発した。
「なんだ?」
「プレゼント」
ふふっと嬉しそうに笑う贈り主を肩で引き寄せながら、渡された包みをじっくり眺める。
「開けていいのか?」
彼の肩にもたれ掛かるように身体を横たえて冥は、当然でしょ、とちょっと目元をきつくして彼を見上げた。
そんな仕草に苦笑しながらも、礼の代わりに額に小さくキスをして、彼女にも見えるように包みを開いていく。
しっかりとしたケースに収まっているのは、1本の万年筆。
手に取るとしっくりなじむ黒のボディに、クリップには彼女の好きなスワロフスキーのラインストーンが落ち着いた輝きで華を添えている。
「バースディプレゼントよ」
冥は自分の選んだものが気に入ってもらえるか気になるのか、少し恥ずかしそうにしながら御剣の反応を見ようと顔を覗き込んでくる。
彼がそれに気づいてその目に笑いかけると、安心したように微笑んだ。
「冥はやはり趣味がいいな」
「そう?使ってくれる?」
もちろんだ、と彼女の髪を愛おしげに撫でると、冥は嬉しそうに頭を擦り寄せてきた。


おそらく彼女は、しばらく前に御剣が自身の万年筆のペン先をダメにしてしまった事を覚えていたのだろう。
検事に任官した時から愛用していたものと、同じメーカーのものをきちんと用意してくれるあたりも、普段から彼女が自分のことを気に掛けてくれている証に思え嬉しくなる。
「しかし、私の誕生日は明後日だが」
彼女の誕生祝いは欠かしたことはないが、己の誕生日などすっかり忘れていた御剣はその事にようやく気づいた。
「だって、レイジ明日から出張に行っちゃうでしょう?」
御剣の胸元に顔を寄せていた冥は、顔を上げると拗ねたように眉を寄せた。
それについてあまりいい感情を持っていないらしいという事は、きっと彼女は当日一緒に祝いたかったのだろう。
前倒ししてでも祝おうとしてくれる彼女が愛しくて、細い身体を抱きしめた。
「なるほど。それで今日は早く帰れと言ったのか」
昨夜のうちに厳命されていたので、勤めだして初めてじゃないかというくらい早く、陽のあるうちに帰宅したのだが、どうやらそういう事情だったようだ。
「どうせ明日は朝早いんだから、いいじゃない」
御剣に苦笑されて、一応は無理を言った自覚があるのか、少し恥ずかしそうに言葉を濁した。


それならば、と御剣は身を横たえていたソファからゆっくりと起きあがる。
「ではせっかくの時間を無駄にはできないな。ディナーはどこに行きたい?」
その言葉に、冥も慌てて身を起こす。
「あっあのね、私ね」
「?」
「時間、無駄に出来ないのでしょう?だから、私、あの、‥‥ご飯、作ろうと思って」
「‥‥‥‥」
「材料、買ってあるの。‥‥こ、この私が作ってあげるんだから!喜びなさいよ!」
御剣は想定外の事態に、真っ赤になった冥の顔を凝視していたが、やがてふっと表情を綻ばせた。
「当然だ。君の手料理なんて、これ以上のプレゼントはあるまい」
彼の笑顔に気を良くしたのか、冥もにっこりと微笑むと、さっそく立ち上がった。
「じゃあ、ちょっと待っててね。大丈夫、あなたの好きなメニューにするから」
「私も行こう」
キッチンに向かう冥の後を御剣が追うと、彼女は怪訝な顔で振り向いた。
「? あなたに手伝って貰っても手間が増えるだけなんだけど‥‥」
「‥‥それぐらい心得ている。ただ君を側で見ていたいだけだ」
すると冥はさっと頬を染め、俯きがちに馬鹿ね、と言った。
「あぁそうだ、大事な事を忘れていた」
「?」
御剣の言葉に動きを止めた冥に、彼は顔を寄せながら告げた。
「ありがとう」と。


K.Kの日記(7ページ目)

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 *月*日
電話を全然取り次いでもらえなくなってきた。
傾向は分かってる。
おとなしい感じの男の事務官が出ると間違いなく取り次いでもらえない。
もう1人、声が高めの事務官がいるので、彼が出るとたまに取り次いでもらえる事がある。
でもこの人は電話係じゃないっぽいから、あまり期待はできない。
返信はあまりもらえないけど、メールにしようかな。
手紙もあまり返事がもらえなかったけど、筆無精なのかしら。
でも、読んでもらえるだけで私は嬉しい。




K.Kの日記(8ページ目)

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 *月**日
突然、メールが送れなくなってしまった。
今日3度目のメールを送ろうとした時だ。
一時間前に送った時は問題なかったのに。
送信先サーバーのエラーみたい。
どうなってるのかしら、検察のネットワークメンテナンスは!
後で冥さんに電話して聞いてみよう。




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 >> side.M

「これでいいですよ」
最後にマウスをクリックしてウィンドウを閉じると、男は顔を目の前のモニタから上げた。
「ありがとう、森屋君」
横でその様子を見ていた冥が労いの言葉を掛ける。
「念のため確認してみますから」
森屋事務官はまた目線をモニタに向けると、メーラーを立ち上げた。
「これで外からのメールは取れなくなるのね」
「外部ネットワークからの送信メールをサーバーで受信拒否させてます。内部なら、問題ないですよ」
受信トレイが業務メールのみなのを確認しながら、森屋は簡単に解説した。
「‥‥やっぱり、多い、わよね」
「多いです」
きっぱりと断言すると、森屋は先ほどサーバーから取得した受信履歴を開いて見せた。
「一日に少なくても10通は越えてます。別に私用メールは構いませんけど、実務に支障をきたすのは‥‥」


そうなのよ、と冥も申し訳なさそうに頷いた。
「仕事のメールが埋まっちゃって、選り分けるだけで時間をくうんだもの。困るわ」
せがまれてアドレスを教えたのはいいものの、その回数は日に日に増えていて、頻繁な時は10分置きに届いたりもするようになっていた。
とうとう無視しきれなくなった冥は、ネットワークに詳しい森屋に相談を持ちかけたのだ。
その時、小さなベル音がオフィスに響いた。冥のプライベート用携帯電話だ。
「鳴ってますよ」
「分かってるわよ!」
冥は少し慌ててデスクに置かれていた小さな機体を手に取る。
このベル音はここのオフィスの人間には聞き慣れた音だ。
彼女は、親しい彼からのメールに、この涼やかなベルの音を鳴らすよう設定している。
何度か小さな液晶画面に目を走らせて読み返した後、すぐにボタンを操作しだした。
仕事にしろプライベートにしろ、はっきり優先順位を付けて事によっては容赦なく無視、もしくは後回しに行動する彼女でも、このベル音の後はしばらく携帯画面とにらめっこだ。
いじらしいもんだ、と思いつつ、事務官は冥のマシンを仕事の環境に戻していく。
そうこうしているうちにメールの返信も終わったらしく、冥は何事もなかったように携帯電話をしまって、森屋の方を向いた。
「でもこれで大丈夫よね。さ、仕事に戻りましょう」
当面の些細な問題が解決してすっきりした冥は、サクサクと仕事の続きを始めだす。



「‥‥一応、御剣検事にお話しておいた方がいいですよ」
サブデスクに追いやられながら、森屋は念のため意見を申し立てておいた。
冥はどうして?と首を傾げるので、どうやらこの事態をそれほど異常には感じていないらしい。
経験のない事にはとことん疎い人なのだと、この短い付き合いの中で感じていた森屋は、あまり彼女が事を大げさに捉えて不安にならないように、言い回しを変えて忠告しておいた。
「‥‥御剣さんは検事にあった事は全部把握しておきたいでしょうから」
しばらくして、「‥‥そうかしら」と上司の小さな小さな声が聞こえた。
自分の仕事に集中している振りをしていたので、彼女の表情までは見えなかったが、きっと真っ赤に頬を染めてそっぽを向いていただろう事は想像できた。
森屋はそうですよ、と素っ気なく返事をし、とりあえず自分からも御剣検事に進言しておこうと決めると、本当に仕事に集中するためデスクに向かった。



K.Kの日記(9ページ目)

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 *月**日
やっぱり冥さんに取り次いでもらえない。
今日は捜査で戻らないというので、思い切って電話に出た事務官にメールのことを聞いてみた。
どうやら検察全部で外部ネットワークが使えなくなったらしい。
冥さんだけじゃなかったみたいだ、良かった。
となるとまともに接触がもてるのが手紙だけになっちゃう。
なんとかして会いたいなぁ。


K.Kの日記(10ページ目)

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 *月**日
今日は仕事も休みだったので、検察庁に冥さんを訪ねていった。
門前払いを喰らわされた。
今時一般人立ち入り禁止なんて流行らないわよ。
時代は開かれた行政、開かれた法曹、でしょ。
でも偶然御剣検事に会えて、話ができた。
そりゃ冥さんに会えなきゃしょうがないんだけど。
どっちにしろ、今日は出掛けてていなかったらしい。なんだ。
訊ねた事は伝えてくれるらしいから、上手くすれば冥さんから連絡があるかもしれない。
でもこっちからの連絡方法は教えてくれなかった。ケチ。知ってるくせに。




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 >> side.M

廊下をそれぞれの目的地へと向かいながら、2人の男は軽く息をついた。
「助かった。礼を言う」
御剣が半歩後ろを歩く森屋に声をかけた。彼は恐縮しきってぶんぶんと頭を振る。
「いえいえ!‥‥出しゃばった真似をしまして‥‥」
「いや、正直なんと答えたものかと‥‥」
先ほど、外から戻った森屋は正面ホールの受付前で女性に声をかけられた御剣を目撃。
仕事の関係かとも思ったが、相手が若い女性なこともあって、場合によっては己の上司に報告せねばなるまいと近づいたのだが、どうやら様子がおかしい。
しかも相手の要望が目の前の男ではなく、その上司自身であるらしいと感づいた瞬間、咄嗟に口を挟んでいたのだ。
『今日は狩魔検事はご不在です』と。
まさか彼女が件の“ご友人”とは思いもよらず。
「スゴイですね、わざわざここまで訪ねてくるなんて」
御剣はドッと疲れたように肩を落とした。
「普通、機密事項を扱っている施設は一般出入り禁止だろう。それを、受付に理不尽だと食いついていた」
自分もその対象だったのだから、情報の機密性は分かっているだろうに、と何やらぶつぶつと言い募っている。
「第一、検察だろうが一般だろうが、本人の了承なしに勝手に個人情報を教えるわけにいかないのは当然のモラルではないか」
どうやら、冥の携帯電話番号を教えろとせがまれたのを断った時、物凄い顔で非難されたのを根に持っているようだ。


仕事の上では見てるこっちがハラハラするほど不貞不貞しい態度を崩さない男なのに、検事という肩書き以外のところでは変なコトで傷ついていたりする。
「でも、意外と普通の人でしたね」
まぁ、若くて人並み以上の容姿を持つ女性に対し、初見で悪い感情を持つ男はいない。さらに彼女は並みどころか、かなり魅力的な顔立ちをしていたことを思い出しながら、森屋は何故か感心したように呟いた。
それを聞いて、御剣はふんと軽く鼻を鳴らす。
「女性を見た目で判断すると痛い目をみるぞ、森屋君」
御剣は職業上、過去関わった事件で華宮霧緒がいかなる悪癖を持っているかを調べ尽くしている。
しかも、それが改善の兆しがない事も、現在進行形で身を持って体験している。
まさか自分の身内が“そういう対象”に見られる事になるとは思ってもみなかった。
不埒な腹積もりで近づく男ならいくらでも蹴落としてやるが、さすがにこういうのにはどう対処していいか謀りかねる。
「‥‥よぉく肝に銘じときます」
霧緒の度重なる冥への接触を思い出し、森屋は少しげっそりとした気分になった。
「僕もなるだけ力添えしますから、頑張ってくださいね」
軽い激励のつもりだったが、なにやら御剣はあたふたと慌てたようだ。
「なっ、何がだ。事務官」
「決まってるじゃないですか。‥‥狩魔検事を大事にしてあげてください」
あまり言われ慣れてないのか、普段絶対に態度を崩さない彼が、うぅとかああとかなにやら呻いて返事に困る姿に、少し愉快な気分になった。


そんな心の内を感じ取ったのか、御剣は顔を真っ赤にして彼独特の射抜くような視線で睨んできたので、森屋は思わず表情を引き締める。しかし、
「‥‥随分、協力的だな」
と皮肉をこぼすのが精一杯のようだ。
そりゃあ、と森屋は日頃の上司の態度を思い返す。
「彼女の機嫌を損ねない事が、うちのオフィスの平和を保つ一番の秘訣、ですから」
切実な森屋の言葉に、思わず御剣はぽん、と彼の肩を叩いた。同情された。
その時、ふいに涼やかで良く通る声が二人の背中に降ってきた。
「あら、随分気が合うみたいね」
ぎょっと2人が振り返ると、横手の保管室から出てきたらしい冥が、斜め後方に立っている。
御剣と会っている時に良く見せる柔らかい表情をしているので、どうやら今の話を聞かれた訳ではないらしい。
森屋はホッと胸を撫で下ろしたが、御剣は話題の主の登場に戸惑っている。
「? ?」
どういう事だ?と不可解そうな御剣に、さっきのお返しとばかりに一つアドバイスを送っておいた。
「“嘘も方便”っていうでしょう、御剣検事」


K.Kの日記(11ページ目)

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 *月**日
48日ぶりに冥さんから電話がきた!
ここのところ仕事が忙しかったらしくて、わざわざ謝ってくれちゃった!
私は別に、冥さんとお話できるだけでいいんだけど。
仕事の話を聞いて欲しいってお食事に誘ったら、OKがもらえた。
時間が空いたらメールすると言われたけど、待ってられないので4日後に約束を取りつけた。
冥さんの時間が空くことなんて、ないに決まっている。
とはいっても実際、相談にのってもらうほどの問題も無い。
今一番の悩みの種は、少しでも冥さんとお近づきになる方法だもの。
無駄な時間を嫌う人だから‥‥。
4日後までに何か話題を考えておかなきゃ!




K.Kの日記(12ページ目)

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 *月**日
冥さんとランチの約束の日、3日前。
話すこと。
 ・○×社の営業と話が噛みあわないこと → 大人しく話をさせるテクニックを聞く
 ・企画部の◎○が私に気がありそうなこと → セクハラトラブルの相談になる?
 ・今度の製作発表会のこと → ‥‥‥
〈他にもごちゃごちゃ会話フローチャートが書いてあるが割愛〉

どうしよう。せっぱ詰まって困ったことがない。

※プライベートの携帯番号かメアドを必ず聞き出すこと!〈太赤字で〉




K.Kの日記(13ページ目)

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 *月**日
冥さんとランチの約束の日、2日前。
今日は散々だった。
クライアントの新しい担当者が完全な前世代の男尊女卑信者!
現場の女なんてお飾りくらいにしか思ってないんだ。
しかも馴れ馴れしく身体にも触ってくるし! 触られたトコ、まだ気持ち悪い気がする。
世間よりは対等に仕事ができる職場だと思ってたのに、まだこういう人もいるのね。
この事、冥さんに聞いてもらおうかな。
そう言えば冥さんのところはどうなのかしら。
女性の法律家も増えてきたと何かで見た気がするけど、それでも一、二割だって言うし。
国家公務員なんて堅くて世間に疎い特権意識の固まりみたいな人もいるみたいだから、
イヤな思いしてなければいいんだけど。
あ~、急に心配になってきた!
やっぱり明後日はこの事話そう。
何とか冥さんの状況とかも聞き出さなくっちゃ。




K.Kの日記(14ページ目)

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 *月**日
たった1時間8分しか会っていられなかった‥‥。
でも夢の様な1時間8分だった~(はぁと)
52日ぶりの冥さんはやっぱりキレイで、うっかり12分くらいは見とれちゃってた。
なんてもったいないコトを‥‥、でもキレイだったからいいか。
それにしても検事って何て忙しいのかしら。
今日だって検死が終わったからって呼び出されていっちゃったし(よりにもよって検死なんて!)
時間さえあれば一日中だってご一緒したいのに!
おかげで用意した話題が全然できなかった。
一つだけ、セクハラ紛いの扱いを受けた事だけは話せたけど。
やっぱり冥さんもオトコ中心社会に思うところがあるみたいで、たっぷりグチを言い合って盛り上がっちゃった。
さすがに冥さんに不埒な真似をするようなヤツはいないみたいだけど、体制的なものに不満があるみたい。
冥さんはキレイなうえに優秀なんだから。もっと全面的に任せてくれればいいのに。
ホント、オトコなんてろくなモンじゃないわ。

もし私の冥さんが本当にセクハラを受けていたらと思うとゾッとする。
そんなバカがいようものなら、私が冥さん直伝のムチで張り倒してやるんだから。
そう言えば最近、あまり自主練してないな。
おさらいしたい、って冥さんにお願いしてみようかしら‥‥。

快挙達成!!!
つ、い、に!冥さんのケータイ番号をゲットしました。
「どうしても困ったことがあったらかけていいわよ」、って。いいわよ、って!
私の話を聞いて心配してくれたのね。
今すぐにでもかけたい!けどけど「どうしても」って言われてるし、下手に馴れ馴れしくして疎まれてもイヤだし。
「困ったこと」って、「冥さんに電話したくでもできない」事に一番困ってるんですけど。
うぅ~どうしよう~~~。でも嬉しい~~!!





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 >> side.M

「‥‥それでね、肩を触られたりするんですって。信じられないわよね」
口早に捲し立てながら、冥は目の前の人物に訴えかける。
「女性を一体何だと思ってるのかしら。そんな不躾なオトコ、見つけたらただじゃおかないんだから」
確かに彼女の視界内でそんな所業が行われようものなら、それが誰であろうと鞭の叱責を受けるのは確実だろう。
それがモチロン彼女本人に対してであっても同様なのも明白なので、今のところ実行に移す勇者は現れないようだが。
「本当、オトコなんてろくなもんじゃないんだから」
昼に食事に外へ出てきて何か言い含められてきたのか、一度火がついた彼女の苛立ちは収まらないらしい。
「大体どうしてこう何でも男性優位にできてるのかしら。個体能力で差別するならば分かるけれども、ただ性別で分けるっていうのには納得いかないわ」
この間だってね、と冥は続ける。
「新規の案件を余所へ回されたのよ!“キミのとこには無理かな”ですって!私の担当では不満だとでも言うの!?」
「それは‥‥キミのオフィスの許容量を考えての事ではないのか?」
憤慨している冥を見かねて、今まで黙って彼女の話を聞いていた御剣が口を挟んだ。


「でも!行った先は川前さんのところよ。うちよりあっちの方が案件抱えてるじゃない」
川前オフィスはキャリア10年弱の検事のチームで、検察世代的には冥達と同じくらいだ。
同クラスの検事なのに、仕事を回されてしまったのが悔しいらしい。
まぁその理由が別に能力的な差異ではないと、容易に想像はつくのだが。
「そうは言うが、キミは残業をしないだろう」
そう、冥は基本的にきっちり定時にオフィスを閉める。
仕事とプライベートをしっかり分ける欧米らしい感覚と言えばそうなのだが、慢性的に人材不足の国家公務員としては、普通はやりたくても出来ない事だ。
必然的に仕事の処理数は違ってくるし、急ぎの案件なら余計に頼みづらくなるだろう。
それに、ここの上司や同僚達は揃いも揃って彼女に甘い。
任せればカンペキな仕事をしてくるし、それも驚くほど早く処理できるから、腕に文句は付けられない。
何より若いオンナノコだし無理させるのも可哀想だからと、どちらかといえば優遇されていると言える。
それを「女性蔑視だ」などと言い掛かりをつけられても困るだろうに。
案の定というか、冥の返答と言えば、
「当たり前でしょう。ハードワークを押しつけるなんて、レディはもっと丁重に扱うべきだわ」
こんな感じで。
一体どうしろと言いたいところだが、こんな壮大なムジュンにも御剣がつっこめるハズがない。
何と言っても冥に一番甘いのは彼だったりするのだから。


「‥‥それで?」
「え?それでって?」
御剣に促されて、冥はきょとんと目を瞬かせた。
「いや、わざわざこちらに向かって言うくらいだから、何か私に対して含むところがあるのかと思ったのだが」
「え?」
数拍ぽかんとしていた冥だったが、ハッと気付いて慌てて否定する。
「ち、違うわ!別に貴方の事じゃなくて、ただ、こういう事があったって聞いて欲しかっただけで‥‥!」
あわあわと真っ赤になって釈明する冥は、何だか動揺しているようだ。
思いがけず言い掛かりをつける格好になって、御剣の機嫌を損ねたと思ったのか。
「うん?」
「レイジは、‥‥レイジはそんな事なくて‥‥、ちゃんと、紳士だもの‥‥」
段々と小さくなる声でぼそぼそと言い訳をする冥が可愛くて、ニヤニヤ笑いが抑えられない。
思わず悪戯心が頭を擡げる。


「きゃっ‥‥!」
ふいにヒップに走った感触に、冥は小さな悲鳴を上げた。
「こんな事をしても?」
その原因である御剣はにやりと不遜に笑いかけ、なおも冥の引き締まった臀部をまさぐる。
「もう‥‥バカ!」
ぺしり、とヒップに伸ばされた手を叩くが、無理に引き剥がそうとはしない。
「レイジのは‥‥ただエッチなだけじゃない‥‥」
冥は嫌がる風でもなく、さらに一歩、御剣に近づいた。
むしろ逆に擦り寄るように彼に身体を寄せる。
「でも、」
と言うと、冥の感触を楽しんでいる御剣をキッと見つめる。
「他の女に触るようなら、鞭のフルコースなんだから!」
「ふふふ‥‥」
可愛い独占欲を覗かせる冥を微笑ましく思いながら、彼女を引き寄せる。
「大丈夫だ。私はただ愛しいキミに触れたいだけなんだから」
いけしゃあしゃあと言ってのける御剣の言葉に、冥は顔を赤くしながらも満更ではない様子であった。

<スレにて連載中>
最終更新:2006年12月23日 22:26