成歩堂×真宵⑥

冷たい霊洞の中で、刹那に導かれた想いが、やがて二人を向き合わせる。
誰も楽をして生きられないように、誰も無理をして生きられない。

ただ、そこに在る真実と共に。

-太虚- (こくう)

肌に触れる寒さが、思わず身を震わせた。
ごくり、と唾を飲みこんでから、隣を成歩堂 龍一は見た。
そこには同じく身を震わせている綾里 真宵が居た。
(・・・・はあ・・・・ はあ・・・・
 ・・・・くそっ! なんでぼくがこんな目に・・・・)
成歩堂は唇を噛んだ。
(・・・・あのとき・・・・ぼくはどうして、あんなコトを!)
脳裏に、数日前の会話が思い出された。


ぱたぱたと、駆け寄って来る足音に、成歩堂は目を向けた。
そこには、何か紙を持った真宵が居た。
「なるほどくんなるほどくん! ちょっと良いかな!」
「え? あ、ちょっと待ってて。今、トイレ掃除が……」
「何時までトイレ掃除してるの! もう一時間もトイレ掃除してるでしょ!」
そう言って、真宵が成歩堂の腕を引っ張る。
「うわわ、ちょ、ちょっと真宵ちゃん! み、水がっ、水があぁぁっ!」
「あーもう、そんなのクリーニングに出せば良いでしょ! それより聞いてよ! ビキニさんが、あたしを招待してくれたんだよ! あの時の、スペシャル・コース!」
真宵は騒ぐ成歩堂に、持っていた紙を突き付けた。
突き付けられた成歩堂はしばらくそれに目を通し、「ふうん。良いんじゃないかな」と言った。今の成歩堂には、紙よりもトイレの水に少し濡れてしまったスーツの方がショックである。
「じゃ、なるほどくん。例によってよろしく」
両手を前に持って来て、真宵がにこにこ笑いながら言った。
「え?」
「ホラ、前もそうだったでしょ? 二十歳以上の人と同伴じゃないと行けないの」
「な! ま、またかよ! 大体それ、ぼくじゃなくても、御剣と行けば良いじゃないか!」
「御剣さんは冥さんと仲良くしてるから、駄目だと思うな」
あっさりと言われたし、容易に想像出来て、成歩堂はそれ以上勧められない。
「くっ……じゃ、じゃあイトノコ刑事と……」
「マコちゃんと一緒に、留守番するんだって。吐麗美庵で」
幸せそうな顔をするイトノコが想像出来る。
(客の入りも悪いのに、良くやるよ、イトノコ刑事)
それも愛の成せる技なのだろうか。
「うっく……じゃ、じゃあ……じゃあ……」
「ヤッパリさんと?」
「それは絶対駄目ーっ!」
真宵のこれからが心配になり、成歩堂は間髪を入れず異議を申し立てる。
「じゃあ、誰も居ないじゃん」
「さ、裁判長が居るだろ!」
「あの寒さは、裁判長さんには無理だよ」
確かに言えている。
言えているが、心の何処かで、あの裁判長なら平気な気がすると思っている成歩堂。
しかし確信も無いのに裁判長を勧め、裁判長がそれで死んでしまったら、夢見が悪い。仕事で忙しいだろうし。
「うう……じゃ、じゃあ春美ちゃんに、千尋さんを霊媒して貰えば良いだろ」
「駄目だよ。はみちゃんに負担掛けちゃうし、心配掛けちゃうから」
(ぼくなら良いのかよ……)と突っ込みたくなる成歩堂。
「……! そうだ! 真宵ちゃんが千尋さんを霊媒すれば……」
「この紙、あたし宛てだから無理だよ」
そう言って、真宵は紙の上部を指差した。
確かに、そこには『綾里 真宵  様』と書かれている。
「ね、ね。良いよね! なるほどくん!」
正直「うへえ……」とも思ったが、ここまで来たら仕方ない。
しぶしぶではあるが、成歩堂は「分かったよ……」と言った。真宵はそれを聞いて、「やったあ!」と喜ぶ。
「じゃあ、なるほどくんも参加してね!」
「………………え?」
魔の抜けた声で、真宵の言葉に反応する成歩堂。
「折角ビキニさんが招待してくれたんだもん! ほら、今なら春の大セールで二人以上申し込みの場合、二人で一人分の料金で良いって、書いてあるんだよ!」
「あーあー、それは良かったね。春美ちゃんと一緒にすれば良いだろ?」
「はみちゃんは、しばらく里に帰るって」
(何で帰っちゃうんだよ、春美ちゃーん!!)
「だ・か・ら! 決定だね」
「ま、まままままま、待った! 大体ぼくが参加しなくても料金は変わらないし………」
「それに……」
そう言って、真宵が目を伏せる。
「本当は、一人では入りたくないんだ。あそこ」
(あ……)
「ね、なるほどくん。一緒に修行しようよ」
真宵の物言いに、成歩堂は黙った。
そう。真宵はある事件に巻き込まれ、あの場所に一人でずっと居たのだ。
生と死の境目で。
その時の恐怖は、恐らくどんなに言葉に表せる事が出来ても、表せしきる事は出来ないだろう。
「……お願い、なるほどくん」
真宵がもう一度、成歩堂に懇願した。
そうだ。
護ってやらなくてはならない。
かつて、護り切れなくて危ない目に遭わせた事は沢山在る。
だからこそ、今度こそ成歩堂が護ってやらなければならないのだ。
「…………分かったよ、真宵ちゃん」
「やたっ!」
そう言って飛び跳ねる真宵の姿に、成歩堂は苦笑した。


そして、その結果がこれである。
ここは、おぼろ橋を渡った対岸。
修験者が霊力を上げるための、霊境である。
そこでは、修行用の服をまとった真宵は震え、何とかしてスーツ姿のまま修行が出来る許可をもらった(修験者の服は寒そうであったし、殺人級に似合わないだろうと思ったからだ)成歩堂は、過去の事を思い出している。
「ま、ま、真宵ちゃん。ほ、本当に入るの? あそこ」
成歩堂は奥に在る奥の院を指差して言った。真宵は震えながらこくこくとうなずく。
(か、勘弁してくれ……)
正直、ここまで身体的に追い詰められたのは初めて(精神的にはそうではないのだが)で、成歩堂はスーツの上から腕をさすりながら心の中でそう思った。
「そ、それじゃあ、入ろっか。じゃ、なるほどくん、お先にどうぞ」
「え! こ、こう言う時はやっぱり、専門家であり本家本元、家元さまの真宵ちゃんからどうぞ」
「あたしは家元だから、まあ、じゅ、重役出勤?」
「訳分からない事言うなよ!」
「ぜ、ぜんとるめんふぁーすと、ってヤツだよ」
「何だよそれ! 大体それはレディーファーストだろ!」
「男女差別良くない!」
「真宵ちゃんが先に言って来たんじゃないか」
などなどと口喧嘩をしている内に、身を切るような冷たい風が吹く。
「……」
「……」
「喧嘩している場合じゃないよな」
「そだね」
二人の意見は合致した。
確かに、この気温の中、争い続ける事さえ不毛だし、百害在って一理無し、である。
「それじゃあ、早速行くか」
「ちょっと待って、なるほどくん」
成歩堂が歩き出そうとした時、真宵がそれを止める。成歩堂は呼び止められて、振り返った。
そこには、中庭に目を向ける真宵が居た。
そう。中庭。
(あ……)
成歩堂はつい最近弁護した裁判を思い出していた。

その時の現場は中庭で。
そこで、真宵は……その事件に巻き込まれた。
この中庭は、沢山の思いが詰まった場所だ。
妬み、恨み、迷い、苦しみ……思慕。
全ての結果、迷いが今こうして成歩堂の隣に居る。
「少し……お参りさせて」
真宵の言葉に、成歩堂はうなずいた。
そして、一緒に中庭に入る。
灯ろうの周りは、雪がどけられたままだった。
真宵は目を細め、その雪の在る場所と、無い場所に交互に触れる。
「……あたし、色んな人に助けられたから、ここに居るんだよね」
「そう、言ってたね」
「……」
黙って真宵は目を閉じ、手を合わせた。
本当に長い間、その格好のまま、真宵は立ち尽くした。
きっと、真宵の中にも色々な思いが在るだろう。
「……だから、あたし……強くならなきゃいけないの」
「うん。それも、言ってた」
真宵の背中が、小さく見えた。
「あたし……時々思うんだ。あたしだけ、取り残されちゃった、って」
「……」
「あたしのお父さんも、お母さんも、おねえちゃんも……皆、居なくなっちゃった。あたしだけになっちゃった、って」
「でも…君には春美ちゃんも居るじゃないか」
「うん……そうだけど………」
沈んだようにそう呟いてから、真宵は顔を上げた。
「……そう、だよね。あたしにはまだ、はみちゃんも、なるほどくんも居るもんね!」
あはは、と真宵はそう言って笑った。
その笑顔を見た瞬間、成歩堂は後悔した。
真宵のその笑みが、あまりにも虚しかったからだ。
「………よしっ! じゃあじゃあ、早速修験堂に行こっか」
虚しい笑みであるけれど、満面の笑みを浮かべながら、真宵が成歩堂の方を振り返り、そう言った。
「え、あ…そ、そうだね」
言われた成歩堂は、多少何処か取り残された感を拭えないまま、うなずいた。
そして、二人は中庭を後にし、奥の院の修験堂へと向かった。

「アンタたち、やっと来たね。わは、わはは、わははははは」
「お久し振りです、ビキニさん!」
けらけらと笑うビキニに、真宵が声を掛ける。
「もお、オバさん、準備は出来てるし。何時でも修行が出来るわよ」
「うわあ。ありがとうございます」
「そこのアンタも、しっかり修行して、霊力をぐっぐーんと伸ばしなさいね」
「ええ!? ぼ、ぼくもですか!?」
「なるほどくん! 光栄な事なんだよ? あたし達倉院の里の人間も、なかなかスペシャル・コースには拝めないんだからね」
(光栄、なのか……? 一般人にとって)
あえて口で言わなかったけれども、成歩堂はそう突っ込んだ。
そう。
こんなにギザギザな頭と眉毛をしているが、成歩堂はれっきとした一般人なのだ。
周りにとって見ればそうは思えないのが、哀しい事なのだが。
「それにしても、残念だねえ。しゃんとした修験者の格好をした方が、一層身も引き締まって、霊力が上がる要因にもなるのにねえ。今時それをスーツなんて……」
「ま、まあ殺人的に似合いませんからね、ぼくがそれを着ると」
「ま、それも言えてるけど」
ビキニはさらりとそう切り返す。
「しっかりご飯は食べたんだろうね」
「はい! そりゃあもう、お腹が悲鳴を上げるまで食べましたよ!」
(それってスゲェ!)
以前、真宵は甘い物とステーキは別腹、などと言うすさまじい『別腹』宣言をした。
そこから考えると、真宵の腹部が悲鳴を上げるほどの食糧と言うのは、かなりの量、と言う事になる。
少なくとも、常人には食べ切る事の出来ない量であろう。あくまでも、常人の話だが。
「少しは暖かくなって来たし、もう修行を初日から始めても構わないね?」
(何処が暖かいんだ!!)
成歩堂は異議を唱えようとしたが、どうにもこの寒さではなかなかツッコミを入れる事が出来ない。
一方のビキニはこんな寒さなど慣れているのだろうか、相変わらずけらけらと笑っている。
成歩堂は真宵の方をちらりと見たが、一方の真宵も寒さに震え、表情も凍り付いていた。
やはり初日から始めるとは思っても居なかったらしい。
「それじゃあ、早速始めましょうか。未来の家元さん」
「は、はひぃ……」
もはや寒さに反対する気力すら凍り付き、真宵は鼻声でビキニの言葉に答えた。
「死なない程度に頑張るんだよ。わは、わはは、わははははは」
笑いながら、ビキニは奥の院の扉を開けて、成歩堂達を中へ促した。
もはやこれまでと言った感じで、成歩堂と真宵は顔を見合わせた後、諦めたように密かに溜息を吐き、案内された奥まで入って行った。

ひやり、とした風が肌を撫でるたび、成歩堂は、真宵は、身震いをした。
ビキニは途中まで案内すると、成歩堂に申し訳程度の明かりを手渡し、「ここから先は修験者さんが自分で行く事になっているんだよ」と言って、やはりわはわは言いながら帰って行ってしまったのだ。
「ま、真宵ちゃんは、一度ここに入ったんだよね?」
「うん……そ、そうだね」
二人とも奥の院の修験堂の寒さに震えながら、言葉さえも凍り付いているのではないかと思ってしまうくらい覇気の無い声で語り合った。
「じゃあ、迷う事も、無いよね?」
「う、うん。迷わない、けど……や、やっぱり寒いなあ」
「あの時と、今と、ど、どっちが寒い?」
「うーん、ど、どっちも寒いよ。た、多少暖かくなったと言っても、や、やっぱり奥まで、暖かさは、来ないし」
そう言いながら、真宵は腕をさすり続ける。
真宵の言葉を聞きながら、成歩堂は寒さを覚悟した。
「それにしても、物寂しい所だな」
「うん……やっぱり、修行って、寂しい所でやった方が、何となく雰囲気出るでしょ?」
そう言う問題なのか、と成歩堂は真宵に突っ込みたくなったが、突っ込めば突っ込むほど体力が消耗されそうな気がしたので、体力温存も兼ねて黙っていた。
やがて、一番奥まで辿り着く。
お互いの顔が、見えるとは言えないが見えないとも言えない、本当に微妙な薄暗さである。明かりが無ければ、恐らくは全く見えなかっただろう。
「こ、ここ?」
「うん。一番奥が、ここだよ」
寒さに慣れたと言う訳ではないが、始めに感じた寒さよりは寒くは無くなっていた。
とは言っても、霊氷の上に正座して呪詞を三万回唱える修行をすると言うのだから、生半可な寒さではないだろう。
「あ、あの時は修行どころじゃなかっただろう? い、いや、修行すら出来なかったか」
肌を刺す寒さに成歩堂は震えながら、数ヶ月前の事件を思い出していた。
真宵が、殺されそうになった時の事を。
「ううう、それにしても、本当に寒いなあ」
氷が在るからだろう。尽きる事無く、冷たい空気は成歩堂達に訪れた。
「まま、真宵ちゃん。本当に、するつもり?」
笑みが凍っているのは、成歩堂自身でも分かった。
もはや普通に立っていても、身体中の皮膚と言う皮膚が、まるで痙攣しているかのように寒さを訴えている。
先程から鳥肌は立ちっぱなしだし、歯もがちがちと鳴っていた。
「…………」
成歩堂の言葉に、真宵は何も答えなかった。
「ま、真宵ちゃん?」
遂に寒さに、立ったまま気絶してしまったのだろうか、と成歩堂は心配した。
真宵の傍まで行き、顔を覗き込む。
「!」
薄暗くて、お互いの表情はあまり良く見えなかったけれども。
「ま、真宵ちゃん……」
それでも、たった一つ分かった事は。
「……泣い、てるの?」
真宵が、声を立てずに泣いている事だった。
「え、ええと。ぼく、何かいけない事、言ったかな?」
全く心当たりが無い。もしかすると無意識の内に真宵の事を傷付けてしまったのかも知れない。とにかく成歩堂は何とかしてこの泣いている少女の支えになりたいと思い、尋ねた。
だが、真宵はふるふると首を横に振った。
「ううん。なるほどくんは、何も悪くないの……」
そう言われるものの、やはり突発的な真宵の涙に動揺し、成歩堂は真宵に呼び掛けたり、肩を軽くさすってあげたり、とにかく真宵の事をなだめようとした。
「真宵ちゃん……そんな、どうして…ぼくが、やっぱり何か……?」
「……違うの。なるほどくんが何か言ったとか、そんなのじゃ、ないの」
鳴咽混じりに言いながら、真宵は微かに首を横に振り、涙をその指で拭った。
「ただ、何もかもが遅かったんだ、って……」
「遅かった?」
どう言う意味なのだろうか。
真宵が何かに付いて、何もかもが遅いと感じたと言う。
それは一体、何を指し示していると言うのだろうか。
「そんな。ぼくだって行動を起こすのが遅い時だって、在るよ」
「違うの。そうじゃないの。そう言う事じゃ…ないの」
泣きながら、真宵はそれでも成歩堂の言葉を否定する。何が何をどう言われているのか、さっぱり分からずに、成歩堂はただただ焦燥感に駆られていた。
「じゃあ、どうしたって言うんだよ」
焦燥感に駆られるあまり、ついつい成歩堂は強い口調で真宵に問いただしてしまう。そして、強い口調で問いただしてから、(しまった……)と成歩堂は思った。
「…………」
強い口調に押され、真宵は黙ってしまう。
しかし焦燥感に駆られ続けている成歩堂は、どうしても素直に真宵に謝る事も出来ずに、黙っていた。
「…………」
「…………」
冷たい修験堂は、成歩堂達の心を表しているようであった。
冷たくて、そして空っぽな。
「…………」
どちらも黙ったままで、時が流れるだけ。
徐々に冷えて行く身体は、まるで今の二人をあざ笑うかのよう。
どうしても、どちらからも言い出せない。
その一言を。
二人は黙ったまま、やがて目を逸らした。
何も言う事が出来ないまま、二人は修行を始めるに至ってしまったのだった。
身も心も凍り付いて、そのまま凍死してしまうのではないかと成歩堂は思ったくらいだ。
それくらい、修行は過酷な物であった。
がちがちと歯を微かに鳴らしながら、それでもなるべく何も言わないようにして(どう言う呪詞を言えば良いのか分からなかった事も在る)、成歩堂は霊氷の上に真宵を隣にして正座をしていた。はっきり言って死ぬ。本気で。
ちらり、と成歩堂は真宵の方を見た。
「…………………」
黙ったまま、目を閉じて正座をし続ける真宵の姿が、そこに居る。
先程の口喧嘩を、涙を、修行をする事で忘れようとしているのだろうか。
そんな無理をし続ける彼女を見て、成歩堂は先程の自分の言葉を、後悔した。
今までから見ても、真宵は無理をし過ぎである。
初めて成歩堂と真宵が逢った時…真宵が容疑者となった時も、面会に来た成歩堂に嫌な思いをさせないために、明るさを何とか保とうとしていた。
ある事件の最中で真宵が霊媒を上手く出来なくなって、役に立てなくなりかけた時も(そうは成歩堂は思わなかったのだが)、身体を張って証拠品を、真相を引き出してくれた。
再び容疑者となった時だって、不安で何も分からない状態であっても笑おうとしていた。
誘拐された時だって、伝言で成歩堂の事を真っ先に励ました。
つい最近の事件も、自分が殺されかけた時に、真宵の事を助けてくれた犯人を護ろうとしていた。
そして、その事件の真相を知って傷付いた春美の事を励ました。
何時だって、そうだった。
何時だって、真宵は何よりも他人の為に自分を犠牲にしていた。
自分を犠牲にして、何時だって無理をして生きている。
多少、おどける時もあるかもしれない。
けれど、そんな物はちっぽけと感じてしまうくらい、それくらい目に見えず、気付きにくい真宵の犠牲は大きかった。
「…………」
二人は黙ったままだ。
(ううう……あんな風に言わなければ良かった)
もっと、違う言い方が在っただろう。
なのに、自分が疎外されているような気になって、勝手に焦燥感を感じて。
そして真宵の事を抑え付けてしまった。
(謝りたい……でも…)
そうできないのが、成歩堂の不器用さ。
何処かで、意地を張っている自分が居た。
それでどうなる訳ではないのに。

ぶるっ、と成歩堂は身体を震わせた。
寒さは、成歩堂の集中力を下げて行く。
そしてその集中力が下がれば下がるほど、成歩堂の体感温度はどんどん低いものになって行った。
「………」
ぶるぶると震えながら、成歩堂はじっと真宵の事を横目で見ていた。
自分はこんなに寒いのだ。
とうぜん、素肌が成歩堂よりも見えている真宵は、もっと寒いに違いない。例え普段真宵が着ている修行中の霊媒師が着る装束よりも裾や袖が長いとしても、所詮はその程度なのだ。
「……ま、真宵ちゃん」
たどたどしく、成歩堂が声を掛けた。
薄明かりの中、はっきりとは見えない視界の中で、微かに真宵がこちらを向いた気がした。
「…その……さっきは、ごめん」
あんなに言うのをためらっていた言葉を、一言を。
成歩堂はこんなにもすんなりと言える自分に驚いた。
永遠に言う事が出来ないのではないかと心配さえしたと言うのに。
「……あ、ええと…うん」
真宵がうなずいたのが分かった。その顔に、もう傷付いた色は無い。
隠しているだけなのかもしれない。
「……その、嫌じゃなかったらどうして泣いていたか、教えてくれないかな」
ぽつり、と成歩堂が尋ねた。真宵は困惑した表情で黙り、うつむいた。
「い、嫌なら良いんだ! その、誰にだって聞かれて困る事は在るし」
うんうんとうなずいて、成歩堂は明るく笑った。
その様子を見て、真宵は柔らかく微笑んだ。
「……あのね」
真宵が自分の手元に視線を落とし、静かに口を開いた。
「さっきも、言ったよね。何もかもが遅かったんだ、って」
「…うん」
「……あたし、初めてここに来た時の事、思い出してたの」
「初めて、って……2月7日の?」
成歩堂の言葉に、真宵はうなずいた。
心無しか、酷く疲れ、そして辛そうな、寂しそうな表情をしているように見える。
「あたし……心の何処かで、分かってたの」
「え……?」
成歩堂が聞き返すと、真宵が成歩堂の方へ顔を向けた。
「あたし、あたしのお母さんっ! あの時、何処かで分かってたのに!」
「ま、真宵ちゃん?」
「お母さん……あの時、あたしの事、呼んでくれたの。『真宵』さんって……」
真宵の言葉に成歩堂ははっとした。
脳裏に、2月7日の事が蘇る。
-春美ちゃんも手伝ってくれるかしら?-
-わあ! わたくし、なんでもやりますとも!-
-あ。じゃ、あたしも……-
-…いいえ。気にしないでいいのよ。真宵さんたちは、ゆっくり遊んでらっしゃいな-
あの時、確かに彼女は呼んだ。
『真宵』さん、と。
初めて逢ったばかりで、名乗ってもいなかったと言うのに。
なのに……彼女は呼んだ。真宵の事を。
「でも、あたし……何の確証も無くて…お母さんだったのに、何処かで分かってたのに……」
真宵の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。

成歩堂が何か行動を起こすよりも前に、真宵は成歩堂にすがりついた。
「呼びたかった!」
「!」
「お母さん、って……逢いたかったよ、って!!」
胸元に顔を擦り付ける真宵の目から流れる涙が、成歩堂の衣服に染み込まれて行く。
「他にもいっぱい言いたかった。ずっと待ってたよとか、大好きだよ、って」
「……」
「なのに……あたしが、勇気が足りなくて、一歩踏み出せなくて……確信が持てた時にはもう、遅かった……」
泣きじゃくり、すがりついて真宵が成歩堂に身を寄せる。
そんな真宵に、一体自分は何が出来るのだろうと思った。
ただ、彼女の泣く姿を見て。
それに対して、どう言う事も出来なくて。
ただただ、彼女の後悔を、真宵自身に対する責めを見詰める事しか出来ないのか。
「お母さんが失敗を全部背負って、居なくなって……でも、それはお母さんのせいじゃないよ、って言いたかった。これからはずっと一緒だよって、一緒に生きようねって…そう、言いたかった……」
慟哭は続いた。成歩堂の目の前で。
懺悔は続いた。成歩堂の腕の中で。
ただひたすら、後悔の念だけが真宵の事を縛り付けて。
何もかもが手遅れだった事が、真宵の事を責めていた。
成歩堂はそんな真宵の事を、じっと見詰めていた。
やがて、成歩堂は唇を噛み締める。
(ぼくが彼女の一番傍に居るから……)
寒さに今までなかなか動かなかった腕が、ぴくりと動いた。
(彼女の事をぼくが護らなければならないんだ!)
腕は、真宵の身体を抱きすくめた。
「っ!」
抱きすくめられた真宵は、目を見開いた。
やはり、真宵の身体は冷え切っていて、震えていた。
「真宵ちゃん……きみの証言には、ムジュンがある」
「え……」
腕の中で、抱きすくめられながら、真宵は成歩堂の目を見詰めた。
「きみは言った。『何もかもが手遅れだった』と」
「う、うん」
「でもね、真宵ちゃん。きみは何処かで予感していた。きみのお母さんの事を」
「そうだけど……でもっ! あたしはお母さんに何も伝えられなかった。結局気付かなかったし……」
「異議あり!」
裁判所で言う成歩堂の声とはいささか違い、声は震えていたけれど。
成歩堂はそれでもまっすぐに真宵の事を見詰め返していた。
「きみが予感した事は、真実だ。そして真宵ちゃんのお母さんも、真宵ちゃんの事を分かった。お互い、顔も分からなかったであろう状況で、予感は当たったんだ。それが言葉にならなかったとしても、真宵ちゃんの想いは、真宵ちゃんのお母さんに、絶対届いていたはずだ」
「なるほどくん……」
「真宵ちゃんには、真宵ちゃんのお母さんの、あの優しさが伝わらなかったの?」
「……ううん…」
涙を再び激しく流し、真宵は首を横に振る。
「とっても……温かくて、優しくて……お母さんは、思ってた通りだった」
顔を成歩堂の胸にすりつけ、ほう、と真宵は溜息を吐いた。
「ね……伝わっただろう? きみのお母さんの優しさが。それと同じくらい、真宵ちゃんのお母さんだって、きみの温かさと優しさが、伝わっているはずさ」
そう言って、成歩堂はきつく真宵の事を抱きしめた。
「だから……もう、自分に無理をさせないで。自分だけを責めないで」
「!」
「きみはいつだってそうだ。無理をして、その無理を感じさせないようにしてる」
そう言って、成歩堂は額を真宵の額と合わせた。
「ぼくにも、きみの負担を背負わせてよ」
「……っ」
真宵の目が見開かれた。
目の前には、成歩堂の顔が在る。
その成歩堂の目は、真剣な色で。
「真宵ちゃん……ぼくは、真宵ちゃんの事が、好きだよ」
「え……っ」
「何処かで、ぼくは言い訳してた。きみはぼくの助手だから、千尋さんの妹だから、傍に居て、護らなきゃいけない。でも……そんなの、ちっぽけな事だったんだ」
抱きしめる腕が、感情の高ぶりによって震えた。
「真宵ちゃんが……真宵ちゃんの事が好きだから…だから、ぼくは……」
「……なるほど、くん」
目を細め、微かに真宵が成歩堂の名を呼んだ。
「あたし…も、なるほどくんの事は好きだよ。でも、あたしは幸せには……」
「異議は認めない。認めなくない」
成歩堂は首を横に振って、真宵の事を見詰めた。
「沢山の人の想いの上に生きているからこそ、きみは幸せになるべきだ」
そう言って、成歩堂はそっと、真宵に口付けた。真宵は困惑したような表情をしていたが、やがて目を静かに閉じ、身体中の力を抜いて成歩堂に預けた。
ふるふると震える真宵のまぶたは、いまだに涙をこぼしていたけれど。
薄暗がりで、相手の表情は見えなかったけれども、確かに二人は気持ちが一つの表情をしていた。
成歩堂はそっと顔を離した。
「好き、だよ。真宵ちゃん」
もう一度、真宵に言ってやる。
真宵はしばらく黙っていたが、やがて静かにうなずいた。
「あたしも、なるほどくんが好き。ずっと前から」
微かな返答に、それでも成歩堂は嬉しく、愛しく思った。
だが、心が温かくなっても、身体的には二人ともかなり冷え切っていた。
ぶるっ、と真宵が身体を震わせる。
「……寒い、ね」
真宵の言葉に、成歩堂はうなずく。
「真宵ちゃん……」
そっと、成歩堂は真宵の名を呼んだ。
ずっと、気付かないふりをしていた二人。
ふりを続けて月日が経ち。
二人はようやく向き合えた。
それが、冷たい霊洞の中で、刹那に導かれた想いが、やがて二人を向き合わせたかのようだった。

成歩堂は霊氷から降りると、真宵の事も降ろした。
「まだ修行中なのに、良いのかな」
不安そうな表情をする真宵に、成歩堂は「大丈夫だよ」と言って、真宵の頭をそっと撫でた。
コトを行うのに、やはり氷の上でやる勇気は、成歩堂には無かった。
「ホラ、要するに寝ずに頑張れば良い訳だろ?」
「霊氷の上でだよ。しかもお経を三万回唱えなきゃならないし」
「早口言葉なら任せておいてよ。って言うか、お経じゃなくて、呪詞だろ」
「……早口なんかじゃ、霊力は上がらないよ」
「心を込めれば上がるってモンじゃないだろ?」
「そ、そうだけど」
何時の間にやら漫才になってしまうのは、普段のノリからだろうか。
その漫才を引き止めたのが、霊洞の冷ややかな空気だった。
「……漫才してる場合じゃ、無いな」
「……そだね」
二人は顔を見合い、うなずいた。
きっと明かりが無ければ、相手が何処に居るのかも分からなかっただろう。
成歩堂はそんな事を思いながら、真宵の身体を引き寄せた。
そして、再びキスをする。
ただ、先程と違うのは、より長く、より深い所。
成歩堂の舌が真宵の舌を求め、口内へと侵入しようとする。
「んんっ……」
そうしたキスをした事も無い真宵は、少し眉をしかめながら、成歩堂の舌に困惑した。
成歩堂の舌は、真宵の唇に割り込み、歯を押し上げさせ、そして、真宵の舌まで辿り着く。
そのまま成歩堂は、真宵の事を貪った。
始めは困惑した表情の真宵だったが、やがて成歩堂の舌を受け容れ、真宵の舌もまた成歩堂の舌に合わせ、ぎこちなくではあるが答えて行った。
二人は、互いの温もりを貪った。
ここが神聖な霊穴である事をすっかり忘れてしまったかのように、二人は互いの温もりに高まって行く。
だが、寒さを忘れるため、辛さを忘れるために、二人は今こうして行為に及んでいるのである。
やがて、二人は唇を離した。つ、と互いが受け容れていた名残が糸を引いて静かに落ちる。
それが、淡い明かりに妖艶に反射し、二人の目に映った。
真宵は思わず頬を赤らめ、目を逸らす。
そんな真宵を見ながら、成歩堂は真宵の修行服の上から、胸の膨らみに手を置く。
ぴくり、と真宵が微かに身体を震わせて反応した。
「あ…っ、なるほどくん……」
とても恥ずかしそうな顔で、おずおずと真宵が成歩堂の名を呼んだ。
「どうしたの、真宵ちゃん?」
「…その、あたし……」
もぞもぞとくすぐったそうに、恥ずかしそうに身体を動かしながら、成歩堂の手を何とか離そうとしている。
「あたし、こうした事、初めてで……だから、その………」
「大丈夫。怖くないよ」
ぼくに任せて、と成歩堂が言って、真宵の身体をより引き寄せた。
そして、指先で真宵の膨らみをそっと掴む。
真宵の胸は、覚悟していた(思っていた?)よりも大きかった。恐らく、千尋の胸を見たりしていたから、無意識に比較していたのだろう。
全く無いのだろうか、と思っていた成歩堂にとって、その膨らみは大きくないにしても、思わず目を丸くするくらいの大きさはあった。
「そ、そんな顔、シツレイだと思うなっ!」
真宵が頬を膨らませて、成歩堂の方を見る。成歩堂は「ごめんごめん」と言って、真宵の頭を空いている手で撫でてやった。
真宵はしばらく黙っていたが、やがて頬を元の大きさに戻した。
どうやら機嫌を直してくれたようである。
成歩堂は安心して、再び指先を動かした。
「ふ、ぁ……」
とろん、とした目で真宵は成歩堂の方を見る。そして、冷たい指先で成歩堂の腕を掴む。
その必死さに、成歩堂は愛しさを覚えた。
「真宵ちゃん……可愛い」
成歩堂が小さくそう言ってやり、指の動きをやや激しくする。
それに対して、真宵は敏感に反応し、成歩堂の腕にすがり付いた。
「んんぅっ…!」
切なげな声を上げ、真宵が頬を染めながら、あえぎ声を上げる。
その反応を楽しみながら、成歩堂はするりと真宵の装束の隙間に指を入れ、素肌に触れた。
「あっ……」
びくりと身体を震わせる真宵。
冷たい指先に、身体が震えたのも在るだろうし、不意の肌の感覚に困惑したのかもしれない。
「ご、ごめん。冷たかったかな?」
「う、うん……でも、大丈夫」
頬を先程よりも赤く染めながら、おずおずと真宵が言った。
未知の感覚に対する不安と、それを越える成歩堂に対する愛しさ。
それが、真宵の中でぐるぐると回る。
成歩堂が触れ続けると、だんだんと真宵の鼓動が速くなって来た。
「あっ……ぅ…」
恥ずかしさと、冷たさの中に在る温もりと快楽に真宵の声は切なげに上げられる。
指先を動かしながら、成歩堂は空いている手で真宵の冷えた身体を抱きしめる。
けれど、二人の身体は先程から始まった行為に、熱くなって行った。
「真宵ちゃん……」
成歩堂は真宵の名を呼び、その胸の先端を、しきりに撫で、時に押し付ける。
徐々に、その先端が堅く、立って行くのが分かる。成歩堂が高まるのと同じように、真宵もまた高まって行く。
如実に真宵の身体が素直にそれを表している。
「ほら、すぐに立っちゃった」
先端をいじり続けながら、成歩堂は真宵に言った。
「や…だぁ……っ」
成歩堂の言葉に、真宵は首を横に振ってその言葉を振り払う。
「真宵ちゃん、感じてる?」
「う……くぅっ」
慌てて真宵は胸をまさぐる成歩堂の腕を止めようとしたが、それを成歩堂は強く抱きしめる事で阻む。
だんだん、真宵の身体が熱くなって来るのが分かる。
「……ね、真宵ちゃん」
成歩堂が真宵の耳元で言葉を発する。
「ぼく、真宵ちゃんの可愛い反応にもう…」
「やっ……!」
それ以上成歩堂に言わせないように、真宵は首を激しく横に振り、紅潮しながら、成歩堂の方を見詰めた。
その瞬間、すかさず成歩堂は真宵の唇を塞ぐ。
成歩堂はその間にも、真宵の胸の先端を摘まんだ。
ひくり、と真宵の身体が震えた。
「んっ、ふ……」
口を塞がれたままの状態で、真宵はかすかにあえぐ。
胸の先端はしこりとなっており、摘まんでも優しく撫でても指先にはっきりとその形を伝えていた。
成歩堂は唇を離すと、そのまま真宵の事を見詰めながら、胸の先端を攻め続けていたが、しばらくしてから一旦止めて、帯にゆっくりと手を掛けた。
「ぅ……なるほど、くんっ…恥ずかしいっ……」
目をきつく閉じて訴える真宵に、成歩堂は微笑んで頬ずりをしてやった。そして、帯を緩めて行った。
しゅるしゅる、と静かな霊洞に帯が解けて行く音が静かに響いた。
やがて、真宵の装束を固定していた帯が完全に解け、自然と真宵の装束も微かにはだけた。
真宵の白い肌が、ビキニから手渡された淡い光にぼんやりと照らされた。
止める事の出来ない衝動に駆られながら、成歩堂は思わず真宵の見え隠れしていたうなじに口付ける。
「あふっ…!」
成歩堂の行為に、真宵は身体を震わせる。
その様子をちらりと見ながら、成歩堂はそのうなじに舌を這わせた。
生温かい感触に、成歩堂の胸板にすり寄り、くすぐったさと微弱な快楽にすがった。

最終更新:2006年12月12日 21:26