すっかり日も暮れた帰宅の途を、ただひたすらに歩を進めていく。
途絶える事のない仕事に追われる一日を今日もまた消化すると、これまた変わらぬ家路を変わらぬ早さで進む。
我ながら、この代わり映えのしない日常に、よくも飽きないものだと思う。
いや違うか。今は「非日常」がまさに私の部屋の中に待ちかまえているのだ。
今、私の自宅には私以外の者が寝起きしている。
「同居」、などという生易しいものではないと、端から見た者には思えるだろう。
何より私自身がそう思っているのだから。
彼女は仕事にも行かず、一日中部屋で過ごし、果てには私の許し無しでは外出も出来ない状態になっている。
私の部屋には今、メイが「囚われて」いるのだ。




「愛」のカタチ



少し前に、冥が生理不順から体調を崩してしまった。
多少私の責任によるところもあるので、看病すると言ってすぐに、面倒をみるのに手間だから、一人にはしておけないからと、私の自宅へと誘い込んだ。
次第に休みが増えてきた彼女に静養を勧め、仕事も辞めさせた。
初めはちょこちょこと出掛けたりもしていたようだが、私がいない間に何かあったら、とこぼすと、今では近くに買い出しに行くだけでも私に断りをいれてゆく。
いつものマーケットより遠くへ行きたいときは、必ず私に伺いを立てるので、休日などに連れて行ってやっている。
別に私が強制しているわけではない。彼女が自分で選んだ生活なのだ。
冥は、私がいなければ外も出歩けない女になってしまった。
旧友に言わせれば、「どうかしてる」という事になるらしいが、私から見れば仕事仲間を抱きながら別の女性の名を呼べる事の方がどうかしていると思う。
いくら同じ血を分けた少女とはいえ、さすがに別人を重ね合わせるような事は、少なくとも私にはわからない。
まあ、彼女らの場合は本当に身体も共有し合っている事があるのがまたやっかいなのだが。
別の友は「ヤバイクスリでもやらせてるのか」と言う。
法に携わる人間に向かってなんて言いがかりだ。
第一、冥にクスリなど必要がない。
彼女は私の言葉一つで、それは素直に思うままになる。
こうして大人しく、私の駕籠の中にいるのがいい証拠ではないか。
私は玄関のドアの施錠も彼女に任せているし、「してはいけない」とは一度も言った事がない。
禁止されていなければそれは束縛ではない。自由な意志だ。

改札を出たところの小さなテナントで洋菓子を買った。
ほら、こうして彼女が喜ぶモノを与えたりもしている。
誠実で心根の優しい男を演じているじゃないか。
冥は私が何か言うたびに、嬉しそうにそれに応えようとする。
夕食のメニューやタオルの生地など些細なものから、ベッドの上でまで。
そんな気の利く冥に、私がささやかな礼の言葉を添えるだけで、これまた彼女は幸せそうに微笑む。
たわいないものではないか。
こんな一見穏やかな男女関係のどこが「軟禁」と呼べるのか。

それでも私は、この状態が健全なものとはもちろん思っていない。だからといってこの「非日常」を手放すつもりもない。
少なくとも、今は。
部屋の扉は「異空間」への入り口のようにも思える。
「日常」とこなすために「現実」へ赴き、「非日常」に浸るため「異空間」へと身を堕とす。



「今帰った」
玄関を開けると、奥から小さな足音がやってきた。
「おかえりなさい」
「ただいま、メイ」
コットンのベビードールに揃いの小さなショーツのみを身につけた冥が出迎える。
今日は珍しく何か着ているな。
冥に上着を脱がさせ片付けさせている間、そう思いながらその姿にまじまじと視線を這わせる。
「それは、見た事がないな」
鞄や荷物をダイニングのカウンターに置き、横の椅子に腰掛けながら言うと、冥はレースの裾を摘むとくるりと回った。
変化に気づいてもらえたのが嬉しかったのか。
「うふふ、新しいの買っちゃった。可愛い?」
「あぁ、可愛いよ‥‥」
嘘ではない。
淡いラベンダー色に透ける生地が、冥の少女らしさを華やかに際だたせ、その白い肌を甘く匂わせる。
着衣を身につけるなど面倒な事だと思うが、このように彼女の魅力を引き立たせるモノなら悪くはない。
「レイジが見た事ないのがいいと思って‥‥。通販しちゃったんだけど、構わなかった?」
冥は私に連れて出てもらうしかないため、買い物に行けば大抵どんなものを買ったのか私も知っている事になる。
もちろん服や下着も全部見ているので、彼女のレパートリーは完全に把握しているのだ。
「こんな可愛らしいサプライズのためなら構わないよ」
にこりと笑ってみせると、冥は安心したように微笑む。勝手な事をして怒られると思ったのか。
新しい下着で誘って喜ばそうとしたのだろう。この気持ちが何とも可愛いではないか。
「メイは‥‥本当に可愛いな」
細めた目で舐めるように彼女の肢体を見ていると、冥はほんのり頬を染めて恥じらうように笑う。
下着姿どころか裸体ですらも、もう飽きるほど見ているのに、冥は今でも初々しい仕草を見せる。

彼女は心の底から私に愛されていると信じている。
愛の言葉を囁けば素直に感激し、気遣う言葉をかければ愛故に大事にされていると感動する。
愛情に免疫のない冥は、面白いくらいに全てを信じ、身を委ねてくる。
手を差し出すと素直に寄ってきた冥を、膝の上に座らせ髪に手を伸ばす。
私のために手入れの行き届いた髪を梳きながら、顔を近づけさせると大人しく唇を寄せてくる。
柔らかい唇を啄むように味わい、髪の匂いを嗅ぐように耳朶に顔を寄せる。
吐息だけで名を呼ぶと、冥はうっとりと目を閉じ、甘えるように腕を回してきた。
「レイジ‥‥」
私の名を呼ぶその声は既に艶を帯びていて、こんな事にさえもう感じているようだった。
冥はもうすっかり私に抱かれるように飼い慣らされている。
今「抱きたい」と告げれば、すぐにでも脚を開くだろう。
でもそれをしないのは、私が彼女と戯れる方が楽しいから。
そう、私が冥を飼っているのもまた、彼女で遊びたいからなのだ。

さらに深い口吻を求めて身体を寄せる冥を抱えながら、横のカウンターテーブルに置いてあった小箱を開封する。
中から取りだしたのは小さなカップ。先程購入した、冥の好きなカスタードプリンだ。
それを見た冥が、口吻を貰うのも忘れて小さく笑うのが分かった。女性というモノは本当に甘い物が好きだ。
「食べるかい?」
嬉しそうに小さく何度も頷く冥に満足し、片手でなんとか蓋を開けると、その淡い黄色のクリームを指で掬う。
ホラ、と差し出すと冥は少しだけ怯んだが、すぐにおどおどと指先に顔を寄せる。
こちらを目で窺いながら、小さく舌を出して端の方をちろ、と舐めた。
その様子を見てにっこり微笑みかけると、冥は安心したのか口を開いて私の指をしゃぶりだす。
「‥‥美味しいかい?」
絡みつく舌の感触と指先を銜える冥の姿に嗜虐の快感を感じつつ、あくまで表情は穏やかな男を演じながら優しく訊ねる。
「うん‥‥。ね、もっと‥‥」
頬を少し赤らめながら、冥は催促するように熱っぽい瞳で見上げてくる。
また少しクリームを掬ってやると、冥は今度は抵抗無く口に含んだ。
気のせいではない。冥はこの行為に軽い羞恥を感じながらも、確実に何かを「感じて」いるのだろう。
その証拠に、次第に冥の舌使いが変わってゆく。
初めはクリームだけを舐め取っていたのが、段々とまだ足りないとばかりに指先までしゃぶるように舌を絡ませ、吸い付いてくる。
おかしなものだ。ただプリンを食べさせているだけなのに、冥は私の膝に跨り、恍惚と指を銜えている。
本当に、おかしなものだ。
私はちらと膝の上に乗っかっている冥の局部を見る。今は下着に覆われているが、きっとその下ではもどかしい高ぶりを感じているのだろう。
私はそうやって冥に焦れったい快感を与えるのが楽しくて仕方がない。
「君は本当に甘いモノが好きだな」
もう半分以上、冥に食べさせてこう言うと、冥は恥ずかしそうに「うん」と頷いた。
「普段はろくに食事をしないクセにな」
食の細い冥は、私の食事の用意はするが自分のためにする事はなく、味見だなんだと口にするうちに満足してしまうらしい。
私が食事をする頃には大抵、にこにことその様子を眺めているだけだ。
「甘いモノは、別なの」
そう言って冥は、うふふと嬉しそうに笑う。それでも、食べ過ぎるとすぐに胸焼けを起こす冥だ。
「こういうのだけじゃなくて、ちゃんと食事も取って欲しいのだが」
こつん、と戒めるように額を小突くと、冥はバツが悪そうに微笑んだ。
これでまた、彼女にとって私は「体調を心配してくれる優しいヒト」だ。
まぁそれだけでは奇麗に済ましすぎるので、少しからかってもやるが。
「そんなだから、全然栄養が行き渡らないのだぞ」
そう言って冥の胸のふくらみを掴む。手の平にちょうど包み込んでしまえるほどの、小振りな柔らかさだ。
「やだぁもう、レイジったら」
きゃあと冥は声を上げて驚いたが、すぐにくすくすと笑う。
戯けて嫌がる振りをするが所詮ポーズだけで、それでも甘えるように胸は差し出している。
両の胸を柔らかく揉まれながら、冥が少し不安げに顔を上げてこちらを見る。
「‥‥レイジは、もっと胸大きい方がいい?」
今の言葉を自分への不満と受け取ったか。
「そんな事はない。今のままのメイで十分だよ」
にっこりと冥の大好きな笑顔を作って言ってやるが、その返答だけでは不服らしく、奇麗な眉根を可愛らしく顰めて悲しい顔をしている。
仕方がない。
「‥‥私は『キミ』が好きなのだよ」
耳元で一語一語はっきり聞こえるように囁くと、冥は胸を弄られる快感も手伝って、ふらりと私に身を委ねた。
「わたしも‥‥好きよ‥‥」
すでに冥は理性を手放したらしく、潤んだ瞳を伏せ、腕をしんなりと絡ませてくる。
もう十分だと思うが念を入れてとどめを刺すべく、冥の耳朶に唇を這わせながら愛の言葉を流し込む。

「愛してるよ、メイ‥‥」

あぁ、なんて便利な言葉だろうか。
彼女を貶めていくには強力すぎるほどの威力を持つ言葉。
彼女を留めておくために必要な言葉。
そんな事、これっぽっちも思っていないけれど。
キミを私の中に捉えておくためなら、いくらでもこの言葉を囁いてあげよう。

それとも。
この気持ちこそが「愛」なのだろうか。


    1. end
最終更新:2006年12月12日 22:52