きょうだい、のようなもの



 ……あら、綾里真宵。やっぱりあなたも来ていたの。
 あなたもすっかり刑事課の常連ね。そのうちまた取調室にもいらっしゃい。今度こそ有罪にしてあげるから。遠慮はいらないわ。
 ヒゲ? さあ。今日は事件が多発しているようだから、どこへ行ったやら。
 ……私と二人きりだからといって、そう萎縮しなくてもいいでしょう。鞭で打ったりしないわよ。何事もなければ。
 横、座らせてもらうわね。

 私? 今日のぶんの仕事はもう終わらせたわ。
 本当なら、このまま帰ってもいいのだけれど。
 御剣怜侍が夕食を一緒にと言うから、待っていなければならないの。
 まったく、ヒトのこと誘っておいて、急な仕事を引き受けないでほしいわ。それくらい当然でしょう。
 あの男は仕事となると、何もかも忘れてしまうんだから。
 だいたい、この国にロクな人材がいないから悪いんだわ。ちょっと難しい事件があると、すぐレイジや私に回ってくるのよ。
 あなたはいいわね、暇そうで。そうでもない? いつも成歩堂龍一のお供をしているじゃないの。
 あなたの相方にも困ったものだわ。ヒトの都合というものを考えたことないのかしら。やっとレイジの仕事も一段落つくかと思ったのに、どうしてこんな時に限って邪魔しにくるの。
 あなたもね、ただついて回ってないで、たまには手綱を引いておきなさい。
 ……もっとも、レイジもレイジだけれど。
 お人よしにも程があるわよ。いくら自分の担当ではない事件でも、検事が弁護士にそうそう情報を流していいはずがないじゃないの。
 ……まあ、そんなことで負ける検事がミジュクなのだとも言えるけれど。
 何といったかしら、いま成歩堂龍一が受け持っている事件の担当検事。何だか痛そうな名前だったような……
 あなたも思い出せない? ……まあ、どうでもいいわね。

 それにしても遅い。いつまで話し込んでいるつもりかしら。ヒトを待たせているという自覚がないんだから、まったく。
 ふう……。落ち着かないわね。お茶でも淹れましょうか。
 ティーバッグくらいなら、ここにもあったはずよ。あなたも飲むでしょう?
 ……何よ、その顔は。
 私だってお客様をもてなすくらいのことはするわよ。たとえ招かれざる客であってもね。
 この狩魔冥をお茶汲みに使えるなんて滅多にないことなのだから、感謝しなさい、綾里真宵。
 ……シロップも欲しい? あなたも図々しいわね。
 ほら、入ったわよ。ありがたくいただきなさい。
 お茶菓子? ないわよ。ゼイタク言わないの。
 家にもけっこうティーバッグが残っているのよね。レイジは紅茶にうるさいから、うちに来てもティーバッグのお茶は飲みたがらないし。まったく、わがままなんだから。
 ……ええ、よく来るわよ? 私があちらの家に行くこともあるし。
 どうせお互い一人暮らしだもの。
 週末はたいてい二人でいるわね。特に何をするというわけでもないのだけれど。

 え?
 ……レイジと私の、関係?
 そうね、何と言えばいいのか……
 色々、どうでもいいことで複雑になってしまったけれど……
 実際のところは、こどものころからあまり変わっていないわね。
 きょうだい、のようなもの……といったところかしら。
 ええ、今も。
 何があったって、変わりようがないでしょう。きょうだいのようなものなのだから。

 ……昔のこと?
 そんなこと、聞きたいの?
 まあ、あちらはまだ時間がかかりそうだし、どうせ暇だから、話してあげてもいいけれど。
 ある時期、一緒に暮らしていたこともあったわ。検事になるより前のことだから、もうずいぶん昔になるのね。
 アメリカの私の家に、レイジが住み込みで勉強に来ていたの。
 ……考えてみれば、そう長い間のことでもなかったんだわ。ずっと一緒にいたような気がするのに。
 私たち、とても仲が良かったのよ。もちろん、ライバルではあったけれど。
 明けても暮れても勉強ばかりの、息が詰まるような日々だったけれど、楽しかったわ、あのころは。
 何一つ疑わずに、過ごしていられたもの。

 いつも勉強の時間が終わるころには、もう夜も遅くなっていて……
 よく、二人でお風呂に入ったわ。
 あら、大丈夫? お茶が気管に入った?
 そんなに驚くようなことではないでしょう。こどものころのことだし……私たち、きょうだいのようなものなのだから。
 お互いに背中を流しあうのだけど、レイジは肌が弱くって、スポンジを使うとすぐ赤くなってしまうのよ。
 仕方ないから、タオルとか……手にそのまま石鹸をつけたりして洗っていたわ。レイジの背中は大きいから、ほとんど私の全身をこすりつけるようにして。
 ……温かくて、すべすべして、とても気持ちが良くて……
 ……お風呂から上がると、レイジが体を拭いてくれた。風邪をひくといけないからって、痛いくらい丁寧に。
 レイジのほうがよっぽど体が弱くて、しょっちゅう病気していたけれど。
 多少体調が悪くても何も言わないから、余計に悪化させてしまうのよ。居候だからって気を使っていたのかもしれないけれど。
 慣れない国で、慣れない環境で、パパにしょっちゅう怒られて。辛いことならいくらでもあったでしょうに、自分からは何も言ってくれないんだから。心配で目が離せなかったわ。
 今思うと、ちょっと過保護すぎたかもしれないわね。少しの間でも姿が見えないと落ち着かなくて……寝ても覚めてもずうっと一緒だった。
 もちろん部屋は別々になっていたけれど、あまり意味はなかったわね。あのころ、自分の部屋で眠った憶えがあんまりないわ。
 一人にしておくと心配なんだもの。彼、よく夜中にうなされていたしね。
 レイジのベッドは狭かったし、枕も一つしかなかったから、ほとんど重なるようにして眠っていたわ。上に乗っかられると重いのだけどね……。でも、狭苦しさが心地よかった。
 朝はいつも大変だったわ。なかなか起きてくれなくて。レイジは寝つきが悪いぶん、寝起きも悪いのよ。
 でも、朝方は熟睡できていたんでしょうね。寝顔がとてもかわいらしかった。
 安心しきった顔というものは、見ているだけで幸せになれるものね。ペットの寝顔がかわいいのと同じことかしら。ふふ。
 まったく、今思い出しても、世話の焼ける弟だったわ。

 ええ、そうね。とても幸せな思い出……。
 あのころ、私たち、ずっと二人でいたけれど、どんな話をしていたかなんて憶えてもいない。
 ただ、寄り添っていた。それが当たり前だったのよ。
 だって、私たちは、きょうだいのようなものなのだから。

 ……パパが何も言わなかったのか、ですって?
 ストレートに聞くわね。
 いいわよ、遠慮しなくても。
 私には、パパの気持ちなんてわからないけれど……、私のことなんて、気にも留めていなかったんじゃないかしら。
 パパの目の前でレイジと舌を絡ませてキスしていても、何も言われなかったもの。
 ……挨拶がわりのキスが、少し激しくなっただけよ。私たちにとっては、特別なことではなかったわ。
 人が見たら、少し行き過ぎだと思ったでしょうけど。
 ……パパは、何も言わなかった。
 内心は知らないわよ。私が知らないだけで、レイジは怒られていたのかもしれないし。

 でも、多分……どうでもよかったんでしょうね。
 パパは、誰より早く、見切っていたはずだもの。
 私に関心なんてなかったのよ。

 ……そうでなければ、気付いていたはずだわ。
 気付かないはずがないじゃない……
 私たち、バスルームでしている時、ずいぶん大きな声を上げていたのに。


 ちょっと、汚いわね。噴き出さないでよ。
 そんなにおかしなことではないでしょう。私たち、きょうだいのようなものなのだから。

 ……いつから始まったか、なんて、憶えていないわ。
 どちらから始めたのかも、憶えていない。
 それはとても、とても自然なことだったの。
 ……少なくとも、私にとってはね。

 一日のうちで唯一、解放される時間。
 二人とも、泡だらけになってじゃれあっていた。
 肌が触れ合うのが、心地よかった。
 どんどん先が欲しくなるのは、当然じゃない……?



 床のタイルに押さえつけられて……背中がひんやりして、ぞくっとした。
 少しだけ、怖かったわ。レイジが怖かったのか、パパに怒られるのが怖かったのか、行為そのものが怖かったのか、……憶えていないけれど。
 洗い流された体の上に、舌が這った……膨らんでもいない胸に……レイジはあれで面白かったのかしら。
 ちゅくちゅくって、音を立てて吸うのよ……ふふ、赤ちゃんみたいなんだから。本当に、しょうがない弟ね。
 大きな手が、体中を撫で回す。最初は怖々と、だんだん大胆に……手が、舌が、唇が、貪るように全身を……。
 息が苦しくなったのは、きっと湯気のせいだけじゃない。私が体を震わせるたびに、レイジが薄く笑った。メイ、君はまだこんなに子供なのに……そう言って。
 言い返すより前に唇を塞がれる。そうされると何も言えなくなる……体中に痺れが走る。挨拶とは違うキス。息苦しくて気持ちいい……。だんだん何も考えられなくなる……。
 何もかも……私の何もかもレイジと溶け合ってしまえばいい。私の弟、私のたったひとつのオモチャ、私の、私だけの、意地悪な、大好きな、御剣怜侍。
 髪を掴まれて……口の中に押し込まれた。少し苦しかったけど、そんなこと平気だったわ。何をされても構わない……レイジになら、何をされても……。
 言われるままに、優しく舐めてあげた。どんどん緊張していくのがわかる……。手に力が籠る、息遣いがだんだん荒くなる……。レイジの反応一つ一つが愛しかった。
 あの時、レイジの感覚の全ては私が握っていたのよ。いつも見上げるしかなかったあの男が、私の喉で震えていた。
 ゆっくり、ときどき早く、舌で、唇で、刺激するたびに返ってくる、確かな反応……。
 そのうちに、レイジが低い声で呻いて……びくんびくんって震えて……喉の奥に溢れる……。

 何か、言ったような気がするわ。私が? レイジが? 愛の言葉? 謝罪? 耳元で囁いた、囁かれた……
 レイジの指が私の唇を拭って、首筋を伝って、背中にすうっと走る……。
 顔を上げると、すぐそばにレイジの顔があった。
 ……そう、そのはずなのに。あの時、レイジはどんな表情でいたかしら……?
 頭がぼうっとして……ふわふわして何もわからない……とても気持ちよくて……目を開けていられなくなって……
 舌の感触が胸の上を滑って、お腹の上を滑って……足を開かれて……
 ああっ、今でも思い出せるわ……。レイジが日本に帰ってしまってからも、何度も何度も頭の中で繰り返した……。
 体がずっと憶えているの。舌の柔らかさ、肌の熱さ、浮き上がるみたいな感覚……。
 浮き上がって、昇りつめて、すうって落ちていくの……。何度もそれを繰り返す……。
 私は声を上げていた。声を上げていたはずよ……。水の音……あれは私の? 体に力が入らなくて……気が遠く……
 レイジの……また硬くなって……足の間に擦りつけられる……。あああっ、ぞくぞくするっ……!

 レイジ、お願い、そのまま挿れて……平気だから。
 早く、早く、私をオトナにして……。
 痛くても傷ついても苦しくてもいい……あなたのくれるものなら何でもいい……!
 何もかも全部あげるから、何もかも全部ちょうだい! ねえ、お願い……!



 暖かな感触が、お腹の上に広がって……
 ……それで終わってしまう。
 何もかもあっという間にシャワーで流されて、なかったことみたいに綺麗にされる。
 それが、寂しかった。

 終わったあと、レイジはいつも悲しそうな顔をするの。
 罪悪感、かしらね。互いに望んだことなのに。
 私の気持ちなんて、こどもの気持ちなんて、レイジの救いにはならなかったのね。
 もっと縋りついてほしかったのに。助けを求めてほしかったのに。
 謝るのだけはやめて、って頼んだわ。何も悪いことはしていなかったもの。そうでしょう?
 私たち、こどものように遊ぶことなんて許されなかった。
 お互いの体だけが、唯一、自由にできるオモチャだったの。
 ねえ、そんなにおかしなことかしら。当然のことではないの?
 私たちは二人きりの、きょうだいのようなものなのだから。

 ……ええ、もちろん。
 ほんとうのきょうだいは、普通、そんなことはしないわね。

 でも、それなら私たちは何だったのかしら。

 結局、レイジは、私の体に傷の一つもつけなかった。
 あのころ、私はまだこどもだったから。
 悔しいのは、ただ、あのころこどもだったのが、私のほうだけだったということ。

 こどもにとって、とてもとても重いことが、オトナにとって、そうでもなかったりするわね。
 あれは私に許された、たったひとつの遊びだった。
 でも、レイジにとっては、本当にただの遊びだったのかもしれない……。

 ……いいえ。
 いいえ、そんなはずはないわ。
 レイジのことなら何でも知ってる。私が一番よく知ってるの。
 私たち、二人きりだった。二人きりなんだから。
 私はレイジのものなんだから、レイジは私のものなのよ。
 何があっても、いつまでも。
 誰も、立ち入らせない。私たちは特別なの。だって……




「待たせたな、メイ」
 ドアが開き、御剣怜侍が現れた。
「……レイジ」
 冥の周りに立ち込めていた、熱に浮かされたような気配が、すうっと穏やかになる。
「レイジ、遅いわよ」
「すまない、資料を探すのに手間取っていた」
 御剣は素直に謝って、今度は真宵のほうに顔を向けた。
「真宵くん、成歩堂から伝言だ。調べ物があるから、もう少し待っていてほしいと」
「う、うん」
 真宵は顔を真っ赤にしてうつむいている。
「女を待たせる男は最低よ。ねえ、綾里真宵?」
 冥が親しげに真宵に話しかけるのを見て、御剣は不思議そうな顔をした。
「……二人とも、いつの間にか、ずいぶん仲良くなったのだな」
「あら、一緒にお茶を飲んでおしゃべりしていればすぐ仲良くなるわよ。女同士だもの。ねえ?」
「は、はいっ」
 真宵は勢いよく首を縦に振る。
「そういうものか。……何を話していたのか知らないが」
 御剣はしばらく訝しげな顔で二人の様子を見比べていたが、やがて冥の肩に手を置いて言う。
「……まあ、いい。もう行こう。予約の時間に遅れる」
「あなたが遅いから悪いんでしょう。もう」
 そう言うと冥は立ち上がって、御剣の腕を取ろうとしたが、ふとその動きを止めて、御剣の顔を覗き込む。
「……ねえ」
 冥の視線が熱を帯びる。
「さっき、綾里真宵に聞かれたのだけど……
 あなたと私は、今、どういう関係なのかしら?」
 冥は言う。上品に、笑みすら浮かべて、それでいて、この上なく真剣に。
「それは……」
 御剣は、やや照れたように、顔を伏せて答える。
「恋人同士、のようなもの……だと、思っているが」
 冥は、御剣の言葉を聞くと、花が咲くような笑顔を見せた。
「そうなの?
 それなら、昔の続きをするのもいいわね。……また、お風呂で」
「そ、それは……まさか、そんなことまで話したのか!?」
 先ほどからの二人の微妙な態度の意味に気付いて、御剣は慌てふためく。
「いや、つまり、あれは、昔の話だろう。こどものころの……だから」
 うろたえる御剣を見て、冥はまたくすくす笑った。
「いいじゃないの、別に。悪いことではないでしょう。
 私たち、きょうだいのようなものだったのだから。ねえ?」
最終更新:2006年12月12日 23:51