闇を纏う男


なぜ彼女は僕になびかないか、それが理解できなかった。
少しでも早く検事になるためにアメリカに渡った僕が、13歳という異例の早さで検事になったという天才少女―狩魔冥と出会って2年。
初めはほんの軽い気持ちだった。自尊心の高さと他人を寄せ付けないようなガードの固い彼女を落としてみたい、と。
正直、僕は自分に落とせない女はいない思っていた。何もしなくても女はみんな僕に言い寄ってくるものだと、そう思っていた。というよりも、それは自惚れではない。ただ一人、彼女を除いては。
そんな彼女を落とそうとするうち、僕が…この僕自身が彼女に落ちてしまっていた。
ただ救いなのは、彼女に言い寄る男はたくさんいるが、誰一人として彼女が受け入れようとしていない、というところだ。
僕がこんな悩みを持っているなんてありえないことだが、彼女の存在はいつの間にか僕の中で驚くほどに大きくなっていたことに、このとき僕はまだ、気づいていなかった。

XX月XX日 某時刻 アメリカ某州検事局・講義室

講習が終わり、散々に会議室を後にする聴講生たちが去った後、響也はがらんと静まり返った講義室に椅子の音を響かせた。
講壇に近づくと資料を整理している少女が無愛想な表情で冷たい視線を彼に向ける。
「何の用かしら?」
「そんな言い方しなくてもいいんじゃない?今夜一緒にディナーでも…」
「遠慮しておくわ。あなたに構っているほど暇ではないの」
何度聞いたであろうか、その決まり文句に響也は決まってこう返すのだ。僕のために時間を作ってくれないか、と。
その言葉を言いかけたとき、ギィと音を立てて講義室の扉が開いた。
二人の視線が扉に向けられる。そこには優雅な微笑を浮かべた銀縁眼鏡の男。響也は思わずあっと声を上げた。
「アニキ…?」
「久しぶりですね、響也」
「どうして、ここに?」
突然現れた霧人に驚きを隠せない響也と目の前の男とそっくりな人物に戸惑う冥をよそに、霧人は事も無げに説明を始めた。
「弁護士連盟で世界各地の現状を研究することになりましてね。私はアメリカの刑事裁判の担当になったのです。こちらの検事局の協力がいただけるということでここへ」
「そんな話、僕は聞いてないぜ」
「ええ、言ってませんからね」
「お前が丁度ここへいると聞いたのでちょっと顔を見せに来たのですが、相変わらずのようですね」
霧人は少々呆れたような表情で響也と冥に順次視線を向け、再び響也に視線を戻すと元の微笑を浮かべる。その視線に響也は居心地の悪さを感じて話を逸らした。
「あ、この人は…」
「知っていますよ。異例の若さで検事となり、数々の難解事件を担当してきたという天才少女、狩魔冥検事ですね」
向けられた視線を真っ直ぐに見返しながら、冥はふうん、と納得したように頷いた。

「あなたが例の担当者なわけね。優秀な弁護士、と聞いていたけど、この男のお兄さんだとは知らなかったわ」
「私はあなたが担当だと聞いて、会えるのを楽しみにしていました。検事局きっての天才少女の噂は色々と耳にしていますからね。」
二人のやりとりからどういうことかようやく理解した響也は、のけ者にされたようで面白くなさそうに割って入った。
「アニキの相手は一筋縄ではいかないから気をつけた方がいいぜ、センセイ」
「どういう意味で言っているのか知りませんが、響也にこそ、気をつけるべきですよ」
響也の言葉が気に障ったのか、霧人も応戦するように冥に忠告する。怪しい空気が漂う中、「忠告は有難く受け取っておくわ」と、冥はさらっと二人を交わした。
「とにかく、よろしくお願いしますね」
そんな冥の素っ気無い態度を見てなお、霧人は彼女ににっこりと優しい微笑を向け、右手を差し出す。
「あなたによろしくされる覚えなんてないわ」
いつもならそう言い軽くあしらうが、その言葉は冥の口から出なかった。
霧人を取り巻く、暗い影。それに気づいてしまったから。優雅な微笑の裏に隠された不穏な影を感じたのだ。
それは彼女にとって特別だったあの男の纏っていたそれとよく似ていて、冥の背筋を凍らせる。
差し出された右手に視線を落とすと、手の甲には大きな傷跡。その傷跡は彼の纏う闇と関係しているように感じて、その手を払いのけることができなかった。
「こちらこそ。我琉…え、と…」
「我琉霧人です」
その右手に自らのそれを重ねる。その手から伝わる闇とは裏腹に、見上げた彼の顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。



この男から感じた闇、それはパパから時折感じていたものに良く似ていたけど…
気のせいよね。私も疲れているんだわ。
午後からミーティングで対面に座っていたあの男が気になって、仕事に集中できなかったことに私は自己嫌悪を感じていた。
頭では考えないようにしていたけれど。でも心に引っかかったそれは忘れるどころかどんどん膨らむ一方で。
一緒に仕事をする以上は個人的な感情は持ち込むべきではない、それは分かっているけど、どうしても気になってしまう。
あの、悪魔の右手が…

ミーティングが終わって部屋を出たとき、呼び止められた。何を言い出すかと思えば、一緒に食事ですって?
「なぜ私があなたなんかに付き合わないといけないの」
そう応えた声にいつものような威勢がなかったのは私の心が乱れていたから?
「無理にとは言いませんが…」
そのときのあなたの瞳からどことなく孤独を感じて、不覚にも「仕方ないわね」と答えていた。

そして今、我琉霧人は私の対面に座って最高級だというスコッチを嗜んでいる。
バカな酒でバカな感情を誤魔化すバカげた晩餐。この男の笑顔が暗い影を隠す仮面だということくらい、分からないほど私は鈍くない。
でも、バカなことだと分かっていながら、この男を突き放すことはできないのはなぜ?
「随分と遅くなってしまいましたね。もう、帰りますか?それとも私の部屋で飲みなおします?」
別に私は飲んでないのだけれど。この手の言葉の意味が分からないほど私はお子様じゃない。
でも、どうしても彼の闇の正体が知りたかった。どんなにバカなことか十分に分かっているけれど、敢えてその闇にこの身を投げることを選んだ。


同日 某時刻 某ホテル1305号室

「そろそろ教えてくれないかしら?私をこんなところまで呼んだ真意を」
霧人の闇になんとか近づこうとして色々と話をしてみたが、被った仮面を剥がすことは出来ず、痺れを切らして問いかけた。
その質問の真意を知ってか知らずか、霧人は意味深な含み笑いを浮かべ、冥の頬に右手を滑らせた。ビクリと体が跳ねる。
「そんなこと、言わなくても分かるでしょう。それとも、帰りますか?私は別に構いませんが」
不穏に光る霧人の瞳から目が離せず釘付けになってしまう。彼を見つめる瞳を閉じると、唇が塞がれた。
本心の欠片も見せないこの男の心を開くには深く交わるしかないのか。しかし、それだけでこの男が心を開くとは思えない。だが…
冥が自問自答を頭の中で繰り広げていると、歯列を割り入り彼の舌が侵入してきた。それは丹念に冥の口中を犯してゆき、熱い吐息を引き出す。頭がぼうっとして、考えも遮られる。
ようやく解放されると足が震えていて、恥ずかしさに潤んだ瞳を鋭く細め、彼を睨みつけた。
「何を…!?」
「嫌なら止めますよ。しかしキミも望んでいるのではありませんか」
耳元で囁いて耳朶を甘噛みすると冥は体を揺らして切ない声を漏らした。喉もとのリボンを解き、かっちりと着込んだ服を少しずつはだけさせ、首筋に赤い花を散らしてゆく。
「チョット…そんなところに…」
「大丈夫ですよ。この服なら隠れて見えません」
にっこりと微笑みかけ、誰かに見せるのなら別ですが、と付け足すと冥は顔を真っ赤にして「見せるわけないじゃない!」と叫んだ。
「ではキミの肌に触れられるのは私だけ、なのですね。光栄です」
いつの間にか露にされた乳房に手を滑らせ先端を指で弾くと、冥の体が大きく揺れた。
「あっ…んっ…」
先端を吸い上げると冥の口からくぐもった声が漏れる。普段、強気な態度を取る冥のその姿は霧人のサディスティックな欲望を煽るのだ。
さらに快感を引き出そうと服を乱しながら舌を下降させてゆく。下腹部まで降りてくると、ストッキングを抜き取り、スカートを捲り上げて冥の足を開かせた。
「ま、まって…あっ…」
その体勢に異議を唱えようとするが、太腿の内側に舌を這わされてビクリと震える。
「いや…ちょっ…」
身を捩って脱出を試みるが足がガッチリと霧人の手に捕まれて身動きが取れない。下着の上から与えられる刺激に飛びそうになる理性を何とかして抑えることで冥の頭はいっぱいになっていた。
「我慢は体によくありませんよ」
ニヤリと一笑し、ゆっくりと下着を剥ぎ取ると、すでに愛液で溢れる秘所が露になる。
羞恥心と快感の狭間で揺れ動く冥の心とは裏腹に、そこは彼を欲していた。
「もうこんなに…すごいですね」
指を入れると冥の中は霧人の指を締め付けた。
「ああっ…ダメ…」
かき回すと切ない声が漏れる。欲望をさらに引き出すべく、突起を舌で転がすと甘い嬌声に変わった。
ぴちゃぴちゃとわざと淫猥な音を響かせるように執拗に突起を舐めあげると、冥の腰が切なく揺れた。
「あ…ん…もう…」
冥の声に限界を感じ取った霧人は、冥の足の間に体を割り入って彼女に覆いかぶさり、潤んだ瞳を真っ直ぐに捕らえた。


「どうしたのです?欲しいのですか?」
不穏な笑みに居心地の悪さを感じながら、冥は視線を逸らして小さく頷く。
「きちんと言葉で言いなさい。キミの口から聞きたいのです」
ズボンの中から既に固くなった自身を取り出し入り口を軽く刺激すると、冥の秘所は彼を求めて震えた。
「あなたが…欲しい…」
小さく呟くと、霧人は追い討ちのように冥の耳元に唇を寄せて吐息と共に意地悪く囁く。
「誰が欲しいのです?名前で呼んでくれなければ分かりません」
一瞬戸惑ったが、早く快感を与えて欲しくて彼の言うとおりに呟いた。
「我琉…霧人…来て、早く…」
その言葉を口火に一気に突き立てると、嬌声が上がった。求める言葉を発した今、冥の中の理性は完全に崩壊する。
霧人が腰を進めると自らそれを絡め、乱れた。
自尊心の高い冥が己を求めて乱れる姿に、霧人はこの上ない快感を感じる。自らの手で陥落させることに満足感を感じるのだ。
しかし喘ぎ声の中に混じって発された言葉に、霧人は不快感を感じた。
カッとなり自制が利かなくなって、冥を打つ腰が激しくなる。欲望に任せて突き上げると冥の表情に苦痛の色が浮かぶ。
それでも執拗に、めちゃくちゃに冥を犯していると、再び彼女の表情は恍惚としたそれへと変わっていった。
「ああっ…もう、だめ…イ…ク…」
嬌声と同時に冥の体が弓なりに反り返り、ビクリと大きく震えると霧人を凄い勢いで締め付ける。
同時に、霧人も己の欲望を冥の中に解放し、余韻を楽しむように数回かき回すと、ズルリと己を引き抜いた。
己の下で乱れ尽くした冥の姿を複雑な心境で見ながら、彼女に背を向けて横たわった。



狩魔冥。不思議な少女だ。彼女には男を惹き付ける何かがあるのだろう。
噂ではどんな男にもなびかないとか、ガードの固くて男を寄せ付けないとか、そんな話ばかりだ。
響也もあの様子では、彼女に惹かれているのは一目瞭然だが、彼も相手にされていないみたいだった。
その彼女が、なぜ私には落ちたのか。それも拍子抜けするほど簡単に、だ。あれから何度も肌を重ねた。
しかし彼女が何を考えているのか、私にはわからない。わかっているのは少なくとも、彼女が私に抱いている感情は愛ではない、ということだけだ。
逢瀬の際にいつもそれを探ろうとしているが、どうしてもわからないのだ。こんな不快なことはない。
「あなたの闇は私が受け止めるわ」
冥に言われた言葉が脳裏に蘇る。一字一句はっきりと覚えている。それは、最初の時に彼女が発した言葉。
彼女は私の中に何を感じたのだろう。心の内を見せるような隙は見せていないはずだ。しかし―。
私の帰国も迫ってきている。それまでにどうしても彼女の真意を知る必要がある。公務を終えると私は彼女のオフィスを尋ねた。

XX月XX日 某時刻 検事局・狩魔冥オフィス

「何か用?」
霧人の訪問に冥は眉を顰めた。個人的に会ってはいたが、職場にわざわざ訪ねてくることはなかったからだ。
「言ってませんでしたが、明日帰国します。担当の狩魔検事にあいさつをしに来ることは立派な用事だと思いますが。」
「ああ、そうなの。それはお疲れ様でした。我琉弁護士さん」
「あなたには特に色々お世話になりましたからね、狩魔検事。あなたと離れるのは残念ですが…」
バカ丁寧な霧人の口調が冥の気に障り、不機嫌そうな表情に拍車がかかる。
「いい加減、その話し方やめなさいな。気に障るわ」
フッと一笑し、右手の中指で眼鏡を上げると、その奥から冥を見つめた。
「帰る前に、どうしてもキミに聞いておきたいことがあってね」
「何よ」
「冥、キミはどういうつもりで私に抱かれた?」
「え…?」
突拍子もない質問に冥は一瞬戸惑った。そんなことを聞いてくるとは、この男の考えることは訳がわからない。しかし、眼鏡の奥から覗くその鋭い瞳は有無を言わせない力を秘めている。
「大体予想はついている。同情めいたものだろう?」
「違うわ」
冥の意思の強い口調に今度は霧人のほうが驚きを隠せなかった。曖昧な態度をすると思っていた。冥を侮っていたのだ。
「はっきりと伝えることはできないけど、それはあなたのためではなくて、私自身のため、だから」
「キミの…?」
予想外の答えに霧人の心は少々乱れた。思いのままに扱っていたと思っていた少女は逆に自分を利用していたというのだろうか、と。
「私に抱かれることが、キミ自身のためだというのか…?」
「直接それに結びつくわけではないけれど、まあそういうことなのかしらね」
冥の言葉に、もしかして彼女は自分と似たところがあるのかもしれない、そう思うと、心に引っかかっていた支えが取れた気がした。
「また、来てもいいかい」
「ええ、いつでも」
にっこりと彼女に向けた微笑からは、すでに仮面は外れていた。


信じられない光景に、僕の気は苛立っていた。
アニキが帰国する数日前、偶然見てしまった。アニキとあの狩魔冥がキスしているところを。
あの光景が頭に焼き付いて離れない。女ならいくらでも寄って来るし、全く不自由もしていない。
なのに、なぜこんなに苛立つんだろう。
狩魔冥が僕にとって特別なのか?それとも僕になびかなかった彼女がアニキにあっさりなびいたからか?
クソッ…
苛立つ僕の前方から、苛立ちを最も煽る人物がやってきた。
「狩魔検事」
やめとけばいいのに、なぜ僕は彼女にちょっかいをかけたくなるのだろう。
「何?」
「今夜…」
「遠慮しておくわ」
まだ何も言ってないのに、なんだこの態度は。あまりの苛立ちに思ったことが口をついていた。
「アニキならよくて、僕はダメなのかい?」
途端に彼女の顔色が変わった。アニキも彼女も用心深い。当然、知られないように細心の注意は払っているはずだ。見つかったのは不運としか言いようがないんだろう。それも、この僕に。
「知ってたのね。でも、なぜ?いくら兄弟だからって霧人があなたに言うとは思えないけど」
予想に反し、彼女認めた。アニキのことを名前で呼んだことは少々僕の胸を痛めた。名前すら呼ばれたことがない僕は彼女にとって所詮その他大勢だということを痛感させられる。
「偶然知ったんだよ。正直ショックだったな。相手がアニキだっただけに、ね」
「とてもショックを受けたようには見えないけど。そうやって女の子たちを毒牙にかけるわけね」
「ひどい言い方だな。言っとくけど僕は女の子を口説いたことはないぜ。口説かなくてもいくらでも寄ってくるんだから」
「大した自信ね」
「それはあんただって一緒だろ?寄り付く男が鬱陶しいんじゃないの?」
「まあ、そうだけど」
「それだけ、あんたのこと本気で想ってるんだぜ、僕は」
「ああ、はいはい。ありがとう」
「だから…」
「機会があったら、ね」
そう言って彼女は僕の前から去っていった。彼女の本心は分からない。しかし、ひとつだけ分かった事実がある。
それは、彼女はアニキのことを想っているということ。それが愛ではないとしても、だ。
やはり僕はアニキに対してコンプレックスを持っているのか…こみ上げる悔しさが抑え切れなかった。

来客だと言われてゲストルームに行くと、久しぶりに見る男が座っていた。この国にいるはずがない男の出現に、何事があったのだろうがと不思議に思い、再会を懐かしむ前に疑問が口をついた。
「御剣玲侍…あなたがこんなところまで来るなんて、何かあったの?」
「仕事でこっちに来たから寄ったのだが、迷惑だったか?」
「そんなことはないけど、突然だったから」
「それに気になる情報が入ったのだ。キミにも伝えておいた方がいいと思ってな」
「何よ」
「成歩堂が捏造の証拠を提出した、と。弁護士の資格も取り上げられたそうだ。」
成歩堂龍一が捏造…?あのバカ正直な男がそんなことをするとは思えないのだけど。
「どういうこと?詳しく教えてくれるかしら」
「私も詳しくは聞いていないのだが、ある法廷で成歩堂が提出した証拠が捏造品だったと証明されたらしい。それを作った男の証言によって、な。そしてヤツの依頼者は失踪した」
「なんですって!?あの男にそんなことできるとは思えないわ」
「私だって成歩堂がそんなことをするとは思えない。だが…」
玲侍の表情に影が差す。何か心当たりがあると言わんばかりに。まさか、あの男が関わっているんじゃないでしょうね。嫌な胸騒ぎがする。
「…担当検事は誰だったの?」
「牙琉…とかいったかな。新人だったようだ」
体がドクリと脈打つのが感じられた。嫌な予感が膨らんでゆく。偶然、というにはあまりにも出来すぎている。
あの男と成歩堂龍一に接点があるかどうかは知らないけれど。あの男の落とす影が、悪魔の右手がチラついてどうしても無関係とは思えなかった。

牙琉霧人が帰国して半年、弟も検事となって日本に帰った。彼も忙しいのか、2回ほど連絡があったけど最近は全くない。
直接会えれば、あるいは彼が何を考えているかが少しはわかるかもしれないけれど、私には知る術がない。

「メイ…」
呼ばれて、引き戻される。目の前の男は真剣な眼差しで私を見据えながら問いかけてきた。
「キミは何か知っているのではないか?」
「なぜ?」
「牙琉の名前を出したとき、キミの顔色が明らかに変わった。長い付き合いなのだ、それぐらいわかる」
「彼は私の講義の聴講生だったから。それでびっくりしただけよ。それ以外は別に何も」
「本当なのだな」
「ええ」
玲侍には悪いけれど、言えない。あの男―牙琉霧人が関わっているというのは私の単なる直感でしかないのだから。思い過ごしかもしれない、そうであって欲しい。切に願いながら、ゲストルームを後にした



XX月XX日 PM7:00 狩魔冥自宅

御剣に聞いた出来事が頭から離れず、自宅へ戻ってからも胸騒ぎは治まらない。翌日の仕事の準備をしようとしてもそのことが浮かび、集中できないでいた。
どうしても確かめたいが、日本に行く暇もない。途方に暮れる冥の耳にインタホンの音が飛び込んだ。
こんな時間に尋ねてくる人物の心当たりがなく、少々不振に思いながら受話器を取ると、予想もしない男の声。
扉を開けると一番会いたかった人物が姿を見せた。見計らったようなタイミングに冥の口から思わず叫び声が上がる。
「あなた、どうしてここに!?とにかく入って」
有無を言わせず引きずり込むと、霧人はいつもの微笑を浮かべたまま、自ら切り出した。
「その様子では知っているのでしょう。情報が早いですね」
「偶然にも今日、ね。あなたには聞きたい事が山のようにあるの」
昂揚する冥を遮り、霧人は鞄から一組のカードを取り出し、冥の目前に置いた。
「これは何?なんのつもり?」
「ポーカーの相手をお願いします。質問はその後で」
冥は訝しげな表情で霧人とカードに視線を送ると、彼の提案を受けた。彼の口調は有無を言わせないものだったので、冥には断ることができなかったのだ。

「ショーダウンよ」
互いのカードが開く。フルハウスとストレート、勝負は明白だった。10戦の結果、圧倒的な強さで霧人は冥を下した。
「まいったわね。私も弱くはないのだけれど…」
「ええ、私にここまで食い下がれるとは大したものですよ、冥」
意味深に見せる霧人の笑みの意味がわからず、冥は言葉を繋げる。
「で、この勝負に何の意味があるわけ?」
「私を負かした男がいる、と言ったらキミはどう思います?」
「相当強いか運がよかったか、そうでなければ…イカサマ、してたか…」
「そのイカサマだ」
霧人の瞳が鋭く光る。その瞳に暗い炎を灯して。静かに、しかし映る物全てを焼き尽くすような激しい炎に、冥は少し恐怖を感じた。
「イカサマで私を打ち負かしたその男は勝負の直後、私を担当弁護士から外すと言った。そして、成歩堂龍一を選んだ」
「ポーカーで…?」
「そう。たったそれだけのことで。そしてその法廷では捏造された証拠が提出された」
「でも、あの男に、成歩堂龍一にそんなことできるとは思えないわ。あのバカ正直に拍車が掛かったような男に」
「随分と彼を庇う。妬けますね」
「よく言うわね、心にもないコトを。それに、庇ったわけじゃないわ。あのお人よしがそんなことできない、って言っただけよ」
「それでは―」
冥に視線を向けたままカードを片付けながら、続ける。
「彼は嵌められた、そう言いたいのかい?」
「私にはわからないわ。でもその可能性も捨てられないのではなくて?」
「ああ、私もそう思う。彼とはその後何度か接触したが、不正をするような男ではない。それは分かる」
「…」
「どうした?」
「依頼者は、失踪したそうね」
「ああ。法廷から“消えた”と聞いているが」
「これは私の想像だけど…あなた依頼者のこと、憎んでる?」
突然の質問に霧人は一瞬押し黙ってしまった。この少女は、なぜそんなことを聞いてくるのだろうか、と。
しかし、憎悪を持つ心とは裏腹にその顔には憎らしいほど穏やかな微笑を浮かべている。
「いえ。逆に感謝しているぐらいですよ。もしあのイカサマ師が仕込んだとすれば、法廷を追われるのは私だったかもしれませんからね」
「だったらいいけど…気のせいかもしれないけど、よく知ったある人物とあなたが少し似ている気がして。常に完璧を求める、そんなところが、ね」
「狩魔豪、キミの父親、か…」
霧人の口角がつりあがり、フッと冷めた笑みが浮かぶ。その言葉に冥はギクリと体を震わせた。
「キミが私に近づいた理由がやっとわかりましたよ。でも心配はいりません。私が求めるのは真実だけです」
「別にそういうわけじゃないわ。ただ…」
冥は言いかけて口を噤んだ。今、言うべきことではない、と。


「もうこの話はやめましょう。ところであなたは一体何をしに来たの?」
「何をしに、とは冷たいですね。キミに会いに、では理由になりませんか?」
「あなたが?まさか」
霧人の胡散臭い言葉に、冥は不信感を感じて疑いの眼差しをじっとりと彼に向けるが、霧人は微笑むことで冥の視線を制した。
「ずっと会いたいと思っていました。我慢できずに来てしまった」
引き寄せられ、包み込まれる。耳元を切ない囁きが掠めると冥の神経は鳥肌を立てた。
早鐘を打つように高まってゆく鼓動が伝わりそうで、気恥ずかしくなりその腕から逃れようとするが、ガッチリと抱きとめられて思うように動けない。
「迷惑、でしたか…?」
冥を抱く腕の力を少し緩め彼女の顔を覗き込むと、顔を真っ赤に染めて視線をフイと逸らす。
自分では分かっていないのだろうが、その仕草で否定の意を表していることは明らかである。
「相変わらず素直ではありませんね。でもそんなところも可愛いですよ」
霧人はクスリと一笑すると、再び耳元で囁いた。
小刻みに震える冥の唇を自らの唇で塞ぎ彼女の中に侵入すると、消極的ながらに冥もそれに応じる。
深く絡め取り、自らの欲望を熱い吐息とともに流し込む。静まり返った部屋の中に淫猥な水音だけが響く。
どちらからともなく離された唇の間を一筋の糸が伝い、切れた。
「さて」と一息つき、
「私はそろそろお暇しましょう。変な時間に突然押しかけて申し訳ありませんでした」
と席を立つと、冥の眉間が皺を刻んだ。傍らのスーツケースにその視線が落ちる。
「ホテルは取っているの?」
「いえ、これからいつものホテルへ行こうかと。まさか満室でもないでしょうしね」
「今から?面倒ではなくて?別にここに泊まって行っても構わないわよ。ただし、そこのソファでよければ」
「お気遣いは嬉しいですが、私なら平気ですよ」
そういうと、微笑んで意味深な視線を冥に向けた。
「キミが私と居たいと言ってくれるなら話は別ですが、ね」
「なっ…!別に私はそんなつもりで…」
「わかってますよ。では私はコレで」
「……」
身を翻そうとすると何かに遮られる。自由を奪われた右手に視線を落とすとその袖口は冥に掴まれていた。
「離してくれなければ帰れませんが…」
「…わかってるわよ」
「では離していただけますね」
「うるさいわね。言われなくても離すわよ…」
口では強気なことを言うが離す気配がないことを読み取り、その手を取ると優しく引き寄せた。
「まったく、素直じゃありませんね。居て欲しいのならばそう言えばいいのです」
言いながら胸元をはだけると綺麗な白が飛び込んでくる。その白に舌を這わせると冥の体が揺れる。
「だ…から、そんな…コト…んっ…!」
非難めいた言葉を浴びせかけようとするが、膨らみを刺激されてその言葉は途切れた。
手馴れた手つきで服を剥ぎ取りながら、手で、口で触れられるとどうしようもない欲望が体の中から湧き上がってくるのを感じる。
「まあ、キミにそんな素直な言葉が言えるとは思っていませんがね」
霧人の余裕溢れる態度は冥の羞恥心と苛立ちを煽るが、与えられる快感から逃れる術はなく、彼の術中に嵌ってしまう。
もう、どうにでもなれ、そんな思いで霧人の愛撫を受け入れた。


寝室へ移動し、冥の衣服をすべて脱がせ自らも脱ぎ捨てると、ベッドの端に腰掛ける。
冥を跪かせ、その顔を己の腰に引き寄せ促すと、彼女は一瞬戸惑ったような表情を見せたが、それを口に含んだ。
手と唇で愛撫すると、それが急激に固さを増してゆくのが感じられる。吸い上げると男の腰は震え、その手が頭を掴んだかと思うと、より深く侵入してくる。
「…んんっ…」
その圧迫感に冥は軽く咽そうになるが、口を塞がれていてはどうしようもできない。
「その表情、たまりませんね。さあ、もっと私を楽しませてください」
固くなった自身を引き抜き、冥をベッドへ横たえると覆いかぶさるようにして組み敷く。
そして、冥の胸へ舌を這わせながら指で彼女の中をかき回す。刺激に耐え切れなくなったその中は、霧人の指をきつく締め上げる。
達しそうになる直前に、冥の中から霧人の指が引き抜かれた。
「あ…」
名残惜しそうに震える秘所に空虚感を感じて切ない声を上げると、体が反転させられる。霧人の目が怪しい光を浮かべて冥を捕らえた。その顔には余裕の笑みが浮かんでいる。
「欲しいのなら、自分でどうぞ」
すでに快楽の渦に飲み込まれていた冥は、潤んだ瞳で懇願するように霧人を見つめる。霧人には当然その視線の意味がわかっていたが意地悪く笑い、さあ、と促した。
観念したように瞳を閉じてゆっくりと腰を落としてゆく。やがてすべて飲み込むと冥の口から切ないため息が漏れた。
霧人がゆっくりと腰を動かすとつられるようにして冥が体を揺らした。
「んっ…」
自ら快楽を引き出すように己の上で乱れる冥の姿に、霧人は何ともいえない快感を感じていた。
13歳という若さで法曹界に入り、大人相手に一歩も引くことなく凛とした態度で世の中を渡ってきた気丈な少女が、己の愛撫で崩れ落ち、自分を求め、己の上で我を忘れて乱れているのだ。
その姿は霧人の征服欲を満たす一方で、彼のサディスティックな心に火をつける。
「あ、あんっ…」
体を起こし、冥の腰を掴み激しく打ち付けると、冥は嬌声を漏らした。その瞳から一筋の涙が頬を伝う。
「冥、我慢することはありませんよ」
一層深く冥を突き上げる。
「…あ…いい…霧…人」
己の動きに合わせて上下する体をしっかりと抱きとめながら、自らもフィニッシュへ向けて動きを早めてゆく。
「んっ…もうっ…だめ…」
言うと同時に冥が達するのを見届け、果てた。


カーテンの隙間から差し込む光に夢の世界から引き戻される。
それにしても嫌な夢を見た。この私がしくじるとは。そんなことはありえない、いや、あってはならないのだ。
傍らで密着して眠る少女に視線を移す。まだ、よく眠っているようだ。昨夜は散々乱したから疲れたのだろう。
それにしても、この少女は厄介だ。私に要らぬ感情を植えつけてくれる。
なぜか彼女には胸に秘めたことを自然に言えてしまう。こんな思いを持ったのは初めてかもしれない。
私は冥を信頼しはじめている、ということなのか。まさか、そんなことはありえない。この私が他人を信頼するなどと。
私が信じるのは己のみ。他人など、所詮私の駒にすぎない。肉親の響也であっても、だ。
だが彼女だけはそういう思いで割り切れない。嫌な胸騒ぎがする。この少女は危険すぎる。私を私でなくさせてしまいそうな、そんな危険を秘めている。
できるだけ近づかない方が私のためなのだろう。しかし、私が彼女を求めているというのは事実なようだ。
その証拠に、冥を抱いたあの日から他の女を抱く気にならないのだ。それを彼女に伝えると「見え透いた嘘」と軽くあしらわれたのだが。
初めてだ。自ら他人に触れたいと思ったのは。なぜ私はこんなにも彼女にも執着を感じる?なぜ私の心をこんなにも乱す?
彼女の瞼がゆっくりと開かれた。咄嗟に笑顔を作る。今の私の考えを読み取らせるわけにはいかないのだ。
「おはようございます」
「……」
返事はない。おおよそ昨夜の出来事を思い出して後悔しているのだろう。膨れっ面の彼女を胸に引き寄せ囁く。
「結局泊めてもらうことになって、迷惑をかけましたね」
「よく言うわね、そうなるように仕向けてたクセに」
「バレれましたか」
「当然でしょう。私を誰だと思っているの?」
やれやれ。こんなときは威勢がいいのだな。少し牙を抜いておくとするか…
「キミを愛するあまりの行動なので、許していただきたいですね」
「そんなこと、冗談でも言わないで欲しいわね」
「私が冗談が嫌いなのを知っているでしょう」
「そんなこと知らないわよ」
こうやって彼女の手綱を握っておかなければ、油断していたら私の方が飲み込まれてしまう。
それなら彼女に近づかなければいい、それだけのことなのだが…

キミは私の心を乱す。その感覚が嫌いではない。むしろ、心地良いとさえ感じる。溺れてしまいたいとさえ。
しかし、もう遅いのだ。私は心に芽生えた感情を心の闇に押し込めた。決して彼女に気づかれないように。

最終更新:2020年06月09日 17:50