熱視線(響也×茜) 


 茜は朝から不機嫌だった。
 今日は早朝から、鬱蒼とした雑木林の中で殺人事件の捜査だった。真夏の暑苦しい熱気に満ちた現場で、日没まで延々と地道な作業の繰り返しだ。おまけに、大好物のかりんとうも忘れて来てしまった。
 それもこれも全部、この異常な暑さのせいだ。
 時間が経つにつれ、気温が上がるにつれて、イライラが募って行く。着込んだ白衣も脱ぎたくなって来る。周りで忙しなく動き回る警官達も、噴き出す汗を拭いながらの仕事は辛そうだった。
 じっとしていても、嫌な汗が背中を伝い落ちる。
 その濡れた感触に我慢できなくなって来たが、白衣まで脱いでしまうとさすがに格好がつかない。茜はその下に着ていたベストだけ脱ぐことにした。
 汗でブラウスの薄い生地が肌にぴったり張り付いて、下着の線も浮き出てしまうが、そこまでは誰も見ていないだろう。
 昼も近くなって来た頃、遠くから黄色い歓声が聞こえて来た。賑やかな声につられて、その方向へ目をやる。
「ああ、ご苦労様」
 サングラスを掛けた牙琉響也が、いつもの格好で颯爽と現れた。警官に囲まれた彼の背後には、十中八九ガリューウェーブのファンだと思われる女の子達が、響也に熱い視線を送っているのが見える。
 …………ホントに暑苦しい。
 茜はうんざりした顔で、襟元のスカーフを取った。適当に畳んで白衣のポケットに突っ込み、一応会釈だけはする。
「刑事クン、調子はどうだい?」
 サングラスを外しながら、響也は言った。
「暑いです」
「そうだね。で、捜査の方は?」
「ぼちぼち、ってところですかねー……。詳しいことは、担当の者から聞いてください」
 ブラウスのボタンを二つほど外すと、少しだけ風が入り込んで涼しい……ような気がする。本当に今日は、この夏一番の暑さだった。ほとんど日陰ばかりの、こんな林の中でもだ。
「刑事クン、今日はかりんとうはどうしたんだい?」
「……太っちゃいますから」
「へえ、ダイエットかい? 君にはあんまり似合わないね」
 …………どうでもいいでしょ。
 茜はやる気のなさそうな態度を隠しもせず、響也から視線を外し、片手で首元を扇ぎ始めた。
「今日も機嫌悪そうだねえ」
 響也がさわやかな笑顔で言う。
「からかわないでください。こっちは一日、ずーっとこんなとこで仕事なんですから」
「大変だよね。僕も大変だけどね。……じゃあね」
 他の警官に呼ばれた響也は、言葉とは合わない軽い足取りでその場を離れて行った。
「さてと、仕事仕事」
 事件の手がかりを探すため、茜は白衣のポケットから巨大なルーペを取り出し、しゃがみ込んで地面を調べ始めた。膝をついて、舐めるように土の上を観察しながら、思う方向へずんずん移動していく。
「ん?」
 レンズの円の中に、誰かの靴が入った。
 そのままルーペを上に動かしていくと、手に書類の束とボールペンを持った響也が、真上から茜を見下ろしていた。
「げっ」
「……君さ。真面目にやってるのかい?」
 薄く笑う響也の双眸が一瞬、鋭く光る。
「や、やってます!」
 茜は慌てて、しゃがんだままくるりと方向転換した。
 響也はそれ以上何も言わなかったが、背中に強い視線を感じる。なぜか、振り向いてはいけないような気がした。
 人にぶつからないように注意しながら地面を這いつくばっていると、段々頭がふらついて来る。暑さのせいもあるのだろう。
「……ダメだわ。水でも飲まなきゃ、やってらんない」
 ゆっくりと立ち上がり、警官の群れから少し離れることにした。
 元より、やる気は標準以下なのだ。勝手に一人で休憩に入るのにも、気が引けるということは全く無い。
 ミネラルウォーターの入ったペットボトルを手に、雑木林の奥へと足を踏み入れる。本当は林の外に停めてあるパトカーに戻ってクーラーに当たりたかったが、響也の追っかけがまだいると思うとそちらへ向かう気にはなれなかった。
 草を掻き分けながら歩くと、すぐに人の気配が薄れてくる。
 茜は適当な所で立ち止まり、肩に掛けていたバッグを地面に下ろして白衣を脱いだ。近くに生えた枯木にもたれ掛かかりながら、ペットボトルの中の冷たい水を一気に半分ほど飲み、フタを閉めながら一息ついた。
「はああ……。やっぱり、かりんとうがないと調子出ないわね」
 遠くに現場のざわめきを聞きながら、ブラウスのボタンをもうひとつだけ開けてみた。ここなら誰もいないし、しばらく休んでから戻る時に、また元通りにすればいいだろう。
 外していたスカーフを取り出し、顔と首を扇ぐ。調子に乗ってブラウスごとばたばた扇ぐと、上半身全体に風が行き渡って気持ちいい。
「刑事クン」
 不意に間近で声がして、茜は飛び上がりそうになった。
「け、け、検事さん」
「やっぱり、サボってたね」
 斜めに生い茂る木の枝を背に、響也が腰に手を当てながら、茜を見ている。
「……ちょっと休憩してただけです。すぐ戻ります」
「しっかりやってくれよ。手抜きはナシでね」
「…………わかってまーす」
 少し厳しい口調で言われ、茜はむくれた顔になる。相手が検事とは言え、どうして年下の男にこういう態度を取られなければいけないのか。
「君って、ホントにやる気がなさそうだよね」
 響也は首をかしげて、真顔で言った。
「あたしは別に、刑事になりたくてなったワケじゃないですから」
「知ってるよ……鑑識官だっけ? 君がなりたかったのって。でも、試験に落ちたんだよね。まあ、趣味でそれっぽいことやってるみたいだけど」
「……関係ないでしょ!」
 何気ない調子で言われ、馬鹿にされたような気がして、つい怒鳴っていた。
 怒鳴ったはいいが、続く言葉が出て来ない。
「あたしのことなんか放っといてください」
 あからさまに顔を背けて、頬を膨らませる。
「別に、放っておいてもいいんだけどさ」
 ぱきん、と音がした。
 足元の小枝を踏みしめて、響也は茜に一歩近づく。
「ちょっと、注意したいことがあってね」
 茜の目の前まで来た響也は、微笑を浮かべながら、自分のはだけた鎖骨をトントンと指でつついた。
「ここ、ちょっと開きすぎじゃないのかい?」
「は……? あっ」
 茜は自分の胸元に目をやって、愕然とした。
「キャアッ!」
 ばっとブラウスの襟をかき寄せる。半分だけ中身の残っているミネラルウォーターのボトルが、地面に落ちて転がった。
「いくら暑いからってさ。現場はオジサンばっかりなんだよ。目のやり場に困るよね」
 響也はにこやかに言うと、ペットボトルを拾った。
「これ、もらっていいかな」
「ダ、ダメッ」
 ボトルを取り返そうと、手を伸ばす。響也はすい、と身軽にかわし、空いた手で茜の手首を掴んだ。
「痛っ」
 ぎり、と手首を握り締められる。その力の強さに不安を覚え、逃れようと腕を振るが響也の手は放してくれない。
「は、放して」
 響也は茜の手首を自分の方へ引っ張った。
「じゃあ、返すよ。はい」
 胸に押し付けられたペットボトルを受け止める前に、掴まれていない方の手に持っていたスカーフを奪われた。
「何すんのよ!」
 茜はペットボトルを放り投げて響也に掴み掛かるが、スカーフを口にくわえた響也の両手に、手首をまとめて押さえ込まれてしまった。
「い、痛い……っ」
 両手首を背中でねじり上げられ、茜は苦痛に顔を歪ませた。
「君、少し警戒心が足りないんじゃないか? 刑事のクセにさ」
 後ろで捕らえられた両手首に、何かが巻き付けられる。何をされているのか、見えなくてもはっきりわかる。

「今日はずいぶん薄着でいるよね。やっぱり暑いからかな。でもね」
 響也の声は、普段と変わらない明るく優しげな声だった。だが、茜の耳にはもうそんな風に聞こえない。
「さっきから、誘ってるようにしか見えないんだよ」
 手首を縛り上げるスカーフがきつく肌に食い込んで、どうやってもほどけそうにない。
 完全に両手の自由が奪われたことを悟った茜は、本能で恐怖を感じた。
「や、やめてよ……」
「ダメだよ、あんな風に見上げちゃ。無防備すぎる」
 響也の腕が伸びてきて、茜の体を背中から抱きすくめた。耳元に熱い息が吹き掛けられる。
「や、や……」
「最初は、ただ本当に注意してあげるだけのつもりだったんだ。他に人がいない時に、それとなくね。でも、なんだか反抗的みたいだし……気が変わったよ」
 茜はもがいた。必死で響也の腕から抜け出そうとするが、さらに強く抱き締められてしまう。
「教えてあげるよ。そんな姿でぼんやりしてるとどうなるか」
「……な……何、よ……と、年下のくせにっ」
「子供みたいなこと言わないでくれよ」
 響也は笑った。その振動が背中と首筋に伝わってきて、茜の体が震えだす。
「恐がらないで……乱暴にはしないから」
「あ……っ」
 響也の舌が茜の耳の裏を舐め上げる。茜は身をのけぞらせた。
 指輪をはめた小麦色の指が、ブラウスのボタンを一つ一つ外していく。露わになった裸の肩に、響也の唇が吸い付いた。
「んん……っ」
 茜は声を出すまいと歯を食い縛って堪えるが、背筋を走るぞくぞくとした感覚に、思わずくぐもった呻き声を漏らしてしまう。
「肌、キレイなんだね……いつも隠してるから知らなかったよ」
 囁くような甘い声に、体の奥が痺れるような感覚を覚える。
 長く伸びた髪をかき分けて、うなじから背中へ、響也は舌と唇で茜の素肌をたどる。その間にも、茜の体を捕らえる腕の力は一瞬たりともゆるまない。
 細い肩紐が滑り落ちる。胸を覆うレースも剥がされ、上半身のほとんどが蒸し暑い熱気にさらされた。
 乾いた、大きく熱い手の平が、茜の汗ばんだ胸を撫で回す。
「あっ……や、やめてったら……! なん……で、こんな……」
 思うように身動きできないもどかしさが悔しさに変わり、涙がにじんでくる。
「なんでって」
 男の荒い呼吸が、耳と首筋を火照らせる。
 響也は倒れ込みそうになる茜の体を支えながら、自分の体と向き合わせた。
「君も刑事なら、よく知ってるだろう? 夏はこういう犯罪が、増えるんだって」
 目を細めて微笑むと、響也は立ったまま、覆い被さるようにして茜の唇を奪った。
「んう、んんッ!!」
 唇の隙間から勝手に侵入してくる響也の舌が、茜の舌を絡め取ろうと激しくうごめく。抵抗しようにも、髪ごと後頭部を強く押さえられているせいで、首も動かせない。
 執拗に探る舌が、さらに深く押し込まれる。息苦しくなって、喉の奥から悲鳴を上げた。
 響也は唇を離し、茜の耳元にその唇をぴったり張り付かせた。少しかすれた、低く熱のこもった声で、茜の体の芯を揺さぶってくる。
「ねえ」
 背中に回された腕に、力が込められる。響也の服の上で音を立てて揺れていたチェーンが、茜の肌に食い込む。
「入れたい」
 足に足を絡ませ、腰に腰を押し付けてくる。
 びくん、と茜の体が硬直した。
「ダ、ダメ、ダメッッ!!」
 必死で暴れる。響也の腕が背中から腰に滑り、再び口を塞がれた。
「んんん……ッ!」
 今度はたやすく舌を奪われ、吸い上げられる。
 口の中をねっとりとかき混ぜるように攻められて、茜はもう息も絶え絶えだった。
 駄目だ。これでは本当に、食べられてしまいそうだ。
 茜の舌を放すと、響也の唇は顎をなぞり、首をなぞり、鎖骨を吸い、ゆっくりと下へ移動して行く。
「あ……あん、あっ」
 胸の先を強く吸われ、茜は身を悶えさせる。響也は茜の体の柔らかいところを唇で挟みながら、舌先でくすぐって行く。
 触れられる度に、抵抗する気力が溶けて消えてしまうようだった。
 茜が身じろぎしなくなるまで、響也は愛撫し続けた。
「……まだ、ダメなのかな」
 目を閉じてぐったりとなった茜は、何も答えられなかった。息苦しさに、肩と胸が上下に大きく動く。
 響也は無言で、茜の手首を拘束するスカーフをほどいた。茜はよろめきながら無意識に、自由になった両手を動かして、目の前の雑木にしがみつく。
「きゃあっ!」
 響也が背後から茜の体に抱きついた。後ろから手を回して、あっという間に、茜の腰のベルトとファスナーを外してしまう。

「あんまり大きな声を出すと、見つかるよ」
 下半身に着けているものを全て、膝まで下げられた。恥ずかしさで顔が燃え上がりそうになる。足が震える。
 耐え切れずに木の幹に爪を立てて、瞼をぎゅっと閉じた。
「あ……あっ」
 響也の指先が太腿の内側を撫で上げ、確認するように中心を探った。
「あうっ……ん!」
 ひんやりとした感触に、思わず声を上げる。すぐに指は引き抜かれ、響也の体が一旦離れた。じゃらじゃらと音がして、再び腰を掴まれる。
 後ろから響也の素肌が密着した。気温よりも低い彼の体温に、滲んでいた涙が零れる。
「あ……ん、ああっ!」
 息が止まるほどの圧迫感が、ゆっくりと体の奥へめり込んでくる。
 …………もう、本当に、逃げられない。
 今さら、そんなことを思った。
 …………いや、逃げる気なんて、本当にあったんだろうか。響也の力はもちろん茜よりずっと強かったが、それでも最初に言った通り乱暴にはしなかった。触れる手は優しかった。本気で振りほどこうと思えばできたはずだ。
 途中から、こうなることを待っていたのかもしれない。そうでなければ、もっと死に物狂いで抵抗して、お互いにひどい怪我でも負っていたかもしれない。
 認めたくない。でも…………。
「あ、ん、あうっ」
 響也の腰の動きに合わせて、押し殺そうとした声が漏れる。鈍い電流が体中に流れて、じわじわと広がって行く。
 茜はもう、考えるのをやめた。考えたって無駄だ。
 …………悪い夢を見ているだけだ、きっと。
「あっ、あっあっ」
 響也の動きが激しさを増して行く。茜にできることは、しがみついた雑木の幹から手を離さないように、意識を保つことだけだった。
 何度も何度も、強引に体の中を擦られる。気絶しそうなほど切ない感触を、茜は唇を噛み締めて堪えた。
「…………も、う……」
 荒い呼吸の下から、響也が呻く。加速する振動に、頭の中が真っ白になる。
「……ああッッ!」
 唐突に、攻め立てるような動きが止まる。体内で熱い感触が弾けて、満たされて行く。
 どくん、どくんと茜の中で繰り返し脈打ち、その度に体から力が抜けて行く。乱れた吐息が背中に掛かる。
 響也は茜の体を支えながら、慎重に腰を引いた。
「んん……っ」
 ぬるく太いものが引き抜かれていく。涙が止まらない。胸が苦しくて、まともに息をすることもできない。
 響也は自分の服を整えると、茜の白衣を拾って肩に掛けてくれた。そのまま、茜の顔に手の平を添えて、頬に口付けてくる。
「…………ごめんね」
 呟いた響也の声は、聞き間違いかと思うほど小さな声だったが、茜の耳にははっきり届いていた。
 さっきまで体を這い回っていたその指で、頬の涙を拭われる。

 「…………」
 茜は何も答えずに、まだ震えの治まらない手をぎこちなく動かし、なんとか服を直した。
 近くに置いたままだったバッグを取り上げ、ふと思い立って中を探る。
「……どうしたんだい?」
 響也が問い掛けてくるが、茜は無視してバッグの中を探し続けた。
 薬品の入った小瓶や小物類の下に、押し込まれるようにして入っていた、刑事としての必需品。自分が実際に使うことは、まず無いだろうと思っていた。
「……そろそろ、なんとか言ってくれないかな」
 響也が困ったようにため息をついて、茜の顔を覗き込む。
「逮捕……します」
「えっ」
 不意に立ち上がり、響也の手首を掴んで手錠をはめる。響也が呆気に取られている間に、すかさずもう片方の輪を、真上にあった丈夫そうな枝に繋いだ。
「ちょ、ちょっと……おい、刑事クン! これは一体なんのマネだよ」
「お返しです。ただし、放置しますけど」
「ええっ!」
 うろたえる響也を見ながら、茜は冷たく言ってやった。
「心配いらないでしょ。姿が見えなきゃ、そのうち誰かが探しに来てくれるだろうし」
「冗談はやめてくれ!」
 響也は慌てふためき、枝に繋がれた自分の腕をぐいぐいと引っ張った。反動で、バサバサと葉が揺れる。
 その余裕の無い姿に、茜はニヤリと笑った。
「……あんまり、年上をナメないでよね」
「…………!」
 唖然とした響也の顔が、みるみる真っ赤に染まる。
「そうだわ。コレ、やっぱりあげます」
 足元に転がっていたミネラルウォーターのボトルを、響也のシャツの襟元に突っ込んだ。
「あたし、もう行きますから」
 茜はまだ赤い両目を隠すためにピンクのサングラスを掛け、響也に背を向ける。
「コラ! 待てよ!」
 悔しそうな響也の声が、追いかけて来る。茜は聞こえない振りをして、その場から離れようとした。
「……また襲ってやるからな」
 ヤケになったのか、とんでもないことを響也は口走った。ぎょっとして振り返る茜に、さらに喚く。
「今度はもう、優しくしてやらないぞ!」
「……な、な……何を……」
 返す言葉が見つからない。一瞬だけ響也と目が合って、反射的に体ごと逸らしてしまった。
「し、信じらんない」
 茜は乱暴に草を踏みつけながら、現場へ戻る道を大股に歩き出す。
 背中を焼いて貫くような響也の視線が、痛痒かった。

最終更新:2020年06月09日 17:50