倉院の里からさほど遠くない山筋の旅館。
平地に比べまだ肌寒く、そのせいで今が桜の見ごろだった。
火照った身体は涼を求めて、旧式の螺子鍵をまわし、ガラス戸をあけた。
夜風がオドロキの身体から心地よく温度を奪った。
玄関辺りにかかげられた明かりのせいで桜が淡く闇に浮かび上がっている。
普段花などにほとんど興味をもたない彼も、素直にきれいだな、とだけ思い、
腰を下ろし、そのまま外を見つめた。
「風邪引いちゃいますよ、オドロキさん」
大きな掛け布団をひとつ抱えてきたみぬきは、いうがはやいか、
自分ごとオドロキのからだに布団を巻きつける。
肩に顎をのせ、オドロキの視界と同じものを見られるようにした。
「きれいですね」
すぐに同じ感想を言葉に出して言う。
春の風がつよくなってガラス戸を鳴らす。
オドロキはみぬきの両手ではまわりきらなかった布団の前を代わりに引き受け、
風がはいってこないように前を閉めるように巻きつける。
両手の空いたみぬきは、オドロキの胸を後ろから抱え、自分の熱を分け与えた。

 

「ダブルデート?」
「そうですよ」
「ええと、ごめん。どこに、誰とだっけ?」
「もう、二回言わせないでください。
 真宵さんが4人分の温泉旅館のチケットをもらったから、
 パパと、オドロキさんと、みぬきの3人に、一緒に行きませんかって」
「真宵さんって、昔の成歩堂さんの資料にあった、助手だった人だよね」
「そうです。今は故郷に戻られて別の仕事をされてますけど」
「みぬきちゃん」
「はい?」
「それ慰安旅行って言わない?」

4月初め。
無事卒業式も迎え、高校への入学も決めていたみぬき。
そこそこに忙しく弁護士の業務をこなすオドロキ。
旧友から、弁護士への復帰に関してある程度のお墨付きを得た成歩堂。
そこに入ってきた話がこれだ。

「真宵さんも忙しい人なんだけど、ちょうど空いてるらしいから。
 みぬきもステージは調整してもらえるし、もちろんオドロキさんもいくよね?」
「まぁちょうど予定はないし、温泉は嫌いじゃないけど」
「よし、決定。さっそく連絡するから、ちゃんと用意しておいてくださいね」
「あれ、成歩堂さんは?」
「パパなら大丈夫。何があっても行かされるから」
「‥‥あ、そう」

勉強をしているだろう成歩堂に少し同情すると、オドロキも自分のスケジュールに
ダブルデート、と小さく書き込んだ。


電車で二時間ほどの道のりをゆられると、ひなびた駅からは旅館差し向かえの
車が待っていた。夕暮れの並木の桜が流れていくのを眺めながら、みぬきが咎めるように言う。

「それにしても、パパもオドロキさんもなんで車の免許くらいもってないの?」
「大学のときは、勉強でそれどころじゃなかったんだよ。今も忙しいし」
「別に不自由はなかったし、お金もなかったからね。それに、電車での移動もたまには
 いいじゃないか」
成歩堂が自慢にならない台詞を返す。
「だったら、パパがお仕事できるようになって、オドロキさんが時間がとれるように
 なったら免許を取ればいいんですよ。そしたら、みぬきの送り迎えも楽になるし」
「みぬき、そろそろ着くみたいだよ」

遮った成歩堂の台詞とともに、車が右に折れて私道に入る。その先に木造の旅館が見えた。
車から降りて眺めたそれは、古めかしくはあるが、オドロキの想像していたよりもかなり
品格のある旅館のようだ。なにより景色が素晴らしい。
桜だけでなく、生垣などからもさまざまな草木が芽吹こうと新芽を出しはじめており、
春らしさを強く感じさせた。

オドロキはトランクから出された荷物を引き受け、玄関に向かおうとした。
ちょうどそこには、一人の特徴的なかっこうをした女性が立っている。
黒髪の、凛とした美人だ。スレンダーながらスタイルも中々よく、それゆえにその髪型や
服装がひどく奇異に映る。

(変な格好だな)
オドロキの第一印象はまずそれだった。道を塞ぐように雄雄しく仁王立ちしている。
なんとなく立ち止まると、横からみぬきがたたっといつもの軽やかな歩調で
彼女へ走り寄っていった。
「こんにちは、真宵さん!」
「ひさしぶり、みぬきちゃん!」

(うわあ、笑うと可愛い)
オドロキがつい口に出しそうなほどに、朗らかに笑った。
おそらくは自分よりも年上だろうけれど、笑うとぐっと幼く見える。

きゃいきゃいとみぬきと言葉を交わすと、思い出したようにオドロキを見た。
「あっ、キミがオドロキくんだね、はじめまして」
「はっ、はい、はじめまして」

つかつかとオドロキの前に近寄ると、物怖じも人見知りも知らないように
話しかけてくる。それからはオドロキの周りを回りながら、
「ふんふん、ほうほう」
などと何かよくわからないが納得しながら色々と観察される。

「な、なんでしょう」
やや腰の引けたオドロキがそう声をかけると、
「みぬきちゃんから聞いてるよ。これからよろしくね」
そういって正面に戻って手を伸ばす。
オドロキもつられて、スーツで手をひと拭きすると、差し出された手を握りしめる。
「いえ、その、こちらこそ、よろしくお願いします」

手をはずすと、真宵は最後に離れて立っていた人物に顔を向ける。
オドロキからは表情は見えなかった。

「こんにちは、なるほどくん」
「久しぶりだね、真宵ちゃん」


二部屋あるうちの、一部屋に真宵とみぬき、もう一部屋に成歩堂とオドロキが案内された。
これもまた豪勢とまでは言えないが綺麗に整えられた良い部屋だ。

「晩御飯はあたしたちの部屋で四人で食べるんだって。
 なるほどくんにオドロキくん、着替えたらこっちにきてね」
「はいはい」

真宵とみぬきが自分の部屋に戻ると、男二人は無言のまま、着替え始める。
オドロキはなぜかここまでも着てきた赤いスーツを脱ぎ、浴衣の帯をしめながら
成歩堂に訪ねた。

「真宵さんて、成歩堂さんの助手の人ですよね。霊媒師でもあるという」
「ああ、ぼくの師匠の妹でもある」
「ええと、綾里千尋さん‥‥でしたっけ」
「うん」

オドロキは先日読み直した成歩堂の裁判の資料を思い返す。
たしか、事件により命を落とした人だ。
成歩堂さんは、真宵さんの無罪を証明し、真犯人をみつけだしたんだった。
そのあと、助手になった真宵さんと色々な裁判を経て、真宵さんは霊媒師としての
道を進むことにした。
けれど、その真宵さんのいない時、成歩堂さんは弁護士資格を失うことになる。
それから8年。成歩堂さんはもうすぐ弁護士として戻ろうとしている。
今回の旅行、いやダブルデートだったっけ、何かそれに関することでもあるんだろうか。

「オドロキくん」
「はっ、はい?」
浴衣姿に無精ひげとニット帽というなんともよくわからない姿の成歩堂が
オドロキにちょっと真面目な顔をして話しかけた。
自分の思考を追っていたオドロキは慌ててそれに応える。

「一つ言っておくことがある」
「はあ。なんですか」
「みぬきは中学を卒業したばかりだ」
「そうですね。何日か後には高校生ですけど」
「それでもまだ16歳にもなっていないコドモだ」
「ええ、コドモなのはよくわかります」
「うん、それをよく覚えていてくれ」
「‥‥?」

何をいいたいんだろう。どうも成歩堂さんはさっきから変だ。

「遅いよ、二人とも。ご飯が冷めちゃう」

 

「かんぱーい!」

真宵の合図とともに、ビールが満たされたグラスが音をたてる。
その音が消えるや否やさっそく川魚や鍋などが並ぶ料理をたいらげていった。
女性一人がとくに健啖家ぶりを発揮している。

「なるほどくんの若い頃はもう大変でね。御剣っていう
 検事さんにもうしっちゃかめっちゃかにやられちゃってたんだから。
 もうあたしがいないとどうなってたかわからないよ」
「‥‥最終的には、無罪を証明できたけどね」

オドロキがニヤニヤと笑いながら真宵の昔話を聞く。
普段飄々としている成歩堂は真宵に弱いらしく、
いつもやりこめられているオドロキは面白がって話を聞きまくった。

「じゃあ、無敵弁護士の成歩堂さんがあったのは真宵さんのおかげなんですね」
「当然だよ! だってあたしは、なるほどくんのお姉ちゃんだからね」
「だから30男を捕まえていう台詞じゃないよ‥‥」
「奇遇ですね! みぬきもオドロキさんのお姉さんがわりです!」
「オレのほうが年上なんだってば」

みぬき以外は酒が回り始めたのか、とくに成歩堂はオドロキには
見せたことがない姿を見せる。むしろなんだか共感すらできそうなくらいに。
みぬきはさすがに長い付き合いで、実際はこんなもんだというのをよくわかっているらしい。

「ぼくももうパパってよばれている身なんだから、お姉さんはやめてくれよ」
「しばらく会わなかったからってなるほどくん、反抗的だよ!
 ようし、ほら、お姉さんがあーんしてあげる」
「むっ、みぬきも負けていられません! ほら、オドロキさん、あーん!」
「なにに対抗してるんだよ! いや、いいって、ほら!
 それすごく熱そうだから! あっちいいいい!」

被害者が絞られ始め、さらに酒は進む。
「こないだみぬきの卒業式のとき、オドロキさん誰よりも泣いてたんですよ」
「まったく、オドロキくんが育てたわけでもないのに」
「いや、育ててましたって! ろくに事務所にもよりつかない成歩堂さんが
 何言ってるんですか! それに成歩堂さんだって泣いてたくせに!」
「ぼくは隣に座った見ず知らずの親御さんからハンカチを借りるほど泣いてないよ」
「それは別に言わなくてもいいでしょう!」

真宵はそんな3人の話を、大きな笑顔で聞いていた。

「ようし、次は温泉はいろう、温泉。ここの温泉はすごいらしいよ。
 露天で、しかも貸切なんだから」
「みぬき、露天風呂ってはじめてです!」

若干グロッキー気味の男は、オドロキがその台詞をうけて弱々しく返した。
「じゃあ、みぬきちゃん、真宵さんと二人で先に入ってきていいよ。
 オレと成歩堂さんはその後で入るから」
「なにいってるのオドロキくん。皆ではいるんだよ。貸切なんだから」
「そうですよオドロキさん。弟と姉と父とその姉ですよ。家族風呂です」
「‥‥」
「‥‥」

二人の猛抗議はもちろん受け入れられず、屈したのは言うまでもない。
旅館の承認のもと、襦袢かタオルをつけて入るところまでの譲歩が精一杯だった。

「すごいねぇ、桜を見ながら、温泉にはいれるなんて。この時期だけの特権だね」
「景色がいいのは認めるけどね」
「なるほどくんまだ暗いよ。ほら、もっとぐいっと」

つがれた日本酒を成歩堂があける。
さすがにニット帽ははずし、頭にタオルを巻いている。
オドロキはひょっとしたら額の後退でもはじまってるのかとどうでもいい心配をした。

「はい、真宵ちゃん」
「うん、ありがと」
返盃をする成歩堂。お猪口から飲み干す喉の動きを優しく眺めている。

「今日の成歩堂さん、普段と違うね」
「パパ、真宵さんには弱いんです」
耳打ちをしてみぬきに聞く。
自分で耳打ちをしながら、みぬきの細い肩と首筋にオドロキは戸惑った。

「ほら、オドロキくんにもついであげるよ」
「は、はい、どうも」

真宵が近づく。天真爛漫な笑顔だが、その身体にはりつく襦袢は
かえってオドロキを惑わせる一方で、さきほどからろくな答えを返せていない。

「はい、じゃあみぬきちゃんにも」
「ありがとうございます」
「真宵ちゃん、だめだってば」
「あ、そうだね」

だいぶ赤くなってきた真宵は、銚子を置くと、止めた成歩堂に
ぐっと顔を近づけて確認する。

「な、なんだよ真宵ちゃん」
「さっきから気になってたんだけど、やっぱりその髭がおかしいよね。
 ひげそり置いてあったからもってきたんだけど、髭そっていい?」
脈絡もなくどこにあったのか安全剃刀を手に握る。

「いや、いいよ」
「どうして? 伸ばしてるの?」
「いや、別に、伸ばしてるわけじゃないけど」
「気に入ってるから?」
「そういうわけでもないけど」
「じゃあ、いいよね」
「別にそる理由もないし、真宵ちゃんにやってもらう必要だってないし」
「なら、絶対だめ?」
「いや、絶対だめっていうことじゃなくて」


一歩の譲歩から、防壁を突破されるまではあっという間だった。

「じゃあ、そるよ、なるほどくん」
「真宵ちゃん、本当に気をつけてよ」
「だいじょうぶだってば」

鏡の前に座らせた成歩堂を、石鹸の泡で顔半分を埋めてから
楽しそうに、しかし慎重に剃刀をあてていく。
オドロキが傍目から見る限りは、超至近距離をぬれた襦袢越しにおっぱいが往復したり、
ぽよぽよと後頭部に胸をあてられながら無精ひげもあてられている成歩堂は、
非常に羨ましい状況ではないかとちょっと思ったが、成歩堂本人は顔を緑色にして
汗を垂らしている。

「うん、さっぱりした。なるほどくん、タオル借りていい?」
「‥‥どうぞ」

疲れきった成歩堂の頭からタオルをとり、丁寧に顔を拭いていく。
タオルをまとっていた髪はさすがに水分には負けて
垂れ下がり、髭のないところもあいまって普段の姿よりも若く見える。
幸いに髪には後退の兆しも見られない。

「うん、かっこよくなったよ」
「パパ、かっこいい」

成歩堂は照れた表情で頭に手をやる。
そばでそれをニコニコと真宵が見つめていた。

「‥‥なるほど」
「何がなるほどなんですか、オドロキさん」
「いや、あの二人の関係がわかったよ。
 みぬきちゃんにも後で教えてあげるよ。いや、まだ早いかな」
「‥‥そうですか」

ちょっとあきれた口調でみぬきが返す。

「気になる? 気になるなら今教えてあげようか」
「いえ、だいたいわかっているのでいいです。
 じゃあ、オドロキさん、今度はみぬきが背中流してあげます。
 ほら、立って」
「え? いや、オレは自分で洗えるからいいよ」
「ダメです。はい、早く。数、数えますよ。ごー、よん、さん、にー」
「みぬきちゃん、オレのことなんだと思ってるんだよ‥‥」
それでもゼロまで数え終わる前に、洗い場の前に座るオドロキであった。

「みぬき、熱いから先にあがりますね」
「ああ、じゃあオレも」
「あたし達はまだお酒も残ってるからもう少し入ってるね」
「成歩堂さん、鍵はあけておきますから」
「頼むよ」


みぬきとオドロキが風呂から上がると、とたんに静寂が辺りを覆う。
風が流れ、浅いところに腰掛け上半身を出した成歩堂の身体と髪を
乾かしていく。

「‥‥本当に、ひさしぶりだよね」
「そうだね、いつ以来だろう」
「入院した時もいけなかったし」
「差し入れは、ありがたかったけどね」
「今日は、はみちゃんも本当は来たかったと思うんだ。
 でも、あたしの代わりをやらなくちゃいけないって、来てくれなかった」
「あいかわらず、忙しいの?」
「うん、でもやっとちゃんとできるようになったから、それはそれでいいんだけどね」

成歩堂の脳裏には、二人が並んだ当時の姿が浮かぶ。
8年後の彼女達の姿はなかなか想像できない。一人は、立派な女性として目の前にいるのに。

「みぬきちゃんももう高校生だね」
「うん、時間が立つのは本当に早いよ」
「オドロキくん、彼もいい子だね。なるほどくんにやっぱり似てるかな」
「子、っていうけど、キミとそんなに年は変わらないと思うけどね」

真宵の口調は静かなものだ。
結い上げた髪を下ろしたその姿は、成歩堂の知る姉とどこか似ている。

「なるほどくん、もうすぐ、弁護士に戻れるんだよね」
「ああ、多分」
「そっか。でも、あたしは、助手にはもうなれないかな」

成歩堂は黙ったままだ。
今の彼女にはそれはもう許されないことなんだろう。

「ね、オドロキくんの助手はみぬきちゃんがやってるんだよね」
「うん。高校も、ビビルバーのステージにでることや、その助手とかに
 ある程度融通の効くところを選んでいたみたいだから」
「ふうん、恋をする女の子は強いねぇ」
「恋‥‥」

真宵は不思議そうな顔をする成歩堂を見て笑う。

「なるほどくんもにぶいね。あの二人が好きあってるのなんかあたしだってわかるよ」
「‥‥」
「本当に、わかってなかったの?」
「いや、みぬきにはまだ早いと思って‥‥ それに」
「それに?」
「なんでもない。とにかくまだみぬきはダメだよ」
「年齢のこと? だってもう高校生なのに。
 二人とも、あたしとなるほどくんの年の差とあまりかわらないし」
「年齢だけの問題じゃないんだ。ちょっと行ってくる」

成歩堂が立ち上がろうとする。
あわてたように真宵はその手を掴んだ。

「ちょ、ちょっと待ってよなるほどくん。行ってどうするの?」
「オドロキくんに、もう一言伝えておくよ」
「もう一言? もう一言ってことは、なるほどくんはなにかオドロキくんに言ったの?」
口ごもる。中途半端な釘だった。それは成歩堂が一番よくわかっている。
「オドロキくんはいいよ。みぬきちゃんには、なるほどくんは
 なんて言うつもりなの?
 コドモなんだから、そんなことを考えるのは早いっていうの?」

成歩堂は答えられない。彼ともう一人だけが知っているはずの秘密だ。
真宵には伝えられない。
その秘密は、彼らの気持ちが確かならば、いつ伝えればいいものだったのか。
返事もせずに迷っている姿に、真宵はいらつく。

「みぬきは、まだコドモなんだから、キミがオトナとして対応してくれ。
 妹みたいなものだから、守ってあげてくれ。
 オドロキくんを頼れって。彼はきっとみぬきを守ってくれるからって。
 そんなことを二人にいうの?」
「真宵ちゃん‥‥」
「7つも上だから、お兄さんみたいなものだから、守ってくれる人だから。
 だけど、みぬきちゃんにはそんなことはどうでもいいの!
 好きになっちゃうのはわかるよ。
 だってあたしも同じだもん。
 ずっとかっこいいところを隣で見てたんだから!」

成歩堂の動きが止まる。
真宵も彼女らしくなく、顔を背け気味に続ける。

「あたしも、もう待つのは、いやだよ。
 入院したってみぬきちゃんに聞いたとき、本当は心配でしょうがなかった。
 全部ほうりだして、ずっとそばにいたかった」

成歩堂をずっと待っていた。
いつか、一人前の女性として、妹という存在から見方を変えてもらえるように。
けれど、資格を失ったときも、彼女の遠まわしな助けを突き放すような態度をとった。
それに、みぬきの存在がある。
真宵は、遠慮がちに、みぬきとの交流に気をそそいでいた。
聡いみぬきに気づかれないように、成歩堂という存在を奪わないよう、配慮しながら。
真宵にとっては、みぬきの境遇は、看過できるものではなかったから。

「なるほどくん、ちょっと動かないで」
立ち上がった真宵がなるほどの髪を手ぐしで整える。
髭もそり、乾き始めた髪の毛はピンピンと立ち上がる。
現れたのは多少は年をかんじさせたが、あの頃の成歩堂龍一の姿だ。

「へへ、昔のなるほどくんとおんなじだよ」
「‥‥ずいぶんおじさんになっちゃったけどね」
「そんなことないよ。かっこいい」

すうっと息を吸い、真宵は言葉を口にする。
「なるほどくん、好きだよ」


「いつからなのか、いつ気づいたのか、もうわからないけど。
 なるほどくんの全部じゃなくていいから、あたしのなるほどくんとして、そこにいてよ。
 あたしも、もう倉院の里は離れられそうにないけど。
 なるほどくんはそんなの嫌なのかもしれないけど。
 でも、ずっと好きなの。もう、待てないよ」
「真宵ちゃ‥‥」
「なるほどくん、あたしのこと、好きだよね?」

不安そうな台詞。直線的でない台詞。逃げ道を塞ぐような、いやな台詞。
8年前に言えていたら、きっと内容は違っていた。
こどもっぽい少女は、見慣れた青スーツの男に、きっとこう言うことができた。

「なるほどくん、あたしのこと好きだよね!」

「嫌いになったことなんて、一度だってないよ」

唇に、唇を重ねる。抱きしめもせず、唇だけの接触。
少しして、唇を離す。追うように、離れた唇が追いかけてくる。

もう一度、成歩堂から真宵に口付ける。
右手は真宵の小さな耳たぶに向かう。
指先でなで、ぴくぴくと反応を返す。
顔に赤みが差す。いたずらをした子どもを見る目で、やっと離した唇が漏らす。

「‥‥なるほどくん、慣れてる?」
「慣れてなんかないよ。舌、出して」
「舌?」

ぺろりと子どもがするように舌を突き出す。
差し出された舌ごと飲み込むように、成歩堂の唇がもう一度奪う。
真宵が慣れるまで、何回でもキスをしつづける。

息のあがりはじめた真宵の襦袢に手を伸ばすと、囁くように伝えられた。

「なるほどくん‥‥最初にいっておくけど、経験、ないから」
「うん」
「さっきのも、ファーストキス」
「‥‥」
少し苦笑した。今時聞かない台詞だ。成歩堂、三十路を越えてファーストキス奪取。

「なるほどくんが全部悪いんだよ。もう、とにかく全部」
全部悪い成歩堂が責められる。

悪い人ならしょうがないなと、あわせに手をのばした成歩堂に、長い間の貞操観念か、
反射的に身を引こうとする。
「もうちょっと慣らしたほうがいいかな、真宵ちゃん」
「だ、大丈夫。なるほどくんにされるなら、なんでもいいよ」
「真宵ちゃんらしくないね」
「なるほどくんこそ、らしくない。もっと自信なかったのに」

襦袢の前を開くと、成歩堂のはじめてみる光景が広がる。
あの頃の真宵には望めない、成歩堂の男をそそってやまない裸身があらわれる。

「胸、大きくなったの?」
「あの頃よりはね‥‥って、なるほどくんそのときのサイズなんて
 わからないくせに」
下から抱え込むように手のひらで胸を持ち上げ、ふわふわと
揉みこむ。手のひらの窪で、まだ色素の薄い乳首をこねる。

「ん‥‥くすぐったいよ、なるほどくん」
「これだと、あの頃の衣装はきつくなるだろうね。
 晴美ちゃんにでも譲った?」
「はみちゃんは‥‥今のあたしよりもっと胸が大きいから」
ちょっとへこみながら言う。
綾里家の巨乳の血は一部には順調に受け継がれているようだった。

手のひらをはずし、期待に立ち上がる乳首を唇でくすぐる。
真宵は、そのまま成歩堂の頭を優しく抱えた。
まだ性感が発達していないせいか、気持ちよさよりも成歩堂がぴったりとそばにいることが
うれしいらしい。

「なんかへんな気がするよ。なるほどくんと裸でこんなことするなんて」
成歩堂はあくまでやさしく真宵を愛撫する。質問の答えを探しながら。

ぼくはどうだったんだろう。真宵ちゃんとこんなことをすることを、
あの頃望んでいたのか。
大切な女の子だった。それだけは間違いない。
あの出来事から距離をおいてしまったのは、何故か。
見栄なのか。それともみぬきのことがやはりブレーキになっていたのか。
真宵ちゃんの想いに気づいていなかったことはない。
今日も、こんなことになることを少しも予想していなかったということもない。
それでも、その日はもう少し後だと思っていた。
真宵ちゃんの心をわかった上で、傷つけながらずっとそこに留まっていた。
結局、真宵ちゃんの方から、告白さえもさせてしまった。
本当に、甲斐性がない。もうこんな年になってしまったというのに。
まったく、大きな弟扱いも否定できやしない。


胸から唇を離し、下から真宵をみつめる。
今の成歩堂の、どこか人を食った表情で、答える。
「そう? ぼくはずっと真宵ちゃんとこういうことをしたいと思っていたけど」
「‥‥すごいうそつきだよ、なるほどくん。後でオドロキくんにみぬいてもらうからね」
「ああ、大丈夫だ。嘘じゃないから」
「ひゃ‥‥ど、どこさわるの」

もう一方の手でつるりと谷間を撫で上げる。
ソフトに、不思議な感覚だけを真宵に与えるように。
慣れていない彼女も、そこはさすがに反応が大きかった。成歩堂は手を止めない。

「な、なんかへんだよ」
引ける腰を追うように、唇はまた乳首へ、指先はさわさわとめぐる。
人差し指が、中指が、薬指が隠された場所を掘り起こそうと徐々に深部へとすすむ。
息が荒くなる。敏感な部分を、指の腹でつぶされた。

「だっ、だめっ」
それに耐えられなくなった真宵はちゃぷんと湯の中につかってしまう。

「逃げちゃだめだよ、真宵ちゃん」
「逃げてないよ、逃げてないけど、えと、ちょ、ちょっとだけ休憩! そう、閉廷! 閉廷!
 3分後に開廷します!」
「‥‥短いね。でも、弁護側は準備万端だよ」

からかうような成歩堂を下から睨む。
「なるほどくんのくせに、なんか上から目線だ」
「そう?」
どこ吹く風と、成歩堂は真宵を見る。

真宵は対抗意識を燃やし、目の前にそそり立つものに近づいていった。
成歩堂はそれに気づくと、慌てたように
「そんなことしなくてもいいよ」
さっきとは逆に腰を引く成歩堂のそれを、優しく真宵が掴む。

「あたしももうあの頃とは違うんだからね。そりゃあ、経験はないけど、
 知識くらいならあるよ」

「‥‥なるほろくん、きおちいい?」

さきほど初めて男の唇にふれたその口が、成歩堂の竿をくわえる。
つよくすすったりはせず、唇や舌でゆるやかな刺激を与える。

‥‥ぺちゅ‥‥ちゅ‥‥んく‥‥

気持ちよくない? と問う目で見つめる。
気持ちよくないはずがない。真宵はそう伝える表情に満足し、攻めを再開する。
成歩堂もそれほど経験がおおいわけではない。けれど、経験などよりも、その女性が
そんな行動をとっていることに、心は沸き立つ。
胸が熱くなる。迷う心は開いた両手で真宵の首でも絞めてみたくなる。
不思議な衝動とともに、男の口からため息が漏れる。

てらてら光る亀頭から、いやらしい音を立てて口を離すと、
「なるほどくん、なんかエッチなため息だよ」
真宵もはじめて見る成歩堂の姿。
好きな人は、気持ちが良くなるとこんな顔で、
あんなエッチな吐息をつく。
はじめて知った。
嬉しくなった真宵は、もっと大胆にもう一度くわえ込む。

んっ‥‥じゅ‥‥ちゅちゅっ‥‥はぅ‥‥

ところどころに呼吸を交えながら、成歩堂の裏筋を、
かりの際を、尿道を愛しく舐め、吸い、口付けていく。
やがてとくとくと口の中にあふれ、あふれた液体が
真宵の頤を伝って湯に落ちる。
それは湯に混ざらずに表面を漂っていた。


成歩堂は迷う。
真宵を抱くことにではなく、どんな体勢をとるかということに。

温泉につかりながらは‥‥やったことないな。
立ったままというのも‥‥ちょっと難しそうだ。
真宵ちゃんに床に寝てもらうのも、痛そうで悪いし、なによりぼくの足も痛そうだ。

「ね、なるほどくん」
「なに?」
「その、部屋に戻る?」

真宵がそう問いかけてくる。だが、それはもとより選択肢にない。

「ごめん、もう待てないから」

そう言うと、成歩堂はバスタオルをしき、仰向けに横たわる。
もちろん彼のそれは天を突き、真宵は今更ながらに顔を赤らめた。

「ええと、なるほどくん、まさか‥‥」
「うん、真宵ちゃん、ぼくに跨って」
「むっ、無理だよ! そんなはずかしいかっこ!
 全部見えちゃうし!」
「恥ずかしくないよ。綺麗だよ」
「ばかっ!」

罵声をあびせながら、おずおずと成歩堂に近づいていく。
下から眺める彼女の姿に、成歩堂はあらためて年月を感じ、
思考がすこし落ち着いたところで、あることに思い至った。

「ああ、そうか‥‥その、避妊具を、つけないと」
もちろん手元になどない。けれど、今更止められはしない。
外に出すことで、大丈夫だろうか?

「いらない」

聞いていないように、真宵がおなかのあたりに、腰を下ろす。

「いらないって」
「こども、欲しい」
成歩堂の唇に軽く口付けて、体勢を戻す。

「みぬきちゃんの、弟か、妹」

成歩堂の片手を支えとして握る。
腰の位置をずらし、ゆっくりと落としながら、おぼつかない手つきで
自分へ誘導し、成歩堂の先端を埋める。

んっ‥‥
ひきしぼった口からわずかに声が漏れる。
お湯とは違う液体ですでに潤ってはいるが、なかなか異物を受け入れようとはしない。
ひざはかくかくと震えながら、真宵の痛みをつよくする。

成歩堂は真宵の腿のあたりを持ち、フォローしようとするが、
なかなかコントロールはとれず、かえって痛みを助長しているかもしれない。
言葉はかけない。その姿を、ただ見つめるだけだ。

それでもやがて、終わりは来る。
全てを埋めたまま、しばらく呼吸を整える真宵。
「入ったよ、なるほどくん」

成歩堂はゆっくりと上半身を起こし、真宵を前面に抱える。
あの頃よりは重くなったであろう彼女を、いたわるようにゆっくりと上下に揺らす。

我慢する顔を見ながら、離さないようにきつく包まれた部位をぐいぐいと
突き上げる。まだ痛みしか感じていないであろう真宵も、必死でそれについていく。
報酬は、自分を求める成歩堂の表情と動きだけで十分だった。

「真宵ちゃん、そろそろ出るよ」
「‥‥うっ、うんっ、いいよ。な、なにかしたほうがいいのかな。
 力をいれて塞ぐとか、えっと、なんか手でふたをするとか」
いってから、とりあえずやってみたのか、しめつけがよりきつくなる。
笑いとそれが同時にやってきて、危うく漏らしてしまうところだった。

「大丈夫だよ、そんなことしなくたって」
「だって、漏れちゃったらだめなんじゃない?」
「‥‥今度それは教えてあげるけど。
 漏れたってかまわないよ」

真宵がちょっと拗ねた目で見つめる。子どもができないほうがいいのかと問う。

「そのときは、もう一度真宵ちゃんに同じことをしてあげるから」
動きを早める。限界は近い。
真宵はもう成歩堂の首にしがみついているだけで精一杯だ。

「なるほどくん、なるほどくん‥‥」
「好きだよ、真宵ちゃん」

真宵の耳にその言葉が届く。
言葉とともに真宵の中に解き放った。
今までにないほどの量の精液が、本来の目的のため真宵の中を駆け上がっていく。


身体を倒し、膝の上に抱いていた真宵もそのまま自分に倒れこませる。
荒く息をつきながら、真宵の向こう側に桜が映りこんだ。

「‥‥真宵ちゃん、今度みぬきの入学式に来てくれないか。
 会わせたい人がいるんだ」
「‥‥?」

見当がつかなかったのだろう。元より頭も回らない。
尋ねようとしたところを、今度は成歩堂が胸に抱きこんだ。
そのまま抵抗せずに、心音を聞こうと真宵は目を閉じる。
わずかな風に散らされた桜は、成歩堂と真宵の身体にも降りかかった。

最終更新:2020年06月09日 17:28