[1]
知り合う前は「おねーちゃんの部下」で、
知り合った頃は「弁護士さん」で、
仲良くなってからは「なるほどくん」。
特別な人になったあとは…別にそのまま。
「なるほどくん歴」が3年も続いちゃ、
今さら変えるのもむず痒い気もするし
あやめさんみたいに「リュウちゃん」って呼ぶのは違和感バリバリだし…
それに…特別な関係って言っても、
お互いに異性として好きって打ち明けあって、
特別な人には変わったけれど…
手をつなぐことすら照れくさくて。
結局、肩書きだけの恋人になったまま、特には進展ナシ。
「真宵ちゃん」って呼び方も変わんないし、別にふつう。
カップルって言葉よりコンビって言葉のほうがしっくりきちゃうと思ってるのは、
たぶん一緒なんじゃないかなあ。
だって、今さら、だし。
そういうフンイキ、くすぐったいし。
***
視界が遮られるほどの濃厚な湯気を浴びて、自然と肌が汗ばんだ。
あたしは麺を一気に食べちゃうタイプで、残ったスープも全部飲み干すタイプ。
残らずたいらげたあたしを見て、なるほどくんは苦笑した。
「‥・・ほんとに美味しそうに食べるね」
「何言ってんの!みそラーメンをマズそうに食べるほうがむずかしいよ!」
「なるほどくんったら…真宵さまにそんなに見とれて」
ラーメンのスープのあとは、お冷も一気に飲み干す。
なるほどくんはお腹をさすって眉を寄せた。視線があたしに刺さる。
そんななるほどくんを見て、はみちゃんはいつものように
両手をほっぺに触れながら、可愛く笑った。
あ。もったいないことに、なるほどくんの器にはネギもスープもまだ残ったままだ。
おまけに麺まで数本残ってる!
暗黙の了解で、なるほどくんの器に手を伸ばす。
一本の麺を粗末にしたら、一本の麺に泣くんだよ。
いただきます。
「あら?なるほどくん、よろしいのですか?」
なるほどくんの分を真宵さまが食べようとしてますよ、という意味合いで
はみちゃんがなるほどくんに声をかけた。
「真宵ちゃん見てたらこっちまでお腹いっぱいになっちゃったし…」
「ふふ…恋をしているとごはんが喉に通らないって言いますものね」
「…………。そ、そうだね」
「……」
はみちゃんは、あたしとなるほどくんが「そうなる」前から、
あたしとなるほどくんを、愛し合ってるだの、運命の人だの口にしていて、
そのたびに、はみちゃんの話に合わせてた。
そうじゃないのに、そういうフリをしてきた。
誤解されているのが無性に恥ずかしいと思ってた。
だけど、実際にはみちゃんが口にする関係になっちゃったら、
今度はほんとうにそうなのだと、
確信されて更に冷やかされる方が恥ずかしいと思うようになって。
あたし達は、今まで以上に3人でいることが多くなった。
はみちゃんに適当に合わせることは変わらないけど、その意味は大きく変わった。
変わったことと言えば本当にそれくらいだった。
***

[2]
「では、おやすみなさい!なるほどくん」
「うん、おやすみ」
「またねーなるほどくん。じゃ、はみちゃん帰ろっか」
「はい!」
あたしとはみちゃんは倉院の里。なるほどくんは自宅へ。
別れ道で手を振った。反対側の手ではみちゃんと手を繋ぐ。
なるほどくんに背を向けて歩き出す。
見送るなるほどくんの視線を感じたけれど、振り向かなかった。
照れくさいから。キライじゃないよ、分かってね。
「やきぶた屋さんのラーメン、美味しかったです!」
あたしの手を握り返しながら、はみちゃんは目を細めた。
今日は満月で、いつもよりひと際大きな白金色の月明かりが
あたし達の影を長くのばしていた。あたしの影と、はみちゃんの小さな影。
下駄の音があたしたちの声に伴奏する。
「違うよーはみちゃん。やたぶき屋ー。間違えるとあのおじさん怒っちゃうよー」
はみちゃんの笑顔につられて、あたしも笑みがこぼれる。
かわいい間違いを指摘するとはみちゃんは小さな口と大きな目を丸くする。
「まあ、どうしましょう!
わたくし、さっきお店の中で『やきぶた屋さん』と言ってしまいました!」
「あはははは!もし怒ってきても、なるほどくんに弁護してもらえばへーきだよ!」
「ふふ、そうですね」
「うん…」
自分でなるほどくんを笑いのネタに使っておいて、
こんなところで、なるほどくんの名前なんか出したら
はみちゃんに「よっぽど好きなんですね」なんて言われないか、
ちょっと自意識過剰になっちゃって、気の抜けた相槌をしてしまった。
はみちゃんはそんな様子はないけど、あたしは、
なるほどくんの名前を出して、心臓がドキドキしていた。
今日も…他愛ない会話しかしなかった。
普通、恋人ってどんな会話をするものなんだろう。
どんな風に時間を過ごすんだろう。
あたしは、今のままでも十分なんだけど、
なるほどくんは、どうなのかなあ。

[3]
「…真宵さま?」
急に黙ってしまったあたしを心配そうに見上げながら、はみちゃんが声を掛けてきた。
「あ、ごめんごめん!ぼーっとしてた!」
「いえ。大丈夫ですか?」
「ちょっと食べ過ぎたかも!」
「真宵さま、綺麗に残さず食べられますものね。わたくしも見習わないと」
「はみちゃんはまだ小さいからねー無理しなくてもいーよ!
なるほどくんは一番大きいのに情けないよねー!」
あ。またなるほどくんの事…。
「ふふ、本当に真宵さまはなるほどくんをお慕いしているのですね」
ううう…とうとう言われちゃったあ…。
「でも」
はみちゃんは続けて口を開く。
「真宵さま、なるほどくんとの逢引きはしなくてよろしいのですか?」
「え…」
「いとしい人同士ならば、
逢引きをするものなのだとお聞きしたことがありますけれども…。
そういう様子が見当たりませんし…」
はみちゃんに言われて、思わず顔が赤くなる。
「もしや!」
急にトーンを上げたその声に少し肩を揺らしてしまう。
「わたくしに気をつかっていらっしゃるのでは…?
も、もしそれでしたらわたくし、謝らなければ…!」
眉を下げて今にも土下座しそうな勢いであたしを見つめてくる。
「ち、ちち、違うよはみちゃん!
…あ、あああ、愛する者同士は、はは、離れててもへーきなんだよ!」
自分で言っておきながら、耳をふさぎたくなる。
首元からぶわっと一気に熱が上がるのがわかった。
今が夜で良かった。昼間だったら、顔が真っ赤なのがバレちゃってるよね。
「そう、なのですか?」
「うん!そうだよ」
「それでしたら、良いのですけれど…」
「いーの!いーの!それに、3人でいるのが楽しいんだから!ねっ」
いけないことをしてるわけじゃない、と思う。
なるほどくんの持ってる六法全書?にも
きっとこれは間違いである、なんて書いてないと思う(見たこともないけど)。
なのに、なぜか、急になるほどくんに謝りたくなった。
ごめんね、って。
なるほどくん、ごめんね。
恋人らしくできなくって、ごめんね。
心の中で謝ると、なんだか寂しさが心を駆け抜けた。
***

[4]
お互いに思いを打ち明けたのは、葉桜院から帰ってきてから
3日も経っていない時だった。
はみちゃんは学校だったからいなくて。
しかもその日はたまたま依頼も無くて、
久し振りに休日を満喫できた日だった。
それから、二人っきりで久しぶりに話ができた日だった。
「あーなんか今日は久し振りにヒマを楽しめそうだよね!」
ソファに寝そべりながら、天井を見つめて大あくび。
お茶の葉を急須に入れてなるほどくんは、
「うれしそうに言うな、経済的にはよくないことだぞそれ」
と言ったあと、ポットの湯を注いだ。
緑茶のいいにおいがかすかに漂ってくる。
「いいじゃない!ここ数日ろくに休んでないんだし!」
「そ…そうだな」
「それになるほどくん川に落ちて入院してたんでしょ?
しばらくは無理しない方がいいって!」
「うん」
心なしか、なるほどくんの声のトーンが低いような気がして、
「どうしたの?元気ないよ?」
と尋ねたのに、あたしの問いかけに返事はなかった。
かわりに淹れたてのお茶のにおいがすぐ近くまで来ていて、
ソファの前の来客用のテーブルに、湯呑を置く音がしたと思ったら
天井が急に目の前から消えた。
同時にあたしの肩や背中やお腹が、青いスーツの生地に包まれていた。
上半身が起こされて、抱きしめられていることに気付くのに
何秒もかかってしまった。
「え。え。え。」
まるでなるほどくんがうろたえた時みたいにマヌケな声を出しちゃった。
だって、なんでこうなってるのかが理解できなくて。
「ごめん、急に。でも…」
でも…のあと喉を鳴らしたのが聞こえた。
それにすっごく長い間。なるほどくんの声も肩も震えている。
「真宵ちゃんが無事でよかった」
「ごめん。ごめん真宵ちゃん」
「帰ってきてくれて良かった…」
「真宵ちゃんが死んだらどうしようって」
「真宵ちゃん…よかった」
何度も間を開けて、震えながら、
なるほどくんはますますあたしを抱きしめる力を強くして、絞り出すように言った。
その一言一言で、あたしを心配してくれているのが
これでもかってくらい分かってしまって、
なるほどくんの沈黙を補うように、あたしの眼から暖かい滴が零れた。

[5]
何が悲しいわけじゃない。お母さんを失ったことを思い出したわけじゃない。
それどころか、頭の中にフラッシュバックするのは
17の時、初めてなるほどくんに弁護してもらってから今までのこと。
なるほどくんばっかり。
笑うなるほどくん、
怒るなるほどくん、
慌てるなるほどくん、
困るなるほどくん、
呆れるなるほどくん。
いろんななるほどくんが出てきたけど、こんななるほどくんは見たことがなくて。
愛しいと思った。なるほどくんの存在がありがたいと思った。
思えば思うほど、涙が止まらなくなった。目の奥が痛いほど、泣いた。
「ごめ…ね。な…ほどく…」
心配掛けて、ごめんね、なるほどくん。
うまく喋れない。あたしの涙はなるほどくんの肩に落ちる。
青いスーツのその部分だけが、濡れて紺色になった。
でも、伝わったのかな。なるほどくんは
「うん、いいよ。帰ってきたから」
と今までで一番優しい声で、言ってくれた。
あたしの心臓はドキドキしていて、その時にあたしは
なるほどくんが、好きだということに気がついた。
はみちゃんやおねえちゃんに対して思う好きともつかない、
御剣検事やイトノコ刑事やヤッパリさんとも違う好き。
もちろん、トノサマンが好きとか、みそラーメンが好きとか、そんな好きでもない。
今急に好きになったんじゃないと思うけど、いつから好きだったのかが分からない。
ずっと昔のことのように思える。
やっと気づいた、その言葉がぴったりだった。
あたしの肩や背中を強く包んでいた腕が緩んだ。
なるほどくんの肩に埋めていた顔を離して、なるほどくんと向き合う。
あたしは、なんか照れくさくて目をそらそうと思ったけど、それもなんか悪い気がしたり、
なるほどくんはなるほどくんで、何度も口を開いて何か言いかけてはやめ、その繰り返し。
ぐちゃぐちゃの顔だし、あんまり見られたくなくて、とうとう沈黙を破っちゃった。
「な、なんか言ってよなるほどくん」
「い、いや、真宵ちゃんこそ、そこはただいまとか」
「…あ。あ、あたしのせいなんだ」
「そーいうワケじゃないけどさ…」
「……うん」
「……うん」
なんだろう、この会話。へんなの。
なにやってんだろ、あたしたち。
「真宵ちゃん?」
あ。トーンが低くなった。
なるほどくんの目つきもなんか変わった。
「ん?」
鼻をすすって、あえて目をそらす。
なんとなく、察しが悪いといわれるあたしでも、なんとなくだけど。
次に言われる言葉が、ちょっとだけ読めてしまった。
それはあたしも言おうかな、と思ってた言葉だったから。

[6]
「その…」
「うん」
「ボクさ…真宵ちゃんが…」
「…うん?」
「………うん」
「………な、なんでそこで『うん』なの…?」
「……うう、なんか言いづらい」
「………なるほどくん」
「ハイ」
「………好き…
…………………
…なの………………かな?」
「…そうきたか」
「どーなの、ね。ね」
「………うん」
「ナニソレ。適当だなあ」
「…。ごめん…」
「……なるほどくんのバカ」
「…うん」
「…………あたしも」
「…うん」
頭の中はまっしろで、目は泳いでたし、
なんか妙に汗が出てくるし、心臓のあたりがもわーって熱くなるし。
整理しながら喋ることなんて出来なかった。
あたしの本能のままに口を動かしたら自然と出てきた。
なるほどくんは、分かってるよ、と言わんばかりにそっけない返事。
でも、それがいつものあたし達を象徴してるみたいで、
ああ、ここに帰ってきたんだ、
あたしの居場所はここなんだなあって実感がわいてきて…
口元が緩んで、喉の奥から笑いがこみあげてきて
それにつられてなるほどくんも目を細めて歯を見せて。
笑った。
「子供っぽくていいのかな?」
「こっちこそ。7つも上だけど?」
また変な笑いがこみあげてきて、おなかの底から大笑いして。
「異議なし。」
綺麗にハモった。

[7]
で、その時、なるほどくんの大きな手が、
あたしの頬を包んで…真黒な眼があたしを見てて…
え…もし、かし、て…?
それは、これは、その、そーいうフンイキ、なのかな?
思ってるうちにナルホドくんのギザギザ眉毛が近寄ってくる。
ひゃあ!キスされる!わあ!わああああ!
「ラーメン!!!」
あたしの口は勝手にそんなことを叫んでた。
まさになるほどくんとあたしは、目と鼻の先。
なるほどくんは完全にタイミングを逃したといった感じでこっちを見ている。
「お腹すいたの?真宵ちゃん…」
「うん!なんかお腹ペコペコ!食べたい!」
なるほどくんの顔が見れない。
あたしは罪悪感と安心感がぐちゃぐちゃーって葛藤している。
拒んだことになるのかな?
でも、今まで積み重ねてきたものが、違うものに変わってしまうのも寂しくて、怖くて。
それから、恥ずかしくて。
「いいよ、じゃ、食べに行こうか」
なるほどくんは優しく笑って立ち上がった。
あたしはもう、気恥ずかしさを隠すのに必死で
「なるほどくんのオゴリ?」
なんて、また余計な可愛げのない言葉を吐く。
なるほどくんは湯呑やゴミを片づけながら背中越しに
「彼女に金出させてどうするんだよ」
と、淡白に言った。
見慣れてきたはずの大きな背中が、急に頼もしく、男らしく見えた。
「彼女」って、言った。
あたしが彼女なら、もちろんなるほどくんはあたしの彼氏…
その響きがあったかい。くすぐったい。それから、幸せ。
これからもよろしくね。
心の中で呟いて、ソファから降りた。
***

[8]
あいかわらず、倉院の里は何もない。
修験の時間が終わると、あとは食べてお風呂入って寝る。それしかない。
テレビがあるため、自然とテレビを見て退屈をしのぐ習慣がついてしまう。
だからあたしもはみちゃんもテレビが好き。
毎日、毎日お互いに眠くなるまでテレビはつけっぱなし。
今も、二人で「月9」を見ている。
「ずっと思っていたのですけれど、
この殿方、少しなるほどくんに似ていませんか?」
亀みたいに蒲団から頭を出してはみちゃんがテレビの中の俳優さんを指して言った。
言われてみれば、似てなくはない…ような気がする。
もちろん、なるほどくんより整った顔なんだけど、骨格というか、
なんとなく口元や顔の輪郭が似ていて、声もちょっと似ていた。
「お、ホントだー。なんかフンイキ似てるねー」
「ですよね。お相手の方は真宵さまには似ていらっしゃらないですが…」
「この子のほうがずっと可愛いもんー」
「そんなことないです」
はみちゃんが言ったお相手、とはドラマの中のヒロイン役だった。
このドラマは、友達から恋人へと変わっていく人間関係を描いていて、
いつまでもすれ違っていたんだけど、先週の放送でヒロインが誘拐されそうになって
なるほどくん(似)は一生懸命ヒロインを助けた。
今週はとうとう最終回。
ヒロインは助けられたことで、なるほどくん(似)をますます好きになったようで・・・。
すれ違いながらも、今やっと二人っきりの時間がやってきて、
いま一番イイトコ。
≪お前のこと好きだ≫
≪女っぽくないし、意識したことなかったんだけどさ≫
≪ほっといてよ≫
≪お前がいるのが当たり前すぎて…お前がいなくなった時、正直ヤバかった≫
≪………≫
≪おれお前のこと、いつの間にか大事な女に変わってた≫
声が似てるせいで、なんだかなるほどくんに言われてるみたいで、
まさに見てるこっちが恥ずかしい。
しかも、自慢じゃないけどあたしも誘拐されて、
なるほどくんに助けてもらった経験があるし…。
ヒロインの女の子は、涙ぐみながらも笑顔を浮かべて、照れ隠しに
≪言うのが遅い。ばか。言われなくても知ってたよ≫
と、呟いた。
それで、二人の距離が縮まって…
顔が近づいて…

[9]
「きゃあっ」
はみちゃんは恥ずかしそうに両手で目を覆ったけど、指の間がばっちり開いている。
テレビの中で、なるほどくん(似)とヒロインはキスをした。
あの時、恥ずかしさで拒んでしまったことを思い出した。
やっぱり、こういう雰囲気の時は身を任せておくものなのかなあ…
ドラマの中でずっと友達で、コンビのようだったこの二人でさえこんな風になれるのに。
と、思ってたら、テレビの中ではなるほどくん(似)とヒロインは抱き合いながら、
ソファベッドに倒れこんでいく。こ、この展開は…
あんまり知識のないあたしだけど、この年になれば分かってしまう。
カメラアングルとフェードアウトのおかげでそのシーンはカット(当たり前か)
まったく、はみちゃんが見てるっていうのに、
そんなシーン流さないでよ!と異議をとなえたい。
次に画面が変わった時には、別の場面になってたからよかったものの…
「あ、あら?お二人は寝たのですか?」
はみちゃんの口からとんでもない言葉が飛び出す。
慌ててはみちゃんの軌道修正をしようと思ったけど、
「寝た」っていう言葉は、はみちゃんの中では「就寝」のことだとすぐに気づいたので、
ほっと胸をなでおろした。
「うん、二人とも両想いになって安心して眠くなったんだよ」
と、適当に言う。
はみちゃんは「いいものですね~」と照れていたものの、意外に冷静。
なのにあたしときたら心臓がバクバクいっていた。
どうしてもこの間の記憶と重なってしまう。
あたしがもし、あの時ラーメンなんて言い出さなかったら、そういう風になっていたのかな…
そこまで思ったとき、ふと疑問が浮かんできた。
あたしはそもそも初めての彼氏なわけで、もちろん経験がないけど…
なるほどくんは…あやめさんっていう彼女がいたわけで…
もしかしたら…。
考えれば考えるほど寂しく、そして悔しく、妬ましく思えてきた。あたしらしくもない…。
なるほどくんは、キスとか…したこと…あるのかな…。
***

[10]
修験の指導が終わって、今日の仕事はこれで終わり。
修験者の間から出ると、夕日の光がさして、オレンジ色がまぶしかった。

なるほどくんが彼氏になってから、2か月が過ぎようとしていた。
あたしたちに何か進展があったかと言うと、もちろん、ない。
あたしが、二人きりの時間をとらないせいで、
「デート」と呼べるものをいまだにしたことがなかった。
せいぜい、メールのやりとりを毎日するくらいで。
しかもメールの文面もそんな甘いフンイキのじゃなくて、
もともと面倒くさがりななるほどくんに、機械に弱いあたしだから、
絵文字がひとつも入っていないメールばっかり。
同世代の女の子たちは彼氏にハートマークの絵文字をいっぱいつけるらしいけど、
あたしが絵文字をつけようとすると、
メールの本文を全部打ち終わるよりも長くかかってしまう。
なるほどくんがハートマークってのも、なんかヘンだし。
唯一の二人だけのコミュニケーションなのに、その内容ときたら

「今なに食べてる?」
「焼きビーフン」

「トノサマンの新シリーズ始まるから録画して」
「わかった」

「そろそろ寝るね」
「うん、おやすみ」

こんなのばっかり。
別にラブラブ(死語)になりたいわけじゃない。
急に恋人らしく振る舞えって言われても無理だし、振舞ってほしいなんて思ってない。
だけど

「あたし達、ほんとに付き合ってるのかな…」

自業自得なくせに。あたしは末っ子だから、ついわがままになってしまう。
どうしたらいいのかな。どうしたいのかな。


その時

『俄然ヒーローだトノサマーン♪』

「きゃわああああ!!」

あたしの携帯から着うたが大音量で流れてつい奇声をあげちゃった。
急いで携帯の画面を確認する。

”なるほどくん”

着信画面の表示にはあたしの「彼氏」の名前が書かれていた。
その文字を見た瞬間、胸が熱くなった。
受電マークを押す指がなぜだか湿ってくる。

[11]
「…もしもし?」
『真宵ちゃん、今電話大丈夫?』
「うん。なるほどくんこそ。仕事の依頼受けてきたんでしょ?
ごめんね、あたしも今日里で修験指導があって、行けなかったの」
『いいよ、今終わったところなんだ。
それより…真宵ちゃん、お花見でも行かないか?』
「え、え。お花見?」

意外な誘いの言葉に思わず外の景色を眺めた。
里から見える山の色はそういえば桜色に見える。
今は、4月だった。

「でも…こんな時間に?今からそっちに行くと夜になっちゃうよ」
『いいんだよ、ボクが見たいのは夜桜だから』
「夜桜?」
『ああ。ボクの家の近くの公園、ライトアップされてて綺麗なんだ。
それとも今日は疲れてる?』
「う、ううん!
あたし、見てみたい!夜桜見たことないし!」
『じゃあ事務所の近くの駅までおいでよ。迎えに行くから』
「あ!なるほどくん!!」
『何?』
「はみちゃんも連れて行ってもいいの?」
『…いいよ。気をつけて来るんだよ』
「う、うん。じゃあ後でね!」

電話を切ったあとの静けさに反比例して、あたしの胸のうちは暴れていた。
はみちゃんも連れて行っていいか聞いた時の、
一瞬の沈黙が。いいよ、と言ったなるほどくんの優しい声が。
すごく切なくて…また謝ることが出来なかった。

これじゃ、あたし、なるほどくんのこと嫌がってるみたいじゃない…。
そうじゃないのに。
どうしてこんな風にしかなれないんだろう。


あたしは、深呼吸をしてはみちゃんの部屋に足を運んだ。

[12]
「はみちゃーん、入るよー」
「…あっはい!どうぞ!」
戸を開けると、はみちゃんは机に向って勉強していた。
「あ、勉強中だったの?はみちゃん。エライねー!」
「いえ、その。もうすぐ新学期ですから…」
「あのさ、はみちゃん。なるほどくんがね、夜桜見に行かないかって電話があったよ」
「まあ夜桜」
「うん、なんかライトが綺麗なんだってー。あたしもよく知らないけど」
「素敵…」

はみちゃんは予想通り、手を両頬にあててうっとりしている。


「でも…申し訳ないのですが、行けません」

「え、ええええ!」

これは…予想外だった。

「明後日には学校が始まってしまいますので、
どうしても今日と明日でやっておかないと…
わたくし、宿題を怠っていて、山積みなのです。ごめんなさい」

「…そ、そっかあ…宿題は、うん。やんないとダメだよね…
じゃ、じゃああたしだけで行ってくるけど、大丈夫?」

「はい」

「何かあったら電話してきてね」

「はい!いってらっしゃいませ、真宵さま」

はみちゃんに手を振って。戸を閉める。
…二人きりだ。どうしよう。


あたしは、里を飛び出した。

***

最終更新:2020年06月09日 17:44