西鳳民国の某ホテル、ラウンジ。
カーネイジの裁判も終わり、御剣は狼捜査官の招きもあってこの国へ降り立った。

深いソファに身を沈めて何とはなしに周囲を眺めていると、
斜め前の席にふと目が吸い寄せられた。
柱の陰に見え隠れする細い首、きっちり纏めた特徴的な長い黒髪。
もしやあの怒涛の日々で関わったCAではないだろうか。

(……まさかな)

ゴーユーエアラインは西鳳民国への直通便もあったように記憶するが、そんな偶然もあるまい。
人違いだろうと御剣が結論付けかけた時、その人が何気なく振り向いた。
真っ直ぐ目が合う。

「やはり。コノミチさんだったか」
「え?あ、御剣さま!」
「あ、待ちたまえ」

制止も間に合わず、驚いて立ち上がった彼女の膝からばらばらと何かが散らばる。

「大丈夫ですか」
「も、申し訳ありません」

(鉛筆?……いや、色鉛筆か)

御剣は足元に転がってきたものを拾い上げ、手渡した。

「スケッチですか?」
「はい。実はあのスーツケースがご好評を博しまして、他にもデザインをしてみないかと言われているんです」
「……なるほど」

ちょうど拾い集めた色は、かのスーツケースを構成していた黄色、緑、ピンクだった。
あのスーツケースが好評とは御剣には解せなかったが、人の好みはそれぞれなのだろう、何はともあれ喜ばしいことだ。

拾い集めた色鉛筆を間に置き、御剣はコノミチの隣に座る。

「改めまして、その節はありがとうございました」

ソファに腰掛ながらも、深々と頭を下げるその仕草は流れるように優雅だ。
思わず見とれていた御剣は慌てて首を振る。

「うム、いや、こちらこそあなたにはお世話になった」
「とんでもございません。私、御剣様のおかげで、今もプロのCAとして働くことができています」
「それは何よりです。そこが実は気になっていたので」

いくら事件を解決しても、それまでと同じ日々は戻ってこない。
同僚が密輸組織と関わっていたのだ、彼女も疑われていなければいいのにと、御剣は何度も考えた。
いつもはそんな感情にもきちんと折り合いをつけてきたのに、今回はどうも上手く行かない。
どうしたことか、御剣にとって彼女は初めての例外なのだった。

そんな動揺も「気になっていた」だなんて短い言葉で伝わるはずもない。
コノミチは御剣の言葉に、ご心配下さってありがとうございますと微笑む。

「でもあの後少しだけ取調べを受けたり、会社も捜索されたりと大騒ぎだったんです。
やっと落ち着いたので、フライトと組合わせてここで休暇をいただくことにしました」
「ああ、そういえば、このホテルはゴーユーエアラインの系列だとか」
「はい。御剣さまこそ、西鳳民国へはご旅行ですか?」
「この国へは……」
「それともお仕事でございましたか?」

旅の目的を聞かれて思わず躊躇う。
この国の復興を見届けなければ一連の事件に区切りがつかないような気がして、狼捜査官の招きに応じた。
そんなことは余人に説明することではない。

「――強いて言うならば、厄落としといったところか」
「厄落とし?…………あっ!」

御剣の科白を不思議そうに反芻したのも束の間、土下座でもしそうな勢いでコノミチは頭を下げた。

「あの折は本当に、御剣さまには多大なご迷惑を……!!」
「な、なんのことだろうか」
「厄落としなのでしょう?アクビー様の件は、西鳳民国から日本へ向かう途中だったではありませんでしたか」
「そう言われれば、あれは確かに厄日の始まりだったが……。あ、いや違う、そういう意味ではない!」

慌てて否定するも手遅れ。コノミチは遠い目になっている。

「お気遣いはご無用です。やはりそうなのですね。旅に出たくなられるほどの厄日でございましたか」
「誤解だ、そのようなアレではない」
「お客様をそのような目に合わせてしまうなんて、私はプロのCAとしてどうお詫びすれば……」

(くっ、このままでは落ち込ませるばかりだ。どうすればいい)

あれこれ考えても結局は事件の話しかなかった。
今にも絨毯の上に膝をつこうとしているところを、手をつかんで制止した。

「その、コノミチさん、私はあなたに感謝しているのだ。どうかこれ以上謝らないでいただきたい」
「……感謝?御剣さまが私に?」

何をと言わんばかりにコノミチの目が見開かれる。

「そうだ。私は確かにあの状況では一番疑わしい人物だったにも関わらず、あなたは私を軟禁まではしなかった。
そしてあなたが私の話に耳を傾け、理を受け入れてくれたからこそ、真犯人を捕らえることができたのだ」
「私、そんな大層なことは」
「いや。あなたは同じプロとして尊敬に値する」
「御剣さま……」
「検事も同じだ。常に冷静に、どんな声も細大漏らさず聞き届け、真実と思われる道を探る。
――だから私はあなたに惹かれるのだろうか」
「み……」

最後の方は独白に近かった
けれども聞こえないような距離ではない。
力が抜けたように、手を御剣に預けたままコノミチが絨毯の上に座り込んだ。

「御剣さま、そんな冗談をおっしゃらないで下さい」
「ム、冗談などではない。心外だ」
「本気ならなおさらタチが悪いですわ。私を喜ばせて遊んでいらっしゃるんでしょう」
「何故そうなる」

一つの事件をこのような形で引きずるのは初めてだ。
偽りの許可を出してまで責任を取る潔さ、CAとしての誇りと、それだけでは昇華できない白音若菜へのコンプレックス。
華奢な横顔に見え隠れする、自嘲で覆ったプロの仮面は美しかった。

「私はあなたを守りたいと思ったのだ。それはあなたが犯人でないからというだけではない」
「御剣……さま」
「あの時のように、私を信じてはもらえないだろうか」

自分を無実だと信じ、そして事件を解決すると信じてくれたあの時のように。
握った手に力を込めると、コノミチの視線が絨毯から上を向く。

「……ます」
「コノミチさん?」
「信じますわ。御剣さま」

真赤な顔をして、それでも真っ直ぐに自分を見つめる彼女から目を逸らせない。
今更ながら、大胆な告白をしてしまったことに気づき、御剣はうろたえた。

「ところで」
「はい?」
「私は、あなたのセンスを理解できない男かもしれないのだが、それでもいいのだろうか」
「……そんないじわるをおっしゃらないで下さい」

くしゃりと、コノミチの表情が崩れる。

「すまない。そのようなつもりはなかったのだ」

もし泣かれてしまったらハンカチを差し出すべきか。
それともこの手で拭っても――触れてしまっても構わないのだろうか。わからない。

困った顔の御剣に、コノミチは泣笑いのような微笑を浮かべた。
そして御剣の唇に指を当てて、それ以上の言葉を封じる。

「私もあの発言には、そんなつもりはなかったんです。その、勢いで、つい……」
「……つまらぬ事を言った。私はあなたの言葉を信じたいのだ」
「はい、御剣さま。信じて下さい」

真実を見抜く目など持ち合わせていないけれど、この場には仮説もロジックも要らなかった。

微笑に吸い寄せられるように御剣は長身を屈める。
柱の陰で、唇が重なった。

最終更新:2020年06月09日 17:38