「…なあ、シーナ」
「………なんだ、ロウ」

自身のデスクに張り付き、事件の資料を整理していたシーナが、後ろのソファーに寝そべったまま声をかけてきた狼へ返事を返したのは、たっぷり10秒後だった。

「なあ……」

しかしシーナは振り向く事はせず、手を休める気配も無い。

「シーナ、おーい」
「……」
「シーイーナー」
「…ロウ、……うるさい」

しつこく呼び掛けてくる狼に、シーナは溜め息をひとつ吐いて手を止めた。

「お、シーナ、溜め息なんか吐いて…疲れたんだろ?少し休めよ」
「ロウ、急ぎの資料だと急かしたのは誰だ?」
「う、……俺?」
「わかっているなら邪魔をするな」

そう一蹴して、再び作業を開始するシーナ。
そのつれない後ろ姿を穴が開くほどに見つめながら、狼はクゥン…と叱られた犬の様な情けない声を上げた。

―――それから15分程経って作業を終えたシーナ。
書類を束ねながら後ろを振り返った彼女が見たのは、ソファーに転がったまま寝息を立てている狼の姿だった。
大人しく待っている内に睡魔に襲われたのだろうか。
近頃は事件続きでゆっくり寝る間も無かったから、無理もないのかもしれない。

シーナはやれやれとでも言いたげな表情を浮かべると静かに立ち上がり、ソファーへと歩み寄る。
近付いて見下ろした寝顔はどこか幼く見えて、シーナは僅かに笑んだ。
本当ならすぐにでも書類に目を通してもらわなければならないのだが、ほんの5分程度なら寝かせておいてもこの後のスケジュールに支障は無い。

そう結論を出したシーナは、ソファーの背もたれにかけてあった狼のジャケットを取り、持ち主の上半身にかけようとして、止まった。
眠っていた筈の狼が、目を開けたのだ。

「…起きていたのか」

手首を捕らえられても、シーナは表情ひとつ変えない。
狼が上半身を起こして、捕らえた手首に唇を付けても、眉ひとつ動かさなかった。

「普通に呼んだって、振り向いてくれねぇだろ?」
「忙しかったからな」
「…仕事の事じゃねぇよ…シーナ」

捕らえたままの手首を引くと、シーナは抵抗も無く狼の腕の中へと収まった。

鼻をくすぐるシーナの匂い。
彼女の愛用している香水の名前を、狼は知らない。ただ、割と好きな匂いである事だけは確かだった。

「いつになったら…上司としてじゃなく男として俺を見てくれるんだよ」
「…さあな」
「シーナぁ……」

つれない反応に、がっくりと肩を落とす狼。しかし最近は冷たくあしらわれる事にすっかり慣れてしまった為、その程度ではめげなくなっていた。

「シーナ…」

耳元に唇を寄せて、名を呼ぶ声は狼にとっては精一杯の甘いもの。
同時にシーナの華奢な腰に腕を回して、スリットから覗く白い太ももをそろそろと撫でてみたのだが…。

「ウォォォンッ!?」

たったひと撫ですら終わらない内に手の甲をキツくつねられた狼は、そのあまりの痛みに手を離さざるを得ず。
うっすら涙目になりながらシーナを睨み付けたものの、絶対零度の冷たい眼光に睨み返されてしまい、「アォォォン…」と情けない声を出す事しか出来ないのだった……。

最終更新:2020年06月09日 17:38