冥×弓彦

俺が冥に師事を受けてから3年が過ぎようとしていた。
検事として“一”から学び直そうと考えていた俺に、手を差し伸べたのは冥だった。
初めは、猫の手も借りたい程忙しい彼女の、単なる雑用としてこき使われる羽目になったが
彼女の国際検事としての仕事を間近で見ながら、俺は必死でそれを学び取ろうとしていた。

やがて、少しずつだけど、重要な仕事の一部を任されるようになり
今では彼女に頼りにされるようにまでなった。
鞭でビシバシ、冥に厳しく鍛えられた俺は、まだ“一人前”には程遠い検事だけど
今は自信を持って自分の仕事をしている。
こんなに、自分に自信が持てるようになったのは、冥のおかげだ。

しかし、冥と過ごす日々がまもなく終わる。
俺は近いうちに帰国することになった。
冥に師事を受けながら、検事として実績を上げた俺に
冥は帰国して独り立ちするように勧めたのだ。

部屋を掃除しながら、俺はトランクに荷物をまとめていく。
3年間、冥と過ごした日々を思い出す。
検事として辛かった時期に、
冥の与える容赦のない山のような雑用は、俺の悩みを忙しさで吹き飛ばした。
「悩む隙があるなら、少しでも多くの仕事をこなし、そして学びなさい」
そう言ってくれた時の冥の顔には、厳しさの中にも優しさがあった。
「う…くっ…」
我慢していたのに、次から次へと涙が溢れてくる。

おちこぼれだった俺を、検事として、熱心に師事してくれた彼女に対して
俺は…

俺は、それ以上考える事を止めた。
俺の事を、検事として独り立ちできる実力があると認めてくれた彼女に対して
離れたくないなんて言えるわけがなかった。

もう俺は、3年前のように、何も知らない子どもじゃない。
何も分からない子どもじゃない。
自分がどんな意味で冥の事を好きなのかを知っているし
自分の想いを冥に告げる事で、大切なものが壊れてしまうかもしれない事を分かっている。

だから、全部、自分の胸にしまい込んで、笑顔で、冥の元から独り立ちしよう。
何度も何度も、そうやって、自分に言い聞かせているのに
涙は全然止まらなかった。
“一人前”の検事になろうって、そう決めたのに、
俺はまだ、自分の気持ちひとつコントロールできない半人前だったのだ。

眠れないまま泣き続けた翌朝、俺は冥に何も告げずに、予定より“一週間”も早く帰国してしまった。

空港近くの適当なホテルをチェックインした俺は、すぐさまベッドに横になった。

久し振りの日本。

まさか、こんな気分で日本に帰国することになるとは思っていなかった。
3年間お世話になった人に対して、挨拶もせずに俺は帰国した。
仮に冥に自分の想いを告げた時より、はるかに多くの物を失ってしまった気がした。

携帯には、たくさんの着信。
全部、冥からだ。
俺は携帯を枕の下に置いて、布団を被った。
しばらく“1人”になりたかった。
これから自分がどうするべきかを考えたくなかった。


***
俺はホテルで朝を迎えた。
朝食は殆ど喉を通らなかった。
カーテンを開けて窓の外を見ながら、俺はボーっとしていた。
電源を切っていた携帯を開いて、再び電源を入れると
冥からの着信が昨日より増えていた。
罪悪感を感じながらも、再び電源を切ろうとしていたら、
急に冥からの着信が入った。

何度も鳴るコール音。
俺は電話に出なかった。
また放置しようと思った。
このまましばらく逃げ続けるつもりだったのに、気づいたら、俺は電話に出ていた。

「…はい、一柳です」
《……、…私よ》
冥の口調は厳しかった。
「本当に…すみませんでした…狩魔検事」
俺はそれ以外何も言えなかった。

数分間、電話ごしに無言が続くと、冥は言った。
《何も言わずに勝手に帰国して…。どういうことなのか、今日はたっぷり聞かせてもらうわよ…》
冥に電話を切られると、部屋のドアが突然ノックされた。
慌てて部屋のインターホンを取ると、モニターに冥が映っていた。
「か、狩魔検事!?」
「部屋に入れなさい…」
「は…はい」
俺は恐る恐るドアを開けた。


続く
 

最終更新:2020年06月09日 17:33