「やぁ、機付長。お姫様の機嫌はどうだい」 「上々ってとこだな。少なくともお前の腕以外の理由で墜落することはないだろうよ」 「きつい言葉だ。否定できない自分が情けないが」 「なぁに。DAIANはお前を守ってくれるだろうさ。整備で交換した部品は今回はなしだ」 「……だからそれがきついんだが、まぁ良い。乗る。ベルト着けるの手伝ってくれ」 APUのスイッチを入れれば、コクピットに仄か明かりが灯る。 前面のコンソールにDAIANからの一言が走る。 DAIAN:こんにちは、パイロット。 「やぁ、DAIAN」 いつもの一言。 未だに座りなれたとはいえないその場所にベルトで固定されたポレポレは、インターホン越しに整備員に声をかけた。 「なぁ、機付長」 <<インテーク、排気口ともに人なし。エンジン始動させろ……どうした>> 「普段のこいつはどんな感じなんだい」 <<どんな感じ……まぁ、まじめなやつだ>> 「まじめ、か」 まじめなAI。少し残念な気持ちを脇へ追いやれば、手馴れた動きでJFSでエンジンを始動させる。 油圧アキュムレーターが動き出し、圧縮されたガスを開放して油を押し出せば、タービンが回り始めた。 静かだった滑走路に少しずつ音が響き始める。 40%。計器の数値を確認すれば、スロットルレバーはアイドルへ。 予備のエンジンも一つ一つ始動させれば、機体へと命が宿る。 油圧安定。問題はない。動翼はどうか。 「機付長」 <<あぁ、確認してる。スタビレーターよし。ラダーよし。フラップよし。もう一度繰り返し>> 「了解した。……どうだ」 <<よし、OKだ。機体に問題はない。兵装の安全ピンを抜くぞ。今回は模擬弾も積載しているから通常弾薬が少ない。注意しろ>> 「誰が指示を?」 <<DAIANだよ。下ろすか?>> 「……了解した。そのままにしてくれ」 理由を問いかければDAIANはきっと答えてくれるだろうが、問いかけない。 こいつのすることに間違いはないと、ポレポレはそう確信している。 機械を妄信すると死ぬぞ、なんていわれたこともあるが、問題ない。 こいつに殺されるなら本望だ。できるなら、こいつと幸せになりたいものだが。 <<安全ピン抜いた。以降の通信はいつもの通り左方向からのシグナルで確認すること>> 「了解。インターフォンディスコネクト」 <<了解。インターフォンディスコネクトクリア!>> ぶつり、と音がして、通信が途絶えた。聞こえる音は蒼龍号と自分の立てる音だけ。 親指を外側へ向けて、左右へ突き出した。 車輪止めを外せ。その仕草に応じるように、整備員が蒼龍号へ取り付く。 コクピットから腕を垂らして、動き出すその時を待つ間。ふと問いかける。 「DAIAN。今回の作戦に関して、成功率は?」 DAIAN:86% 「14%はどういう状況が見込まれる?」 DAIAN:6%は偵察対象による撃墜 DAIAN:4%は不意のトラブルによる墜落 DAIAN:3%はそもそもこの作戦が失敗を想定して任じられており、情報に偽りのある場合 DAIAN:1%はパイロットの精神に異常を来たした場合 「……最後のは除外して良い」 溜息一つ。情けないパイロットだ。 そうこうしている間に、整備員は機体から離れた。 <<こちら管制塔。現在南南西の風、風力1、天候は快晴14℃。滑走路は3番が空いてる。蒼龍号はタキシングを開始するように>> 「了解。滑走路三番へ移動」 <<管制塔へ。こちら滑走路三番。お姫様が見えた。滑走路上障害なし。猫の一匹もいない>> <<こちら滑走路3番整備員。ラストチャンス終了。安全ピンその他チェック漏れなし>> 「作戦司令部。こちら蒼龍号コクピット。今回の自分の仕事は偵察で宜しいか」 <<こちら作戦司令部。その通りだ。今回の蒼龍号のコードはJuliett1に決定した。今後の通信はこれで行う>> 「アルファからインディアまでの飛行は確認されていないが?」 <<君の愛に敬意を表したと思っていただきたい>> 「臭い台詞だが気に入った。了解した、以降当機はジュリエット1だ」 <<こちら管制塔。ジュリエット1、離陸を許可する>> 「ジュリエット1了解。離陸を開始する」 「DAIAN。任務開始だ」 DAIAN:了解 機体がフラップダウンし、フルブレーキをかけた。 固定されたその身体を震わせる、エンジンのざわめき。 フルスロットル。A/Bは全開で、エンジンの回転数も上昇していく。 機体の震えが最高に達した。何時もこの瞬間は、腹の底に震えが走る。 幼子をあやす柔らかな揺れとは違う。 この揺れは叩き起こすのだ。頭の底に眠る幼い自分を。 手を伸ばせば空を掴めると思っていた、あの頃の感動を。 「フルパワーチェックOK。行こうか、DAIAN」 DAIAN:こちらでも確認、離陸を開始する。 ブレーキを開放。押し留められていた推力が開放される。 滑走路の上を走り出した。次第に周囲の風景の流れるスピードが増していく。 震えるコクピット。それに負けないほどに鼓動を刻む自身の心臓。 スピードに乗るが、まだ足りない。 まだだ。まだ遅い。 もう少し、もう少しだ。 加速する。身体が座席へ押し付けられる。 軋む身体。滑走路の3/4を超えた。計器チェック。問題ない。 速度計を見る。3、2、1。 離陸しない。 「……!? DAIAN!」 DAIAN:テイクオフ 背後に感じていた重力が緩む感覚。それと引き換えに訪れた、直下への圧迫。 人の身体が大地から抜け出すには、まだまだ課題が多そうだと。そう実感する力。 不意に、コクピットの上方を、白の塊が飛行しているのが見えた。 鳥の群れ。あのまま離陸していれば、恐らくはその中にいただろう。 苦笑が浮かんだ。まだまだ精進が必要そうだと、そう思う。 自分はまだまだ何も出来ないパイロットだ。 あの時から成長していない。 でも、こいつは自分を見捨てていない。 だから乗るのだ。この場所に。 機体が機首を上げた。 雲海を突き抜ける。 青に染まる視界。 対流圏を突破し、成層圏へ入った。 空の色が変わる。深い青。 蒼穹へ駆ける。 愛機の中、不意に涙を流した。 空の上にいる。