新ジャンル「未来人で宇宙人で超能力者で幽霊」 http://wwwww.2ch.net/test/read.cgi/news4vip/1181456775/ ID:VOwdTW8V0 = ID:gAnzN9nf0 = ID:CJeQ+wia0 足すとより良くなるものがある。 納豆に醤油を加えるとおいしいし、黒ボールペンに赤青も付いていると便利だ。グライダーに発動機を取り付けて連続飛行を可能にしたり、数学に生物を足し合わせて遺伝学を作り上げたり。 創意工夫は人類の発展の礎としていろんなことをなしてきた。 ……ただまあ、納豆に醤油と砂糖とみりんとノリとごま油と生卵を加えてしまうひともいる。ひとつひとつの良さとは別次元の何かをこの世に生み出してしまうそれは、ある種の才能とさえいえるだろう。好意的に捉えれば。 未来人。 悠久のかなたからやってきた未知の技術の集大成。 既に通った道に舞い戻るという、現代の無理をやってのける素晴らしき。 なぞの光線銃を片手に辺りを吹き飛ばし、なぞの巨大生物の戦闘能力をゴーグルひとつで看破する。 使命を帯びてやってきた彼女はこの世界をどのように変えようというのか。これを妄想するだけでも一週間は食べられる。 宇宙人。 遠雷の向こうからやってきた奇妙と不思議の集合体。 まだ見ぬ姿にまだ見ぬ技術、知らぬ生態分からぬ感情。 なぞの飛行物体に乗って現れ、なぞの能力で惑わせる超越者。 友好かはたまた侵略か、任務かあるいは偶然か、彼女はこの世界にどのように関ろうというのか。これを妄想するだけでも一週間はお米が要らない。 超能力者。 DNAと脳髄の隙間からやってきた物理と生物の特異点。 気付かぬだけか、もしくは人類の異端か人類科学をあざ笑う恐ろしさ。 なぞの知覚で妄想さえも察知して、なぞの力で激しいツッコみを入れる超越者。 思うは人類への憂慮であるか、地震への憂鬱であるか、彼女はこの世界でどのようなことをなしえるのか。これを妄想するだけでも一週間は水が要らない。 幽霊。 精神と肉体の別離からやってきた科学と哲学の相違点。 否定がいくらあろうとも次から次へと出現するその存在の珍奇たるか。 なぞの原理で目に映り、なぞの動きで空間を跳躍する思念抽出の完全体。 この世への恨みか、来世への不安か、彼女はこの世界にどのような悩みを持つのだろうか。これをもうそうするだけでも一週間は空気が不要。 ああ、現れてくれないだろうか彼女たちが。 そう、僕の目の前に。そして、前略中略の末に睦みあい愛を語らいこの世界の中心になれるような感動物のストーリーが流れないだろうか。 単に未来人や宇宙人や超能力者や幽霊じゃあダメだ、限定すべきは『女の子』。それもかわいいことが最低条件。性格は大事だけれどもそれだけじゃあ世の中渡っていけない。 いやいや、キレイゴトのオブラートは大事だよ。うん。 だから僕は現代一般極普通の人々には多くを求めない。求めるのは『彼女』たちだけであって構わない。 ――と、そんな僕が、幽霊で超能力者で宇宙人で未来人になるとは、夢にも思わなかった。 僕こと、木下優、十六歳三ヶ月は、改造エアガンを持った銀行強盗にあっけなく射殺されて、肉体からサヨナラした。お恨みもうしあげます。 目が覚めたのは、記憶にない感触のクッションの上だった。 ぐにゅ、とか。あるいはむにゅ、と軟らかく包み込むそれに顔をうずめた状態。 ああ、気持ちがいい。 何とはなしに僕はそこに頬を擦り付けた。 すりすりっと。 「あ、あの……クローさん?」 なにやらクッションはしゃべった。 正確にはその真上。 声質はソプラノ。 つまりは―― 急速に覚醒し、同時に頭が真っ白になるほど冷える。 「え、あ……っ!?」 クッションから顔を離すと、そこはふたつの山であり、上には女性の顔があった。 「ぎゃあああああああああああああああ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 大慌てで身体を引き剥がし、温泉を掘り出さんばかりの勢いで頭を地面にごすごす叩きつける。 これはまずいこれはまずいこれはまずい。 よく分からないけれども僕は意識を失っていた。そこに女性。介抱。寝ぼけて抱きつき。胸強襲。 失礼とか失礼じゃないとかいう問題じゃあない。全力でひっぱたかれても訴えられても文句が言えないような大失態。 わざとでないことを主張してもそこにある純潔はいかんともしがたいものであるからにして女性が納得行かなければやっぱり慰謝料が求められて裁判沙汰になってる人間は職につきにくいだろうから 要するに、お先真っ暗。 「ど、どうしたんですか、クローさん!?」 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 こうなっては一縷の望みはごめんなさい製造機になって許しを乞うことのみ。なにとぞなにとぞ平に平に。 ぐい、と顔を上げさせられた。 さあ、糾弾が始まる。ここから始まるべき物語はなく、もちろんのことながらラブストーリーなど皆無で、つまるところ即死するのが妥当とさえ思えるような人生を 「大丈夫ですか?」 美人だった。 すらりとした手足に細い身体、髪は長くて金色に輝きさらさらと伝う清流のよう、鼻筋はとおり、碧眼は明るく、眉に口元輪郭も整い、つむがれる声は小鳥が歌うよう。 ありがちによるありがちのためのありがちのための外見。一言でならばそうまとまる美人。 心配そうに見つめる彼女を落ち着かせてあげなくては。 「は、はひ、大丈夫れす!」 ……ろれつが回ってない。 「クローさんは身体が弱いんですから、無理はなさらないでくださいね……?」 「は、はいっ!」 『くろーさん』が何かは分からないけれども、とにかく僕を心配してくれていることは分かったので答えた。 「気持ちはありがたいですけれど、今日のお手伝いはここまでで十分です。ありがとうございました」 ぺこっと両手をそろえてお辞儀をする彼女。 ああ……可愛い……。 手伝いなんてした覚えもないけれども癒される……。 清涼な風、高い空に響く笛の音、回る水車に跳ねる水、ほのかに土の香りがする土地を背景に、彼女は美しくそこに微笑んでい―― 「ここ何処だぁあああああああああああああああああああああああああ」 見知らぬ空気、聞き覚えのない笛の音、存在不明の水車、アスファルトばかりの土地は何処に消えたか!? 「え、え、えっ!? ぎ、銀行は? 足長銀行! お金おろしに来た足長銀行! 道路は? 車は?」 見返す見渡すぐるりと周囲を。道はすべて土。なだらかな平地で遠くに山が見えるだけ。家はある、しかしどう見ても木造建築。ひとはまばらで、東京の雑踏には見えない。 「あ、あの……クローさん?」 耳。 とがってる。 「エルフ耳ィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」 日本人じゃなかったことに気が付かなかった愚鈍を呪うべきか、今ここに至ってようやく彼女の耳が長くとがっていることに気が付いた自分の阿呆さ加減をののしるべきか。 「大丈夫ですか、クローさん? 本当に、もう少し休んだ方が……」 あああああああ、そうだそうだ。休もう休もう休めば回復する。きっとこの妄想めいた幻覚も回復する。夢から覚めるネバーランドなんてないさお化けなんて嘘さ。「女の子なんですから、身体を大事にしてください」 は? 「……女の子?」 自分を指差しながら訪ねる。 「はい。クローさんだって、可愛らしい女の子なんですから無理をしちゃいけません」 視線を下ろす。 胸が隆起している。 触る。 むにゅむにゅ。 彼女には劣るな。 そこまで考えて、 「クローさん? クローさんっ!?」 僕は意識を手放した。 木下優はたぶんあっさりと死んだ。 東京の片田舎、通学路の途中にある足長銀行を僕はしばしば利用していた。 といってもしょせんは学生。祖父母からお年玉として振り込まれた貯金を少しずつ切り崩すために通帳を作ったようなものだった。 そのときの僕は、学校帰り。 友人と分かれ、街中に入り、買う予定だった漫画のために預金を下ろそうとして銀行に向かった。 行内ATMでドットの粗いアイコンで描かれたお姉さんと挨拶をし、誕生日に三を加えた暗証番号を入力する。 預金額は二万とんで百円。 ここで多めに下ろしておいて後々までもたせるか、それとも手数料は無視してちびちび下ろして使うべきかとしばし考える。 後ろに誰も並ばずに済むだけATMの数は充実していたので、ひとを気にすることなくゆっくりと悩める。 本当は決めておくべきなのだろうが、それでもこれは重要な問題。 やはり友人たちにならってバイトを増やすべきなのだろうか、いやいやわざわざ進学校に受かったのに時間を削るようなまねも バン とそこで、背中から腹に、そして首筋から全身に続く激痛が一瞬走って、ATMの画面にヒビが入って、ドットのお姉さんが血に濡れて泣き笑いのような顔になっているのを見た。 そこで途切れた。 だから、『たぶん』あっさりと死んだ。 『クローさん』な僕が目覚めたのは、そちらの世界で夕日が見えるころだった。 西日。 ここが西に太陽の沈む場所なのかはともかくとして、暮れかかって影が細く伸びる日。時間間隔その他がどうなっているのかさっぱり分からないが、ともかくそんな時間に僕は目を覚ました。 ベッドに仰向けで寝かされていた。 身体を起こす。ふかふかとしたベッドは、素材がいいのか軽く跳ねた。 辺りを見る。壁にも床にも木目の見える部屋は、わずかな装飾やカーペットで覆われるのみ。 自分を見る。細くて色白でいかにも弱々しい手足は、記憶とまったく符合しないのに自分の手足として動く。 頬をつねる。痛い。ぷにぷに。 ベッドから降りる。服はひらひら。薄い布地で、下はスカート……。 姿見はないが、小さな机の上に手鏡があった。 全然見覚えがない。 腰まで伸びた長い髪は銀色。顔立ちは悪くない、むしろ良い方だ。キレイというより可愛いといえるくりくりとした大きな瞳が印象的な少女。快活さと幼さを同居させた雰囲気の小さな体躯。年齢は木下優と同じ十六前後と思えた。 そして、解放してくれた女性と同じ、長くとがった耳。 手をやると耳を触られている感覚がある。 根元から先端まで、それはごく自然に知覚される。 作り物ならばありえないだろう。 いや、僕が知らないだけで世界では既に実用化された技術なのかも知れないけれど――わざわざそんなことをする意味などあるのか? ない。 まったくもってない。 木下優は妄想に浸ることを趣味とした平凡な一学生に過ぎず、物凄い技術の結晶でエルフっぽい女の子のコスプレをさせられる事態なんて起きるはずがない。 そして、銀行強盗に射殺されて、目が覚めたらこんな格好。これすなわち幽霊になってとり付きましたうらめしやっほぅ的展開! ……それはそれで現実味がまったくないな。 「クローさん、目が覚めましたか?」 手鏡に懊悩して百面相をしていると、先ほどの女性がドアを開けて現れた。 「え、あ、う、その……」 「まだ顔色も悪いみたいですし、ベッドに寝ていてくださいな」 女性はベッドの横のイスに腰掛けると、手に持った洗面器から濡らしたタオルを取り出し軽く絞る。 「いやその……」 「ね?」 小首をかしげて、女性は優しげに微笑んだ。 「はい……」 寝ている僕の額に、冷たいタオルが乗せられる。 特に熱があるわけでもないのだがひんやりとしていて気持ちがいい。気候のせいもあるだろうか。そういえばここは湿気の強いそれではないが、比較的温かく感じる。 そよそよと薄い盆で扇がれる。ああ、涼しい……。 「冷た過ぎないですか?」 目の前に女性の顔があった。 「へ、平気です!」 不安で覗き込んできたのだろうけれど、キスされるのかと思い物凄く驚いた。 「……」 「あ、あの?」 と、「平気」と答えたのだから顔を離すかと思ったのだが、女性はそのままじっと僕をじっと眺める。 「クローさん」 「は、はい……?」 バレ……た? まさかもうそんな早いどう対応するかとか身の振り方とか考えてな 「『看病幼馴染』よりも『ナースさん』が『萌え』ですか?」 え? 「わ、私じゃあ至らないかも知れませんが、立派に『ナースさん』になってみせます!」 微妙に日本語がおかしい。 というか、なぜ日本語が通じて『ナース』などと特定職業についての知識があるのかと―― 「よく分かりませんけれど、腕にとがったものを突き刺して、何かの液を入れるのが『ナースさん』なんですよねっ!?」 「ちゃうわぁあああああああああああああああああああああああああ」 死ぬ死ぬ、それは確実に身体の構造とかそういう問題を忘れてもきっと死ぬ! 「ええっ、だってこの『えろえろナースさん大好き全集六月号』には、何かを突き刺して何かの液を入れようとする絵がありますよっ!?」 というか、なんだその雑誌は!? 「エロ本の知識を医学方面で応用するなぁあああああああああああああああああああ」 「大丈夫です、このひとも言ってます「最初は痛いだろうけれども、すぐに慣れていい気持ちになれるさ。へっへっへ……」って!」 「意味が違う意味が違う」 「つまり、『ナースさん』もダメですか……」 しょげて小さくなる。 「いやまあそうですが……」 「それはすなわち『禁断のどじっ娘看病』モードが正解ということですねっ!?」 「なんだそりゃあああああああああああああああ」 「看病の最中に洗面器をひっくり返して病人にかけてみたり、おかゆを作っては塩加減を誤ってひっくり返して病人にかけてみたり、杜松の看病をしようと試みてはひっくり返して病人にかけてみたりする娘のことです!」 胸を張られても困る。 阿呆なやり取りが五分ほど続いた後に、 「私の『うっかりさん』具合についてこれるとは……さては、あなた、クローさんじゃないですねッ!?」 とってもイヤンな理由でバレた。 神様、どーせなら普通の清楚系の美人さんをください。 属性ってたくさんついててもあんまりいいことないです、ハイ。 自称『うっかりさん』の美人は、アルと名乗った。 日本語が通じたり、中途半端に『限定地域の日本文化』を理解していたり、それに関する書籍……うん、ISBNコードも付いてるし一応は書籍だ、を持っていたりするのか。 なぜ僕がこの身体になってしまったのか、またそのことにあまり驚いた様子がなかったけれどもそれはなぜか、クローとは何者か。 たくさん上がった疑問に対して、アルはにっこりと微笑んで、 「説明もかねて、長への報告に参りましょう」 と言った。 付け加えて、悪いようにはしない、とも。  この状況ですべてを信じてよいものかは分からないが、身寄りがないどころじゃあない問題だ。 仮に逃げたとしても、何処にも向かえず、生活する糧も得られず、そう遠くない未来に捕まることは明らかだった。 ならばまだ『従順で協力的』に振る舞った方が生き残れる可能性が大きいというもの。……『木下優の身体』は死んでいるかも知れないが。 ともかく、どのような対処をされるにしても相手には失礼のないよう。そそうのないようにして、少しでもいい心証を 「ふはははは、遅かったな勇者よ!」 「なんで魔王口調なんだぁああああああああああああああああああ」 ごめん無理ツッコんだ。 長は、黒髪をなびかせた長身の女性。妙齢の美人であった。 妙齢といっても年齢はあるわけで、よくよく顔のシワとか肌のつやを見れば年齢が読めてく 「長は、この村の長老でもありまして、御歳三百五十三なんですよ」 「わしは今年で三百五十二歳じゃ!」 分からんかった。 通された長の屋敷は、やはり木造平屋建てだった。 心持ち他の家々よりも大きく見えたが、中に祭壇らしきものがあり、居住のスペースは先ほど僕が寝ていた部屋とさして変わらない狭さである。 その祭壇もいろんな方向性で奇妙なシロモノで、大仏みたいな像と機動戦士っぽいプラモと水兵さんの制服戦士らしきフィギュアが混在していた。 凄くツッコみたい凄くツッコみたいものすっごくツッコみたいでも友好関係とか今後の協力とかそれ以前にこっちは圧倒的に弱者であるからにしてあああああツッコみたいぃいいいい 「……ツッコみはまだかっ!?」 待つなよ。 「……初めまして、木下優です」 「わしはこの村の長、ナシィじゃ」 ひとしきりツッコまれると、長は憑き物が落ちたようにすっきりとした顔になった。 長が自ら湯を沸かし、湯飲みに茶を注ぎ、テーブルに置く。 その動作はよく見慣れたもので、今まで居た『木下優の世界』と同じであった。 「どうぞ」 「ありがとうございます」 横に座ったアルも受け取り、それを口にする。 僕もそれを見て同じように口につけた。 「……緑茶だ」 急須を置いて、長は続ける。 「冗談も混ざっているが、この屋敷には意味があるんじゃよ」 「……というと」 「まず、『落ち着かせる』こと」 やはりか。 「ここはそなたらの世界に程近い。そして、そなたらを迫害するつもりがないということを示しておる」 「ここは……何処なんですか?」 「そなたらの世界に近い――なれども遠い珍妙な場所じゃ」 「それはいったい……?」 「分からぬ」 ずっ、と長が自分の湯飲みに注いだお茶をすする。 「ここはそなたらの世界ほど科学が進んでおらんのじゃ。ゆえに、分からぬ」 茶菓子は、おはぎだった。 あえて日本らしいものに限定する配慮なのか、それとも文化そのものが日本に近いのかは分からない。だが、この『日本くささ』はありがたいものだった。 「そなたに都合の良いことから言おう」 おはぎをひとかじり、 「この世界はそなたらの世界と物理的につながっておる」 「物証は……これ以上に必要かえ?」 本にプラモにフィギュア、すでにたくさん見た。首を横に振り、不要という。 「そなたのような例は今回が初めてではない。……おそらく予測済みじゃろうが」 首肯。縦に振った。 「悪い伝えは、ふたつある」 ひとつ、この現象はわしらには手が付けられない。 ひとつ、精神は身体に影響を受ける。 「おそらく、そなたには今まで以上につらいことになるじゃろうな」 「今まで以上に……?」 どういう意味だ? 「言うよりも感じた方が早いじゃろ。オイ、男衆!」 長が声を上げると、祭壇の裏手が開いた。 「「「ヘイ、長!!!」」」 五人の美男子たちがそこにはいた。 「この娘が、そうなのか」 「へえ、可愛いじゃないか」 「いいねぇいいねぇ、燃えるよ」 「というかむしろ萌えるね、萌え萌えだよ」 「萌えー」 口々に言う美男子。やっぱりエルフ耳。 「これはいったいどういうことで……?」 見ると、長は目を伏せ、横を向くとアルも手で目を隠していた。 「僕たちの」 「見た目に」 「何か」 「熱いものを」 「感じないかい?」 キラーンと無用に歯が輝く。 「いや、何かって言われても……普通に乳首がたって、股間が濡れるくらいだろ?」 ん? んんんんん? いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや、マテ、マテ、まてまてまて、なんかおかしくないか!? 「さあ」 「僕たちに」 「抱かれて」 「みないかい?」 「萌えー」 ぎらりーんと歯が輝きまくる。 「は、はぁ〜い……」 ふらふらと足が動き、吸い寄せられるように 「はい、そこまでですよー」 ぐい、と襟首を引かれ首が絞まる。 「ぐぇ」 「男衆、散!」 「「「は〜い……」」」 ああ、美男子たちが帰っていくぅ……。 ぱたん、とふすまが閉まった――瞬間におぞけが走る。 「なんじゃこりゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 「簡単にいうと、私たちの種族は外見的に異性をひきつける能力が抜きん出ているんです」 「声もしぐさも合わせて、な。わしにも詳しいことは分からんのじゃが、とにかく視界に入れた瞬間に猛烈な発情状態に陥るものと思えばいいじゃろ」 よくないよくないまったくもってよくない。 「今までは『元が女性』ばかりじゃったからあまり問題なかったんじゃが……」 「トリハダがトリハダがトリハダがぁああああああああああああああああああああああ」 「これは大変そうですねぇ」 「うむ」 のんきに話すふたりの横で、僕はごろごろと転がった。 「まあ、女村と男村はこのふすまでしかつながっておらん。街中を歩いても問題はないから落ち着くがいい」 あああああああもう腕がかゆいやら身体が火照ってるやら。歯のきらめいたマッチョにときめいた自分キモチワルイィイイイイイイイイイイイイイ。 「一時間もすれば静まりますから大丈夫ですよ」 アルはにこにこと微笑みながら言った。 火照りが覚めたころから長の屋敷に何人もの女性が集まり始めた。 アルや長、そして自分――つまりクルー――が抜き出て美形なのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。 居並ぶ女性は、誰もが目の保養要因レベルであった。 これも種族そのものがそういう性質なのだろうか。そういえば、人間はその美醜を均一性で判断し、平均値により近いほど美しく認めると聞いたことがある。 種族そのものがあまり差異のない顔つきでまとまったために、キレイと見えるのだろうか。 ……ただ、それらの脳の機能は果たして何処まで『人間』と同じなのか分からない。 カエルの解剖。 やったことはないが、理科の教科書で見たことはある。 電気を流してやると、脳がなくても足の筋肉は動いた。 だが、カエルの思考は『足の筋肉』で行われているわけではない。 あくまでも、最終的な到達点。動作として思考の決定を出力する場所が『筋肉』であって、『筋肉』は思考をしていない。 足を切断しても思考には影響がない。 腕を切断しても思考には影響がない。 内臓を損傷しても思考には影響がない。 唯一、脳だけが思考に影響を与えた。 それはすなわち、科学的に『思考は脳にある』と証明したようなもの。 アルツハイマーや麻薬患者を診れば脳の萎縮と障害を照らし合わせて『各部位での脳の機能』が発見できた。 それらで噛み砕く限りにおいて、『人間』は間違いなく『脳』で思考している。 『脳』がないところには『思考』も存在しない。 だから、僕は『幽霊』の存在を『死んだ人間の思念』とは考えていなかった。あれは『別の生き物』なのだと思っていた。 何か未発見の生き物。 限りなく質量が小さく、可視光に対して透過性が高い。 ある程度高度な知能を有している。 論理のそこかしこに穴があるけれども、僕はこういう形で『死』と『幽霊』を区別していた。 では、疑問が浮かぶ。 『僕』はいったい何処でどうやって思考をしているのだろうか? 「では、紹介する。クルー改めキノシタユウじゃ」 五十人ほどの女性が集まったところで、長は僕を紹介した。 「選別の巫女はその役割を終えた。各々十分に祈りを捧げるようにせよ」 その五十人ほどの中にはアルも居て、他の女性たちと同じように一段下で頭を垂れる姿に何処か違和感を覚えた。 その後、僕が男性であったことやここに来る前にいた時代などを問われ、答えた。 おおむね予定通りに進み、世話役としてアルともうひとり女性が付くことが告げられた。 「初めまして、わたし、ラクっていいます!」 長に呼ばれて現れたのは、中学生くらいに見える女の子だった。 小さな身体をいっぱいに動かしてハキハキとしゃべる明るい印象の娘で、ちょんとたらしたポニーテールが頭の後ろでパタパタと動いていた。 「よろしく、僕は優」 握手した手も随分小さく感じた。 目通りが終わると、長は解散を命じた。 明日の昼にもここを訪ねるように、とだけ僕にいい、自身も奥の部屋へと帰っていった。 「ユウ、早く早くー!」 薄暗くなった道をラクは先に走り、くるりと回って僕のもとに戻る。戻ったかと思えば次の瞬間には少し先の街路樹にぶらりとぶらさがっていたり、こそこそと隠れて僕を脅かそうともした。 僕とアルは、先行しちょこまかと動き回るラクに比べゆっくりと歩いて進んでいた。 まだ慣れない道だが、ちょっとした段差も先回りしてアルが教えてくれたため、つまづくことなく歩けた。 「とうちゃーく!」 寝ていたあの小屋に先回りをして、ラクはロウソクをともしていた。 「お疲れ様、おにーちゃん」 ロウソク。 道のところどころにはタイマツが掲げられていたからそうと思ったが、電灯は普及されていないらしい。 そして、電気の光のない住人らしく 「おやすみなさーい」 「おやすみなさい、ユウさん」 彼女たちの就寝は早かった―― 「ってあの、ここで寝るんですか?」 「「?」」 ふたりして同時に小首をかしげる。うわかわえぇ。 「いやその僕は限りなく男性なわけなんですがその辺をご理解承知でしょうか?」 「もっちろーん」 「はい」 無垢と天然が理解を示してくださいました。 「だーかーらー、ボクオトコ、アナタタチオナノコ、ボクオオカミ、イヤンバカンイヤッホゥですよのことだ!」 「と言われてもー……」 「ですねぇ……」 はた、と思い出す。 「ないもん」 「ないですから」 おっしゃるとおりでした……。 じゃかましいことこの上ない姉が、何の前触れもなくチョップを仕掛けてきた。 本人曰く、理由は「なんとなく」。 何処の愉快犯のコメントかと思った。 言ったら二発目が降ってきた。 愉快犯は、押し込み強盗のわがままさで僕にブラックな炭酸飲料を要求した。 表は雨だというと、秒読みが開始された。 その秒読みが零になるとどうなるんだ、と問うたが答えはなし。ただ、罰のつもりか二十秒ほど短縮されて残りが二百五十七秒になった。 大慌てで帰ると、姉は秒読みを止めて漫画を読んでいた。 走りつかれてへたりこむと、姉は「ん」とだけ言って、左手を突き出してきた。視線はまだ雑誌の中。 「ほらよ!」と力強くお姉さまにお渡ししたら、激昂した。 「痛いじゃない、何すんのよユー坊!」 「せめて買ってきてもらったんならこっち向いてありがとうくらい言えよな!」 「ふん、ありがと」 腹立たしいことこの上ない返事だったが、まあよしとする。 「お金」 「何よ?」 「ジュース代」 「そのぐらいアンタがもちなさいよ、ケチくさい!」 「ケチくさいっていうんなら、お前が払えよ!」 「姉に向かってお前とは何よお前とは! それに、時間切れだから払うお金なんてないわよ!」 「嘘付け、時間見てないだけだろ! さっきが午後三時十六分十五秒、今は午後三時二十分三十秒。時間切れまでまだ二十秒はあったぞ!」 「う、うるさいわね! バッカじゃないの!?」 「バカとは何だよバカ!」 「おかーさん、ユー坊がー」 「な、何言い出すんだよ!?」 姉とはこの世の絶対者である。ろくでもないことに。 『天は人の上に人を作らず。なれども弟の上に姉を作った』 本当に、ろくでもない。 その絶対者のいない朝が来た。 遊び半分のエルボーで起こされることもなければ、面倒半分の凶器攻撃もない。 実に、実に実に実にすがすがしい朝である。 ……股間の怒張がないことを除けば。 すぴょすぴょと寝息を立てる二名を横に、ボクはベッドから起き上がった。 ベッドがクローの使っていた一台しかなかったので、ふたりは下に布団を敷いている。 このまま三人で暮らすことになるならばあるいは増築をした上でベッドや部屋の数を増やす必要も出るかも知れない。 もっとも、ふたりはボクが落ち着くまでの『とりあえず』の案内役だろうから、その心配は小さいものだ。 だが、今後がどうなるかはまだ分からない。 昨日は『ここで生活するためのかろうじてどうにか』という程度の説明で終わってしまった。 日が出てから暮れるまでの生活は、夕日からの時間がとても短い。 だから、質問に答える係としてふたりを案内役に立てた。 『訊きたくなったいつでも訊いていい』と、長はゆっくり考える時間をくれたわけだ。 結局、大したことを訊くこともできずに寝てしまった。あるいはそこまで読みきった上でなのかもだが。 「ん……っ」 軽く伸びて、身体をほぐす。 眠気を追いやって、窓による。 薄暗い中、山の陰から朝日が顔を見せようとしていた。 雲は少なく風はそよぎ川の流れを遠くに聞く。 木々のある土地は気持ちのいい空気に包まれており、胸いっぱいにまで深呼吸をしたくなる。 ああ、ああ、とてもいい朝だ。 うん。 とってもいい朝。 ……とぉってもいい朝。 だから、トイレなんて行かないでもヘイキダヨネ……? はうぅうううううううううううううううう。 ズキューンと、脳内効果音が響く。 これは、 紛れもなく、 トイレ警報の奏で。 『昨日は、トイレ、スルーしてみた。木下容疑者はそのように述べており、動機は恥ずかしかったからだろう、という方向で警視庁は引き続き余罪について――』 脳内アナウンサーが淡々と読み上げる。結構シヴイ声で。 「お、お、お……おといれぇ……」 ぷるぷると、おぼつかない足取りに生まれたての小鹿が脳裏をよぎる。ついでに脳内アナウンサーと決闘を始める。 小屋。 『神殿』と名付けられたそこは、ボクからすれば小屋に過ぎなかった。 仰々しい名前の割りに、と少し不満に思ったが今は感謝でいっぱいです。トイレまでの距離が若干近いですから! 「あ、あと少しぃ……」 よろよろと、完全な内股を形成しつつ歩く姿には思わず世界中から賞賛と拍手とアカデミー賞やらグラミー賞を与えた上でノーベル平和賞をって思えた。 『さあ、第三コーナーを曲がりまして、いよいよ最後の直線! 残り三ハロン、勝負の行方はいかに!?』 アナウンサーが小鹿に乗って爆走していった。そのまま戻ってこないでください。 「ご、ごぉる……」 ああ、なしえたのだ。 ボクはついにトイレに間に合うという偉業を達成したのだ。 脳内オーケストラはTVで百キロ級の距離を走らせるときに流れる定番曲が順繰り演奏され、ゴールテープには知人友人がたくさんたくさんたくさ ガチャガチャ 「入ってます」 開かない扉、中からの声―― 延長戦に突入した。 泥土の深みに足を取られ、泳ぐことを忘れたカエルのように無様。 羽に傷をつけられた鳥は飛べない。もがいてもがいて滑空するのがせいぜい。 上昇気流などありえない蹴落とし蹴落とされるだけの生存競争に、滑空は時間稼ぎにしかならない。 かつて大空から翼人さえ見下ろしていた我らは、今やくすぶり燃え尽きるのを待つ先のないロウソクのよう。 奴らは火を消しにかかる。ロウが融けてなくなる間すらも許せない。蹴りつけ踏みにじり足裏でぐりぐりとぐりぐりとぐりぐりとぐりぐりとえぐるえぐるえぐるえぐる。 だが、火種は尽きない。 蹴散らされたロウは、わずかな火とともに目を逃れた。 ちろちろと細く細く揺らめくだけならばこのまま平穏を得ることができるだろう。 平穏はすばらしい。 争いなく戦いなく殺されることなく暮らせる。 平穏はすばらしい。 不要ないさかいの存在しない理想としての状態。 平穏はすばらしい。 すばらしい。すばらしい。すばらしい。 ――しかし、 それは風前の灯ではならない。 あの翼人どもを焼き燃やし滅する業火でなくてはならない。 憎い。 憎い憎い憎い。 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い 優々と笑っているがいい。 我らを狩り立てるがいい。 奴隷にも愛玩にも家畜にも動物にもいずれと呼ばれていようと構わん。扱われていようと構わん。 いずれ力は整う。 力で屈服させようという奴らを奴隷に愛玩に家畜に動物に呼んでやろう。扱ってやろう。 我らが得る力は間違いなく奴らを呑み込む。 切り裂き噛み割りごりごりと歯ですり潰し唾液にまみれさせて嚥下してやろう。 可能な限り知る限り思いつく限りの残酷さ残忍さ残虐さで細切れの細切れの細切れに砕いてやろう。 それが慈悲であり優越であり懸念であり――悦楽である。 わしはその瞬間のために、その瞬間の創造のために、その瞬間の妄想のために、幾度となく気をやり果てる。 しとどに濡れそぼった秘所から指を引き抜き、滴る汁が奴らの血の紅に変わることを夢想した。 わあわあと泣き叫ぶ子らが嫌いだ。 鬱々と篭り復讐さえ思いつかない子らが嫌いだ。 仇と見るや理性を消し飛ばし掴み掛かる子らが嫌いだ。 安穏と生きて満足に浸りなかったことにしてしまう子らが嫌いだ。 平静に理知をめぐらせ勘案に力注ぎ冷酷に怨嗟を紡ぎ泥すすり石を食んで土を吸う子らが好きだ。 ――有無の右。 水が十分にある土地ならではと思った。 トイレは、川の支流を引いたのか水の流れに用を足せるよう作られていた。 歴史の資料集に似たような構造の水洗トイレの原型を見たことがある。 ただまあ製紙技術、とりわけそれを薄く加工してロールとして完成させる技術は未完成で――要するにトイレットペーパーと呼ばれる文明の利器はなかったわけで。 「うぅ……顔から火が出るぅ……」 水でぱしゃぱしゃと股間を洗い、タオルで拭いて下着を上げる。 第一印象としては『あるべきものがなくなった!』だった。 だが、こうして――必要からやむを得ずとはいえ――触ってみると、『違うものが取り付けられた!』という感想がある。 体内から放出する感覚は以前と同じ。ただし『経路』がずいぶんと短くなったように思えた。 『経路』が短くなって指向性を得にくくなったのか、若干狙いが難しい。 ど真ん中めがけて発射したつもりでもブレがあり、なかなか定まらない。 ひどく汚すような不出来にはならなかったが、不満の残る結果となった。 「次こそお前の最後だ、ふっふっふ……」 冗談めかしてトイレに告げた。 「……何を言っておるんじゃ?」 先にトイレを出ていた長がまだそこにいた。 本当に、顔から火が出るかと思った。 「長さん、改めましておはようございます。すぐにお構いできず申し訳ありませんでした」 ひとまず失態は記憶の底に封印するとした。 「ああよいよい。ここはお主の神殿ぞ。礼節を欠いたのはこちらが先じゃ」 手をはたはたと振り、長は苦笑いをする。 「何か御用でしょうか?」 「いや……大した用ではない。少し思い出したことがあってな、アルと話ができればと来たのじゃが寝ておるようなのでな」 くっくっと口元を緩ませて笑い、 「にしても、あの寝相はないのぉ」 「とっても激しく同感です!」 卍固めに三回転半ひねりを加えたような格好でアルは寝ていた。 「すかー……」 「まあ、わしは帰るよ。そなたは、沐浴をして服を替え、朝食を口にして落ち着いたらゆっくりと訪ねてくるがいいさ」 「はあ……」 『もくよく』ってなんだろう? 気にはなったが、長はすぐに玄関を出てしまっていた。 「長さん、ちょっと待ってくださいっ!」 あわててサンダルのようなクツを履き、転がるように表に出た。 短い間にかなり離れていた長は左肩から覗き込む形で振り返り、目をぱちくりとさせてボクを見る。 「何か……問題でも起きたのかえ?」 「えーと……その、まあ、問題といえば問題ですけれど……」 よもや国語力が足りないので言葉を――日本語なのに――理解できませんでした、とは生粋の日本人として言いにくい。 ややあって長は不思議そうに見開いていた碧眼を細め、辺りを見回してからボクの耳にささやくように―― 「もしかして……また、トイレ関連かの?」 「ちっ、ちがっ、ちがちが違いますよっ!」 恥ずかしいったらありゃしない。 「あはは、なるほどぉ。『沐浴』の意味ですかぁ」 「笑い事じゃあないですよぉ……」 ドタバタのせいか、長から『沐浴とは入浴のこと』と聞いて戻ったときにはアルはもう起きていた。 ひとしきり笑うと、 「すぐ朝食のご用意をしますから、待っていてくださいね」 アルは厨房へと入って行った。 三分もしないうちに、じゅーっとフライパンで炒め物をしているような音が聞こえ始めた。 ふわっといいにおいが漂ってきて、 「ふに……おはよ、おにーちゃん……」 それにつられたのか、ラクもまなじりをこすりながらのそのそと起床してきた。 「あーあー、髪ぐっちゃぐちゃだよ、ラク」 「うん……ねむいの……」 「クシとか髪をとかすものは持ってないの?」 「うん……おなかすいたの……」 会話が成立していない。 「クシはベッドの脇のボードの中にありますよー」 厨房からの声で遠回りをして成立。 髪質もあるのだろう、あれだけ自由気ままに飛び回っていたラクの頭部はあっという間にまとまった。 ひとクシごとに面白いように髪が流れを取り戻し、濁流か滝ツボのごとくだったそれは、ものの数十秒で穏やかな源流の顔を見せた。 「できましたよー」 と、ポニーテールを結わえようとヒモと格闘しているところに野菜炒めが姿を現した。 温かく、塩コショウの利いたおいしい食事には、とても満足であった。 ――が、疑問もある。 台所にはコンロなどという便利なシロモノはないのだ。 また、周囲には火をともせるようなものもない。 見落としだろうか、あるいは何か思いもよらない方法を使ったのだろうか。 夕食のときにも不思議であったのだが、はて……なぞであ 「ユウさん、お風呂に入りましょうか?」 「おにーちゃんも入ろー!」 人生の春と盆と正月と夏休みが同時に来た。 木下優。十六歳、男子。 ルックスはまあまあ、運動神経はそこそこ、勉強はちょこっとくらい。彼女いない暦イコール人生の歩み。中学三年間のチョコ獲得数ゼロは伊達ではない。 余すところなく女っ気を感じない、『男性』としていっそ無能のレッテルを貼られているかとすら思い悩む青春よさようなら。 ボクは飛び立ちます! 女の子ふたりのいるエルドラドへと―― まあ、寝るときと同じで『男性』として一切見られていないという意味なんだろうけれども……。 だがしかしっ! 駄菓子も菓子も関係ない! モモもスモモもモモのうちっ! モモとスモモは実は漢字が違うなんてそんなことも関係ないっ! この際必要なのは過程ではない、結果なのだ! 高純度女の子比率のお湯に浸かることで、身体能力・モチベーション・男冥利など様々なステータスがぐいぐい上がりっぱなし! やましい心などかけらもなく、知的好奇心の充足と過剰になる予定のあるスキンシップのために、いざ! いざ、いざ往かん、聖地へと―― 「熱くないですか?」 「あ……はい……大丈夫です……」 ざばー 背中の泡が流される。 「おにーちゃん、右手出してー?」 「あーい……」 ごっしごっしごっし…… 隣に座るラクがボクの右腕をスポンジで洗う。 うん……。いや、確かに三人でお風呂だなぁ。 ふたりに背中に腕に頭に髪にと洗われている。うん……間違っちゃあいないな。 でも、 「私たちは濡れてもいい服なので、気になさらないでくださいね?」 「だよー!」 反則だと思う。 とはいえ、ひとりではどう処理していいか分からなかった部分も多い。 たとえばこの長髪。 洗うにも流すにも一苦労。湯船に浸けないためにどうやってまとめるかも思いつかなかっただろう。 たとえばこの柔肌。 スポンジでゆるゆるとなでるくらいが心地よく、それ以上だと痛んできそうな敏感さ。少し強くこすっただけでも痛い目にあったことだろう。 そして―― 「ひゃうっ!?」 胸に回った手にびっくりして声を上げる。 「あら、ごめんなさい。痛かったですか?」 「いっ、いえ……」 ……少し気持ちよかっただなんて口がびろんびろんに裂けても言えない。 「そうですか。お胸が敏感みたいですね」 にっこりと微笑むアル。 ああっ、その穢れなき天然視線はやめてー! 「ふっふっふー、おにーちゃん、覚悟はいいですか〜?」 わにわにわにわにと、泡だらけにした両手の指を激しく動かして、ラクが言う。 「え、えーと……なんだかとっても限りなく人類というかオトコとしての沽券に関るような嫌な予感がひしひしと感じるのは気のせいかな……?」 「逃げない逃げない〜、優し〜く、してあげるから、おにーちゃん安心してね〜」 目がギンギラギンに輝いている。 「『痛いのは最初のうちだけ』ですよ!」 「ちょ、言葉の使用方法正しくなったけれどなんか違――」 アッー! ……なんかいろいろとたいせつなものをうしなったきがする。 羞恥心のありかについて。 機能的な動作を行うのは脳である、という現代科学に大否定をぶつけるような自分自身だが。 とにもかくにも思考も記憶もほぼ以前のまま。 ただし、所作はところどころ変容が見られる。当たり前といえば当たり前かも知れない。 そもそも身体が違うのだから、重心だって合わない。手足の長さも神経系だって違う。それ以前に、『ホモ・サピエンス』とこの身体は遺伝学上の別種の生物だろう。 だのに、ブレがない。 思考はそのままに。なれども動きに影響はない。 これは実に不思議なことだ。 つまるところ、『思考』をつかさどる部位はほぼそのままに、出力に向けて運動機能をつかさどる部分を制圧している形だろうか。 だとしてもありえない。 脳移植が仮に行えたとしても、それらの差異はどうしようもなく響いてくる。 『何の違和感もなく行動ができる』それこそが最も大きな違和感として捉えられるべきなのだ。 その前提において、だ。 『思考』が以前のままであるということは、すなわち『男性』である木下優がボクの本体であって、好悪の感情も以前のそれに左右される。 要するに、 「女装はイヤぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 「巫女さんのはかまだよー、きっとおにーちゃん似合うよー!」 「そんな『おにーちゃん』はもっとイヤぁあああああああああああああああああああああああああああああ」 「大丈夫です、『火照った身体には、そろそろコイツがほしいだろ……?』って――」 「説得の方向性からしてわかんないィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」 脱ぐのは、いい。 この世界で目を覚ましたときに、スカートだった。それは仕方がない。 そして、そこには『女装をする』という動作がない。 『女装をし続ける』というのは判断であって、明確な意思を出力したとは取りにくい。 たとえば、こうも言い訳ができる「着替える暇がなかった」と。 ところが、着るとなるとそうは行かない。 そこに介在するのは明確な女性装への行動。意思。そして、それを許容する嗜好。 ――噛み砕いていうならば、 『女装をしていた』のは「しかたなかった」で許される。 『女装をする』のは「変態以外何者でもありませんすみませんすみませんすみません」と、この世にお別れを告げなくてはならない。 ボクは必死にそれらを伝え、自らの許容しうる外面と内面の行動のギャップではないと―― 「剥いちゃえー」 「ですねー」 バスタオル防御は二秒で崩壊した。 「もう、お嫁にいけなひ……しくしく」 巫女装束の着方が分からない。 というか、男性ものだとしてもほとんどの和服の着方を知らない。 唯一分かるのは浴衣くらいだろうか。 そのことを致し方なしに伝えると――また、ふたりの目が怪しく輝いた。 等身大着せ替え人形は人形であるからに、人権は存在しない。 ゆえに、ツインテールに始まり、ラクと同じポニーテール、みつあみなどを経由し、ところによりオールバックや縦ロールに進行して、最終的にストレートに戻すという環状線の外回りと内回りを間違えて隣の駅に行くようなまねをすることとなった。 そして、それらが終盤に差し掛かるころには抵抗する体力も気力も失せて、ボクはぐったりとしたまま蝶ネクタイにねじりハチマキ、おまけに弩でかいリボンという正体不明の装備さえ経験させられた。 「はぅ〜……」 ぐったり。 朝食をとり、身を清め、巫女の正装を着込んだ。 そこでの他愛もない紆余曲折に男性としての尊厳までかけたわけだが、それらはやはり些事。 考えてみれば昨日の面会が異例だったのだ。 恐れ多くも村の長。 単なる公務員などではなく、実力と信頼で皆を束ねる本物の頂点。 面会するにふさわしい装いというものを思えば、こうなったことはむしろ良かったのかも知れない。 「うむ、巫女さんは可愛いのぉ!」 あぐらのひざを自分でぱしーんと叩く。 ……アンタはオヤジか、長。 長の屋敷は、昨日の装いとあまり変わりがなかった。 『変わりがない』とは、とどのつまりなぞの祭壇が鎮座ましましているままであったということで。 『あまり』とは、大仏が二次元特有の妙な発育のよさを見せる魔法無効化少女の等身大抱き枕であったり、 機動戦士が頭の上のちょんまげらしき物体で攻撃をする超男の兄弟人形になっていたり、 水兵制服戦士が未来からやってきた青だぬきっぽい文鎮になっていたということである。 「……」 祭壇に向ける視線に気がついたのか、長がわずかに身を乗り出す。ついでに、お星様キラキラーっと期待いっぱいの目で見つめてくる。 「……ツッコみませんからね?」 「えー」 子供かアンタは。 「なるほどぉ、巫女さんによる『放置プレイ』ですね?」 「それも違う!」 マイペースな美人は可愛らしく小首をかしげた。 面子は、ボクとアルとラク、そして長の四人。 「なんぞ訊きたいことを訊くがいい」 余裕と共に威厳の感じられる自然体だった……。 「以前来た人たちとは、会えないのでしょうか?」 「……それは無理じゃなぁ」 「理由をうかがってもよろしいですか?」 「何、難しい話ではない。……死別じゃ。『巫女』は数十年に一度くらいしか現れぬ。確率からいえば不自然ではないんじゃ……」 ずっ、と長は茶をすすった。 「長さんはごーじゃすな彼氏持ちでいらっしゃいますかッ!?」 「おらん」 「やっぱり、あんな男性ばかりでは恋愛も何もあったものじゃあないですか……」 「いや、そういうわけでもないんじゃ」 「……というと?」 「んー……まあ、明日にでも説明はまとめさせておくれ」 「はあ」 「そういえば、ここの一般的な服装は洋服なんですか?」 「なんのかんので動きやすいしのぉ」 「縫製も見事だし……ボクがいた世界の工場生産品と変わらないレベルですよ」 「そうかのぉ? わしは針と糸は苦手じゃからよく分からんのじゃ……」 「得手不得手はしかたな――」 「あと少しで完全立体抱き枕が作れるんじゃが……」 ツッコまない。 「男村との交流はどのように行っているんですか?」 「基本は封鎖じゃ。目が合えば即死――まるで神話のヘビパーマ女のごとく凍りつくとなっては、生産活動もへったくれもないじゃろ」 「ですね」 「ただ、回避する方法もあってじゃな……まあ、長くなる。先も言ったが明日じゃ。明日まとめて教えよう」 「はあ」 西欧神話も伝わってるのかー。 「この身体の……『クロー』というひとは、どういうひとだったんですか?」 ぴく、と長の身体がぶれた。 「巫女じゃ」 「……はあ」 「そなたらのようなものを迎えるためのものでな……『選別の巫女』というんじゃ」 「……それで、どういった人物だったんですか? それと、ひとつ気になっていたんですけれど――『クロー』さんのご家族や縁者の方はいらっしゃらないんですか?」 「うむ……一言で説明するならば、ある種の『困り者』じゃ」 困り者……? 「そして、家族はおらん。遠縁はおるかも知れんが、皆亡くなっておる」 「そうでしたか……」 何か、変な感じ。 「英語って分かりますか?」 「あまり分からんのぉ。わしは日本語くらいしかまともにとは言えんわい」 「私はレディウムの公用語をふたつくらいなら……」 「レディウム?」 「翼人の大国、レディウム教国のことじゃよ。アルは時々遠出をすることがあるからのぉ」 「ええ、そのときに自然と覚えていったんです」 「アイ アム ア ペーン!」 アルすげぇ。 「アキハバラ、であいうえお作文をお願いできますか?」 「あるひ、きんじょで、はらを、ばりばりに、らくしてた……?」 「あのまちは、きれいすぎて、はるのおとずれに、ばきゃくを、らんらんらん?」 「あめだま、きっすで、はりけーん、ばりあー、らっきー!」 「……」 全滅。 ブルーグレーブラウンテストレッドグリーンブラックLive2ch-Default風Live2ch-IE風AA用ブルー(画像用)レッド(画像用)Small & Colorfulランダム427 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。 New! 投稿日:2007/06/12(火) 00:00:33.08 ID:CJeQ+wia0 >>422 「寿命はどのくらいなんですか?」 「そうさのぉ……個人差はあるが、五百まで生きることも多々あるそうな」 「……失礼ですけれど、長さんが最年長なんですよね?」 「そうじゃが……あんまり歳は言いたくないのぉ」 「あ、すみません」 「まあ、『魔力』の多い種族ならめずらしくはない長さじゃよ」 『魔力』……? 「ハーフのひとは嫌われるんでしょうか……?」 「ハーフ?」 「えーと、人間との混血で――」 「ああいや、言葉の意味は分かる。ただ、なんでわしらと人間に混血が生まれるんじゃ……?」 「え?」 「神話や伝説、噂では確かに異種人族との混血が生まれたという話もある。じゃが、嘘じゃろうな」 「はあ……」 混血がそもそも生まれない。 「『レディウム教国』とは、どういう国なんですか?」 「それは、アルの方が詳しいじゃろ、答えてやってくれ」 「では、僭越ながら……。簡単に申しますと、翼人による世界で一番大きな『勢力』です。ただ、ここでいう『勢力』の意味はもう少し複雑でして」 「ふむ」 「『レディウム教』を信奉する、もしくは信奉する国の下位に位置する属国、あるいは植民地を総じて『レディウム教国』と呼んでいます」 「ふむふむ」 「言語形態の異なりも原因なのですが、あまり原点に位置する『レディウム教国』と『レディウム教に属する国の集合体』には区別がないんです」 「なるほど……」 「『世界一強大。だけれども一枚岩ではない』それがレディウム教国です」 「長さん、真剣な質問です」 「な、なんじゃ?」 「お っ ぱ い サ イ ズ を 教 え て く だ さ い !」 D。 「しかし、翼人ですか……」 「うむ、そういう奴らもいるんじゃよ」 「ちなみに、長さんたちの種族は何という名前なんですか?」 「『エルフ』」 「……トテモ分カリヤスイ答エヲアリガトウゴザイマスデス、ハイ」 「いや冗談ではなくてだな……なんというか、そなたらの世界の『エルフ』という種族に非常に良く似ておったんじゃよ、わしらが。だから、それなら『エルフ』でいいや、と」 「なんていうか……凄く適当ですね……」 「日本語じゃからなしかたないじゃろ」 「『エルフ』の好物はなんなんですか?」 「そなたらとさして変わらんよ。……というか、最近はもっぱら日本食ブームでな」 「にほんしょくえるふ……ソウデスカソウデスカ、ヨクワカリマシタ」 「にまにま笑うでない……くそぅ……」 してやったり。 「『エルフ』は何味なんですか?」 「……は?」 「ときめく恋の味ですよー」 「ずばり言うと醤油ッ!」 「うそぉ!?」 「うん」 長からラクにハリセンが飛んだ。 「ちなみに、子孫の残し方は……?」 「そりゃ男性と女性がおるんじゃ。そなたらと大して変わらん」 「ですよねぇ」 「うむ、弓手にネギ、馬手にほうれん草を持って、雄々しくがけっぷちから三回転半で飛び込みつつ愛の告白を七万文字以上十六万文字以内ですると、三分後に子供が生まれるんじゃ」 「うそぉ!?」 「……本気で驚かれるとかえって傷つくんじゃが」 「……今が何年か分かりますか? 西暦で」 「分からん」 「は?」 「いや、というのもな、物理的にそなたらの世界と接触があると言ったと思うが」 「はい」 「それがなんらかの理屈で若干の誤差をつけるんじゃ」 「誤差……?」 「細かい話は追々するが――おそらく、そなたの体感からすれば年単位のズレがあるじゃろうな」 ※相対論云々かかってくるんだけれども、その辺までは理解されていない。 「長さんは普段何をなさってるんですか?」 「んー……取り仕切りじゃの」 「取り仕切り?」 「うむ、方針をまとめ、行政立法司法について決定権を持つものじゃ」 「三権分立無視ですか……」 「なぁに、数年で知らぬ人間にコロコロ変わる制度より、信頼の厚いものを、じゃ。まあ、カエサルの考えとはその点で異なるがの……」 「?」 なんかいろいろやってるらしい。 「それにしても……なんなんですか、この祭壇?」 「ネタ」 言い切られた。 「いえその、こういうものってどうやって手に入れてるんですか? アルもISBNコードの付いた本を持っていたし……」 「物理的な接触でな、ほんの短い時間だけそなたらの世界から引き抜くことができるんじゃよ」 「引き抜く……?」 「逆もできるが、わずかな質量のものに限定されるなど制約も多いがの」 「わずかな質量のもの……」 確か大仏がいたような……? ☆大仏はハリボテだった。 「『エルフ』にも離婚や犯罪はたくさんありますか?」 「……なくはないな」 「なるほ――」 「その質問が、他意のないものであるとして答える限りでは、『なくはない』じゃ」 「……?」 「仮に、その質問が「ホモ・サピエンスにはあまり不誠実なことなどないが、お前たちエルフは不誠実だろう?」という意味合いを持つならば――」 「ないですないですまったくこれっぽちもないです!」 「……そうか」 「……」 「……」 「この世界には、ゲームはありますか?」 「あるとも。あまり複雑な機械式のゲームはないが、それでも将棋やチェスのボードゲーム、サッカーや野球などのスポーツもある」 「機械式……ということは、PCみたいなものでネットワークを用いた広範囲大規模掲示板は……?」 「ないのぉ」 「さいですか」 「さて、質問はこんなところかの?」 長は、湯飲みを置いた。 「ですね……。今思いつくのは」 居住まいを直して、お辞儀をする。 「まあ、故郷が恋しくなることもあるじゃろうが……」 「私たちはユウさんを見捨てません。ですから、ユウさんも……できれば、私たちを慕ってください」 「ここをずーっとずーっと楽しいところにして、新しい故郷にしてっ! わたしもがんばるから、ねっ?」 「……はい。ありがとうございます」 思うことがないわけではない。 理不尽で意味も分からずつれてこられた異世界に、覚えのない身体に、見えない未来。 元の世界がばら色の人生だったとも思わないし、自分の身体はあの瞬間に死んでいるかも知れない。 それでも――あたり構わずわめき散らし、殴りかかって泣きつきたいような喪失感は、ある。 彼女らは悪くない。 悪くないはず。 たぶん、悪くない。 悪いのは自分の運で、行動で、偶然のサイコロを振った女神のはずだ。 ――だが、もし。 もしも、ボクを呼び寄せるためだけに、このように仕組んだのであれば―― 座例の体制のまま、顔をなかなか上げられなかったのは、うれしかったからだけではなかった……。 しめっぽい夜だった。 その日、木下優はしばらく袖を通していなかった学生服に身を包んだ。 ねずみ色のブレザーは地元ではよく見かける中学校の制服だった。 姉はこの一年でようやくなじんだ紺色スーツを着て、父と母は黒を纏っていた。 いとこは父方も母方も女の子ばかりで、特に父方の叔父は三人姉妹を娘に持っていた。 一番上は僕よりもふたつ年上で、残りのふたりは逆に僕よりもふたつ年下の双子だった。 叔父は北海道、札幌に住んでおり三人の従姉妹もそこで暮らしていた。 家は父方の先祖代々で、叔父夫婦、従姉妹たち、祖母、そして――祖父が『暮らしていた』。 享年は八十七。深夜、自宅での呼吸困難による窒息。大往生であった。 ざあざあと強くではなく、さらさらと。 ぱらぱらと弱くではなく、さらさらと。 春休みの中ごろに顔を見せた訃報は、滴る涙のように雨を零した。 漠然とした寂しさと、そんな感情しか抱けなかった自分へのかすかないらだち。 厳格な父がひつぎにすがって声を上げて泣く様に、かつてなく大きな溝を感じた。 普通に。ごく普通に。大きなケンカもなく、仲良く過ごし、たくさんのことを知っていると思った父。 その父から垣間見えた『まったく知らない一面』は、むしろ奇異に映った。 そう、まるで『父が別の何かにとって替わってしまったかのような』。 当然なのに、受け入れきれず。頭で分かっているのに、感情が拒絶した。 ひどく、気味が悪かった。 ドォン まるで漫画のような、そのまま擬音に表せるような間の抜けた音にたたき起こされた。 目を開くと、電柱。それにぶつかって大きくひしゃげた車体。やや左にかしいで止まっていた。 エアバックは働かず、だがシートベルトに引き絞られ、僕は座席に張り付けられていた。 フロントガラスの向こう側から煙が上がることはなく、炎上することも爆発することもなかった。 運転席と後部座席に声をかける。 僕は手も足も動く、シートベルトに引かれ過ぎて羽毛のジャンパーは裂けていたが、打撲程度。 運転席の父は反応をした。身体がうまく動かせないという。 後部座席の母も応えた。車から降りて、救急車を呼ぼう、と。 かしいではいたが、ドアを開けるのには問題なく、助手席から降りて携帯電話を取り出す。 額を切って、母はだくだくと血を流していたが意識ははっきりしていた。 問題ない、と思った。 ――ただひとり、後部座席右。運転席の後ろに座っていた従姉を除いて。 また、嫌な夢だ。 「うぅ……ん」 昨日も昨日で随分と起きるのが早かったが、今日はそれにも増して早い。 窓の向こうは真っ暗だった。 音を立てないようにそっと身体を起こす。 アルとラクは、昨日と同じようにそこに居た。 ベッドのすぐ隣にある窓。そこにかかった淡い色をした短いカーテン。手でそっと開き、隙間から表を覗く。 月がふたつあった。 星座に並ぶ星たちは、地球からずっとずっと遠くで輝いている――恒星の光を反射しているものもあるがそれはともかく。 つまり、すべてではなくともいくつかの星座は判別できてしかるべきなのだ。 ここが、地球かあるいはそこからそんなに遠くない星であるならば。 しかし、分からない。 そんなに星座を知っているわけでもないが、記憶に当てはまるものがひとつもない。 「……何処なんだ、ここは?」 太陽系の惑星は、すでに地球以外のすべてにおいて知的生命体が居ないとされている。 それは環境の条件からも推測でき、そして環境は直接その星に降り立つことができなくとも多くが分かるようになった。 天文学者は日夜遠くの遠くの遠くの星を眺め、その大気成分や星そのものの構成成分を突き止めている。 そして、その限りにおいて地球と同等の条件を満たす星はひとつもない。 つまり、ここは未知の星。 むしろ異世界と呼んだ方が分かりやすいくらい『地球人類』から隔てられた場所。 「……嘘みたいだなぁ」 つぶやきが、もれた。 目も頭も違うわけだが、感覚をそのまま信じるなら――『エルフ』は『人類』とほぼ同じだ。 知的レベルも思考形態も論理の組み立て方も生理的な条件に美醜さえも。 たった二日で何を知った風に、と言われればそれまでだが、ともかく驚くほど似ている。 収斂進化というものがある。 イルカとサメは哺乳類と魚類の違いがあるにもかかわらず、非常によく似た身体を得た。 このように、同じ環境において進化を遂げた生物は、種族によらず外見や身体構造が近しくなる。 これが収斂進化。 『エルフ』と『人類』は、分断されているといっていいほど遠く離れた土地で収斂進化を見せたのだろうか。 それにしても似通い過ぎている気もするが……。 そうだ、似通うといえば、環境そのものもだ。 口にした食事には、たくさんの野菜や穀物が含まれており、その多くが地球にあったものと同じであった。 種子の誕生は地球で、それを持ち込んだのかも知れないけれども、それらが育つ環境はここにもある。 つまり、大気や土壌もあわせて、それらの環境全般が恐ろしいほど地球に似ているということだ。 ここで目を覚ましたのは本当に偶然なのか。 『巫女』が何者なのかもまだよく分からない。 『エルフ』たちは何処まで『人間』らしくて、何処まで『人間』らしくないのか。 この世界がすべてぼくの妄想で、夢の中の出来事で、目を覚ますまでの短いうつつ――とは、もう考えられない。 そのくらい彼女たちは生き生きとしていて、各々に人格を持っている。 どれほどか『胡散臭い』世界だというのに……。 逆に、というべきだろうか。その不自然は場所を見つけられたのは。 「……なんだこれ?」 宵の香りが残る暗い空をひと仰ぎしたその後、トイレへと続く玄関そばの廊下。 物置のためか玄関口からは死角となるところに設けられた小さな空間。 そこに、普段ならなんとなく見過ごしてしまうようなふとしたくぼみがあった。 くぼみは床。カーペットの切れ間、張られた木の板がそのまま見える場所に見られた。 ちょうど、片手の指を第一関節くらいまで挟みこめるような、浮き。 昼間は気が付かなかったくらいのそれだけの異変。 最初、単に板が浮いてしまっているだけだと思った。 しかし、数度軽く踏んでもその『浮き』は沈まない。 わざわざ死角にある物置なのだから、これはちょっとした収納ではないか、と次に思いついた。 指をかけ、上に力を加えてやると、案の定一帯の板が同時に持ち上がった。 ところが、だ。 「はしご……だよなぁ?」 そこにあったのは、地下へと伸びるはしごだった。 顔だけを穴に入れ、中を見渡す。 暗い。 せめて近くに窓でもあればいいのだが、辺りには何もない。 どうしたものだろうか……? 「ま、いいか」 どうせ物置だろう。 目に付くような大きなものも見えない。気にする必要はな―― ばちん 「痛っ!?」 指挟んだぁ……あ? 閉めようと下ろした板は予想外に重かった。 挟んだ指をあわてて引き抜いたのもまずかった。 次いで、カーペットが後ろに敷かれていることを忘れていたことも問題だった。 ずるっ、と勢いよくぼくの世界は一回転した。 「のあっ、ひゃ……きゃ……ぁあああああああああああああああああああああ」 おむすびころりんすっとんとん♪ 何がどうなったのか、滑ってから地べたに付くまでの時間が『長かった』。 くるくるくるくる――っと前転前転前転前転―― 「あああああぁぁぁ……ぁぁああああああああぁぁ……ぁぁああああああぁぁぁぁ……」 がんがんとわよんわよんとドップラー効果を体感しつつ回転すること数回滞空すること数秒「死んだ」とか思う暇もないっていうかそれ以前に思考が「ああああああああああああああ」の一色で 何も分からないはずなんだけれどもとりあえず死ぬ死ぬ死んじゃう死んじゃう助けて助けては分かるような不思議に矛盾を感じることそういえば走馬灯マダーって注文したら冷やし中華始めましたって言わ ぼすんっ クッションがあった。 「いたた……お、おしりが、おしりがー」 うにうにとしたクッションの上で、おしりおしりと連発し苦しむ。 あらいやだ、おしりだなんて下品ねおほほほほ、どうせなら臀部とおっしゃい臀部と――縦ロールが常磐線に乗って通過した。 「びていこつー!」 痛い。 そこは、穴の中だった。 はしごの周りに敷かれたクッションに真っ直ぐ飛び込めたから助かったものの、かなり危ないところだった。 クッションがなければ当然大怪我。 あったとしても着地が悪ければ骨折くらいは当たり前。 はしごに身体を取られれば、そのまま死んでいてもおかしくない。 考えたら背筋が引っ張られるほどぞっとした。 大きなものは置かれていない、と穴に入る前にも思った。 だが、実際中に入ってみると『何もない』と分かった。 小部屋。 手を伸ばしたくらいでは届かないが、走るには狭すぎるくらいの小部屋。 そういえば、自分が与えられた子供部屋もこのくらいの大きさだったか……。 「ユウさーん、どうかしましたかー?」 「おにーちゃーん、何処ー?」 と、落ちるときの悲鳴を聞いたのか、ふたりの呼ぶ声が耳に届く。 「と、とりあえず……おしりの痛みが引くまで待ってくださいぃ……」 この恐ろしくかっこ悪い姿を見られる前にこの穴倉を抜け出すことが至上命題となったので、探索は終了と相成った……。 長がとち狂った。 「は?」 「どうかしたかの?」 ニコニコ顔を貼り付けて、長が狂ったということは分かりました。 「いやその、ボケが始ま……もとい、痴ほ……いやいや、もといもとい若年性痴呆症ですか?」 「なんぞそのまま放り出されたいのならその通りにしてやるぞ?」 にこにこにこにこにこにこにこ。 「いや、だってどんな危険思想ですか、男村行けだなんてっ!?」 よもやこれは十字も赤もびっくりの軍隊教育!? 新入りに対しての洗礼というやつか! 手の平灰皿とか駅前ドナドナ合唱とかの類ッ! 「あとは任せたぞ、ラク?」 「はーいっ」 うわ、説明省略した。 「はいっ、それではごせーちょーくださいっ!」 イスでこさえた簡易な壇上で、ラクはぶんぶん手を振っている。 「これから、おにーちゃんと一緒に男村に向かいまーす!」 わー……ぱちぱち…… なんとなく拍手が出た。 「ですが、このままではおにーちゃんは確実におおかみさんの餌食ですっ! がぷがぷです、ぱくぱくです、じゅるじゅるです、おいしーです!」 「汁音はやめてくれ……なんか生々しいから……」 いやもうホントに。 「そこで! とりいだしたるはこの一枚の紙!」 ラクの手にははがき大の小さな紙があった。 「たねもしかけもございまーす」 あるのかよ。 ツッコむ間もなく、ラクはそのはがきを構え―― 「はいっ!」 ぽっ 「おおぅ!?」 一声あげるやはがきの上から、ライターでつくくらいの小さな火が現れた。 「おー……って、これ、手品?」 「手品じゃなくてー、魔法でーす!」 魔法。あっさり過ぎ。 「うんとねぇ、理屈はよく分かんないけれど、自分の血でこーんな形を書いて、この丸のところに小麦粉を乗せれば完成っ! あとはこのはじっこに指を乗せると――」 ぽっ 「こんな感じでかーんたんに火がつくのでーす!」 ぱちぱち。 やけに簡単。 「これは、『魔法陣』と呼ばれるものです」 アルが補足をする。 「身体の一部を利用して回路図を引き、特定の呪物を配置して、そこに触れることで『魔力』を流し、『魔法』として発動させるものなんです」 「はぁー……」 ふぁんたじぃだ……。 なんといなんという、なんというファンタジーっぽさ! おファンタジーもの。 伝説と神話のはざまから出現せし文学と妄想の雄弁者。 物理法則何のその、不可能嗤い軍事バランス書き換えるすさまじさ。 なぞの魔力になぞ回路、なぞの陣形なぞの魔法、使うはなぞの魔術師。 表すは無限の象徴か、精神の物理融合か、彼女はこの世界に―― ……ノリきれん。 見るのは楽しいんだが、自分が『魔女っ娘』になってしまうのはなぁ……。 「……?」 「ああいえ、その……」 不思議そうな顔をしていたので、アルに言う。 「物理法則を超えるようなものが実在するって凄いですねぇ」 あはは、と笑―― 「超えませんよ?」 超えようよ。 そこから先は、またラクが引き継いだ。 内容を大雑把にまとめるとこのようになる。 ・『魔法陣』は、回路である。 ・『魔法陣』の回路は、血を『魔力』の導線に様々な呪物を抵抗やコンデンサとした電気回路のようなものである。 ・『魔法陣』によって得られる反応を『魔法』と呼ぶ。 ・『魔法』は物理的な力であり、また物理現象のひとつである。 と、これだけを説明するのに十五分くらいの時間を要した。疲れた。 「つまり、『魔法』とは電磁気学などと同列の――ユウさんたちの世界ではまだ発見されていない普通の力なんです」 「なるほど……」 『エルフ』の名称もそうだけれど、イメージを微妙に切り崩してくる辺りこの世界の日本語はあなどれない。無意味に。 「んで、どうするんですか、そのライター魔法で?」 ぺらぺらと紙を振る。 「ふっふっふー、おにーちゃん、甘い甘いあまーい。砂糖を煮詰めてカラメルシロップを作るくらいあまーい! それにはちみつとアンコをあわせてキンツバにかけるくらい……おいしそう……」 たぶん甘すぎて吹く。 「視覚的な問題が主で、男村には入れない。つまり、ちょこっとだけ視界をゆがめるような魔法を使えばいいの!」 つらつらとながーくのびのびになるラクの話を要約すると、 ・なんだかよく分からないけれど、あんまり視界とか変わらないのに男たちに会っても影響を受けない魔法がある ということらしい。所要時間は合計でおおよそ一時間。 「分かった? おにーちゃん」 「トテモヨクワカリマシタアリガトウゴザイマシタ終了シマショウオネガイシマスオネガイシマスオネガイシマス」 「よろしいっ」 発展途上にある胸をつん、と張った。 長の屋敷のふすまをくぐると、一本の長い廊下があった。 そして、そこにはひとり、子供が立っていた。 「初めまして、ユウさん。僕はアイ、男村との間で行き来する伝言役です」 にこやかに笑んで、アイは小さく会釈をした。 他の村人と同じ、金髪に碧眼。長さは肩口までで軽く整える程度の髪。礼儀正しくも行動的な雰囲気のうかがえる強い眉と目が記憶に残る――少年、いや少女か……? 「アルさん、ラクもこんにちは。またお会いできてうれしいです」 握手に回るアイ。 「アルさんはいつでもおキレイですね」 「あらあら」 「ラクも元気そうでよかったよ」 「子ども扱いするなー!」 実際、アイよりもラクの方が背が高い。 なんとなく不思議に思えるが、まあよしとする。 「では、このふすまの先は男村になります。きちんと魔法陣を発動させてくださいね? 出来得る限りお守りいたしますが、限度はもちろんありますから」 「ああ、分かった」 ごそ、とふところからはがき二枚を組み合わせたくらいの大きさの紙を取り出す。 ……というか、逃げにくくなるからこの巫女装束は着替えさせてほしかった。 のたくった線に、少しだけ見えるのは呪物の野草の汁。 赤と黄緑で彩色された前衛芸術は、よくよく眺めればひとの顔も浮き上がってきそうだ。 そして、たったこれだけの。こんな薄っぺらな紙が――えっちぃ漫画でありがちな陵辱劇を防いでくれるという。 あの感覚にはぞっとさせられる。 自分の意思が捻じ曲げられているのに、まったくそれに気が付くことなく身体を許してしまうあの感覚には。 華奢な手足に低い背丈、軽い体重に弱い力。 今や動きを阻害するためとしか思えないふたつの胸の山に、下に待ち受ける――『受け入れる場所』。 その『受け入れる場所』があることが問題なのか、 易々と組み敷かれてしまうことが問題なのか、 自分の意識が書き替わってしまうことが問題なのか、 淫らに乱れて何もかも捨て去ってしまうことが問題なのか、 あるいは、それが『女性』に他ならないから問題なのか、 もしくは、それを『女性』として許せないから問題なのか、 ともかく、キモチワルイ。生理的に。 そして、とてもとてもとても……怖い。 見栄と意地と根性とプライドに、ちょっとした逃げ道を与えていた『しかたない』という言葉。 会うと乱れてしまうのは『しかたない』。 乱れてしまっては何も出来ないので『しかたない』。 何も出来ないと困るので『しかたない』。 困りたくはないので『しかたない』。 しかたない、しかたない。しかたないから会えないや。 しかたないから怖い思いを出来ないや。 さて、そこに『魔法』君がやってきました。 会っても何にも起こりませんよー。 男村行ってみましょうよー。 怖くないですよー。 楽しいですよー。 え、行けない? ……ああ、そうですよね。今、木下優君は『女の子』でしたね。じゃあ『しかたない』。あんな出来事があったら怖くって怖くって『女の子』みたいに泣いちゃいますよね。 別に、誰かにそういわれたわけではない。 苦手に思っているのは事実だが……ひとまずここで生活するならば、ちゃんと男村も知っておいた方がいいに決まっている。 長も冗談のつもりだったんだろう。ぼくがこんなにトラウマ――いやいや、平気だ。平気だぞ! 人、人、人……っと。 観客はかぼちゃ観客はかぼちゃ観客って誰だ? よし! 「行こう。案内頼むよ、アイさん!」 とはいえど、観光地ではない。 アイ部隊長率いる一個師団は、ジャングルに囲まれた――わけでもない村へと潜入する。 『世界の秘境! 男村探索!!! 〜五重塔落下編〜』 じゃかじゃんっと、脳内タイトルが掲げられ、低音でどろどろと楽曲がかき鳴らされる雰囲気を感じ――てもないけれど足を踏み入れた。 『と、そのとき、優隊員に原住民の卑劣な罠とか魔の手が――』 ナレーションが口調を荒げ、状況を一気に説明する。そこには疑う余地など一切なく、決して原住民の手首に腕時計の日焼け残りがあったなどとは言ってはならない――そもそも原住民も罠も出てこない。 特に待ち構える人もなく、一行はあっさりと男村に入ることが出来た。 ついでに、特番でもない。 回る観覧車も巡るメリーゴーランドも走るジェットコースターもない。 あるのは女村と同じ木造の家々と、その向こうに見える広い畑、そして壁くらいだ。 壁。 長の屋敷からぐるりと続いていた壁は、端が見えないくらいの大きさでもってぐるりとこの男村を取り囲んでいるようだった。 不思議そうに眺めていると、アイが 「男村と女村が分けられている理由は、ご存知ですか?」 「いや、知らない。『エルフ』は男性の魅力が恐ろしく高いということは聞いているけれど……」 「そのままを申しますと――男女が混在していると、女性がいくら『魔法』を使ったとしてもいずれ男性に魅了され……『ひと』としての尊厳も何もないようなことになってしまうから、です」 「つまり、ここは……」 気負う風もなく、アイはごく自然にうなづいた。 「ある種のオリ――牢獄の中、といえますね」 「牢獄って……」 それは何か、言葉として……言っていいものなのだろうか……? 「ああ、語弊がありましたか」 うまく言葉を飲み下せないでいると、アイが付け足した。 「総意としてこれは行うべきことで、男性たちは皆納得した上で自らここに足を踏み入れているんです」 ご心配なく、と。 男女を単純に比べた場合、『エルフ』という種族は男性が圧倒的に優位に立つ。 ほぼ無条件に生殖を許してしまい、女性は男性の導きがあるままに付き従ってしまう。 動物ならば、それでもいいだろう。 たぶん、そうであって何も問題がなかったのだろう。 だが、『エルフ』は高い知性を身に付けてしまった。 知的に生活を送ろうとすればするほど、この『強制的な本能』は邪魔者になる。 『魔法』を編み出して『本能』から逃れよう、と。物理的な遮断をもって『本能』を押し込めよう、と。 『エルフ』たちは苦心の末に、このような生活様式を手に入れたのだろう。 そんな『本能』もなく、そこから生まれた葛藤も歴史も知らないぼくの目にはとても奇妙に映ったが……。 若干、余裕が出てきた。 おどおどきょろきょろと辺りをうかがい、ちょっとした物音や家の陰から見えた人影にいちいち身体を縮こまらせていたぼくだが、それも十数分も歩けば慣れてくる。 関心がないわけではないようで、 ちらちらとこちらを覗き込むひとやじろじろと露骨に眺め値踏みをするように――ちょっと待て、そこのひそひそ話。銀髪は八十点ってどーゆー意味だ! 後ろのねーちゃんは九十五!? アルの乳か!? 乳がええんかごるぁー!!! 「……どうかしましたか?」 「いや、なんてもないよ?」 てふてふと歩く。 「この辺りから少し家が密集した地帯になるので、離れないようにしてください。はぐれては迷子になってしまいかねませんから」 「ああ、分かった。気を付けるよ」 と、アイに答えた直後に 「おにーちゃんおにーちゃん、とりさん捕まえたよー!」 「うぉあっ!?」 ばささっ 青い鳥、飛び立ち。 「あっ、逃げるなー、待てー!」 「ちょ、ラク! 走るな迷子になるって――」 「……ここ、何処だ?」 「さあー……?」 見事に、迷子×2。 連続コンボとその連携のすばらしさはさておいて、迷子。 ざ・迷子。 なんか、そういう名前の格安ゲームが販売されていそうな響きだ。 逃げ惑うハナタレ小僧! 追い詰める夕日の影! 迫り来る「そろそろガキんちょは帰れー」のスピーカーを背に、ひとり孤独に生きていくことを心に決める若干九つの幼き少年。 彼がどのような道程をたどり裏社会で一目おかれる本物の『ワル』になれたか。それを追う、長編RPG。 最後のそのとき、彼は「ただいま」を言えるのか――ッ!? ……ともかく、ゲームとは関係がない。 さて、社会というものには序列がある。 支配者階級から労働階級、果ては奴隷階級まで用意されている。 その階段を上から順にひとつずつ降りて行くと、途中で『はぐれもの』に出会うこととなる。 その『はぐれもの』は、いわゆる社会不適合者。分かりやすくいえば不良。 社会のルールにとらわれず――と自称して社会のルールを単に守れないだけの――困ったチャン。 で、類にもれず 「いよぉう、女の子ふたりでなぁ〜にしてんだぁ?」 「へっへっへ……女の子じゃ出来ないようなこと、してやろうか?」 「くいくいっと腰の運動を手伝ってやるよ、なあ?」 ……という、人種が存在する。 ひとついえることは、そんな阿呆であっても『エルフ』には違いないということで。 要するに、 「うへへ……いい足してんじゃんか。ひゅーひゅー!」 「かぶりつきてぇシリだぜ……ぐへへ」 「ま、乳はあきらめるが」 などということを言っていようとも美形であったりする。すんごい違和感。あと、乳言うな。 まったく、顔こそ整っていようとそんな間抜けな悪役台詞に悪役挙動に悪役雰囲気をしょっていては確実に死亡フラグの十本二十本当たり前に立つんじゃあないか。 大体、余裕面してるけれどこんな真昼間にお前ら仕事はどうしたいやまあぼくもしていないけれどお前らは確実にサボりだろうにこんなだから日本の教育は――ってそもそもコイツら日本人じゃないか。 それでも日本語に日本的な文化をもっていてそんな見苦しい阿呆顔しないでほしいねああ美形なのがもったいないよ美形なのが他に何ひとつとりえがなさそうだけれど。 「ひぅ……あ、ぅ……」 てっ、手足が震えてなんていないぞッ! ラクの前に立ち、毅然とした態度で口を開く、 『なんだ、お前らは! ぼくらに何か用か!? 用があるなら言え、ないならば立ち去れ! その阿呆面を長々眺めているほどぼくらは暇じゃあない!』 と、言おうとして 「……よ、よるなぁっ!」 いかん……びびってる。 鼻で笑い、にやにやとする。 なめるような視線が足先から股間、腰を伝って腹をたどり、胸を侵して首筋にのぼり、怖気を引き連れて唇を蹂躙する。 やめろ。やめろよ! 気持ち悪い。気持ち悪いんだよ! 目尻を吊ろうと腕でかばおうと、無遠慮に男どもは侵犯する。 目の先はすでに透かした下着の中であり、そこでぼくは嬌声を上げ獣のように狂っている。 怖い。 こわいこわいこわい。 こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。 いやだよるなくるなやめろさわるなふれるなよせしねはなせやめていやだいやだいやいやいやいやいやいやいやいや 「いやぁあああああああああああああああああああああああああああああああ」 ふっ、とブレーカーが落ちたように、目の前が真っ暗になった。 パニックのあまりに意識を手放したのか、あるいは本当にぼくがコワレテしまったのか―― 次の瞬間、唐突に視界は戻る。 「ぎょうぇえええええええええええええ!?」 見えた。 まったくもって一切見たくない――野郎の全裸が。 ぱおーん 上向いて準備万端といきり立つ棒状に―― ぐちゃ 反射的に、前蹴りを叩き込んでしまった。 「ぐぎょ……っ」 「痛ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」 蹴ったのはぼくだが、思わず叫んでしまった。 「ま、マサト君!?」 「マサト、しっかりしろ、マサトぉおおおおおお」 「ぐちょって……あう……いぅ……えぉ……」 痛い痛い痛い痛い痛いー!!! 「マサト君、傷は浅いぞ!」 深いよ、ものっそい深いよ! 「大丈夫だ、そーっとジャンプするんだ。マサトぉおおおお」 無理無理無理無理無理! アレ、ぐちゃっていったもん、ぐちゃってー!!! 「すきありー!」 「「「は?」」」 喧騒の横手から響いたあっけらかんとした明るい声が―― ぐぼぁあああああああああん 「一撃必殺っ!」 「ひどっ!」 真っ赤な炎に、不良三人組を巻き込んで吹き飛ばしていった……。 吹き飛ばした、と言っても消し炭になるほど強力ではなく。一応加減されていたらしい。 「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」 「まさか、ラクの姐さんだとは思わなかったんですすみませんすみませんすみません」 「……ぁぅ」 最後の約一名はやけどよりも下半身が問題らしい。すまん。。ぼく、被害者っぽいけれどもそこだけは謝らせてくれ。すまん。 「ラクって……強いんだね……」 「えっへん! ほめてほめてーおにーちゃん」 胸を張ったりちょこまかと動いたりと、これまでどおりのラクだった。 『のろし』が上がったから、すぐに誰か来てくれる。 ラクの言葉通り、男村の自警団がまず現れて三人を回収し、状況を話すうちにアルとアイもそこにたどりついた。 「『エルフ』は女性の方が強い『魔力』を持つのですが、とりわけラクさんは強力なんです」 アルはにこにこと語った。 「長公認の『魔法』の専門家だよー!」 ……どうやら、長が世話役にラクを選んだのはその『魔法』の腕があってこそ、だったらしい。言ってくれればいいのに、長もひとが悪いなぁ。 ぼくとアルとラクの三人で立ち話をする横では、まだ検分が続けられており、アイは自警団のひとたちとなにやら話をしていた。 三カップラーメン単位の時間が過ぎた辺りで、アイは苦い顔をしてやってきて 「すみません。事後処理に僕も出向く必要が出来たようです。申し訳ありませんが、今日はこのまま女村へお帰りください」 本当にごめんなさい、とお辞儀をして 「ヨウタ! このひとたちを長の屋敷まで連れて行ってくれ!」 「ハイッ!」 振り向いて、自警団のひとたちに向かって一声かけた。 「彼はヨウタといいます。自警団の見習いですが、地図は頭の中に入っていますので道案内には困らないはずです」 「よろしくお願いしまっス!」 応援団の雰囲気がちょこっとにおう少年だった。