山本薩夫

山本 薩夫(やまもと さつお、1910年7月15日 - 1983年8月11日)は、日本の映画監督。鹿児島県出身。早稲田大学文学部独文科中退。甥たち(兄山本勝巳の子)が、俳優山本學、山本圭、山本亘で、自身の作品への配役も多い。息子の山本駿、山本洋も映画監督。

父は官吏で、鹿児島県庁から愛媛県庁に異動。旧制松山中学校(現:愛媛県立松山東高等学校)から第一早稲田高等学院へ。左翼運動に傾倒し検挙され大学を中退し、松竹蒲田撮影所に重松鶴之助から伊藤大輔への推薦で入所。成瀬巳喜男監督の助監督などを務め、後に成瀬がPCL(東宝の前身)に移籍する際、行動を共にした。東宝で監督に昇進し、戦時中は戦意高揚映画も監督する一方、極秘裏に日本共産党に入党したが、陸軍の演芸慰問部隊に招集されて、後の玉川良一らと共に佐倉連隊に所属し北支を転戦した。

戦後、共産党も深く関与していた東宝争議では、組合側代表格として会社と敵対し、結果レッドパージで解雇された。

その後は独立プロダクションで活躍し、反骨精神旺盛かつ骨太な社会派作品を数多く世に出した。1960年代以降は医学会にメスを入れた『白い巨塔』、金融界の内幕を暴いた『華麗なる一族』を始めとする一連の山崎豊子作品や、構造汚職を摘発した石川達三原作の『金環蝕』、他に『戦争と人間』三部作、『皇帝のいない八月』などの社会作を連続して監督。社会派として反体制的な題材を扱いながらも娯楽色豊かに仕上げる手腕・平衡感覚をもった監督であり、興行的にも常に成功していたため、共産党を嫌った大映・永田雅一や東宝・藤本真澄など経営者級プロデューサー達にも起用された。

多くの大作を残していることから、「赤いセシル・B・デミル(『十戒』などを監督したハリウッド大作の巨匠)」と呼ばれた。1983年8月11日、膵臓癌のため死去。享年73。

東宝の副社長をつとめた藤本とは奇しくも同年・同月同日生まれながら、薩摩出身と長州出身、母校もそれぞれ早稲田と慶應義塾、監督とプロデューサー、組合幹部と経営幹部と、常に対立関係にありつつ共に働くという間柄であった。

野上弥生子の「迷路」、森村誠一の「悪魔の飽食」が次回作に予定され、又、1976年に原作の前半部分を山本が映画化していた「不毛地帯」の続編(後半部分)の製作も企画されていたが、山本の死と共に未完となった。

最終更新:2010年08月17日 16:47
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。