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絶望の笛(前編)」(2008/12/06 (土) 03:58:03) の最新版変更点

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**第71話 絶望の笛(前編) ―――いったい何がいけなかったのだろうか? 「いや…いや…違うの! そんなはずは……そんなつもりじゃ……」 少女は驚愕と絶望の前で嘆いた。冷ややかな視線が少女を凍りつかせる。 ―――いったいどこで歯車が狂ったのだろうか? 「ジャック……」 特に少年の目が痛かった。その眼がすべてを根こそぎ抉り取った。 ―――仲間を想う気持ちのどこがいけなかったのだろうか? 「わたしは…わたしは…」 もう何もかもが壊れてしまった。修復しようがないほど。 ――――時は遡る―――― G-05とH-05の境界付近。道筋を離れ、林の中を覗いてみると、きこりが休憩できるような切り株がぽつんと置かれている。 アーチェとジャックはその切り株を背に座っていた。 二人は会話することもなく、頭を落とし、無言で地面を見ている。 すでにアーチェの呼びかけから半時間が経過していた。でも、一行に誰も訪れることはなかった。 延々と流れる静観を見つめ、二人は知り合いを待ち続けている。 二人の間には、気まずい静寂が広がっていた。お互いにそれを破ろうとするが長く会話が続かない。 それもそのはず、二人は大切な仲間を失ったのだ。 その最中、アーチェはこのまま誰も来ないかという思念に駆られた。嫌な答えである。 すぐに、その考えを捨てるかのように首を振る。 そして、また、かつての仲間に会えるという希望を抱きながら、期待を望みながら、地面を覗いた。 その数分後、アーチェに希望とも思える足音が聞こえてくる。 ジャックもそれに気づいたのか、周囲を見渡している。 二人は耳を傾け、足音を探した。 すると、林の中から息を切らした赤毛の女性と同じく息を切らした黒髪の少女が現れた。 赤毛の女の人は双眸を歪ませ、こちらを睨みつけている。そして、自分たちに言った第一声は、 「あんた達、何やってんだい!!」 と、怒号であった。 アーチェはいきなり怒鳴りつけられるとは、思ってもみなかった。 しかも、初対面の人間ならば尚更である。アーチェに言いようのない感情が湧き上がる。そして、返した。 「何って!? 仲間を待っているのよ!! それしかないじゃない!!」 怒りという感情で質問を投げ返す。全身を使って、言い返した。ジャックは突然の剣幕に驚き、落ち着けと宥めようとする。 でも、アーチェの憤慨は止められない。 なぜ自分が怒られなければいけないのか?  仲間を想う事はいけない事なのか? ただ自分は仲間に会いたいだけなのだ。 だから、アーチェは許せなかったのだ。自分の仲間を想う気持ちを否定されたようで。 「あんた……自分のやっていることがわからないのかい?  こんなことすれば、殺しに乗った奴が来る可能性を考えたのかい?」 「……わかってるわよ…」 アーチェは抑揚のない声で言った。そんなこと当に分かっている。 でも、ミントが死んだことがあまりに悲しくて。かつての仲間に会いたくて。 口元から感情が溢れ出す。 「ただ、仲間に会いたいだけなの!! 仲間を想う気持ちの何がいけないの!?  アンタには大切な仲間を失った私の気持ちが分かるの?  ……ミントを失った気持ちが!! 私の…私の気持ちが…」 アーチェはそう言うと影を落とした。 自分で言っていて嫌になる。他人に怒りをぶつけても、無意味だから。ミントは生き返らないから。 だけど、言われずにはいられない、憤りを浴びせかける。 赤毛の女性――ネルは視線を落とし、黙り込んだ。彼女が仲間を想う気持ちが痛くわかるのだ。 自分も知り合いを3人も失った。その中には……。 でも、私には、彼女の悲しみを癒せそうな気の利いた言葉も、かける言葉が思いつかない。 「あんたには、私の気持ちがわからないわ!!」 「それは、違うわ!!」 ずっとネルの後ろで口を噤んでいた少女――夢瑠が震わせる。 「ネルさんも大切な仲間を亡くしたの! その中には彼女の親友もいるのよ!」 夢瑠はネルから仲間たちの情報を聞いていた。 陽気で心優しいムードメイカーの少女。筋肉ムキムキ半裸の熱血漢の壮年親父。 そして、その娘であるネルさんの幼馴染であり、親友である女性。 ネルさんは放送を聞いた後でも、気丈に振舞っているが、内心悲しんでいる。 夢瑠には、道中でひしひしとそれを感じ取っていた。 「それに……」 夢瑠は一瞬言葉を詰まらせた。でも、喉を伝い言葉にする。 「私も……仲間を失った。ジェラードちゃん、ロウファさん。  そして、初めての女の子のお友達で最初のルシファーの犠牲者――那々美ちゃん。  みんな善い人だった。だけど、死んじゃった。だから―――」 きりりと、鋭い眼差しでアーチェを見つめる。 「大切な人を失った悲しみを抱いているのは貴女だけじゃない!  私もネルさんも他のみんなも悲しんでいるわ!  だから、自分だけが悲劇のヒロインぶらないで!  私たちも大切な人を亡くしているんだから……」 夢瑠はそこまで言うと口を閉ざした。それ以上言うと涙が溢れそうになる。 ネルに余計な心配をかけたくない。彼女も耐えているから。 アーチェは夢瑠の視線を逸らし、無表情で俯いている。夢瑠の言葉に何かを感じ取ったのか、終始無言である。 辺りに沈黙が包み込む。森のざわめきだけが辺りを響かせ、清閑を演出させた。 でも、4人の間にはぎこちない空気が流れていた。 突然ジャックがそれを打ち破るように静かに語りだした。 「……オレもさあ。知り合いが亡くなったんだ。  オレが騎士団にいたときお世話になった団長と戦士ギルドでお世話になった大隊長」 みんなの視線がジャックに注がれる。 「殺し合いに参加していたときから覚悟はしていたけど、やっぱり無理だった。すごく悔しいし、悲しい」 暗い表情で語るジャック。 次の瞬間、蝋燭に炎が灯ったかのように覇気が篭った。 「だからさ、決めたんだ。ぜってぇにルシファーをぶっ飛ばして仇をとるってな!!」 体全体でガッツポーズ決める。その姿は何となく頼りなかったが、三人にはなぜか眩しく見えた。 「俺たちさ。こんなところで喧嘩なんかしてないで、一緒にやっていこうぜ。  そうすれば絶対どうにかなるって」 ジャックは屈託なく、語りかけた。 その口調は自分たちだけでなく、まるで島全体の参加者全員に語りかけるようだった。 横にいたアーチェはジャックを見つめる。 横から見えるジャックの眼は怒りとも憎しみとも思えない内なる闘志が漲っている。 その純粋な眼を見ると、アーチェは周囲に感情を当り散らした自分が嫌になった。 そして、ネルに視線を向け「ごめんなさい」と、謝った。 ネルも謝るアーチェに頭を下げる。 「すまない、私の方こそ言い過ぎた」 間髪入って、夢瑠も「ごめんなさい」と、謝る。 「そうそう、仲直りするのが一番。みんなで協力し合えば、何だって出来るさ」 ジャックはそう言うと笑顔を見せた。 それに釣られて、三人も笑顔を綻ばせた。 「おっと、自己紹介を忘れていた。俺はジャック・ラッセル。そして、隣の…」 「アーチェ・クライン」 「私はネル・ゼルファー」 「夢瑠です」 四人は簡素だが、互いに自己紹介をした。そして、すでにやるべきことが決まっていた。 ネルは口を開き、情報を交換させようとする 「早速だが、ここを離れ―――」 ―――――刹那 ネルとジャックは気配を感じた。刃が風を切る音である。その音の方向に二人は視線を寄せる。 そこには、太陽の明かりで光り輝く刃。鋭く尖らせた氷柱が迫ってきていた。 その氷柱は明らかに自分たちを狙っていた。 そして―――夢瑠目掛け飛んでくる。 「敵襲!!」 ネルは掛け声をかけると同時に三つの氷の刃を氷柱に投げる。 ネルの『凍牙』では、大きな氷柱は砕けないことは分かっていた。 でも、夢瑠目掛け飛ぶ氷柱を少しでも軌道ずらさなければならなかった。 三つの氷の刃は氷柱に当たると、砕け散った。氷の破片が太陽の光に乱反射し、煌びやかに光った。 そして、夢瑠のわき腹を貫いた。 「え、えっ!?」 夢瑠には何が起こったのか。さっぱり分からなかった。気づいた時には、刺さっていたのだ。 だらだらと血が流れる。地面が血で濡れる。 ネルが軌道をずらしたおかげで死に至るほどの致命傷ともならずに済んだが、その傷は深かった。 夢瑠は痛みに耐え切れず、その場に崩れ落ちた。 「いや、いやぁ…」 アーチェは嗚咽のようなか細い声を吐き出した。 恐れていた事態が起こったのだ。殺し合いに乗った者が自分たちを襲おうとしている。 自分たちを殺そうとする『敵』が現れたのである。しかも、アーチェ自身が引き寄せたのである。 自分のせいで、みんなを危険に晒してしまった。自分のせいで、夢瑠が大怪我を負ってしまった。 このとき、アーチェの中で深い後悔と罪悪感が静かに忍び寄っていた。 と、同時に、またアーチェの知らない次元である変化が訪れようとしていた。 ――――アーチェの『敵』という認識。 まさにこの場が地獄へと変わろうとした瞬間である。 アーチェの懐に納まっている可愛らしいフィギュアが効果を発動しようとする。 まるで静かに忍び寄る夢魔のようにアーチェたちを刻々と蝕んでいった。 +++ 「しまったなあ。まさか、気づかれるとは思ってもみなかった」 アシュトンはノートンとメルティーナの首輪を狩り取ってから、拡声器の声の主を探しに森の中へと突き進んでいた。 その十数分後であった。ギョロとウルルンが人の気配を感じて、以外にあっけなく、 拡声器の本人と思われる人だかりを発見したのだ。 アシュトンはすかさず20メートル先の樹木に隠れた。 男が一人と女が三人の合計で四人。かなりの大人数であった。 どんな会話をしているか分からないが何か言い合っているようだ。 プリシスのために参加者を殺さなければならない。が、さすがに四人を相手にするのは無謀といえる。 少しでも多くの人間を殺すには自分が生き残るしかない。そのためにも、自分は死ぬわけにはいかない。 だから、奴らに気づかれずに一人を殺害して、この場から逃亡する案にした。 首輪が刈り取れないことは残念だが、首輪はプリシスへの愛の証明であって、 少しでも参加者を殺害することに意義があるのだ。そう自分に言い聞かせる。 剣を十字切って、氷の魔力を練る。剣先から鋭い氷柱が具現化する。 いつもより大きさが小さいが、人を殺すには十分の大きさであった。 『ノーザンクロス』が完成した。 そして、確実に人を殺すため、自分から一番近くにいる黒髪で翠色の服装の少女にそれを打ち出した。 確実に仕留められるはずだった。 だが、思わぬところで失敗してしまう。赤毛の女はかなりの手足れなのか、それを察知し、殺しを阻止してしまったのだ。 大怪我を負わせることには成功したが意味はない。あくまで殺さなければならなかったのだ。 自分には正面を突き進んで、四人を捌き切る自信はない。 「フギャ(アシュトン、逃げたほうがいいぞ、さすがに四人相手だと厳しいぞ)」 「……ああ」 アシュトンは口惜しそうに呟いた。 幸い相手は自分の居所を掴んでいない。 四人は警戒態勢に入っているが、自分を探そうと周囲にキョロキョロと目を泳がせている。 逃亡するには最適な条件であった。 でも、獲物を目の前に引かなければならない。これほど悔しいことがあるだろうか。 アシュトンは悔しさから鞘に収めてあった剣を引き抜く。 別に四人に切りかかるつもりはない。ただ、悔しさを表す表現であった。 しかし、その行動がアシュトンにとって思わぬ展開を生むことになった。 ――剣が羽のように軽いのだ。 アシュトンは一瞬体が強張った。構えている剣が軽い。不思議な感覚であった。 しかも、自分が持つ剣は両手持ち専用である。とてもじゃないが、軽くはない。 実際何度か剣を振っているので、この剣の重量は肌で感じていた。 ギョロとウルルンも違和感に気づいたのか。小さく喚いている。 「ギャフ(アシュトン、体が変だぞ。身体全体から魔力が溢れ出るぞ)」 「うん、分かっているよ」 アシュトンも薄々感じ取っていた。魔力だけではない。 腕力、跳躍力、体力、動体視力、身体感覚、潜在能力、全てにおいて爆発的に漲る。 「これなら」 アシュトンはディパックから機械仕掛けの筒を取り出した。 イメージを頭の中で産出させた。すると、筒は剣へと変容する。 アシュトンの両手には、剣が二つ。 普段のアシュトンの戦闘スタイルになった。 でも、通常と違う点を言うと、どちらも両手持ち専用の剣であった。 その暴力的なパワーをフル活用し、軽々と持ち上げている。 小剣を両手に構えるアシュトンにとって、リーチの差や間合いが前のより比較にならないほどパワーアップしていた。 アシュトンは笑いが止まらなかった。それは猟奇的な笑いであった。 天は自分に味方している。そんな気分であった。 まさに神の思し召し。トライア神のご加護。プリシスをひた向きに愛し続けた自分への最高の贈り物。 そんな、歓喜するアシュトンにウルルンが危険を知らせる。 「フギャ(おい、喜んでいる暇はないぞ、雷が迫ってきているぞ)」 「!?」 気づかれてしまったのか電撃がアシュトンに向かって迫ってくる。 アシュトンはすかさずステップを踏んで、避けようとした。 確実避けられるはずだったのに電撃は意思があるかのように追尾してくる。アシュトンは覚悟を決めるが、 「あれ!?」 全然平気だった。無傷である。すこし、ビリッとしただけで、痛みもほとんどない。 戦闘にも全く支障なし。見た目の割には、ただの虚仮脅しの威力である。 心配して損したと、息を漏らす。しかし、ずっと雷撃は自分の回りに纏わりついている。 アシュトンはそれを気にすることなく、戦いへと飛び出した。 +++ ネルたちはまだ見ぬ敵襲から警戒態勢を保っていた。 第一襲撃から時間はあまり経っていないが、気配を感じ取っていた。今 にも、林の中でなりを潜めているのである。シーハーツの諜報員であるネルには、気配を読み取ることは容易である。 ジャックもなかなかの実力者であろうか、緊張を解いていない。夢瑠は痛みをこらえ、痛々しく戦闘態勢でいた。 アーチェも震えながら構えている。四人は全方向に感覚を張り巡らせた。 そんな中、夢瑠がわき腹を押さえながら、ネルに尋ねる。 「ネルさん、本当に敵がいるんですか? もうどっか行っちゃったとか?」 「いや、確実にどこかにいる。油断するんじゃないよ」 ネルはそう言うと、目を閉じ、手のひらを構える。 手に雷の魔力を溜め、追尾性能の高い雷撃を放った。 「『雷煌破』」 電撃は気配の方向へとジグザグに飛んでいった。もし、敵がいるなら、雷撃はソイツを襲うだろう。 しかし、あまり期待は出来ない。この技は威力がかなり低いのだ。でも、相手を燻り出すには最適な技である。 ネルはキョトンとする三人に簡単な技の説明する。 「でも、変ですよ。何もないところをぐるぐると回っていますよ」 雷撃の飛び立ったほうを見ると、何もない空間を纏わり付いている。 「変だね。今までこんなこと一度もないのに」 ネルは異変を感じていた。気配がないならその場に留まるはずなのに反応している。何かが変だ。 突然、同じところを巡回する電撃がものすごい速さで自分たちに迫ってくる。 ネルは一瞬で判断した。それは見えない何かであった。 「みんな離れるんだ! 何かが迫ってきている!」 何もない空間が人のような化け物のような形で揺らいでいる。 そして、電撃がその得体の知れないものに絡み付いていた。 「『凍牙』」 ネルはソレ目掛け、三つの氷の刃を飛ばす。刃はソレを捉えていた。 だが、その三つは空中で砕け散った。うっすら鋭い刃のような物で一振り。 たったそれだけで、全ての氷の刃を叩き切ったのである。 ネルはこの攻撃で悟った。一瞬という時間の中で出来る限り分析した結果。 目の前に迫ってくるのは途轍もない化け物である。とてもじゃないが、自分だけでは対処しようがない。 敵の全貌は二足歩行で、両手に剣のような鋭く巨大な爪を持っており、運動能力は異常ともいえるぐらい高い。 そして、ステルス能力を有している。 ネルにかつてない恐怖だった。 巨大な龍とも戦ったこともある、エクスキューショナーとも戦ったときもある、未知なる科学力とも戦ったときもある。 だが、不可視の生物とは戦ったときはなかった。 他の三人も見えない敵とは戦ったときがないのか、呆然としていた。 ジャックはネルを助けようと、駆けつけて来る。が、 「ジャック、来るんじゃないよ。こいつの爪は鋭い、切り殺されたくないなら離れな!」 と、ネルは声を張り上げる。 武器を持っていないジャックは足を止め、何も出来ない悔しさから舌を打つ。 ネルはこのパーティで唯一の武器コスモライフルに全てを託す。もし、この攻撃が外れたなら、全員が殺されかねない。 ネルは見えない敵にライフルを構えて引き金を引いた。大きな銃口がキュイインと音をたて光り出す。 人の頭ぐらいのエネルギー弾が発射される。エネルギー弾は敵を狙い打つ。標準は標的を確実に捉えている。 お願いだ、当たってくれと、神に祈った。 だが、恐ろしいまでの身体能力で体を反り返して、避けられてしまう。 エネルギー弾は何もなかったように敵の横を通り過ぎる。 ネルに心底震え上がり、戦慄が走る。死という現実が刻々と迫ってきていた。 敵は土を踏みしめ、一気に間合い詰めてきた。空を切る音と共に物凄い勢いの二つの爪が振り下ろされる。 ネルは咄嗟の判断でパックから盾を取り出し、それを防いだ。 周囲に不自然な金切り音が響き渡る。 ネルは今の一撃を何とか防ぐことが出来た。その剣圧は凄まじいもので、 腕が使い物にならなくなりそうな一撃であった。 敵はそのまま第二打に移ろうとした。 が、ネルの持つ盾は受けた衝撃を星屑となって放出させる『スターガード』であったため、攻撃は続かなかった。 見えない敵も盾から星屑が噴射したことには、驚いたようで一旦距離を測ったようだ。 一時の安息の時間。 でも、内心ネルは焦燥と絶望に駆られていた。今の一撃を防いだことは偶然の産物であった。 次の攻撃を防げるかどうか、分からなかった。 透明で見えづらいに加えてこの速さ、もう何回も防げる代物ではない。 絶体絶命とはこのことだ。 ネルに諦めに似た笑みが零れる。 だが、最後まで諦めない、どこかで活路が開けるはずだ。 ネルは弱気になった自分を勇めた。 そして、敵の攻撃が再開された。 敵も戦法を変えたようで二つの爪を複雑に絡ませ、ネルを切り裂こうとする。 ネルは全身を使ってすべての刃撃を防御に回した。 それは、まさに一方的であった。まさに大人と子どもの喧嘩と形容できるほど力の差は歴然であった。 それでも、ネルは諦めなかった。 「うおぉおぉおぉお!!」 ネルは気合を入れるため咆哮した。盾を動かす手が大きく跳ね上がる。 右下、右上、左下、左上、中心、全方位に壁があるように剣戟を捌く。 全てを防御一辺倒に集中させた。それが、敵を倒す秘策になるとは思わない。 でも、耐えるんだ。活路を見出すため、ひたすら耐えるんだ。 ネルは雄たけびと同時に自分言い聞かせた。 その時である。 「足元がお留守だよ」 今まで、声を発することがなかった敵が口を開いた。 青年男性を思わせる声色、凶悪な力を持つ化け物のわりには、垢抜けた声質である。 すると、ネルの足元が氷結晶に覆われる。 化け物の顔付近と思われるところから、『コールドブレス』が吹きかけられたのだ。 ネルに絶望的な悪寒が走った。足元が凍りつき、まるで鎖のように繋ぎ止めている。 自分の最大の武器である起動力を削がれてしまったのだ。氷 を引き抜こうと足を活脈させるが、その一瞬が命取りであった。 爪を大きく一閃。 ネルの盾が弾き飛ばされ、無防備になる。 敵はこのときを待っていたのか。長い爪を天高く仰ぐように振り上げる。 ネルは瞳を閉じ、死を覚悟した。そして、振り落とされようとする。 だが、 「フギャ」 という、動物のような鳴き声がそれを中断させる。 ―――刹那 「クールダンセル」 遅れて、 「ファイアーボール」 敵は踵を返して、氷の精霊のようなものが現れ敵を三度切りつけようとする。敵はそれを全て爪で受けきる。 遅れて、火球が敵に迫る。敵はコールドブレスでそれを掻き消す。 氷床から抜け出したネルは目を見開いて、辺りを見渡す。 敵から遠く離れて、右側に二回目の呪文を唱えようとしている夢瑠。 同じく遠く離れて、左側に怯えた顔をしたアーチェ。 そんな二人を見て、ネルは笑みを浮かべる。二人におかげで助かったのだ。 「フギャア」 「ウルルン、ごめんよ。獲物を目の前に周りが見えてなかったよ……だから」 敵は踵を返して、右側を向く。 「あの娘から始末するよ」 視線の先には、呪文を詠唱している夢瑠がいた。 ネルは逸早くそれに気づいた。 「夢瑠!! 気をつ―――」 敵は疾風と共に夢瑠へと接近していった。乾いた跳躍音がネルの声を遮る。 ネルは脚力を奮い立たせ、敵を追いかける。 このままだと、夢瑠が敵に殺されてしまう。そう思うと、無我夢中で走った。 「凍牙!!」 背を向ける敵に氷の刃を投げつける。 ――止まれ、止まれ、止まるんだ。 ――当たれ、当たれ、当たるんだ。 一縷の願望を募らせて。 ――が、氷の刃はジュッと軽快な音を奏で消え去った。 背を向けているであろう敵が『ファイアーブレス』でそれを蒸発させたのだ。 その蒸発音はネルの中で絶望を奏でていた。 時間は超スピードの中で繰り広げられていたけど、スローモーションに感じられた。 敵の刃は夢瑠を確実に捕らえ、二つの爪で夢瑠を突き刺した。 そして、そのまま夢瑠は天へと貢物の差し渡すように持ち上げられた。 突然の出来事で、苦悶の表情を浮かべる夢瑠。 慟哭を胸のうちから咆哮するネルとジャック。 絶望の叫喚を張り上げるアーチェ。 己の刃を突き立てる不可視の敵。 何かの余興であろうか? 何かの儀式であろうか? ――――生贄 まさにその言葉がしっくりとくる地獄の光景。 「いやあああああああああ!!!」 アーチェの叫喚が全てを物語っていた。 ここはまさに地獄だと。 このとき、交戦が始まって3,4分足らずの出来事であった。 +++ 「あっぐ…」 一体自分に何が起こったのだろうか? 胸に見えない刃で貫かれている? 突如のことであった。ネルさんの援護をしようと二回目の呪文を唱えようとしていた。 そしたら、いきなりである。自分が刺され、天高く持ち上げられている。 夢瑠は意識を覚醒させると、脳内が痛みを認知させたのか。痛みが広がった。 胸からは大量の血が溢れ出ている。血漿が見えない刃を伝い落ち、一瞬で血を吸収したかのように消えていく。 まるで、命を吸い取る吸血鬼のように。 血で視界が満たされる。その中で夢瑠は思う。 私はここで何が出来ただろうか? 私は無慈悲に殺された那々美ちゃんの仇をとるために行動してきた。 でも、何も出来ないまま殺されていく。 夢瑠の脳内で走馬灯が駆け巡る。 優しかった母親の記憶。父親を探すために、旅に出た記憶。 両親を想って死を選んだ記憶。ヴァルキリーとの出会いの記憶。 人生を彩る様々な記憶たち。 擦れた記憶の走馬灯の中で最も色づいている記憶があった。 那々美ちゃんとの出会い記憶である。 人間と人魚のハーフである私をお友達として接してくれた心優しき友達。 このときの記憶が鮮明に映し出される。 ―――― 『初めまして、私は那々美と申します』 『えっえっ、初めまして、夢瑠です』 『ここには同じ年代の倭国の女の子がいらっしゃらないので、何となく寂しかったのですが、  新しい方がいらっしゃるとお聞きになったので飛んできました。私とお友達になっていただけませんか?』 『……』 『申し訳御座いません、いきなりのことで驚かしてしまいまして』 『えっ…そんなことないよ……でも、私でなんかでいいの?』 『ん?』 『私、姿は人間だけど……人間と人魚のハーフなの。だから……』 『別に気にしないでいいのですよ。ヴァルキリー様に選定された人たちは別にそんなことを気にしない善い人たちですし、  いろんな身分の方がいらっしゃるので、大丈夫ですよ』 『で、でも』 『それに私はただ普通に夢瑠さんとお友達になりたいだけで。人魚とか人間だとか関係ありません。  ただ純粋にお友達になっていただければと思いまして』 『友達……』 『も、申し訳御座いません。いきなり「お友達」とか、ご迷惑ですよね』 『えっ、そんな…謝らないでください。…私と友達になってくれるの…?』 『はい。できればそうお思いになって来ましたので』 『……ありがとう』 ―――― 今まで、人魚と人間のハーフであるため、一族で迫害されていた私。 人間とのハーフというだけで虐められて、友達といえる友達なんかいなかった。 いわば、那々美ちゃんは初めての女の子の友達である。 どうしてだろう? なぜ彼女の記憶が鮮明に思い浮かぶのであろうか? たぶん、私は後悔している。薄暗い空間で無数の光線を浴びて、床へと崩れ落ちる彼女。 私は突然の出来事で何が起こったのか分からなかった。突如のことで仕方がないかもしれない。 でも、私は恐怖で動けなかった。友達が倒れているのに駆け寄らなかった。 ルシファーに歯向かえば殺されるかもしれない。その言葉が自分を踏み止めた。 私は友達よりも自分の命を優先させた。別に悪いことではないはずだ。 でも、私は大切な友達を『見殺し』にした。その言葉がずっと頭の中にあった。 そして、私は那々美ちゃんのために何ができただろうか? 恐怖で怯え、見殺しにした彼女に。 何もしていない。今も昔も。 現に何もできないまま私は胸を貫かれ、全身を駆け巡る激痛を恐れ、死を待ち望んでいる。 那々美ちゃんの仇も討とうとせず、ネルさんたちを助けようせず、痛みから逃げようとしている。 本当に私このままでいいの? 那々美ちゃんと同じようにネルさんたちのために何もしないで逃げる? …そんなの嫌だ! 最後に一矢報いたい。 そうしないと私は那々美ちゃんに顔向けできない。 夢瑠は最後の灯火を上げ、記憶をフル回転させた。 死が確定的であるという状況下で夢瑠は火事場の馬鹿力ともいえる回転力で記憶を引き出す。 不可視の敵を目の前に、『透明』という事象に焦点を置いた。 透明になれるアイテムといえば『ルシッド・ポーション』と呼ばれる薬を服用すれば透明になれるはずである。 夢瑠は一度誰かが飲んでいるところを見たときがあった。 しかし、この薬は敵を攻撃すると効果が消えてしまうのだ。 目の前の敵はすでに何度も攻撃を繰り返しているので、この線はありえない。 だと……したら。 夢瑠は力を振り絞り、胸に突き刺さっている刃へと自分から食い込ませた。 ズブリと生暖かい音が夢瑠の体を伝う。 痛みはなかった。体中に死が蝕んでいる証拠であった。 夢瑠は腕を大きく広げ、不可視の敵の胸板があると思われるところに手を掛ける。 手に貴金属の感触が広がった。 夢瑠は勝利の笑み浮かべる。それは、微かで弱弱しかった。 そして、その感触を肌で確かめ、引き千切った。 ぼんやりとする視界の中。夢瑠に綺麗で毒々しいガラス細工のネックレスが映る。 予想は当たっていた、と最後の力で強く、それを握り絞める。 ―――パリーン 手の中で『ディメンジョン・スリップ』の破片が散らばった。 その破片たちは星屑を思わせ、皮肉にも綺麗であった。 夢瑠は破片を地面へと流れるように落とした。 さらさらと流れる破片は陽光と触れ合い、雫が注ぎ落ちように見える。 意識はもうすでになくなっていたのかもしれない。 その破片は自分の涙ように思えたから。 「那…々…美……ん…」 今度会っても友達でいてくれる?  何にも出来なかったけど?  私を許してくれる? そう思いを馳せながら、夢瑠の意識は深い闇へと堕ちていった。 +++ ---- [[第70話>最後の良心?]]← [[戻る>本編SS目次]] →[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]] |前へ|キャラ追跡表|次へ| |[[第53話>渇いた叫び]]|アーチェ|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第53話>渇いた叫び]]|ジャック|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第40話>続・止まらない受難]]|ネル|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第40話>続・止まらない受難]]|夢瑠|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第59話>幸運と不幸は紙一重?]]|アシュトン|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第34話>見えない不幸]]|プリシス|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第34話>見えない不幸]]|アリューゼ|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]|
**第71話 絶望の笛(前編) ―――いったい何がいけなかったのだろうか? 「いや…いや…違うの! そんなはずは……そんなつもりじゃ……」 少女は驚愕と絶望の前で嘆いた。冷ややかな視線が少女を凍りつかせる。 ―――いったいどこで歯車が狂ったのだろうか? 「ジャック……」 特に少年の目が痛かった。その眼がすべてを根こそぎ抉り取った。 ―――仲間を想う気持ちのどこがいけなかったのだろうか? 「わたしは…わたしは…」 もう何もかもが壊れてしまった。修復しようがないほど。 ――――時は遡る―――― G-05とH-05の境界付近。道筋を離れ、林の中を覗いてみると、きこりが休憩できるような切り株がぽつんと置かれている。 アーチェとジャックはその切り株を背に座っていた。 二人は会話することもなく、頭を落とし、無言で地面を見ている。 すでにアーチェの呼びかけから半時間が経過していた。でも、一行に誰も訪れることはなかった。 延々と流れる静観を見つめ、二人は知り合いを待ち続けている。 二人の間には、気まずい静寂が広がっていた。お互いにそれを破ろうとするが長く会話が続かない。 それもそのはず、二人は大切な仲間を失ったのだ。 その最中、アーチェはこのまま誰も来ないかという思念に駆られた。嫌な答えである。 すぐに、その考えを捨てるかのように首を振る。 そして、また、かつての仲間に会えるという希望を抱きながら、期待を望みながら、地面を覗いた。 その数分後、アーチェに希望とも思える足音が聞こえてくる。 ジャックもそれに気づいたのか、周囲を見渡している。 二人は耳を傾け、足音を探した。 すると、林の中から息を切らした赤毛の女性と同じく息を切らした黒髪の少女が現れた。 赤毛の女の人は双眸を歪ませ、こちらを睨みつけている。そして、自分たちに言った第一声は、 「あんた達、何やってんだい!!」 と、怒号であった。 アーチェはいきなり怒鳴りつけられるとは、思ってもみなかった。 しかも、初対面の人間ならば尚更である。アーチェに言いようのない感情が湧き上がる。そして、返した。 「何って!? 仲間を待っているのよ!! それしかないじゃない!!」 怒りという感情で質問を投げ返す。全身を使って、言い返した。ジャックは突然の剣幕に驚き、落ち着けと宥めようとする。 でも、アーチェの憤慨は止められない。 なぜ自分が怒られなければいけないのか?  仲間を想う事はいけない事なのか? ただ自分は仲間に会いたいだけなのだ。 だから、アーチェは許せなかったのだ。自分の仲間を想う気持ちを否定されたようで。 「あんた……自分のやっていることがわからないのかい?  こんなことすれば、殺しに乗った奴が来る可能性を考えたのかい?」 「……わかってるわよ…」 アーチェは抑揚のない声で言った。そんなこと当に分かっている。 でも、ミントが死んだことがあまりに悲しくて。かつての仲間に会いたくて。 口元から感情が溢れ出す。 「ただ、仲間に会いたいだけなの!! 仲間を想う気持ちの何がいけないの!?  アンタには大切な仲間を失った私の気持ちが分かるの?  ……ミントを失った気持ちが!! 私の…私の気持ちが…」 アーチェはそう言うと影を落とした。 自分で言っていて嫌になる。他人に怒りをぶつけても、無意味だから。ミントは生き返らないから。 だけど、言われずにはいられない、憤りを浴びせかける。 赤毛の女性――ネルは視線を落とし、黙り込んだ。彼女が仲間を想う気持ちが痛くわかるのだ。 自分も知り合いを3人も失った。その中には……。 でも、私には、彼女の悲しみを癒せそうな気の利いた言葉も、かける言葉が思いつかない。 「あんたには、私の気持ちがわからないわ!!」 「それは、違うわ!!」 ずっとネルの後ろで口を噤んでいた少女――夢瑠が震わせる。 「ネルさんも大切な仲間を亡くしたの! その中には彼女の親友もいるのよ!」 夢瑠はネルから仲間たちの情報を聞いていた。 陽気で心優しいムードメイカーの少女。筋肉ムキムキ半裸の熱血漢の壮年親父。 そして、その娘であるネルさんの幼馴染であり、親友である女性。 ネルさんは放送を聞いた後でも、気丈に振舞っているが、内心悲しんでいる。 夢瑠には、道中でひしひしとそれを感じ取っていた。 「それに……」 夢瑠は一瞬言葉を詰まらせた。でも、喉を伝い言葉にする。 「私も……仲間を失った。ジェラードちゃん、ロウファさん。  そして、初めての女の子のお友達で最初のルシファーの犠牲者――那々美ちゃん。  みんな善い人だった。だけど、死んじゃった。だから―――」 きりりと、鋭い眼差しでアーチェを見つめる。 「大切な人を失った悲しみを抱いているのは貴女だけじゃない!  私もネルさんも他のみんなも悲しんでいるわ!  だから、自分だけが悲劇のヒロインぶらないで!  私たちも大切な人を亡くしているんだから……」 夢瑠はそこまで言うと口を閉ざした。それ以上言うと涙が溢れそうになる。 ネルに余計な心配をかけたくない。彼女も耐えているから。 アーチェは夢瑠の視線を逸らし、無表情で俯いている。夢瑠の言葉に何かを感じ取ったのか、終始無言である。 辺りに沈黙が包み込む。森のざわめきだけが辺りを響かせ、清閑を演出させた。 でも、4人の間にはぎこちない空気が流れていた。 突然ジャックがそれを打ち破るように静かに語りだした。 「……オレもさあ。知り合いが亡くなったんだ。  オレが騎士団にいたときお世話になった団長と戦士ギルドでお世話になった大隊長」 みんなの視線がジャックに注がれる。 「殺し合いに参加していたときから覚悟はしていたけど、やっぱり無理だった。すごく悔しいし、悲しい」 暗い表情で語るジャック。 次の瞬間、蝋燭に炎が灯ったかのように覇気が篭った。 「だからさ、決めたんだ。ぜってぇにルシファーをぶっ飛ばして仇をとるってな!!」 体全体でガッツポーズ決める。その姿は何となく頼りなかったが、三人にはなぜか眩しく見えた。 「俺たちさ。こんなところで喧嘩なんかしてないで、一緒にやっていこうぜ。  そうすれば絶対どうにかなるって」 ジャックは屈託なく、語りかけた。 その口調は自分たちだけでなく、まるで島全体の参加者全員に語りかけるようだった。 横にいたアーチェはジャックを見つめる。 横から見えるジャックの眼は怒りとも憎しみとも思えない内なる闘志が漲っている。 その純粋な眼を見ると、アーチェは周囲に感情を当り散らした自分が嫌になった。 そして、ネルに視線を向け「ごめんなさい」と、謝った。 ネルも謝るアーチェに頭を下げる。 「すまない、私の方こそ言い過ぎた」 間髪入って、夢瑠も「ごめんなさい」と、謝る。 「そうそう、仲直りするのが一番。みんなで協力し合えば、何だって出来るさ」 ジャックはそう言うと笑顔を見せた。 それに釣られて、三人も笑顔を綻ばせた。 「おっと、自己紹介を忘れていた。俺はジャック・ラッセル。そして、隣の…」 「アーチェ・クライン」 「私はネル・ゼルファー」 「夢瑠です」 四人は簡素だが、互いに自己紹介をした。そして、すでにやるべきことが決まっていた。 ネルは口を開き、情報を交換させようとする 「早速だが、ここを離れ―――」 ―――――刹那 ネルとジャックは気配を感じた。刃が風を切る音である。その音の方向に二人は視線を寄せる。 そこには、太陽の明かりで光り輝く刃。鋭く尖らせた氷柱が迫ってきていた。 その氷柱は明らかに自分たちを狙っていた。 そして―――夢瑠目掛け飛んでくる。 「敵襲!!」 ネルは掛け声をかけると同時に三つの氷の刃を氷柱に投げる。 ネルの『凍牙』では、大きな氷柱は砕けないことは分かっていた。 でも、夢瑠目掛け飛ぶ氷柱を少しでも軌道ずらさなければならなかった。 三つの氷の刃は氷柱に当たると、砕け散った。氷の破片が太陽の光に乱反射し、煌びやかに光った。 そして、夢瑠のわき腹を貫いた。 「え、えっ!?」 夢瑠には何が起こったのか。さっぱり分からなかった。気づいた時には、刺さっていたのだ。 だらだらと血が流れる。地面が血で濡れる。 ネルが軌道をずらしたおかげで死に至るほどの致命傷ともならずに済んだが、その傷は深かった。 夢瑠は痛みに耐え切れず、その場に崩れ落ちた。 「いや、いやぁ…」 アーチェは嗚咽のようなか細い声を吐き出した。 恐れていた事態が起こったのだ。殺し合いに乗った者が自分たちを襲おうとしている。 自分たちを殺そうとする『敵』が現れたのである。しかも、アーチェ自身が引き寄せたのである。 自分のせいで、みんなを危険に晒してしまった。自分のせいで、夢瑠が大怪我を負ってしまった。 このとき、アーチェの中で深い後悔と罪悪感が静かに忍び寄っていた。 と、同時に、またアーチェの知らない次元である変化が訪れようとしていた。 ――――アーチェの『敵』という認識。 まさにこの場が地獄へと変わろうとした瞬間である。 アーチェの懐に納まっている可愛らしいフィギュアが効果を発動しようとする。 まるで静かに忍び寄る夢魔のようにアーチェたちを刻々と蝕んでいった。 +++ 「しまったなあ。まさか、気づかれるとは思ってもみなかった」 アシュトンはノートンとメルティーナの首輪を狩り取ってから、拡声器の声の主を探しに森の中へと突き進んでいた。 その十数分後であった。ギョロとウルルンが人の気配を感じて、以外にあっけなく、 拡声器の本人と思われる人だかりを発見したのだ。 アシュトンはすかさず20メートル先の樹木に隠れた。 男が一人と女が三人の合計で四人。かなりの大人数であった。 どんな会話をしているか分からないが何か言い合っているようだ。 プリシスのために参加者を殺さなければならない。が、さすがに四人を相手にするのは無謀といえる。 少しでも多くの人間を殺すには自分が生き残るしかない。そのためにも、自分は死ぬわけにはいかない。 だから、奴らに気づかれずに一人を殺害して、この場から逃亡する案にした。 首輪が刈り取れないことは残念だが、首輪はプリシスへの愛の証明であって、 少しでも参加者を殺害することに意義があるのだ。そう自分に言い聞かせる。 剣を十字切って、氷の魔力を練る。剣先から鋭い氷柱が具現化する。 いつもより大きさが小さいが、人を殺すには十分の大きさであった。 『ノーザンクロス』が完成した。 そして、確実に人を殺すため、自分から一番近くにいる黒髪で翠色の服装の少女にそれを打ち出した。 確実に仕留められるはずだった。 だが、思わぬところで失敗してしまう。赤毛の女はかなりの手足れなのか、それを察知し、殺しを阻止してしまったのだ。 大怪我を負わせることには成功したが意味はない。あくまで殺さなければならなかったのだ。 自分には正面を突き進んで、四人を捌き切る自信はない。 「フギャ(アシュトン、逃げたほうがいいぞ、さすがに四人相手だと厳しいぞ)」 「……ああ」 アシュトンは口惜しそうに呟いた。 幸い相手は自分の居所を掴んでいない。 四人は警戒態勢に入っているが、自分を探そうと周囲にキョロキョロと目を泳がせている。 逃亡するには最適な条件であった。 でも、獲物を目の前に引かなければならない。これほど悔しいことがあるだろうか。 アシュトンは悔しさから鞘に収めてあった剣を引き抜く。 別に四人に切りかかるつもりはない。ただ、悔しさを表す表現であった。 しかし、その行動がアシュトンにとって思わぬ展開を生むことになった。 ――剣が羽のように軽いのだ。 アシュトンは一瞬体が強張った。構えている剣が軽い。不思議な感覚であった。 しかも、自分が持つ剣は両手持ち専用である。とてもじゃないが、軽くはない。 実際何度か剣を振っているので、この剣の重量は肌で感じていた。 ギョロとウルルンも違和感に気づいたのか。小さく喚いている。 「ギャフ(アシュトン、体が変だぞ。身体全体から魔力が溢れ出るぞ)」 「うん、分かっているよ」 アシュトンも薄々感じ取っていた。魔力だけではない。 腕力、跳躍力、体力、動体視力、身体感覚、潜在能力、全てにおいて爆発的に漲る。 「これなら」 アシュトンはディパックから機械仕掛けの筒を取り出した。 イメージを頭の中で産出させた。すると、筒は剣へと変容する。 アシュトンの両手には、剣が二つ。 普段のアシュトンの戦闘スタイルになった。 でも、通常と違う点を言うと、どちらも両手持ち専用の剣であった。 その暴力的なパワーをフル活用し、軽々と持ち上げている。 小剣を両手に構えるアシュトンにとって、リーチの差や間合いが前のより比較にならないほどパワーアップしていた。 アシュトンは笑いが止まらなかった。それは猟奇的な笑いであった。 天は自分に味方している。そんな気分であった。 まさに神の思し召し。トライア神のご加護。プリシスをひた向きに愛し続けた自分への最高の贈り物。 そんな、歓喜するアシュトンにウルルンが危険を知らせる。 「フギャ(おい、喜んでいる暇はないぞ、雷が迫ってきているぞ)」 「!?」 気づかれてしまったのか電撃がアシュトンに向かって迫ってくる。 アシュトンはすかさずステップを踏んで、避けようとした。 確実避けられるはずだったのに電撃は意思があるかのように追尾してくる。アシュトンは覚悟を決めるが、 「あれ!?」 全然平気だった。無傷である。すこし、ビリッとしただけで、痛みもほとんどない。 戦闘にも全く支障なし。見た目の割には、ただの虚仮脅しの威力である。 心配して損したと、息を漏らす。しかし、ずっと雷撃は自分の回りに纏わりついている。 アシュトンはそれを気にすることなく、戦いへと飛び出した。 +++ ネルたちはまだ見ぬ敵襲から警戒態勢を保っていた。 第一襲撃から時間はあまり経っていないが、気配を感じ取っていた。今 にも、林の中でなりを潜めているのである。シーハーツの諜報員であるネルには、気配を読み取ることは容易である。 ジャックもなかなかの実力者であろうか、緊張を解いていない。夢瑠は痛みをこらえ、痛々しく戦闘態勢でいた。 アーチェも震えながら構えている。四人は全方向に感覚を張り巡らせた。 そんな中、夢瑠がわき腹を押さえながら、ネルに尋ねる。 「ネルさん、本当に敵がいるんですか? もうどっか行っちゃったとか?」 「いや、確実にどこかにいる。油断するんじゃないよ」 ネルはそう言うと、目を閉じ、手のひらを構える。 手に雷の魔力を溜め、追尾性能の高い雷撃を放った。 「『雷煌破』」 電撃は気配の方向へとジグザグに飛んでいった。もし、敵がいるなら、雷撃はソイツを襲うだろう。 しかし、あまり期待は出来ない。この技は威力がかなり低いのだ。でも、相手を燻り出すには最適な技である。 ネルはキョトンとする三人に簡単な技の説明する。 「でも、変ですよ。何もないところをぐるぐると回っていますよ」 雷撃の飛び立ったほうを見ると、何もない空間を纏わり付いている。 「変だね。今までこんなこと一度もないのに」 ネルは異変を感じていた。気配がないならその場に留まるはずなのに反応している。何かが変だ。 突然、同じところを巡回する電撃がものすごい速さで自分たちに迫ってくる。 ネルは一瞬で判断した。それは見えない何かであった。 「みんな離れるんだ! 何かが迫ってきている!」 何もない空間が人のような化け物のような形で揺らいでいる。 そして、電撃がその得体の知れないものに絡み付いていた。 「『凍牙』」 ネルはソレ目掛け、三つの氷の刃を飛ばす。刃はソレを捉えていた。 だが、その三つは空中で砕け散った。うっすら鋭い刃のような物で一振り。 たったそれだけで、全ての氷の刃を叩き切ったのである。 ネルはこの攻撃で悟った。一瞬という時間の中で出来る限り分析した結果。 目の前に迫ってくるのは途轍もない化け物である。とてもじゃないが、自分だけでは対処しようがない。 敵の全貌は二足歩行で、両手に剣のような鋭く巨大な爪を持っており、運動能力は異常ともいえるぐらい高い。 そして、ステルス能力を有している。 ネルにかつてない恐怖だった。 巨大な龍とも戦ったこともある、エクスキューショナーとも戦ったときもある、未知なる科学力とも戦ったときもある。 だが、不可視の生物とは戦ったときはなかった。 他の三人も見えない敵とは戦ったときがないのか、呆然としていた。 ジャックはネルを助けようと、駆けつけて来る。が、 「ジャック、来るんじゃないよ。こいつの爪は鋭い、切り殺されたくないなら離れな!」 と、ネルは声を張り上げる。 武器を持っていないジャックは足を止め、何も出来ない悔しさから舌を打つ。 ネルはこのパーティで唯一の武器コスモライフルに全てを託す。もし、この攻撃が外れたなら、全員が殺されかねない。 ネルは見えない敵にライフルを構えて引き金を引いた。大きな銃口がキュイインと音をたて光り出す。 人の頭ぐらいのエネルギー弾が発射される。エネルギー弾は敵を狙い打つ。標準は標的を確実に捉えている。 お願いだ、当たってくれと、神に祈った。 だが、恐ろしいまでの身体能力で体を反り返して、避けられてしまう。 エネルギー弾は何もなかったように敵の横を通り過ぎる。 ネルに心底震え上がり、戦慄が走る。死という現実が刻々と迫ってきていた。 敵は土を踏みしめ、一気に間合い詰めてきた。空を切る音と共に物凄い勢いの二つの爪が振り下ろされる。 ネルは咄嗟の判断でパックから盾を取り出し、それを防いだ。 周囲に不自然な金切り音が響き渡る。 ネルは今の一撃を何とか防ぐことが出来た。その剣圧は凄まじいもので、 腕が使い物にならなくなりそうな一撃であった。 敵はそのまま第二打に移ろうとした。 が、ネルの持つ盾は受けた衝撃を星屑となって放出させる『スターガード』であったため、攻撃は続かなかった。 見えない敵も盾から星屑が噴射したことには、驚いたようで一旦距離を測ったようだ。 一時の安息の時間。 でも、内心ネルは焦燥と絶望に駆られていた。今の一撃を防いだことは偶然の産物であった。 次の攻撃を防げるかどうか、分からなかった。 透明で見えづらいに加えてこの速さ、もう何回も防げる代物ではない。 絶体絶命とはこのことだ。 ネルに諦めに似た笑みが零れる。 だが、最後まで諦めない、どこかで活路が開けるはずだ。 ネルは弱気になった自分を勇めた。 そして、敵の攻撃が再開された。 敵も戦法を変えたようで二つの爪を複雑に絡ませ、ネルを切り裂こうとする。 ネルは全身を使ってすべての刃撃を防御に回した。 それは、まさに一方的であった。まさに大人と子どもの喧嘩と形容できるほど力の差は歴然であった。 それでも、ネルは諦めなかった。 「うおぉおぉおぉお!!」 ネルは気合を入れるため咆哮した。盾を動かす手が大きく跳ね上がる。 右下、右上、左下、左上、中心、全方位に壁があるように剣戟を捌く。 全てを防御一辺倒に集中させた。それが、敵を倒す秘策になるとは思わない。 でも、耐えるんだ。活路を見出すため、ひたすら耐えるんだ。 ネルは雄たけびと同時に自分言い聞かせた。 その時である。 「足元がお留守だよ」 今まで、声を発することがなかった敵が口を開いた。 青年男性を思わせる声色、凶悪な力を持つ化け物のわりには、垢抜けた声質である。 すると、ネルの足元が氷結晶に覆われる。 化け物の顔付近と思われるところから、『コールドブレス』が吹きかけられたのだ。 ネルに絶望的な悪寒が走った。足元が凍りつき、まるで鎖のように繋ぎ止めている。 自分の最大の武器である起動力を削がれてしまったのだ。氷 を引き抜こうと足を活脈させるが、その一瞬が命取りであった。 爪を大きく一閃。 ネルの盾が弾き飛ばされ、無防備になる。 敵はこのときを待っていたのか。長い爪を天高く仰ぐように振り上げる。 ネルは瞳を閉じ、死を覚悟した。そして、振り落とされようとする。 だが、 「フギャ」 という、動物のような鳴き声がそれを中断させる。 ―――刹那 「クールダンセル」 遅れて、 「ファイアーボール」 敵は踵を返して、氷の精霊のようなものが現れ敵を三度切りつけようとする。敵はそれを全て爪で受けきる。 遅れて、火球が敵に迫る。敵はコールドブレスでそれを掻き消す。 氷床から抜け出したネルは目を見開いて、辺りを見渡す。 敵から遠く離れて、右側に二回目の呪文を唱えようとしている夢瑠。 同じく遠く離れて、左側に怯えた顔をしたアーチェ。 そんな二人を見て、ネルは笑みを浮かべる。二人におかげで助かったのだ。 「フギャア」 「ウルルン、ごめんよ。獲物を目の前に周りが見えてなかったよ……だから」 敵は踵を返して、右側を向く。 「あの娘から始末するよ」 視線の先には、呪文を詠唱している夢瑠がいた。 ネルは逸早くそれに気づいた。 「夢瑠!! 気をつ―――」 敵は疾風と共に夢瑠へと接近していった。乾いた跳躍音がネルの声を遮る。 ネルは脚力を奮い立たせ、敵を追いかける。 このままだと、夢瑠が敵に殺されてしまう。そう思うと、無我夢中で走った。 「凍牙!!」 背を向ける敵に氷の刃を投げつける。 ――止まれ、止まれ、止まるんだ。 ――当たれ、当たれ、当たるんだ。 一縷の願望を募らせて。 ――が、氷の刃はジュッと軽快な音を奏で消え去った。 背を向けているであろう敵が『ファイアーブレス』でそれを蒸発させたのだ。 その蒸発音はネルの中で絶望を奏でていた。 時間は超スピードの中で繰り広げられていたけど、スローモーションに感じられた。 敵の刃は夢瑠を確実に捕らえ、二つの爪で夢瑠を突き刺した。 そして、そのまま夢瑠は天へと貢物の差し渡すように持ち上げられた。 突然の出来事で、苦悶の表情を浮かべる夢瑠。 慟哭を胸のうちから咆哮するネルとジャック。 絶望の叫喚を張り上げるアーチェ。 己の刃を突き立てる不可視の敵。 何かの余興であろうか? 何かの儀式であろうか? ――――生贄 まさにその言葉がしっくりとくる地獄の光景。 「いやあああああああああ!!!」 アーチェの叫喚が全てを物語っていた。 ここはまさに地獄だと。 このとき、交戦が始まって3,4分足らずの出来事であった。 +++ 「あっぐ…」 一体自分に何が起こったのだろうか? 胸に見えない刃で貫かれている? 突如のことであった。ネルさんの援護をしようと二回目の呪文を唱えようとしていた。 そしたら、いきなりである。自分が刺され、天高く持ち上げられている。 夢瑠は意識を覚醒させると、脳内が痛みを認知させたのか。痛みが広がった。 胸からは大量の血が溢れ出ている。血漿が見えない刃を伝い落ち、一瞬で血を吸収したかのように消えていく。 まるで、命を吸い取る吸血鬼のように。 血で視界が満たされる。その中で夢瑠は思う。 私はここで何が出来ただろうか? 私は無慈悲に殺された那々美ちゃんの仇をとるために行動してきた。 でも、何も出来ないまま殺されていく。 夢瑠の脳内で走馬灯が駆け巡る。 優しかった母親の記憶。父親を探すために、旅に出た記憶。 両親を想って死を選んだ記憶。ヴァルキリーとの出会いの記憶。 人生を彩る様々な記憶たち。 擦れた記憶の走馬灯の中で最も色づいている記憶があった。 那々美ちゃんとの出会い記憶である。 人間と人魚のハーフである私をお友達として接してくれた心優しき友達。 このときの記憶が鮮明に映し出される。 ―――― 『初めまして、私は那々美と申します』 『えっえっ、初めまして、夢瑠です』 『ここには同じ年代の倭国の女の子がいらっしゃらないので、何となく寂しかったのですが、  新しい方がいらっしゃるとお聞きになったので飛んできました。私とお友達になっていただけませんか?』 『……』 『申し訳御座いません、いきなりのことで驚かしてしまいまして』 『えっ…そんなことないよ……でも、私でなんかでいいの?』 『ん?』 『私、姿は人間だけど……人間と人魚のハーフなの。だから……』 『別に気にしないでいいのですよ。ヴァルキリー様に選定された人たちは別にそんなことを気にしない善い人たちですし、  いろんな身分の方がいらっしゃるので、大丈夫ですよ』 『で、でも』 『それに私はただ普通に夢瑠さんとお友達になりたいだけで。人魚とか人間だとか関係ありません。  ただ純粋にお友達になっていただければと思いまして』 『友達……』 『も、申し訳御座いません。いきなり「お友達」とか、ご迷惑ですよね』 『えっ、そんな…謝らないでください。…私と友達になってくれるの…?』 『はい。できればそうお思いになって来ましたので』 『……ありがとう』 ―――― 今まで、人魚と人間のハーフであるため、一族で迫害されていた私。 人間とのハーフというだけで虐められて、友達といえる友達なんかいなかった。 いわば、那々美ちゃんは初めての女の子の友達である。 どうしてだろう? なぜ彼女の記憶が鮮明に思い浮かぶのであろうか? たぶん、私は後悔している。薄暗い空間で無数の光線を浴びて、床へと崩れ落ちる彼女。 私は突然の出来事で何が起こったのか分からなかった。突如のことで仕方がないかもしれない。 でも、私は恐怖で動けなかった。友達が倒れているのに駆け寄らなかった。 ルシファーに歯向かえば殺されるかもしれない。その言葉が自分を踏み止めた。 私は友達よりも自分の命を優先させた。別に悪いことではないはずだ。 でも、私は大切な友達を『見殺し』にした。その言葉がずっと頭の中にあった。 そして、私は那々美ちゃんのために何ができただろうか? 恐怖で怯え、見殺しにした彼女に。 何もしていない。今も昔も。 現に何もできないまま私は胸を貫かれ、全身を駆け巡る激痛を恐れ、死を待ち望んでいる。 那々美ちゃんの仇も討とうとせず、ネルさんたちを助けようせず、痛みから逃げようとしている。 本当に私このままでいいの? 那々美ちゃんと同じようにネルさんたちのために何もしないで逃げる? …そんなの嫌だ! 最後に一矢報いたい。 そうしないと私は那々美ちゃんに顔向けできない。 夢瑠は最後の灯火を上げ、記憶をフル回転させた。 死が確定的であるという状況下で夢瑠は火事場の馬鹿力ともいえる回転力で記憶を引き出す。 不可視の敵を目の前に、『透明』という事象に焦点を置いた。 透明になれるアイテムといえば『ルシッド・ポーション』と呼ばれる薬を服用すれば透明になれるはずである。 夢瑠は一度誰かが飲んでいるところを見たときがあった。 しかし、この薬は敵を攻撃すると効果が消えてしまうのだ。 目の前の敵はすでに何度も攻撃を繰り返しているので、この線はありえない。 だと……したら。 夢瑠は力を振り絞り、胸に突き刺さっている刃へと自分から食い込ませた。 ズブリと生暖かい音が夢瑠の体を伝う。 痛みはなかった。体中に死が蝕んでいる証拠であった。 夢瑠は腕を大きく広げ、不可視の敵の胸板があると思われるところに手を掛ける。 手に貴金属の感触が広がった。 夢瑠は勝利の笑み浮かべる。それは、微かで弱弱しかった。 そして、その感触を肌で確かめ、引き千切った。 ぼんやりとする視界の中。夢瑠に綺麗で毒々しいガラス細工のネックレスが映る。 予想は当たっていた、と最後の力で強く、それを握り絞める。 ―――パリーン 手の中で『ディメンジョン・スリップ』の破片が散らばった。 その破片たちは星屑を思わせ、皮肉にも綺麗であった。 夢瑠は破片を地面へと流れるように落とした。 さらさらと流れる破片は陽光と触れ合い、雫が注ぎ落ちように見える。 意識はもうすでになくなっていたのかもしれない。 その破片は自分の涙ように思えたから。 「那…々…美……ん…」 今度会っても友達でいてくれる?  何にも出来なかったけど?  私を許してくれる? そう思いを馳せながら、夢瑠の意識は深い闇へと堕ちていった。 +++ ---- [[第70話>最後の良心?]]← [[戻る>本編SS目次]] →[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]] |前へ|キャラ追跡表|次へ| |[[第53話>渇いた叫び]]|アーチェ|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第53話>渇いた叫び]]|ジャック|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第40話>続・止まらない受難]]|ネル|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第40話>続・止まらない受難]]|夢瑠|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第59話>幸運と不幸は紙一重? ]]|アシュトン|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第34話>見えない不幸]]|プリシス|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]| |[[第34話>見えない不幸]]|アリューゼ|[[第71話(後編)>絶望の笛(後編)]]|

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