第105話 闇の王と炎の王、激突のこと(中編)


(よし――上手いこと挑発に乗ったか)
奥義のための『溜め』の体勢に入ったミカエルを見やり、ブラムスは自らの策が成ったことを知る。
ミカエルに対し吐いてみせた、けれん味たっぷりの口上――それらは全てが真実であり、全てが虚偽とも言える。
ブラムスは不死者でありながら、同時に拳士でもある。
不死者の持つ獣性と、拳士としての求道心が同居する彼の胸中は、
もちろん強大な敵との戦いで昂ぶりもするし、時にはその不正なる生すら賭けたいと思うほどに、
戦いという行為に飢えることもある。
しかしただ戦という行為自体を求めるだけであれば、所詮ブラムスはただ強いだけの不死者に過ぎない。
不死者の王を名乗るのであれば、求められるものはただ戦に酔うだけの獣性のみではないのだ。
あらゆる不死者をかしずかせる絶対のカリスマ、そして自らの誤りを許さない知性、
これらもまた、求められる。
そのブラムスの知性は、この目の前の敵が真に命を賭けるに値しない敵であると、彼自身に静かに告げていた。
(残念ながら、我の命ならざる命は、貴様のような痴れ者ごときにくれてやれるほど安くはない。
我は貴様のような手合いこそ、最も嫌悪するものだ)
ブラムスが最も嫌悪する存在――それは自らの弱さに絶望し不貞腐れ、
それ以降あがく事を放棄する意気地なしでもなければ、
常に他者をだまくらかし卑劣な策略に嵌めようと試みる、臆病者でもない。
自らに力があると理解しながら、その力を善事にも悪事にも用いようとせず、
ただ自らの破壊衝動の奴隷に成り下がり、けだもののようにしか振る舞えぬ愚か者である。
下級の不死者の中には、けだもののようにしか振る舞えぬ者達も決して少なくはなく、
むしろそれらの方が多数派とも言えよう。
けれども彼らが長年の戦いや偶発的な事由などにより、強大な力を持つに至ったのならば、
いつまでもけだもののごとき振る舞いを許しておくべきではないと、彼は心中で断じている。
人間にとっては、このような例えが適切だろう。
もし大の大人が赤子のように泣き叫び、自らの不満を感情的に叩き付ける事しかできなければ、
もしくは白痴のような愚劣な発言を行うことしかできなければ、周囲の人間はそれをどう評しようか?
言うまでもなく、周囲の人間は彼または彼女を蔑み、見下し、良くとも憐れむのが精々であろう。

ブラムスにとってのミカエルは、それと同じこと。
(念のため、奴にも『フレイを殺したのは貴様か?』と問おうかと、一瞬でも考えた我もまた愚劣なものよ。
それに関しては、我もまた恥じ入らねばならぬ)
ブラムスは、ゆえにミカエルに出会った時点で、彼がフレイ殺害の実行者では無いと断じた。
フレイはこの手の手合いに殺されるほどに、間抜けではない――
百歩譲って、本当にミカエルがフレイ殺害の犯人であったとしたなら、
フレイはそれだけ自身の見ぬ間に堕していたということ。
そんなフレイなど死んだところで、ブラムスの胸に哀悼の意など、雀の涙ほどにも湧いて来ない。
(では、早々に貴様は葬らせてもらうとするか。
たとえ虚言とは言え、貴様にあれほどの麗辞を送ったなど、思い出すだけでも胸が悪くなる)
ブラムスもまた、ミカエルに応じてその内なる魔力を練り上げるが、それもまた表面的なものに過ぎない。
この男の膂力は、不死者の怪力を持つ自身に匹敵し、下手をすれば凌駕する。
そしてミカエルは闇の力に耐性を持ち、対する自身はミカエルの炎を苦手とする。
先ほど「スピキュール」を「ブラッディカリス」で相殺したときは、
幸いにも炎と闇の秘めたエネルギーの絶対量がほぼ同値だったからこそ、無傷で相殺に成功したのだ。
もし何か一つでも不運な要素が起これば、「ブラッデイカリス」が押し負ける危険も十二分。
万一押し負けてミカエルの炎を直接浴びれば、ブラムスもただでは済まされない。
ならば真正面からぶち当たるなど、二度とあってはならない。それ以外に、手が残されていないときを除けば。
(貴様が『スピキュール』とやらを放つ瞬間に、我は貴様の背後を頂こう)
ブラムスが一見ミカエルを好敵手と認め、真っ向勝負を望む旨を吐露したのは、全て虚言。
その虚言でミカエルを挑発し、大技を誘ったところでミカエルの背後を取り、そこから不意打ちの一撃を見舞う。
それが、ブラムスの狙い。
仮に不意打ちに失敗したとしても、ブラムスの戦士としての勘は告げている――ミカエルの疲労具合を見れば、
おそらくあと一撃大技を撃たせれば、さしものミカエルとて疲労困憊となるだろう。
対するこちらは、可能な限り消耗を抑えた立ち回りを心がけている。
後はその残されたスタミナの差にものを言わせ、一気に畳み掛ければよい。

(――が、我も念のため保険はかけておくとするか)
ブラムスは顔面を覆う仮面に、そっと手をかける。
ブラムスの仮面が外れ、その下から現れるは、遮られるものなき魔の眼光。
その眼光が、忽然と揺れる。
目の前で灼熱の炎に包まれるミカエルの姿が消えた。
その先は、上空。
「むう!?」
「炎を練ってたときに思っててんだけどよぉ……」
その強靭な肉体が可能とする、常人の数十倍の高度を稼げる超跳躍。
ミカエルは、舞った。
この急ごしらえの雑木林の、空き地の上空へ。
黄金の残像と残熱が尾を引きつつ、高空に留まる。
そこから放射される熱量は未だ衰えず――むしろ、増加する一方!
「何もてめえ相手に馬鹿正直にあたりに行かずとも、ここからパワー全開で『スピキュール』をブチかましゃあ……」
空に燃える、黄金色の熱。
ミカエルのまとう熱の密度はまさに太陽のそれを思わせるが、彼が空に昇る事で、
その姿はますます太陽に近いものとなる。
「この辺り一体、マグマの海に変える事くれえできなくはねえんだよなあ。つまり――」
ミカエルの直下の大地が、突如として巻き起こった焼け付く暴風に破砕される。
ミカエルから放射される熱が空気を異常加熱し、それが結果として風すらも呼ぶ。
にわかに巻き起こる火炎旋風――すなわち、山火事や震災後の広域火災の熱が巻き起こす、火炎そのものを含んだ竜巻。
破砕と同時に融解を起こす地面が、ミカエルの壮烈なまでの大破壊を彩る。
「てめえもそれ以外の3人もまとめていっぺんに焼け死ぬから、手間が省けて好都合ってもんよォ!!!」
ミカエルの肉体の一点を焦点とし、黄金の輝きが殺到。
言うまでもなく、その向かう先は彼自身の右手。
「ところで変態仮面野郎……太陽はどうしてあちぃか、知ってるか? その答えは簡単だ」
金色の光が、更なる臨界点を突破。
その結果が白色光――完全なる白色光。
量子力学の説くところの、温度無限大の黒体にのみ放射することを許される、超熱光に他ならない。
「太陽はその中心にそのパワーを集中させてっから、あれだけあちぃんだぜ!!
今のこの、俺様の右手みてぇになぁ!!!」
ミカエルの右手が、真っ白に燃える。
さながら光ですらもその内に呑み込むブラックホールのように、ミカエル自身を取り囲む熱を、光を、
余さず吸い上げ回収し、そこに自らが喚起した全ての熱エネルギーを凝縮する。
地上に生み出された小さな恒星――それが、ミカエルの今の右手の状態を形容するに、最もふさわしい言葉。
ミカエルの周囲から、全ての熱が消え去った。
それが意味するところは、災厄の回避ではない。
むしろ、災厄の前兆、嵐の前の静けさ。
「食らいな……この中心温度無限大の……最強最高温の『スピキュール』を!!!」

「それは御免被ろう!」
今の言葉の持ち主は、ブラムスではない。
ミカエルの足元の空間が、突如として歪む。
そこに穿たれるのは、極少のワームホール。
ミカエルがワームホールの出現を悟った瞬間に、そのワームホールは細長い何かを鋭く射出していた。
その正体は、ただ一筋の縄。
ワームホールを経由して伸びた縄が、自らの身をうねらせる。
狙うは、ミカエルの左足首。
「何だとぉッ!!?」
ミカエルの左足首は、そのまま縄に食いつかれた。
食いついた勢いそのままに、ミカエルの足首に絡みつく縄。
そしてミカエルは今空中に跳躍している――本来飛行できない彼が空中でこれを受けることが、
何を意味しているかは余りに明白。
「まさか……この技は!?」
「ようやく気付いたようだな。だが、時すでに遅し、と言わせてもらおうか」
絡みついた縄が、そのままワームホールの向こう側に帰還しようとする。
無論この程度の勢いならば、いくらでも縄の張力には対抗できるし、引き千切っても焼き払ってもいい。
だが、ここは空中。
そして、焼き払うための熱は全て、右手に集中。
すなわち、この縄の張力に対抗する手段は、この瞬間のミカエルには存在しない。
「『ディメンジョンウィップ』!!」
絡みついた縄がびん、と音を立て、ミカエルの体を宙で泳がせる。
ミカエルは焼け残った雑木林の影に佇む男を睨みながらも、たまらずに体勢を崩していた。
彼の瞳に焼きついていた人物、それは言うまでもなく金髪のテトラジェネスの男だった。

   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇

「お前がスピキュールを繰り出す瞬間、待っていたぞ」
自身の目前に穿たれたワームホールには目もくれずに、
エルネストは空中で縄に左足首を絡め取られたミカエルを不敵に睨む。
厳密に言えば、待っていたのはミカエルが「スピキュール」を放つ瞬間ではなく、
彼の周囲をまとう炎のオーラが消え去る瞬間であったが、特に「スピキュール」を放つ瞬間の隙は最高。
「お前の放つ『スピキュール』は体術の範疇に入るだろうが、
炎を右手に集約させる瞬間の隙は、どちらかと言えばその性質は紋章術の呪紋詠唱に近い。
よって一度妨害されれば、また溜めを最初からやり直さねばならないはずだ」
独り言のように言うエルネスト。
空に飛び上がったまま体勢を崩したミカエルは、何やら怒り狂ったような声を上げてはいるが、
エルネストはその内容を聞き流していた。
ふつ、と「ディメンジョンウィップ」で上空に放った縄の手応えが、ワームホールの向こうで途切れる。
ミカエルが上空で再度全身高温のオーラをまとわせ、縄を発火点まで加熱させて焼き切る様子が、
テトラジェネスの視力には鮮明に映る。
(さて、これでお前はあのブラムスなる男に数秒の時間を与える羽目になったが、どうなるかな?)
先端が無残に焼け焦げた縄が、ワームホールの向こう側から戻り、追ってワームホール自体も消滅。
「ディメンジョンウウィップ」――闘気で空間を歪め、ごく小規模のワームホールを形成し、
その向こうにいる敵をワームホール越しに鞭で打ち据える、エルネストの遠隔攻撃技である。
この技自体は、エルネストの技の中でも初級のものに入るが、この局面では他のどの技よりも有効なもの。
むしろ、エルネストがこの技を心得ていたからこそ、こんな奇襲が成立し、また成功したのだ。
エルネストは、フェイトに事前に自らの得意技を告げておいたことを、静かに正解だったと自己評価する。
(なかなかどうして、フェイトも随分と目端が利くようだな)
現在のところ、ロキは雑木林の空き地の向こう側で半無力化され、
ブラムスは雑木林の空き地でミカエルと格闘戦を行っている。
ならば、紋章術ほどの射程はないが、ピンポイント攻撃の可能なエルネストがミカエルを叩き、
紋章術の射程がなければ攻撃できないロキを、紋章術と召喚術を使えるフェイトとクラースが叩く。
それが、フェイトの提案した作戦内容。
エルネストが視線を移せば、作戦を提案した張本人であるフェイトはしゃがみ込んだまま、
左手で右手首を支え、紋章術の発動にかかろうとしている。
エルネストが「ディメンジョンウィップ」を放つ直前、一瞬限り指で示したその方向に、
右手手の平が向いている。
その手の平いっぱいに、青白い電光がスパークを起こし始めていた。
(紋章術はソフィアほど得意じゃないけれど――)
フェイトの遺伝子そのものに刻まれた、紋章の力が全身を駆け巡る。
彼自身の精神力が生体電流を捕まえ、整流し、同時に大気を引き裂くに足るほどの高電圧にまで、
そのボルテージを増幅させる。
(――即興のアレンジ、うまくいってくれよ!)
「ライトニングブラストッ!!」
フェイトの右手から、紫電が迸り駆け巡る。

フェイトの放った雷は、秒速30万kmに迫らんばかりの超高速で雑木林跡の空き地を駆け抜ける。
そして雷が空き地の中間地点ほどに差し掛かった瞬間。
「広がれっ!!」
フェイトの命じた通りに、先ほどまでたった一筋しか流れていなかった雷が、数十にも分裂する。
まるで貴人の手により広げられ、その中の艶やかな絵画を披露する日本(ジャパン)の民芸品、扇子のように。
ブラムスとミカエルの乱戦区域を大きく外して撃ったため、拡散しても稲光は彼ら二者を襲うようなことはない。
辺りは瞬間的にカメラのフラッシュが焚かれたように白光で染め上げられ、たちまちに光度を増す。
人間の視力でも、空き地越しにロキの姿を視認できるレベルにまで。
これこそが、フェイトの用意した光源の正体。
ロキがその身を埋めている雑木林は樹木が乱立しているせいで、一つや二つ光源を用意したところで、
その全てを照らし出すことはできない。それだけではできる影も多過ぎて、暗闇という死角を無くしきる事はできない。
だが、光を数十もの角度から当てることができれば、その死角の数は十二分に減らすことはできよう。
フェイトは紋章術「ライトニングブラスト」をロキの沈んだ雑木林の辺りに撃ち込み、
その手前で稲妻を数十に分裂させることで、稲妻そのものを複数の角度から一気に雑木林内部を照らすための、
光源として用いたのだ。
この手法ならば、例え暗闇越しにでもロキの姿をおぼろげながら確認できるほどの、
テトラジェネス級の視力は要らない。
エルネストにある程度の方角さえ指示してもらえれば、その方角に「ライトニングブラスト」を撃ち込み、
手前で拡散させるだけでフェイトの役割は果たされる。
光源であるフェイトの「ライトニングブラスト」の方に、そこまで高い精度は要求されないためである。
仮にロキへ「ライトニングブラスト」が命中したのならば、それはそれで自身らにとっては望外の僥倖。
そして本命は、「ライトニングブラスト」の稲光でロキの姿を確認した、クラースの方にある。
詠唱待機を行っているクラースがロキの姿を視認した瞬間、彼には最期の瞬間が訪れる。
そのロキに向け、クラースの召喚術「オリジン」が――。
「!!!」
フェイトは、その光景に目を瞠った。
「ライトニングブラスト」に照らし出された雑木林の奥に、彼が見た光景とは――

   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇

(ほう、これはこれは)
仮面を右手に握り締め、その握り締めた右手を顎の辺りでわだかまらせていたブラムスは、
仮面の影からその様子を伺っていた。
ミカエルの足元に正体不明の縄が伸び、それがミカエルの動きを縛め、
ひいては「スピキュール」の溜めを無効化した、その様子を。
顔面から外された仮面は、早々に彼の懐へと消える。
一方で彼の両足は、即座に地面を強打していた。
この雑木林跡の空き地一体を支配する圧倒的な熱気を切り裂いて、ブラムスは飛鳥のように舞い上がる。
(陳腐な言い回しではあるが、言わせて頂こうか――)
「その隙、貰い受ける」
仮面を外され、素顔を夜風に晒すブラムスが跳躍した先は、もちろんのこと空中で姿勢を崩したミカエルのもと。
一体ミカエルの身に何が起こったのか、完全に把握はできないが、今この瞬間で重要なのは、
ミカエルが絶好の隙を見せてくれたということ。
ブラムスの背から、黒色の霧が立ち上る。
東の空にかかる月を、背に負う形でミカエルに飛びかかるブラムスの姿は、さながら巨大な黒翼を広げた蝙蝠。
更に言えば、背より蝙蝠の翼を広げ、闇夜を飛ぶ暗黒の王、ヴァンパイアの姿そのもの。
ブラムスはその身を不死者にやつして以来、長年の修業と研鑽を経た結果、
残念ながら本物の翼は失われ、また魔力による飛行すらも不可能となった。
それ以外にもヴァンパイアとしての力のいくつかは失われたが、それで得たものもまた大きい。
ヴァンパイアが持つ弱点のうちの一つ、ニンニクも彼には効かない。
雨や川などの流れ水に行動を阻まれることもない。
むしろ今では、流れ水よりも炎の方が彼に深刻な打撃を与えるくらいである。
聖印や聖水なども、真なる霊力のこもったものでなければ、恐怖など微塵も感じない。
そして不死者の最大の弱点である直射日光すら、今のブラムスは不完全ながらも克服している。
これらの弱点を克服することができたのであれば、翼を奪われたくらい嘆くには値しない。
今のブラムスの背を飾る黒霧の翼は、ゆえに正しくは翼ではない。
霧に転じつつある、彼の肉体そのもの。
体勢を崩したミカエルに肉薄する瞬間、ブラムスの全身は再度黒い霧に姿を変えた。
ミカエルと空中で正面衝突することなく、霧と化した彼の体はミカエルの背後へと回る。
『影討ち(ダーク)』を用いた彼の体は、ちょうど空中でミカエルの背を取る形で、再度実体化。
やはり首輪は外れないが、無防備な彼の背中を取ることができたのは、今は何物にも変えがたい好機。
ブラムスは右手を振りかざし、その五本の指を互いにぴたりと寄り添わせる。
繰り出すは、貫き手。
このまま右手をミカエルの背の左側に突き込み、肋骨の隙間から心臓に肉薄し、突き破る。
(貴様が『セーブツヘーキ』なる人外の存在とは言え、どうやら体内に血も流れているようだな。
ならば、心臓を貫けばいかな貴様でもひとたまりもあるまい!)
もはやこれが、本当に素手から繰り出される攻撃であるのかを疑いたくなるほどに鋭利な一撃が、ミカエルの背を強襲。
決まれば、この戦いの趨勢は完全に決していただろう。
ブラムスの右手手首が、後ろ手に回されたミカエルの右手に捻り上げられていなかったならば。
「むうっ!!?」
下手をすれば岩石すら握り潰しかねない握力が、ブラムスの貫き手を食い止める。

「甘っちょれぇんだよ、変態仮面野郎――」
続き、ブラムスの左手手首すら、ミカエルの左手に掴み上げられる。
空中で全身を海老反りの状態にしたミカエルは、その両足で蟹挟みを繰り出し、ブラムスの両足をロック。
結果として、ミカエルはブラムスを背負った体勢で、彼に空中十文字固めをかけた形となる。
ミカエルの周囲の気温が、再度急激に上昇。
「この十賢者である俺様が、二度も同じ手を食うと思ったのかよォ!!?」
ミカエルの「スピキュール」は、エルネストの「ディメンジョンウィップ」で妨害され、結局発動することはなかった。
だが逆を言えば、ミカエルは再度、全身に炎のオーラをまとい直すことを許されたことになる。
たちまちのうちに、ブラムスの着る袈裟の裾が煙を上げ始めた。発火点に達するまでは、もう僅かの時間も無い。
「このまま俺様の炎を、零距離で浴びてもらうぜぇ! てめえもつくづく飛んで火に入る夏の――がぎえぇっ!!!」
ミカエルの言葉尻が、汚らしい悲鳴に潰れた。
ミカエルの首筋を、二つの激痛が走り抜ける。
途端、ミカエルの目の焦点が、どこにも定まらなくなった。
彼の全身が、まるで力という力が流れ出してしまったかのように弛緩する。
ミカエルの全身をまとっていた陽炎すら、夜空に散逸。
見れば、ミカエルは顔面蒼白――血の気が、完全に引いてしまっている。
せっかくブラムスにかけた空中十文字固めも、呆気なく解けてしまった。
「貴様にとっては残念やも分からぬが――」
ミカエルの背から解放されたブラムスは、離れざまにミカエルの背後から裏拳を見舞う。
その口元を、ミカエルの血で赤く染めながら。
その血でも赤く染まることのない、白い牙を剥き出しにしながら。
「――我とて貴様が同じ手を二度食うことなど、最初から期待していない」
ブラムスの裏拳が、ミカエルのこめかみを背後から強打。
空中で頭部に横方向の運動エネルギーを加えられたミカエルの体は、たちまち逆さまになる。
すなわち、足を天に、頭を地に向ける形に。
今度は、ブラムスがミカエルの体をロックする番。
ミカエルがブラムスに蟹挟みをかけたのと同様にして、ブラムスがミカエルに蟹挟みをかけ返す。
ブラムスの足が、ミカエルの両腕を挟み込み、彼が受け身を取ることを禁じる。
一方のブラムスの腕はミカエルの両足首辺りを掴み上げ、足の動きすらも封じ込める。
「――ところで、知っているかミカエルとやら?」
それが終われば、自由落下が始まる。
翼を持つ者、魔術により大地のいましめから解放された者を除けば、万物に等しく運命付けられた現象が。
「蝋燭の火というものは、その芯を押さえてやれば存外にたやすく消えるものなのだ」
空中に舞った二者に、大地が恐ろしいまでの勢いで迫ってくる。
ブラムス自身の攻撃は、闇の力に耐性を持つミカエルには効きにくい。
ならば、自身の肉体ではなく大地そのものを武器とすればよい。
そう判断したブラムスが、ミカエルへの引導に選び取った技はパイルドライバー。
相手を空中で逆さまの体勢でホールドしたまま、相手を脳天から地面に叩き落とし、
その頭部に2人分の全体重を炸裂させる、超人的大技である。
パイルドライバーは完全な形で決まれば、相手の両手両足の動きを完全に封じ、
必然的に受け身を取ることすらも許されなくなる。
その状態でミカエル自身とブラムスの2人分の全体重に、ブラムス自身の膂力までも加われば、何が起こるかは明白。
「例えるなら、今の貴様のようにしてな」

大地が、ミカエルの脳天と激突した。
巻き起こる地響き。吹き上がる土煙。
ブラムスがミカエルにかけたパイルドライバーが見事に決まった、その証拠。
地面にクレーターを穿つほどの勢いで叩き付けられたミカエルの頭部から、鈍い音。
ブラムスは両手両足越しに、その音を静かに聞いていた。
(殺(と)った――いや、まだか)
ブラムスはミカエルの頭蓋骨が複雑骨折を起こしたことを、その手の内に残る感触で知りながら、
一旦はミカエルの懐より離脱。
万一彼が再度立ち上がってきたとしても、すぐさま格闘に応じられるよう、利き手を引き逆の手を前に出す。
ブラムスがミカエルから離れ、そして数瞬たった後に、舞う一陣の夜風。
土煙の中から、彼の姿は現れる。
ブラムスが作り上げたクレーターの中心部で、ミカエルは逆立ちしていた。
もし頭部が完全に地面に埋まった状態のまま、全身が天を向いた格好のまま硬直している状態を、
「逆立ち」と表現するのが正しければ、の話ではあるが。
ブラムスは再度、懐から取り出した仏像の仮面で、その赤く濡れた顔を覆う。
それにしても、この男の血は今まで味わったことの無い、奇妙な味だった、
とブラムスが口内に残る血液の後味を心の中で評した時、ミカエルの体は地面へとくずおれた。
その拍子に、地面に埋まっていたミカエルの首から上が、掘り返される形となる。
さすがはネーデ史上最強最悪の生物兵器、十賢者と言ったところか。
首から上も辛うじてではあるが、原形を留めてはいた。
彼の髪には自身の血で染まり、目に痛いまでの赤と化してはいたが。
「て……めえ……ッ……!」
「ふむ――頭蓋が砕け、脳が挫傷してもなお息があるとはな」
怨嗟の声を吐くミカエルの元に、ブラムスは首の骨を鳴らせながら、静かに近寄る。
うつ伏せになった状態で、辛うじて首をかしげ、ブラムスを視界に収めることに成功したミカエル。
かすみつつある彼の視界に映っているものは、あちこちが焼け焦げた袈裟をまとった、一体の悪魔だった。
悪魔はその両目に、血のように赤い眼光を燃やしながら、彼を静かに睥睨する。
その目にこもっている感情は、すでに敵への憎悪でも怒りでもない。
かといって、死に絶えつつある獲物を弄ばんとする、悪辣な嗜虐心でもない。
そこには、本当に何の感情もこもってはいなかった。
人間は道を歩く時、蟻一匹を踏み潰したところでほとんどの者は何の情感も覚えまい。
今のこの男も、それと同じこと。
もはやミカエルを、どうとも思ってはいない。
ミカエルに止めを刺すことなど、せいぜい消し損ねた熾火を踏みつけ、
完全に火を消そうとする程度にしか考えていない。
ブラムスの右足が、そっと持ち上がった。
「なればこそ、念のため止めは刺しておくとするか」
それが終わったなら、右足が振り下ろされる。
頭蓋が砕けた、ミカエルの頭部へと。
「下手に貴様のような痴れ者に食い下がられると、のちのち面倒が起こり兼ねんのでな」
ブラムスの右足は、ミカエルの首っ玉に叩き落された。
ブラムスの足の下で、ぐしゃりという湿った音が響いた。
ミカエルの頭部は、とうとう完全に原形を失った。

   ◆   ◇   ◆   ◇   ◆   ◇




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最終更新:2009年01月15日 04:05