第124話 御心


何処となくひんやりとした暗い廊下から寝室内へと入ったミランダは、クレスを拒むかの様に、すぐにふすまを閉めた。
引き手に手をかけたままの姿勢で廊下側に意識を向けてみると、
少ししてから廊下を遠ざかる足音が。続いて玄関のドアを開く音が耳に入る。
どうやらクレスはミランダが磯野家で見張りをした時とは違い、表で見張りに当たるらしい。
カチャリ。と玄関のドアの金具が立てた音を最後に、廊下からは物音一つ聞こえなくなる。
ミランダは両手で顔を包み、「はぁ~~~」と一つ、長めの溜息を吐いた。

(お二方はこの神の試練を何と心得ているのでしょう!
 神が与えたもうた神聖なる試練の中で、あんな、あの様な不埒な行いを…………!)

マリアとクレスに対し、ミランダの心中では軽蔑の念が渦巻いていた。
それは無理のない事である。
ミランダの解釈では、この島は神の試練を行う場所。つまりは神の御前とも言える神聖な場所なのだ。
この島に飛ばされてからのミランダが1人でいる時でも畏まった態度を取ってしまうのも、神の存在を無意識に気にかけての事。
その神聖な場所での、彼女曰く『不埒な行い』。決して許される事ではない。

だが一方で。
その軽蔑や怒りの念とは裏腹に、彼女の頭が勝手に思い浮かべてしまうのは、一糸纏わぬマリアとクレスの姿だった。
それも無理のない事である。
ミランダは神に仕える身であるとは言え、年頃の少女。そういった方面の知識も経験も乏しい少女なのだ。
ほんの幾枚かの壁を隔てた先での、彼女曰く『不埒な行い』。意識するなと言う方が無理な話である。
互いの名を囁き合うマリアとクレス。絡み合う視線と視線、指と指。やがて二人の身体も重なり合い――――
そんなありきたりと言えばありきたりな、
しかし、日々モンク、そして僧侶としての修行に明け暮れてきた純真無垢な少女には刺激が強すぎる映像に、

(~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!)

ミランダの思考と顔がピンク色に染まった。体温が一気に10℃くらい上昇した気がする。
呼吸が荒くなる。心臓の鼓動が爆発でもするかのように速まる。全身が燃えるように熱い。いつの間にか喉もカラカラだ。
思わず頭をぷるぷると振るが、いかがわしい想像は消えてくれない。

(わわわ、私までこの様な事を……!)

ミランダは胸に手を当て、とにかく気を落ち着けようと深呼吸を試みた。
大きくゆっくりと息を吸い、ゆっくりと息を吐き出す。
速まっている拍動と渇いた喉のせいで少々息苦しさを覚えるが、何度も何度も、ゆっくりと繰り返す。吸って、吐いてを繰り返す。
と、幾度目かの深呼吸でミランダは、自身の手が柔らかな物体に触れている事に気付き、ハッとした。
迂闊にも卑猥な妄想に惑わされていたこの数分間は完全に頭から飛んでいた物の存在。
それは、懐に忍ばせておいた彼女の切り札、パニックパウダーの感触だった。

ミランダの着用している神聖オラシオン教団の修道服は、モンクとしての修行もこなすオラシオンの僧侶達の為、
動きやすさを重視して身体にフィットするサウナスーツの様な造りとなっている。
その為、基本的には修道服の中に何かを隠していても、その部分は不自然に膨らみ、目立ってしまう事となる。
一応ミランダは、同じく教団から支給されている修道女の衣も纏いはしているが、それも小さめのショール程度のサイズの物。
異物による不自然な膨らみを隠せる程の物ではない。
ではミランダは修道服の何処にパニックパウダーを隠しているのか。
答えは簡単。女性ならば膨らみが有ってもなんら不自然では無い箇所。胸である。
ミランダの胸は今、彼女の事を知る者が見れば疑問に思う程に膨らんでいる。
とはいえ客観的に見るなら、そのサイズ自体には不自然なところはない。
AAカップがCになる。その程度の変化であり、元々のミランダを知る者以外の人物ならば特に疑問にも思わない程度の膨らみだ。
そこは、自らの肉体を最大限利用した、ミランダならではの絶妙な隠し場所なのだ。

神の試練に打ち勝つ為の切り札の存在を思い出し、今が神の試練の最中である事を強く意識すると、
ミランダの乱された思考は次第にクリアなものへと落ち着いていった。

(……そうです。こんな事で惑わされてはいけません。
 私は絶対にこの試練を乗り越えなければならないのですから。
 この『二度目の試練』は必ず……!)

ミランダは身体の向きを変え、窓から差し込む月明かりを頼りに窓際へと移動する。
彼女は1日の終わりには必ず神に祈りを捧げる。その習慣は、この様な状況下でも決して変わる事は無い。
換気用に取り付けられたと思われる小さめの窓の下で月光にその身を晒すと、
少女はいつもの様に胸の前で手を組み、天を仰いだ。

(……神の試練を受け入れようとしないばかりか、神を冒涜するが如き行為。
 マリアさんとクレスさんにはいずれ神罰が下されることでしょう。
 …………いいえ、神の御手を煩わせるまでもありませんね。
 私がこの試練を乗り越えれば、それはお二方への裁きに繋がるのですから)

少女の口から祈りの言葉が紡ぎ出された。
和風の寝室内に誓いの言葉が響き渡った。

(その為にも、そして人々のお役に立てるよう成長する為にも。
 私は必ずこの苦行を。この試練を乗り越えてご覧に入れます。
 ……神よ。どうか、私を御護り下さい……ゴドウィン様、私に勇気を……)

神聖オラシオン教団の信仰する二神『イセリア神』『セレスタ神』も、少女の師匠であるゴドウィンも、
決してその様な祈りや誓いなど望まぬとも知らずに、少女は1人、祈り続けた。
『一度目の試練』の事を思い出しながら。

     ★     ☆     ★

ミランダはあの日まで、『一度目の試練』の日までは、この世の全てに癒しと安らぎをもたらす事が出来る、と本気で信じていた。
無論だが『一度目の試練』と言っても、今回の様な形式で行われた訳でも、ミランダが勝ち残り優勝者となった訳でも無い。
それどころか、ミランダが直接その『試練』で戦った訳でもない。
ではミランダが思う『一度目の神の試練』とは何なのか。
それは、ここ100年のラジアータ史上で最大規模の死傷者数を記録し、
事実上、人間と妖精との戦争の最終決戦となった『ルプス門の惨劇』の事だった。

ラジアータ城下町の南西に位置するルプス門口。
あの日、ルプス門が通じている地域『アディン地方』より、妖精軍がラジアータに全種族の全勢力を以って奇襲を仕掛けてきた。
もしもこの奇襲が成功していれば人間側は大した抵抗も出来ずに敗北を喫していたであろうが、
とある内通者(ルシオン)により妖精軍の情報が人間側に漏れていた為、
予めルプス門周辺の防備を王国騎士団や4大ギルドの精鋭達、
そして龍殺しの英雄ジャック・ラッセル率いるチーム・アハトで固める事が出来、
何とか妖精軍の侵攻をくい止める事に成功したのだ。

ただ、あくまでもそれは奇襲を避ける事が出来ただけに過ぎず、
人間と妖精軍との全面対決が真っ向から行われた事に変わりは無い。
戦場となった場所の名に因(ちな)み、後に『ルプス門の惨劇』と呼ばれる様になったこの戦い。
人間の勝利で終結したとは言え、戦闘直後のルプス門周辺は正に『惨劇』としか言い表しようの無い悲惨な状況だった。
アディン地方の、本来ならば歩いているだけでも眠気を誘う程にのどかな雰囲気を醸(かも)し出していた筈の草原は、
草木を鮮やかな紅色で雑に染め上げられ、その紅の上から更なる紅が塗りたくられ、一面の景色をどす黒く変色させていた。
その黒い景色の中に沈んでいるのは、無数、という言葉でもまだ足りない程の、
人間、エルフ族、オーク族、ゴブリン族、ドワーフ族の肉塊の数々。
顔面が陥没している者。全身が焼け焦げていたり切り刻まれたりしている者。身体が千切られバラバラになっている者……
辺りに散らばる犠牲者達の状態は様々だったが、無惨な有様は種族を問わず平等で。
彼等の血肉が生み出した、むせ返り、吐き気を催す程の悪臭は、その日から数週間かけられて行われた
死体の確認、収容、埋葬作業がどうにか終わった後でも、この一帯から消える事は無かった。

この戦いにはミランダの所属する神聖オラシオン教団にも、ラジアータ王国騎士団から助力要請が有った。
教皇カインより、ミランダを含めた癒しの力を持つ僧侶達に与えられた役割は、戦いでの負傷者の治療。
ルプス門の内側に待機し、妖精軍との戦いが始まった場合は門より運び込まれてくる負傷者達を治療する。そういう段取りだ。
傷付いた者を癒す。
この世の全てに癒しと安らぎをもたらす事が出来ると信じていたミランダにとって、それは遣り甲斐の有る役目の筈だった。
しかし、いざ戦闘が始まってみれば、遣り甲斐の有る、などと言う悠長な想いは瞬く間に吹き飛ばされた。
運び込まれてくる負傷者達の怪我の具合は、かつてミランダが見た事のあるどんな怪我よりも酷い状態ばかりだったのだ。
考えてみれば当然の事である。
これは戦争。殺し合いだ。訓練で負った打撲や擦傷を治すのとは訳が違うのだ。
内臓まで見える程の大怪我に思わず吐き気を覚えたミランダだったが、それでもうろたえず、必死で彼等に治療を施した。
負傷者は次々に運び込まれてきた。治療が間に合わせる事が出来ず命を落とした者も居た。
同じ僧侶であるエレナやアディーナ、のんびり屋のクライブまでもがてんてこ舞いだった。
ある意味では、ルプス門の内側も立派な戦場となっていた。

治療をし続けて何時間が経過しただろうか。ミランダはふと違和感を覚えた。
今運び込まれてきた人物に見覚えが有った。確かに治療を施した覚えが有った。
確かに怪我を完治させた筈の人物が、再び運び込まれて来ていたのだ。
彼女はそれまで、治療を終えた人々が何処へ行っていたのかは気にも留めていなかった。気にする余裕など無かった。
だが気付いてしまった。怪我が治った者達。彼等は戦力として再び戦場へと戻っていくのだ。
これも考えてみれば当然の事ではないか。
それを理解した時、ミランダの胸中を何とも言えぬ虚しさが駆け巡った。

怪我が回復した者は戦場に戻って戦い、そして負傷すればまた治療の為に運ばれてくる。
治しては傷つき、傷ついては治しの繰り返し。いや、次はこちらに帰って来れずに死んでしまう者もいるだろう。
それでは自分のやっている事はなんなのだろう? 何の為に治療しているのだろう?
ただ誰にも死んでほしくないだけなのに。癒してあげたいだけなのに。
だから必死に治しているのに。危険な場所に送り出したいなんて思ってないのに。
自分の力で人々に癒しと安らぎをもたらす?
これは癒しなのか? 癒していると言えるのか?
安らぎは何処に有るのだろう? 今自分が治してきた方々に安らぎは有ったのだろうか?
戦場に送り出される人間に、そんな物が有ったのだろうか?
自分達は彼等に死の恐怖を何度も与え続けているだけなのではないのか?
責め苦を何度も与え続けているだけなのではないのか?

自分の信念が幻想に過ぎない事を薄々と理解させられながらも、ミランダは1人、また1人と治療を続けた。
それでも、自分は彼等を助けるしかない。治すしかない。手を休めてはならない。それが自分に与えられた役割なのだから。
そう思い、ミランダは無我夢中で怪我人の間を往復した。走り続けた。
余計な思考は頭の隅に追いやり、ただ患者を治す事だけを考え、無我夢中で祈りを捧げ続けた。
いつの間にか、彼女の頬は涙で濡れていた。



戦争が人間側の勝利で終結し、重体の負傷者達の治療が一段落しても、
ミランダ達僧侶には休む間も与えられずに次の指示――門外での治療活動――が言い渡された。
戦場となっていた門外には動かす事すら危険な状態で倒れている負傷者達がまだ大勢居ると言うのだ。
そんな状態の負傷者は運び込む事が出来ない為、彼等を救うには僧侶達が直接その場に赴き治療を施すしかない、
と言うのが騎士団の見解であり、それは尤もな判断だった。
精も魂もとうに尽き果てていたミランダだったが、まだ治療を必要としている人々が居ると聞けば休んでなどいられなかった。
戦争は終わったのだ。これから治す人々は、もう戦わなくて良い。彼等になら、自分は本当の癒しをもたらす事が出来る。
ミランダは、僅かながらに残っていた信念の存在を確認するかのように胸に手を当て、門へと歩を進めた。

ミランダのその想いは決して間違いではなかった。ただ――――



ルプス門が開きミランダの目の前に広がった光景。
それは、確かに残っていた、しかし、壊れかけていた彼女の信念に最後の一押しを加えるには充分過ぎる程に、地獄絵図だった。







あの日ミランダは、神とは人に苦行を与える事もある存在なのだと知った。
全ての人々を自分の手で癒す事など夢物語なのだと知った。
自身の考えがどれ程甘い物だったのか。未熟さを痛感させられた。
戦場では、癒しも安らぎも無力だったのだ。

故にミランダは、この殺し合いをすんなりと神の試練として受け入れる事が出来た。
数え切れぬ程の数の命が失われたあの時に比べれば、
60人余りが犠牲になるこの試練など規模としては小さい方だ、と受け入れる事が出来た。
神の試練を乗り越えれば、きっと自分は成長出来る。
成長すれば、きっと今よりも強い癒しの力を手に入れられる筈だ。
加えて、試練を乗り越えた者に神から授けられる『褒美』。
具体的にはどの様な物が授けられるのかは分からないが、ミランダが期待してしまうのはやはり『癒しの力』だった。
例えば教皇カインは一度に何人もの人々を同時に癒す事が出来る。ならば教皇を上回る神の力だったら?
それを授かれば、この世の全てに癒しと安らぎをもたらす程の力を手に入れる事も、或いは可能かもしれない。
あの時壊れてしまった夢物語を現実に叶える事も、或いは――――

だから、この試練は必ず乗り越えなくてはならない。
60人の人間を犠牲にしてでも、どの様な手段を使ってでも、乗り越えなくてはならないのだ。
ミランダ自身の為にも。この世の全ての人々の為にも。そしてそれを望んでいる神の為にも。

     ★     ☆     ★

祈りを捧げ終えたミランダは、いつもより少し遅めの就寝になりました、などと考えながら床に就いた。
遅めの就寝。いや、就寝の時間に限った事ではない。この日は全てにおいて生活リズムの狂った1日だった。
慣れない事の連続で身体が疲れきっていたのだろう。間も無く室内では静かな寝息が立てられ始めた。

…………そう、この1日は慣れない事の連続だった。
人を殺す決心をした。殺戮者に命を狙われた。他人を欺き通した。
生き残る為に彼女なりに頭を使い、策を練り、立ち回ってきた。
何もかもが初体験。少女の本来の生活には馴染みの無い体験ばかりであった。
しかし、どうにか1日は乗り越えた。困難にも打ち勝った。
時限爆弾やパニックパウダーの存在は誰にも気付かれる事も無く、隠し通せた。
洵達とマリア達を引き合わせる事も回避出来た。
安全に睡眠の取れる場所も見つけても油断せず、支給された道具は決して手放さなかった。
この島の中では比較的力の無い少女にしては上出来の、いや、出来過ぎの1日だった。

それ故に、ミランダ・ニームは気付けない。
己の行動に成功のイメージしか見えていない少女には気付けない。
たった今、自身が至極単純な失敗を犯してしまっていた事に。
客観的に見れば気付かない方が不思議に思えるくらいに単純な、
しかし、少女にとって命取りになる程に致命的な失敗を犯してしまっていた事に。





ポンッ





数時間後。静まり返った中島家の一室の布団の中。
安らかに眠りながら寝返りを一つ打った少女の胸元で、
何かが破裂する音が小さく鳴った。誰にも聞かれる事無く控えめに鳴った。
その破裂音がこれから中島家で何を引き起こすのか。はたまた何も起きないのか。
少女の、そして中島家に集まる人々の行く末を暗示するに相応しい言葉を選ぶとしたら、この一言だろうか。





そう。全ては――――神の御心のままに――――





「っくしゅっ!」





【F-01/早朝】

【ミランダ・ニーム】[MP残量:50%]
[状態: 爆 睡 中 +パニックパウダーを吸い込んでいる]
[装備:無し]
[道具:時限爆弾@現実、パニックパウダー(?)@RS、荷物一式]
[行動方針:神の試練を乗り越える]
[思考1:……Zzzzz……]
[思考2:参加者を一箇所に集め一網打尽にする]
[思考3:クレスとマリアを利用して参加者を集めたい]
[思考4:直接的な行動はなるべく控える]
※ミランダが吸い込まなかった分のパニックパウダーが修道服の中や布団の中に残っている可能性が有ります。
 残っているとしたら、ミランダが動き回ればパウダーが周囲に広がる危険も有ります。
 パニックパウダーでどの様な効果が出るかは後の書き手さんに一任します。

【現在位置:F-01/平瀬村の民家B(中島家)内・和室の布団の中】
【残り20人+α】




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第121話(前編) ミランダ 第129話

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最終更新:2010年10月08日 01:22