空さえ見えない部屋に、私は居る。時間もわからず、寒さで今は冬だということがわかる程度だ。
 気が狂いそうな中、毎日フルウがやってきては私に「アサは死んだ。おれと結婚すればお前の国の国民は無駄死にせずにすむ」という話をする。
 フルウは馬鹿だから気づいてないのだろうか、その顔を見ればアーサーが生きていて、さらにこちらに向かって進んできているというのがわかる。
 だからこの間はあえてそのことを指摘してやった。すると、思いっきり殴られ下品な脅迫をされた。
 だから、なんだというのだ。
 どんなことをしても、私の心はアーサーのものだ。彼と再び会えるのならどんなに年をとっても、どんなにぼろぼろになってもいい。
 彼をもう一度見たい。

『ウリエルとのいくさが始まります。ランファは明日には発ってください』
 まだ十になったばかりなのに。
 代々受け継がれる英霊鉱、暁王子に認められたから王の地位についた、かわいらしくも大人びている少年が、戦の話をするなんて、この世界はいかに残酷なのか。
『……必ず、戦わなければならないの? どうしても? こんな戦い、負け戦よ』
 私が言うとアーサーの隣にいた潮臭い髭面の男が鷹揚に笑った。
『王子、負け戦だと。それは本当か?』
 冗談でも言うように男が言った。
『カイラギ、お前はまずランファをお前の仲間を全員使ってでも無傷で届けろ。指一本触れさせるな。お前らの仲間も含めてな』
 力強い瞳で、アーサーが言う。私はその瞳を見るとどうしてもドキッとしてしまう。十歳も年下だというのに。
『そいつぁラクな仕事でしょうね。おれが聞いてるのはウリエルの連中との戦いのことさ。ベニスの連中見てみろ。ありゃなんかやらかすぜ』
 ベニスはアーサーの軍の中でも指折りの強さを誇る騎士だった。
 私は嫌な予感がして聞き返す。
『なにか? なにかってなに?』
『うん? あぁ、ちょっとやらかしそうだよ。なあ、王子』
 カイラギという元海賊がアーサーににやっと笑って語りかける。
『ん? あぁ、ベニスは裏切るだろうな。なんせ負け戦らしいからな』
 アーサーもにやっと笑って返す。
『どういうことよ、だからっ!』
 私が怒鳴るとカイラギは肩をすくめていった。
『情報が筒抜けな時点でお終いなんですわ。こーゆうハナシは。ねぇ王子』
『うむ。常識だな』
 カイラギとアーサーは顔を見合わせてけらけら笑った。わけがわからない。
『もういいっ』
『ら、ランファ……』
 私が部屋に戻ろうとするとアーサーが困ったように追いかけてきた。
『もう、人の気も知らないでっ!』
 立ち止まり、振り返ってみるがなぜかアーサーの顔がにじんで見えた。
『ランファ』
『私のことも結局名前で呼んでくれないし!』
『てっ、テンシン……。怒らないでよ』
 無言で涙を拭き、アーサーを睨んだ。アーサーは困ったように頭を掻いた。
『テンシン。おれは、死なないよ。絶対に。また、いつか……。きみが、みきが困ったときに、助けに来るよ』
『でも……』
『信じてくれ。キミの好きなおとぎ話のように。時間を告げる鐘のように。夜明けのように、おれは必ずやってくる。待っていてくれ』

 私が昔のことを思い出していると鉄の扉が開き、フルウが兵士を連れて三人でやって来た。
 武骨な皮の鎧と兜や布にさえぎられて顔はよく見えないが、体のラインから見ると側近の兵士をとりえず女性にする癖も相変わらずのようだ。
「俺のものになる準備はできたか」
「自分一人じゃ私すらモノにできないの? ほんと、腰抜けね。そんなんで本当に私を襲えるのかしら? 本番でホントにコシヌケだったらいろいろ困っちゃうわ」
 私が顎に人差し指を当てて言うと、フルウの隣にいた兵士が少し笑う気配があった。
「お前らっ!」
 フルウが怒鳴った。すると片方の戦士が懐に手を入れた。その瞬間、鉄製の壁に大穴があいた。
「なっ、なあっ?」
 フルウが動揺する。大穴から現れたのは飛龍に乗った少年だった。
 大きな風が吹き、飛龍が侵入できるということは、私が今まで閉じ込められていたところは巨大な尖塔のてっぺんだったらしい。外は暗く、夜らしい。
「ミランダ、ちょっと飛んでおいで。呼んだらすぐに戻ってくるんだよ」
 飛龍に乗った少年が言った。少年は飛龍から降りて一っ跳びで部屋の中に入ってきた。飛龍はそれを見届けてから空高く飛びあがった。
「フルウは……、あーあぁ」
 少年が言う。
 いつの間にかフルウが居なかった。逃げたらしい。逃亡癖も変わらずというところか。
「テンシン、オウジサマが助けに来てやったぞ」
 少年が言った。真っ黒な髪。角度によって虹彩の色が変わる瞳。にやりと笑うその顔。
「ササとベニオもご苦労」
 アーサーがまだ部屋に残るフルウの兵士に言った。
 彼女たちは甲冑と兜を脱ぎ、身軽な格好に着替えた。
 片方は黒髪に褐色の肌、赤い瞳をした女だった。無口そうで腰には武骨な斧を下げている。おそらく海賊上がりだ。カイラギのようにどこか潮の香りがする。
 もう片方は白い肌に白金の髪に青い瞳をした女だった。下げている武器は細長い剣だ。すべてがさきほどの女とは正反対で、緩まった口元はいまにもべらべら世間話をしそうだった。
 しかし、二人に共通しているのが容姿の良さだ。昔、芸術家の作った美しい体系と顔の女神像を見たが、こんな感じだった。
 どおりでフルウが採用するわけだ。あのスケベのことだから体と顔を見てよく考えずすぐに決めたに違いない。
「ササ、ベニオ、紹介する。彼女がテンシン・ランファ」
「……これが、アサさまの?」
「へっえぇー! この人がアサさまの助けたいって言ってたお方かぁ」
 アーサーが咳払いする。
「テンシン、こっちの黒いのがササ。白いのがベニオ」
 それぞれが私に会釈する。
「積もる話もあるけど、まずは逃亡だ。ササ、ベニオ、テンシンを連れてミランダで逃げろ」
「判りました」
「ういっす」
 アーサーはそれを見ると穴の方を振り向いて指笛を吹いた。翼の羽ばたく音とともに黒い飛龍がにゅっと顔を出した。ベニオがいち早く飛龍の背に乗り、ササが私の手を引いて飛龍に乗った。私は二人に囲まれる形で飛龍に乗った。
「アーサー! あなたは? あなたはどうするの?」
「ルシファーでキミたちの逃げる時間を稼ぐよ。キミも、ササも、ベニオもここで死んでもらうには哀しすぎるから」
 ルシファー、暁王子が居れば一人でも戦えるだろう。それでも、なんだか不安だった。
「ありがたきお言葉です。王よ」
「よし、がぜんテンション上がって来たぜぇ」
 ササとベニオがわけのわからない調子で言う。
「……また逢おう。テンシン」
 それが合図となって飛龍が飛び去った。どんどん大穴が小さくなる。そしてその大穴を防ぐように現れたのは暁のように輝く一体の英霊機だった。
「アーサー……」
 その呟きもすぐにかき消されてしまった。

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最終更新:2011年08月07日 22:03