豊饒を祈る祠の前、高らかな音が響き渡るとともに人々の歓声が一つ生まれ、また一つ生まれていく。
 祠の前にある円形の闘技場に二人の剣士が剣を交わしている。円の外には数々の観客がおり、二人の戦いを見守っていた。
 一方――黒く冴える獣の獰猛な牙のような刀を持つ女がいた。儀式用の緑色の衣に身をつつんで、爛々とその瞳を輝かせている。
 面白いことも、つらいことも、楽しいことも、哀しいことも、呑み込んで自分のものにするような微笑みを浮かべている。
 一方――銀に輝く磨き抜かれた氷のような剣を持つ男がいた。儀式用の藍色の衣に身をつつんで、黙々と守り、攻め、守ると見せかけて攻める。
 面白いことも、つらいことも、楽しいことも、哀しいことも、淡々と冷たくこなす薄情なようで熱に満ちた猛々しい顔をしている。
 一瞬――空気が膨らんだかと思うと爆ぜた。
 そして決着がつく。
 ふわりと女の方が離脱し、刀を腰の鞘に納めた。彼女がこの戦いの勝者だった。
「この戦いを天井の神々に捧げます」
 薄い菫色の髪をした女がきりっと言った。
 鮮やかな髪の色、白雪のような肌と暁のように赤い瞳。眼を縁取る長いまつ毛はそれこそ花のように見える。
 きゅっと引き締まった桃色の唇と衣の上からでもわかる艶やかで肉感的な肢体は男女問わず見る者を魅了させる。
「スミレ。素晴らしい試合だった」
 祠の中から現れたのは荘厳な衣に身をつつんだ白髭の老人だった。杖をつく代わりとでもいうようにその腰には彼の愛剣が下がっている。
「ありがとうございます。モルニングさん」
 歌うように女――スミレが言った。容姿は成熟した女性なのに、口調や行動は幼い子供のようで、それがまた周りの人間を魅了させる。
「アサでいいよ、スミレ」
「わかりました。モルニングさん」
 満面の笑みでスミレが言う。最強の戦士と歌われ、幼名で呼ばれることを好むこの王を元服後の名前で呼ぶのは彼女くらいだった。
 アサ王はふっと苦笑し、もう一人の男にも声をかけた。
「お前も素晴らしい。ホウ」
 男――ホウはアサ王の登場した時にはすでに切っ先を下に構え、跪いた。
「ありがたきお言葉です」
 アサ王は二人を下がらせ、彼が豊饒を祈る式典もその祝辞を述べるだけになったころスミレはつまらなさそうに円の外から観衆をかき分け、見覚えのある全身白づくめの長身の女に声をかけた。
「ポーリー。もう帰ろ」
 竹で作られた白い日傘をさしたいかにも貴婦人という女がフフフと笑いながら訊く。
「あら、もういいの? 飽きちゃった?」
「うん。村雨がね、もう、大分なれたみたいだって言うから」
「そうなの?」
「うん」
 その様子は母と娘のようだった。年齢が明らかに近いことを除けば。
「す、スミレさんっ」
 そんなスミレに話かけるのは先ほどの青年、ホウだった。
「あの、また……、お相手お願いしますね」
 黒い髪に柔和そうな表情。がっちりとした体格の少年にスミレは微笑んだ。
「またねぇ」
 そして手を振り、ホウも律儀にぶんぶんと手を振りかえしていた。

「いつでも貴女に恋い焦がれていた」
 暗闇の中に蝋燭の炎がぽつんと揺れていた。そのなかで布団に横たわる老人と、その手を取る美女。そしてそれを見守る人々が数人ほどいた。
 老人の瞳はすでに光を映していない。年を取るごとに、やがては見えなくなってしまったのだ。
 暗闇の中、あなたはぽつんと立っているわけではない。そう伝えるため女は彼の手を取っていた。
「貴女はまだ、こんなにも若々しい……」
「私、モルニングさんから、貰ったから。産まれた時に」
 老人の顔に疑念の表情が浮かぶ。女は老人に耳打ちした。
「……なるほど。三皇たるものの証しの一つか」
「うん」
「そうか……。なるほど」
 老人がげほげほと急き込んだ。それまで静けさを保っていた周りの人間があわてて駆け寄ろうとし、老人はつながれていないほうの手を上げてそれを制する。
「貴女は、なにから産まれたのかね……? いつもはぐらかされてた気がするからね。最後に、聞いておきたい」
「諦めと、望みの子」
 女は平然とそう答えた。あまりにも真面目に言うので周りの人間もそれに呑まれ、そうなんだとしか思えなかった。
 老人がふっ、と微笑み、ゆっくりと眠るように告げる。
「……私は、今ここに、在ったかい?」
「間違いなく」
 老人から最後の力が抜ける。
「おやすみなさい。ホウ・ライコウさん」
 満面の笑みを浮かべながら老人は息を引き取った。
 熱の抜けていくその手が完全に冷めきってから、女は手を離し、老人の額に口づけた。
「スミレ殿」
 周りの人々のうち、精悍な顔つきの若者がやってきて、盆を一つ差し出した。その上にはかんざしが置いてあった。
「父が、あなたにずっと送ろうとしていたものです。結局、その機会は逃してしまい、こういう形となりました。どうかお手に……」
 女はゆっくりとそれを受け取り、耳の上に引っ掛けるように差した。
「どうか、父の魂がともにあることを」
 青年がうやうやしく言うと、女が微笑んだ。
「共に連れて行きます」

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最終更新:2011年11月08日 22:03