パイロットスーツに身を包んだ男が、物足りない、といった顔つきで廊下を歩いていた。
獅子の鬣のような金色の髪に、琥珀のような深みを湛えた紅茶色の瞳。
耳からは逆ハートのピアスを提げ、整った顎先を髭に包んでいる、筋骨隆々とした体躯の男だった。
「ああ……」
何処かやりきれない溜息をつき、男は静かに「喫煙室」と書かれた扉を押した。
「や、ブライアン」
途端、喫煙室に似合わない幼い声が響いた。名前を呼ばれた男は、静かに眉間を押さえる。
その目の前の人物を見れば、どんな人間でも「黒髪の少女」と言うだろう。
「ステタルかい、あれほど煙草は早いと言ったはずだがね」
眼前の人物に向けて、ブライアンは声に明らかな呆れを混ぜて言った。
「早いも何も、ボクは良い年したジジイだって言ってるのに。なんで見て解らないの?」
「解ったらソイツには眼科、いや精神科を勧めるよ」
ブライアンは苦笑いしながら言うと、ステタルという名の少女の姿をした人物の隣に座り、紙巻に火を点けた。
煙を味わい、吐き出す。……膝元の紙巻の箱がない。
横を見ると、ステタルが煙草をくすね、当然のようにそれに火を点けていた。
「吸うにしたって人のを盗るなよ」
「ごめん。さっき切れちゃったの」
ふいー、と可愛らしい声を立てて煙を吐き出すステタルを見て、ブライアンは諦めるように背もたれに体重をかけた。
太腿にステタルが頭を乗せてきた重みを感じ、「寝煙草は……」と言いかけたが、灰皿に吸殻が置いてあるのを見てやめた。
ついでに『どういうペースで吸ってやがる』という質問は飲み込んだ。
「何か悶々としてるね。どうしたの?欲求不満?」
「残念ながら俺はそんな理由で不機嫌になるような下衆ではなくてね」
「ふーん。……人の頭を、狙撃銃でパーンして感じる程度には下衆なのにね?」
ステタルの意表を突いた言葉が、ブライアンの苦笑を消した。
彼自身、今更否定する気も起きなかったが、唐突に指摘されると素直に肯定する気は起きなかった。
「やっぱり欲求不満なんだ」
ステタルは至って純粋に納得したような口調でそう言うと、ブライアンの太腿にいよいよ体重を乗せた。意外と重い。
「……まぁな。最近そういう仕事がなくて、少しね」
「相も変わらず人間の屑だね。その矛先をボク達に向けないでね」
「公の組織とはいえ殺しで金貰ってる俺たちなんざ、皆同じような屑どもばかりだろうよ。お前もな」
ブライアンは右手で煙草を持ち、空いた左手でそんなステタルの髪を撫でながらそう返した。
「否定はしない」
ステタルもまた微笑んだまま、ブライアンの血管の浮いた掌の感触に、猫のように目を細める。
そして五秒もせずに、ポケットから一枚のメモを取り出し、確認しながら口を開いた。
「そんなブライアンに朗報だよ。3時間後の作戦でボクと組んで仕事だって。ボクが前衛、ブライアンが後衛」
「それは嬉しい。……お前と組むなんて珍しいけど、な」
「そうだね。じゃあ、そういうことでよろしくね」
てん、と軽い音を立てて、ステタルが席とブライアンの膝枕から立った。
そして扉へ近づき、静かに開ける。
「――"我らは公安の僕、公正たる刃"」
突然投げかけられた、ブライアンの呟き。
殺人者である彼自身の、大して意味もないような正統性を守るための題目だった。
「――"正しくあれ、惑わされることなかれ、全ては恒久の平和のために"」
それに続けるようにしてステタルが呟いた。
そして、背中に感じるブライアンの視線に振り向くことなく、無造作に部屋を出て行った。

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最終更新:2011年11月14日 21:47