「遅かったじゃねえか」
雨の降り続ける誰もいない街の、光の灯っていない信号機のある交差点。
一台も車が通らない道路の真ん中で、不精鬚のない、あの頃の姿のままの翔君がからかうように言った。
ホックと第一ボタンを無造作に開け放たれた黒い学生服は、すでにずぶ濡れになってもっと黒くなっていた。
「ごめんね、待たせちゃって」
私もずぶ濡れだった。焦る必要なんかないので翔君をあえて待たせてたら、自分も同じくらい濡れてしまった。
私の白と青のセーラー服も水を吸って、素肌に張り付いている。でも、もう微塵も気にならなかった。
「やっと約束を果たせるな」
翔君がそう呟いたのと、ずぶ濡れの私の髪をなでたのは同時だった。
短くなった私の髪を弄びながら、翔君は歯を見せて笑った。
「そうだ、思い出したよ。昔はお前の髪は肩ぐらいまでだったもんな」
翔君の言葉に、ふと昔を思い出して涙が出そうになった。でもそれは我慢した。
喜びの感情が大きすぎて、今さら泣くことが妙に勿体ないような気がしたからだ。
「色々あったな」
「うん」
「お前は人間でなくなって、色んな奴らに出会って、色んな目に遭って、そんでつい40年ほど前には、とうとう世界を救うなんてマンガみたいなことを本当にやりやがったな」
「翔君はパイロットになって、色んな人たちと出会って、色んな人を殺して、あえなく死んじゃって、そして今まで、ずっと私の傍にいてくれたね」
「約束だったからな」
そう言うと、翔君は私を真正面から抱きすくめた。
強く、強く。私の背中に、腕がめり込むかと思うほどに。
お互いが、より深くまで近づけるように。身体なんて邪魔だと思えるほどに。
「……終わったな」
「違うよ。やっとこれからだよ」
「ああ、そうだな。これからはずっと一緒だ」
翔君の両腕が私から離れ、左手だけが私の右手をそっと握った。
そして私の横に立って、街の遥か向こう、灰色の空を見つめながら呟いた。
「それこそ、永遠にな」
雨が絶え間なく降り続ける、私たち以外誰もいない街の中。
私たちはずぶ濡れになりながら、水浸しになったアスファルトの上を、灰色の空の遥か彼方を目指して歩きだした。
一万年前。何もかもが始まってしまう前の、あの放課後のように手を握り合って。
「やっとまたデートができるね、翔君」
「時間はいくらでもあるんだ。どこまでも付き合うさ。まずは――」




――――――――――――――――

朝歴76年、日差しが少し涼しくなってきた頃の9月。
未来の特異点、セリア・オルコットは、63歳でその永い生涯を終えた。

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最終更新:2012年08月12日 11:55