薄白い月の浮かぶ日中、御蓮の皇京郊外にその場所はあった。
 灰色の文字の書かれた直方体の石が規則正しく立てられその石の前には線香が立てられている。
 ――それは、墓石だった。
 平日の昼前、人のいない墓地に一台のタクシーが止まると、中から喪服の女性がでてきた。彼女は片手に花束を抱えている。
 ポニーテールにした栗色の髪と、明確な強い意思を持った瞳。細く、それでいてしなやかな雌ライオンのような気高さと王者の貫録があった。
 彼女――宝生旬香は墓地の入り口の簡素な待合室に入ると中を探して、一人の女性を見つける。
「お、いたいた」
「早かったのね、旬香ちゃん」
 待合室の中にあるベンチに座って、彼女――村井雪那は本を読んでいた。
 セミロングの美しい黒髪と、大きな眼と紫水晶色の瞳。冬の泉のほとりにたたずむ黒鳥のような静謐さと美しさ。
「わ、私だって、やる気を出せば約束の時間くらい守れるわよ」
 旬香は思い当るところがあるのか誤魔化すように腰に手を当てて、胸を張った。その顔は少し恥ずかしそうに見えた。
 そんな旬香を見て、雪那はふっと薄く笑う。
「高校の時、待ち合わせに6時間遅刻してきたことは忘れないわ」
「あの時の事は謝ったじゃんかぁ」
 もう一度笑い、ぱたりと本を閉じて雪那は質素なハンドバッグの中に入れた。
「赦すのと忘れるのは違うわ。私は、赦したこともふくめて、憶えてるの」
「ぬう」
 納得いかなさそうな旬香の隣に雪那は立つ。
「それじゃあ、行きましょ」
 微笑んだまま雪那が言う。
 一方、旬香はうつむいて腕を組み、その問いかけにゆっくりと絞り出すように首を横に振った。
「……ごめん、雪那。まだ……、ここにきてまだ戸惑ってる」
 青い静寂が待合室に降りる。二人が黙ったのは一瞬でも、パン生地を練るように一瞬は膨張する。
 そして、俯く旬香の腰を、――雪那がつついた。
「ちょちょいちょい」
「いでっ! いででっ!」
 旬香の腰の骨には今、歩行に問題がない程度のヒビが入っている。
「や、やめてよ、雪――」
「ちょちょいちょいちょいちょちょいちょい」
 再び旬香の腰を雪那がつついた。
「……“雪那”?」
 きらり、と目が怪しく光る。
「だ、だって、もう、年齢的にいやかなって――」
「ちょちょいちょいちょいちょちょいちょい」
「――いだだだ! ごめん、ユッキー! ごめんて!」
 そこで、ようやく雪那のつつきが止まった。
「いだだだだ……」
 腰を片手で抑え、旬香は背筋を伸ばす。
「しゅ、旬香ちゃん、だいじょ――」
 冷静さを取り戻し、旬香を心配する雪那をくるりと反転させ前後の向きを逆にすると、旬香は雪那に抱き付いた。
「えっ、しゅ、旬香ちゃん……?」
 旬香の位置からでは見えないが、雪那の顔が赤くなる。
「……ほーれほれほれ!」
 瞬間、旬香が雪那の両脇をくすぐった。
「うひゃあ!」
 雪那は身悶えし、大きく身体を震わせたかと思うとバランスを崩して前の方へ倒れ込む。
 前のめりになるすんでのところで、再び前後が反転した雪那を旬香はぎゅっと強く抱きかかえた。
 ふわりと黒髪が舞うようになびいてシャンプーの香りがする。
「……なんか、ユッキーの匂い、落ち着く」
「そ、そそそ、そうかな?」
 旬香と雪那の身長差は頭一つ分ほどあった。抱きしめる体勢になれば、旬香の胸のあたりに雪那の頭がくるのだ。
 再び戸惑いながら顔を真っ赤にする雪那をよそに、旬香は目をつむって、なにかを思案している。
「……よし」
 何分かして、雪那がおずおずと旬香の腰に手を回そうとしたところで旬香は目を開けて雪那から身体を離してしまった。
「……いこうか。ユッキー」
 憮然としてむくれる雪那に、気づいているのかいないのか旬香はにっと明るく笑いかけた。

   ***

 二人は、目標の墓標の前に一人の女性が立っているのを見つけた。
 黒いスーツに身を包み、黒髪をボブカットにしたその女性は墓標の前に跪いている。
「スーやん」
 旬香の声に、女性――守野屋 スーは振り返った。
「旬香に村井か。久しぶりだな」
「……うん。なんだかんだで、来ていなかったから」
 そう言うと守野屋は、一歩引いて二人に道を譲る。
 旬香は花束を墓標の前に横たえると線香をたいて、二人は手を合わせた。
 その墓標には「菊田家」と刻まれていた。その中には菊田言左衛門もいる。
「アイネアスさんも、同じお墓なんだっけ……」
「あぁ」
 祈りのあとに旬香が言い、守野屋が答えた。
 スリーピィヘッドによる一連の騒動がようやく落ち着いてきていたので、犠牲者の一人である言左衛門の墓を二人は訪れている。
「それにしても、スーやんはなんでここに?」
「私か? 私は――」
 ちらりと、守野屋は墓標をみつめ、何かを振り払うように二人を見つめた。
「――ゆるしが欲しくて」
 その黒い瞳に、旬香がうつる。
「……ゆるし?」
「旬香。二人を殺した黄盾の狙いは、はなから私だった。けれど私は逃れ、二人が巻き沿いを食らった。二人を巻き沿いにしたことへの赦しと――」
 一度、守野屋の視線がふるえた。
「――そのことすら忘れて、また前へ進むことへの許しだ」
 深呼吸を一回だけして、彼女は針金のように笑う。
「……食事にでも行かないか。奢る」
 そう言うと守野屋は背を向けて返事を待たずに歩き始めた。
 旬香はちらりと雪那に見る。
「いきましょう」
「……、うん」
 二人は守野屋のあとを追い始めた。旬香と雪那はそれぞれタクシーで来たようだが彼女は自分の車で来ていたようだった。
 墓地を抜けたところにある駐車場に留めてあった派手なピンク色のスポーツカーのロックを守野屋が解除してそれに三人は乗る。
「派手だね」
 助手席に乗った旬香が言った。普通に道を走っていても目立つ色だ。
「私にとって、黒い車は運勢的によくないらしい」
「そういうの気にするんだ」
「いいや、言い訳だよ。……いい加減黒に飽きてきててね」
 守野屋がエンジンをふかし、勢いよく車が走り出す。
「髪も染める?」
「そうだな、ルミナスみたいにするか」
「あれ白髪でしょ」
「そうなのか?」
「いや、年齢的に……」
「たしかに」
 守野屋は運転しながら静かに笑った。
 と、そこで携帯電話の着信音が聞こえた。後部座席にいた雪那が電話をとって会話を始める。
「もしもし」
 話し声が聞こえ、少しして雪那が言った。
「旬香ちゃん、マキータから」
 雪那は電話を旬香に差し出し、旬香はそれを受け取る。電話の相手は雪那の旦那のマキータだった。
「もしもし」
『旬香、限界だぜ!』
 ――なにが、と旬香が言おうとした瞬間、電話の向こうから泣き声が聞こえる。
『秋那の相手はおれにはむりだ!』
 秋那は、旬香がよく面倒を見ていた二歳になる雪那とマキータの娘だった。
 電話越しによくよく秋那の泣き声を聞いてみると『あんただれやねん』と聞こえる。つまり、実の父親であるマキータをよく憶えてないらしかった。
「はいはい……」
 旬香は電話をいったん離し、隣の守野屋を見る。
「急用?」
「うん。でもせっかくだから、ファミレスかどこかで落ち合おう。いいよね、マキータ」
『なんでもいーからさっさと決めて欲しいぜ』
 私たちはマキータと待ち合わせ場所を決め、守野屋はギアを入れて速度を上げた。
「とばすよ」
「とばしてから言わないでよ」
「ははは、すまない」
 三人の乗ったスポーツカーは人気のないメインストリートをどんどん進んでいき、ハイウェイに突入する。
 墓地は都市から離れた山奥にあり待ち合わせ場所からは離れているが、ハイウェイを使えばすぐだ。
 そうして、あっというまに守野屋の車は待ち合わせ先に到着する。
 フランチャイズのレストランの前には、三人にとって見覚えのある男と女の子がいた。
 車を駐車場に留め、二人の方に向かうと女の子の方が男の手を振り払い旬香の方へまっさきに駆け寄ってくる。
「しゅんちゃん!」
 駆け寄ってくるあどけない彼女が、雪那の二歳になる娘、秋那だった。
 旬香はすわりこんで目線を合わせる。
「しゅんちゃん、どこ行ってたの?」
「宇宙だよ」
「ほんと? お土産は?」
「税関で没収されちゃった」
「そっかぁ」
 つぎに秋那は、まだ入口の方にいる男、実の父親であるマキータを指差した。
「あのおじちゃんだれ?」
 ぶっ、と雪那が噴き出す。
「あれはねー、お父さんだよ」
「お祖父ちゃんじゃないの?」
 秋那の言葉を聞いて雪那と守野屋がげらげら笑い始めてしまった。
「ちがうよ」
 そんなことを話しているうちに、マキータがこちらへやってきてため息交じりに言う。
「全部聞こえてるぞ……」
「じゃあ、中に入りましょうか」
 雪那は秋那を抱きかかえると、マキータもつれて中へ駐車場を横切っていった。
「旬香、行こ――」
 守野屋はアスファルトの上で一昔前の不良のように座ったままの旬香を見つめる。
「旬香、まさか」
 旬香の表情はひきつっていた。
「……こ、腰が」
「ほら」
 守野屋は旬香に手を差し伸べ、旬香もそれを受け取ってたちあがる。
「大変だな」
「スーやんもじきにクるでぇ。というか、ヒビ入ってるからね。殆ど治ったけど……」
「それは怖いな」
 そう言いながら二人はレストランの方へ向かう。
「旬香」
「ん?」
「訊いておきたいんだが、言左衛門のことは今でも好きなのか?」
 瞬間、旬香の顔が真っ赤になった。
「……ん、ンなわけ、ないじゃん」
「本当に?」
「な、なな、なんなのよ、急に」
「やや、もしまだ好きで未婚ならどうしようかと思って」
 守野屋は演技っぽく肩をすくめてみせる。
 それを見て旬香は頬を膨らませた。
「……『早く結婚しろ』って?」
「いやいや、勿体ないなと思っただけで」
「自分だって、結婚してないじゃん」
「まあね」
 にこりと守野屋は笑う。なんだかそれは自虐にもみえる。
「ただ、まあ、旬香が言左衛門をどう思ってたのかは気になるところでね。実際、どうだったんだ?」
「そんなのもう忘れました」
 そう言って顔は赤いまま、旬香はレストランの扉を開けた。