砂塵舞う荒涼の大地。雑草さえ生えない罅割れた地平。
 生命力の枯渇した世界には、漫然とした死の影が揺らいで覆う。かつて優れた文明を抱いていた惑星は、その栄華を忘れて久しい。破滅的な大災害が天地を舐め、生きとし生ける者と、彼等の築いた全てを薙ぎ払ったが故に。
 暗鬱とした曇天が空を塞ぎ、その隙間から漏れる虚空の色は血塗られた朱。遠い山々の稜線には雷電の嘶きが木霊し、青紫の稲光は明滅を繰り返す。吹き渡る風はどこまで渇き、荒んだ熱味を交えて逆巻いていく。木々の緑は何処にもなく、せせらぐ河川も望めない。
 そんな大地を一台のジープが走っていく。四輪の駆動に合わせて砂煙を吐き散らせ、猛スピードで荒野を駆ける。乗っているのは年若い男女。二人の顔には焦りと恐怖が張り付いて、双眸は何度となくバックミラーを覗いていた。ジープの後方から、追ってくるモノがある。
 四本の脚で地を踏み叩き、猛然と追走してくる獣の姿。体高は3mあまり、全長は5mに及ぶ。鈍く輝く鋼鉄の体躯を持った、無機的な巨狼だった。何時の頃からか野生化し、自律機動を始めたアームヘッドの一つ。人類にとっての恐るべき敵対者であり、捕食者でもある。
 巨狼の四肢は軽やかに躍動し、鋼の雄躯を迅速に前へと押し出していく。その速度は車輛の逃走速度を上回り、急激に間隔を狭めていった。

「兄さん、もっと速く!このままじゃ追いつかれちゃう!」
「これで限界なんだよ!クソッ、駄目だ、振り切れない!」

 ジープに乗る男女の顔からは血の気が引き、震える歯の根は噛み合わない。ガチガチと奥歯を鳴らして、声にならない叫びを漏らす。
 鋼の獣とジープの距離が更に縮まった瞬間、獣が地を蹴って跳躍した。機械の身とは思えない、極めて生物的なしなやかさで宙へと舞う。
 ジープを飛び越えていくアームヘッド。男女が自分達の頭上をいく巨影を見送った後、狼は車輛の前方へ着地した。衝撃に地が揺れ、砂埃が噴き上がる。ハンドルを握る男が目を剥いて切ろうとするが、間に合わない。狼の前肢が持ち上がり、次いで素早く振り下ろされる。
 鋼の爪がジープのフロントを勢いよく叩き、車輛の動きを無理矢理封じた。前のめりに跳ね上がり、強制停止させられる。盛大に上下へ揺さぶられる男女。

「矮小な人間風情が、俺から逃げられると思ったか。貴様等は何処に行けん。俺に喰らわれるが運命よ!」

 獣の背中が上方と左右の三面に開き、内奥へ収められているコックピットが露出した。そこから数十本のケーブルが伸び出すと一気に走り、ジープの助手席に座る女性へと絡み付く。

「なにする、やめろォ!妹を放せ!」
「イヤァァッ!兄さん助けてッ!」

 彼女の口から凄烈な悲鳴が上がった。男は手を差し伸べるが、それが届くより早く、女性は引き抜かれていく。
 長々と悲鳴を響かせて、女性の体は獣のコックピットへと引き摺り込まれた。捕えたケーブルごと内部に押し込めると、機械の背面が閉口する。

「いやだ!やだやだ出してぇぇッ!」

 暗色のコックピット内で、女性の全身にケーブルの先端が突き刺さった。そのうちの何本かは彼女の喉を貫き、発声器官を叩き潰す。
 両手両足、腰胸背中、髪を掻き分け頭部にも。情け容赦なくケーブルは突き刺さり、皮膚を破って、肉を掻き分け、体内へ深々と減り込んでいく。そうして一斉に、彼女の血液と水分、生命エネルギーを吸引し始めた。ケーブルの内側を赤い血潮が流れていき、女性の体は見る間に痩せ細る。
 両目を見開き、苦痛と恐怖に顔面を醜く歪め、口を何度も開け閉めしながら、女性の肌は色艶を喪失し、無惨に干乾びていった。まるで早送り映像のように窶れ、ミイラの如く変容し、命の全てを奪い尽くされる。
 僅か数秒で彼女は動かなくなり、両目は濁って落ち窪んだ。既に呼吸は止まっている。それでも尚、ケーブルは女性だったモノから離れない。執拗に吸い上げて進め、彼女を更に枯れ木同然へ至らせる。
 それより程なく、女性の体は砂柱も同然に砕けて落ち、微細な粒子にまで分解された。人独りを丸々に、アームヘッドは喰らい果たす。
 彼女の一切を吸奪した機狼は、次の標的として男を見据えた。赤く輝くアイカメラが、絶望に染まる男の姿を映し取る。

「やはり人間の雌は美味い。次は貴様だ。案ずるな、同じ所へ送ってやる。我が身の一部として!」

 巨狼の大顎が上下に裂け、笑うように低い駆動音が鳴った。
 人間の身体能力を遥かに凌駕するアームヘッドに対して、生身の個人に為す術はない。追い詰められ、抵抗虚しく貪られるのみ。
 獣は一歩踏み出し男へ迫った。彼は全身を激しく震わせ、妹の仇を見上げることしか出来ない。機狼の開かれた口部から新たなケーブル群が伸び出してくる。
 だがこの時、獣の横腹が突如として爆発した。予期せぬ事態に巨体が怯み、ケーブル群が口内へ引き戻る。

「ぐっ、なんだ!」

 怒気を孕んだ獣の呻り。それが終わらぬ合間に、今度は右前肢に爆炎が散った。
 立て続けの余波で男が尻餅をつき、獣は側方へただちに向き直る。アイカメラの見詰める先、荒野の只中に立っている女が一人。

「人間の雌だとぉ?」

 抜け去る乾風に靡く翠の長髪。迷彩柄のコンバットスーツを着込んだ褐色肌。歳の頃は20代前半。鋭い目付きに凛と澄んだ面差し。なにより特徴的なのは彼女の右腕だ。そこだけ上着の袖がなく、腕自体が外気に露わ。覗く素肌に柔さはなく、鋼鉄で組み上げられた異形の腕。
 無機的な人工物の右手には、身の丈へ達するほどの長大な砲が握られていた。

「体は確かに生身の人間。しかしその右腕の反応はアームヘッド!同胞の右腕を持つ人の雌……なるほど、貴様が『アームヘッドを殺す者(デストネイター)』か!」

 巨狼が褐色の女性を睨み、忌々し気に吐き捨てる。
 内蔵センサーを介した観測情報は、彼女が何者なのかをアームヘッドに知らしめた。

「アンタで348体目。地獄で待つ化け物共の下へ送ってやる。人に害為すアームヘッド殺すべし!」

 叫ぶや、女性の右手で巨砲が瞬く。上下二股に分かれた砲身の合間に蒼光が生じ、一気に先端へ集うと射出される。
 撃ち出された蒼いレーザーは機狼へ直進した。来たる破滅の光を視認して、獣は真横へ跳び退る。レーザーが脇腹を掠め、表面装甲が瞬時に焼き切れる。しかし直撃ではない。
 紙一重でレーザーを回避した機狼が、軽快に砂地を踏んだ。

「他愛ない!」

 鼻で笑う獣。ダメージは負ったが軽微。故にすかさずアイカメラで女を見た。生意気にも叛逆する蛮族を仕留めるべく。
 そして驚愕する。

「なっ、どういうことだ!?」

 女性はアームヘッドのすぐ眼前まで肉薄していた。憎悪に燃える眼光までが、機狼には確認できる。
 センサーが把握したのは、彼女が右腕に握る剣。そう、剣だ。二股の砲身が中心で合わさり一つとなって、肉厚の剛刃へと変形していた。
 更に最後部の柄根からは擂鉢状のブースターノズルが突出し、蒼い炎を噴射している。武器そのものがスラスターとして強大な推進力を発揮し、握り持つ女性ごとアームヘッドへ高速接近を遂げたのだ。

「先のレーザーは囮!?俺の注意を一瞬逸らし、その間に可変剣で突撃だと!?」
「こっちが本命なのよ。死ね!」

 互いに逃れ難く間合いを殺し、飛び込み迫った女性が、右腕と共に剛剣を振り下ろす。
 アームヘッドの右腕は尋常ならざる膂力と速度で巨刃を走らせ、精確に獣の首へと叩き込まれた。

「オオォォッ!」

 女性の一呵が右腕を漲らせ、巨大な剛剣を押し進める。

「ヤメロォォッ!」

 機狼の絶叫を意に介さない。あらゆる抵抗を粉砕し、圧とパワーで刃が唸る。
 人の身の丈へ及ぶ剣は止まらず駆けて、より一層の力を注ぎ、獣の首を断ち斬った。剛重の一閃。破壊的な斬撃が首に埋め込まれていたアームホーンを両断し、致命の終わりを発生させる。
 途端、機狼の全身が無数の水疱状に膨れ上がり、醜く肥大化した。そのままより大きく膨張し、内圧に屈した瞬間弾け飛ぶ。バラバラに砕けた破片が一帯へ飛び散り、狼の姿をしたアームヘッドは完全に消滅した。
 彼女が持つ剣はアームホーンを殺す為だけに鍛造された必滅兵装「スレイヤー」。
 アームヘッドの核であるアームホーンを討ち破り、アームヘッドを抹殺する特化兵器。
 女性はスレイヤーを大きく振るい、刀身にこびりつく機狼の残滓を散らす。その後に宙へと放り、落下してくる巨剣を右腕の払いで側面へ接合する。切っ先を肩側へ向けて、刃は固定化された。

「あ、貴女は、守護者なのか?」

 腰が抜けたか動けない男が、褐色の女性を見上げて問う。
 目の前で行われた人間がアームヘッドを撃破する光景は、鮮烈な印象となって涙を浮かべさせていた。
 対する女性はへたり込む男を一瞥すると、興味も無さげに踵を返す。そうして振り返ることなく、冷めた声音で言い捨てた。

「私は誰も護らないし、誰も救いはしない。ただ人に牙剥くアームヘッドを殺すだけ」
「何故、戦える。恐ろしくはないのか?」

 息を飲み、男がもう一度問い掛けた。その刹那、女性の全身から凄まじい濃度の殺意が溢れ出す。

「奴等は私から全てを奪った。だから私も奪ってやる。一切合切悉く、塵も芥も残しはしない。復讐。それだけが私を動かす」

 底昏い怨念を吐き出して、彼女は独り歩き始めた。
 幽鬼のようなその足取り。死色の闇を影に引き、翠の美髪を揺らして去る。
 次第に遠退く後ろ姿を、男は唇を強く噛み締め見詰め続けた。目の前で妹を喰い殺されたにもかかわらず、震えるばかりで何も出来なかった自分。己の無力を悔やみ、嘆きを怒りに変え、彼は立ち上がる。そして彼女を追い走り出す。自分にも戦う理由は出来たのだ。

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最終更新:2016年10月05日 19:53