「なんだ、こんな所に猫だと?」

 聞こえた鳴き声に反応し、三人が周囲を窺う。
 リィンとミナモは緊張と警戒を強く交え。白衣の男はただ単純に不審げな顔をしながら。
 三者の視線が壁や床へ素早く走った後、男が真っ先にその出所を発見した。
 三人から幾らか離れた物陰に、小さな黒猫が佇んでいる。猫はリィン達の方を見て、じっと動かない。

「いったい何処から入り込んだ」

 黒猫を見付けた男は白衣を揺らし、特段に気負うでもなく近付いていく。
 だがリィンとミナモは動かない。『ねこ』と呼ばれる、猫に似た形状のアームヘッドが置かれた場所に、侵入経路の判然としない黒猫がいる。この奇妙な符号に、二人は明らかな疑念と警戒を抱いていた。
 傭兵として、戦士として培ってきた直感は、これを偶然の一致とは認めていない。

「不用意に近付かない方がいいと思うわよ」
「僕もリンちゃんに同感だ。怪しすぎる」
「何を言ってる、ただの猫だぞ。傭兵は一匹の野良猫まで拒むのか?」

 真剣な面持ちで傭兵夫婦が警告するも、白衣の男は一笑に伏す。
 二人の事を臆病者と言わん顔で眺め見て、つまらなそうに鼻を鳴らした。
 そのまま黒猫の正面まで歩み寄ると、徐に腰を曲げてしゃがみ込んだ。

「そんなに怯える必要がどこにある。ほら見てみろ、ただの猫だ。しかしコイツ、人に慣れているのか? まるで逃げようとしない」

 白衣の男が傍近くに来ても、腕を伸ばしても、黒猫は其処に佇み続ける。
 男の方をじっと見詰め、まるで動こうとしない。
 その堂々とした姿に不思議さを覚えつつも、男は猫の体を掴んだ。逃げる気配もない黒猫を、直接外へ連れ出そうと持ち上げた。
 リィンとミナモが固唾を呑む中、先頃に響いた鳴き声と同じ声質で、異なる調べが全員の耳へと届く。

「ねこです」

 聞こえてきたのは意味を持つ言葉の流れ。発生源は男が手にした黒猫。
 一瞬、全員の動きが止まった。
 白衣の男が、驚きから口を半開きにする。眼鏡は黒猫の姿を映し込んだ。
 その直後、猫が内側から熱波を噴き、強烈な圧を解き放つ。秘められた破力が外側へと膨張し、紅蓮の猛火が恐るべき勢いで暴れ回る。白衣の男がそれと気付く間もなく、猫は大爆発を起こしたのだ。
 轟音と衝撃が吹き荒れ、巨大な火中が天へと突き立つ。高熱が放射状に拡散され、燃え盛る爆幕が盛大に膨れて弾けた。全周に広がる余熱と衝波は突風となり、リィンとミナモを叩いて抜ける。
 大量の火の粉が舞い散り、それと共に焼け爛れた肉片も散乱された。血液の粒が高熱に炙られて蒸発する最中、壊圧に押され砕けた人体の断片部が、そちこちへと落下していく。
 ぐずぐずに崩れた指の欠片、剥がれ飛んだ爪の残骸、燃えながら宙を漂う毛髪の束、熱量に煽られて黒ずんだ骨の一部、肉感的な断面を抉れ覗かす臓器片、千切れて回転する腸の一端、一瞬前まで生きた人間だったモノ達。それらは無造作に床へと引かれ、次々と落下しては自重と掛力に負けて潰れて果てる。
 降り注ぐ人体の焼部雨に、ミナモは咄嗟と動いてリィンの頭を抱き、自分の体と腕とで傘を作る様に下へ庇った。迅速な護りに誘われ、彼女は夫の胸に密着するとツナギ服を両手で握る。
 弾けて奔る衝撃波が、二人の髪を盛大に揺らしていった。広大な空間に爆音が反響し、遠く彼方にまで渡っていく。
 爆発による影響が駆け抜けた頃を見計らい、ミナモは姿勢を解いた。庇いたてたリィンを放すと、注意深くその姿を確認する。

「怪我はない、リンちゃん?」
「ええ、大丈夫。なんともない。ありがとミーナ」

 心配そうに問い掛けてくる夫を見上げ、リィンは緩く首を振った。彼の男らしい一面を目の当たりにしてか、頬に薄っすらと朱色が差す。
 安堵の微笑を浮かべたミナモ。若干の照れを誤魔化すよう、リィンはその顔から視線を切り、素早く振り返った。
 改めて見遣るは白衣の男が立っていた場所。今其処は床が砕けて割れ、朦々と黒煙混じりの炎が昇っている。男の姿は何処にもない。辺りに散らばる肉体の断片のみが、その存在を明かす名残りだ。

「アイツは……駄目みたいね」
「あの規模の爆発に直撃されたんだ、木っ端微塵だろう」
「まさかとは思ったけど、本当に黒猫が爆発するなんて」
「リンちゃんの予感が当たったわけだ。動かない黒猫、爆破するトラップ、破壊工作用アームヘッド『ねこ』……これらを結んで考えるなら、あの猫こそが『ねこ』の攻撃手段なんだろう」
「見た目は普通の黒猫だったわよ。あんなの、見分けがつかないじゃない」
「だからこその兵器なんだと思う。確かにこれは凶悪だ。要塞内だからこそ違和感が際立つけど、街中で使われたらまず気付けない。尋常じゃない被害が出るよ」

 顎に手を当てて思案顔となり、ミナモは『ねこ』の脅威を考える。
 今まで傭兵として様々な兵器を見てきたが、これほど無差別テロに向いている兵器もない。隠蔽性や機能性、その効力、どれをとっても悪魔的な狡猾さが滲んでいた。これが実用化されていた時代は、さぞ混迷の度を深めていたことだろう。

「にゃーん」

 遠い過去に思いを馳せるミナモの耳へ、その声は届いた。
 彼は思考を中断し、反射的に顔を上げる。隣ではリィンも同様。警戒心を新たに、周囲へと視線を走らせた。

「まだ、あの猫が居るみたいだね」
「項の毛が逆立つこの感じ、危険は去ってない」

 リィンとミナモは互いに背中合わせとなり、神経を研ぎ澄ます。
 呼吸を浅く抑えて、一帯に目を凝らした時。二人は揃ってぎょっとした。
 薄暗い通廊の向こう側、段々に積み上げられている瓦礫の山、崩れた硬材が引っ掛かった空白地帯、其処彼処に小さく光る物がある。
 目だ。闇の中で光る猫の目が、幾つも幾つも存在した。
 それらは全て傭兵夫婦の方を向き、動向の一切を監視しているかのよう。
 十数匹に及ぶ黒猫が、空間の随所に潜んでいるのだ。

「多い」
「あれが全部、爆弾?」

 ミナモは黒猫の一匹ずつを見定めながら、目を細める。
 リィンは緊張に顔を強張らせ、相手の出方に対するべく身構えた。
 二人と猫達の睨み合い。どちらも動かず、静かに同じ場所へ佇むまま。

「襲ってくる様子はない。……彼が近付いても動かなかった。持ち上げて、爆発した……そうか、あの黒猫は設置型トラップだから自律機動をしないんだ。爆発する条件は、外部からのアクションで設置個所から動かされること。地雷みたいなもの」
「つまり、こっちから手を出さない限りは安全ってワケ?」
「おそらくはね。余計な刺激を与えないで、このまま後退しよう。それで此処からは逃れられる筈だよ」

 それまでに得た情報から敵勢機の実態を類推し、一つの解を導き出したミナモ。メカニックとして数多くの機器に携わって来た彼だからこその看破だった。
 夫の提言にリィンは頷き、周囲への警戒は緩ませず、ゆっくりと来た道を戻る。
 幸いにして後ろの道には黒猫達は存在していない。引き下がる分には然したる労力を費やさないで済む。
 二人がじりじりと猫爆弾から距離を開けていくが、ミナモの予想通り黒猫は一匹も動かなかった。最初と同じ場所に留まって、ただ二人の方を見詰め続けるのみ。

「大丈夫そうね」
「ああ。この辺りまで来れば、よさそうだ。走ろう、リンちゃん」

 緊迫の時間を経て、双方の距離が一定以上開いたところで。リィンとミナモは同時に駆け出した。
 やはり黒猫達が追ってくる気配はない。自分のテリトリーからは動かないようだ。
 一度後ろを振り返り、それを確認してから、ミナモは再び正面を向く。
 隣を走るリィンの長い桃色髪は、疾走へ誘われ優雅に靡く。

「あの爆弾猫、放っといてよかったの?」
「残念だけど、今の僕達に出来ることは何もないよ。精々が、作業場の人達や下の街に注意喚起を行えるぐらいさ」
「そうね。アイツも吹っ飛んじゃったし、何かやっても無報酬のタダ働きだもの」
「彼のことは残念だよ。ちょっとアレな人だったけど、優秀な技術者だから」
「……期せずして、このスーツがアイツの遺作になっちゃったわね」

 長い通路を直走りながら、リィンは自分が来ている白のパイロットスーツを見下ろした。
 体に張り付くハイレグ型は、明らかに製作者の趣味嗜好が前面に押し出されている。はっきり言って、人前では着たくない手合いの代物だ。
 しかしスーツそれ自体の性能は悪くない。今現在も着用者の動きに馴染み、阻害することなく躍動を助けていた。アームヘッドパイロットの護身装備としては、中々に優れた逸品と思える。

「ところで、ミーナ」
「なんだい、リンちゃん?」
「どうしてあんなに爆弾があったの? 100年以上前の資源戦争で爆発しなかったのが、ずっと残ってたってこと?」
「その可能性は低いよ。彼や多くの技術者が既に何度も要塞内を移動往復してる筈なのに、猫爆弾には誰も気付かなかった。それはつまり、今まだ存在しなかった物が、新しく設置されたってことだろうからね」
「じゃあ、誰かが機能する『ねこ』に乗り込んで、テロ紛いの行動をしてたってわけ?」
「そうかもしれない。或いは……」
「なに?」
「昔の資料に、ごく僅かだけど記述があった。アームヘッドとの同調率が極めて高まったパイロットは、アームヘッドそのものと融合し、一体化してしまう現象が発生する。らしい」
「アームヘッドと融合?」
「僕も詳しいことは分からないけど、大破局以前にはそういう事象も僅かながら確認されていたみたいなんだ。融合を果たしたアームヘッドは、それまでとは全く異なる存在へと進化するとも、記されていた」
「なんだか胡散臭い話ね。10年以上傭兵やってるけど、そんなことになった奴の話は聞いたこともない」
「現行のアームヘッドは、大破局以前のオリジナル機をベースにした模造品。性能も劣るレプリカだからじゃないかな」
「ああ、成る程」
「だからもしかしたら、遠い昔の『ねこ』のパイロットが、偶然から『ねこ』と一体化して。この時代まで生き延びていた可能性もある。それが何かの拍子に目覚めて、今も戦争中だと錯覚し、機動要塞内部に爆弾を設置して回ってるのかも」
「そういえばアイツが、『ねこ』が消えたり動いたりしてるって、そんな噂があるようなこと話してたわね」
「調べてみないことには、真相は分からない。けど、可能性は幾つも考えられる」
「……まるで、実体を持った幽霊ね。大戦期の亡霊、か」

 リィンは僅かばかり目を伏せて、哀愁帯びる呟きを零す。
 戦うことを選んだ人類。戦い以外に解決作の選べなかった時代。そこに生きた者達を想い、感傷の念を抱いたのか。
 それとも、記憶の彼方の奥深く。彼女自身も気付かぬほどの深淵で、眠れる誰かの想い出襞を、感情の端子が擦過したのか。
 リィンとミナモは言葉を交わしつつ、互いに思うところを飲み込んで、速度を緩めず走り続けた。
 出口は近い。


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最終更新:2016年10月13日 21:01