これはなんというのだろう、つまり自分の衝動に従った結果というか。
御蓮の大都市にそびえる高層ビル。その最上階の広い広い部屋。全面ガラス張りのおかげで更に広く見える。世界のすべてが見えてしまいそうな解放感。十三年たってもなれない境界のあいまいな部屋。
差し込む陽光のまぶしさはカーテンはしめておくべきだったかと後悔を呼んだ。開けすぎている。これでは、私たちが二人だけではないみたい。
今という瞬間を、この子とだけ二人占めにしたかった。それなのに、開けすぎている。世界中のみんなが一緒にいるみたい。
とても、開けすぎている。この開けた世界で不自然なくらい、私たちだけをのけ者にして。切り捨てて。
その開けた世界で、何よりも狭苦しく息に詰まって嘔吐しそうになる。もしも嘔吐したらどうだろう。虹でも吐き出してしまえそうだ。最低な絵面。くそったれな気分。
窓と窓をつなぐ部分が不自然に空を区切る。視覚的に理解できたので安心した。やはり二人の世界は切り離されて、切り落とされている。ああ、そうしてくれ。私たちは二人きりでいい。
脳内に充満するのは噎せ返るような死の香り。嗚呼、しかしこれが、目の前の亡骸のなりそこないではなく、自分から発せられているのだから、本当に気分が悪い。
いいえ。いいえ。私は死なないわ。生きるのが辛くなんてならないわ。そのために――。

外を眺めていたつもりなのに、窓が反射で二人を映し出した。
広い広い整理された部屋にクローゼット、ふたつの鏡台とダブルベッド。ひとつの鏡台の上には最低限の化粧品が綺麗に並んでいて、もう一つの鏡台の上にはアクセサリーや化粧品が乱雑に置かれている。転がっていると言ってもいい。
ダブルベッドの上には二人の女が向かい合って座っている。ひとつの女はすっきりとタンクトップ姿で、一つの女はふわふわとしたパジャマ姿。そして、そのタンクトップ姿の女の腹に突き刺された短剣が二人をつなぐのだ。ふわふわとしたパジャマは向かいの女から吹き出した血を吸って真っ赤に、そして重たくなっている。
なんだか、鏡台の状態と私たちの状態がリンクして見えた。この子は、私と違って、とても綺麗好きだった。それでいて、私にそれを強要することもなかった。
鏡台を見て思い出したことがある。そういえば、私の手にはまだ指輪があった。約束の指輪。二人をつないでいた。だけど、今の二人をつなぐのは短剣のみ。彼女の手に、もう指輪はない。
私の着ているパジャマはもうふわふわなんていえないほど深く深く赤を吸っていて、それに負けじと昨日換えたばかりのシーツも赤に染まるけれど、私の手に輝く指輪は、染まることなく、それを拒み続ける。そう、あなたは一人に、耐えられないのね。

二人を今繋ぐのはただ一本の短剣。決して放すまいと、目の前の女が腹から溢れさせる血が私を塗りたくる。決して放すまいと。決して逃がすまいと。
「お姉さま」
「ええ」
「ひとりになっても、平気ですか。寂しくないですか」
「ええ」
「私、お姉さまと一緒の時間を生きるって、決めたのに。約束したのに。お姉さま、私は本当に、耐えられたんですよ」
「無理。あなたの覚悟なんてあてにならない」
「だけどね、お姉さま。お姉さまが私のためを思ってしてくれたこと。私、うれしいんです」
「いいえ。いいえ。違うのよ。勘違いよ。私はもう、あなたなんてどうでもよくなってしまったからこうしたの。殺した」
「お姉さま、愛してるって言ってください。ずっと言ってくれなかったでしょう。心ではずっと思ってたのに、言ってくれなかったでしょう」
「いやよ。言わないわ」
「えへへ、照れますよね。ベッドでも言ってくれなかったのに」
「だってあなた、私の話を聞かないでしょう」
「お姉さま。素敵です。美しいです。お姉さま。私、お姉さまが思うようないい子ではありません。だって、とっても痛い。とっても憎い。とっても苦しい。とっても生きたい。一緒に生きたい」
「いいえ」
「お姉さま。ずっと生きてください。幸せに生きてください。お姉さまがそうしたいのなら、たくさん生きてください。私は、お姉さまの最後の愛の形を、この愛の形を受け止めて、味わって、抱きしめて、ひとり、終わっていきますから」
向かいの女は自分を強く強く抱きしめた。そして、私はその子の腹をもう一刺し。
二つの穴からになると、それはもう、滝のような血になるのかと思ったけれど、そう、もうあんまり残っていないのね。あなたの最後の香りは、こんな感じなのね。
あなたの最後の顔は、やっぱり笑顔なのね。よかった。
窓に反射する二人の女の穏やかな笑顔。それを見てしまって、気持ち悪くなって、窓に向かって短剣を投げた。それは音を立てて窓を割って、形を変えて球体となり、その後に私の指に収まっているのと同じ形の指輪になって落ちていった。慣れ親しんだ自分の形として、その形で消えていった。
やっぱりとても強い陽光だった。もう、十七時になろうとしているのに。

ノティア・ワールリフューズは恋人のメリー・ストロベリーを殺した。二度刺して殺した。
二人は心の奥底で分かり合っていた。あの子は最期まで私の言葉には答えなかったが最初から私の心に答え続けた。
そして私は彼女の選んだパジャマを脱ぎ捨てて、シャワーに向かった。
シャワーを浴びている間に、扉が叩かれているようだった。オーナーだろう。何度も何度もたたかれる音を聞いて気持ち悪くなって嘔吐した。シャワーで洗い流したが、虹なんかではなかった。昨夜の食事を思い出してまた吐いた。

シャワーから上がって全裸で寝室に戻ろうとすると、合い鍵を使って入ったらしいオーナーと鉢合わせた。いろいろなことをものすごい形相で言っているようだったが不思議と聞こえてこないので着替えを続けた。ところでこの老人は、女性の着替えの間も部屋に居座るなんてどんな神経をしているのだろう。
ベッドのほうを見て驚いた。メリーが笑顔で死んでいる。そのあと自分に驚いた。それは自分がやったことだろう、と。なんというんだろう、あまり意識していなかった。
それで、無理やり私を引き留めようとする老人を剥がして外に出た。しまった。外に出るっていうのにアクセサリーを、流体金属型アームヘッドを忘れた。まあ、いいか。あの子との絆だけはこの左手の薬指に。一方的な絆だけは。

建物を出て、あたりが騒然としていた。私の割った窓の破片で人が怪我をしているようだったし、警察が私を見るなりものすごい剣幕で迫ってきた。
あまり興味がわかなかったのでその辺は無視して建物を眺めていた。煙草に火をつけて。そうだ。ここだ。ここで十三年を過ごした。
十四日前にふたりの十三年を祝った。今日も冷蔵庫にケーキがあったな、と思う。今日はあの子の誕生日だった。そして、私の誕生日は明日。発生した時間が七時間二十分早ければ、私もあの子と同じ時間に生まれたことになっていたのに。ああ、口惜しい。この日はいつもそう思うのだ。
今年はそれが殺人衝動へと昇華されてしまった。
「嫌よ。嫌。ひとりしわくちゃになって不細工になったあなたに泣きついて謝られながら死なれるのなんて嫌」建物を見て空に言葉を吐く私を異常者を見る目で見て、それからまた私を抑え込もうとする警察に軽く抵抗をした。
ふっと日が落ちた。まあ、そんな時間だ。日が落ちるときはいつも急だし。
なんだかそれと一緒にさっき嗅いだあの匂いが濃くなったように感じた。死の匂い。まさか、私の腕を抑え込もうとしている警察のせいではなかろう。だから背中を見た。

その影の正体はすぐに分かった。数日前、そう、十三年目を祝うためのケーキを買って帰る時に見たアームヘッドの影。そうだ。その薄気味悪いアームヘッドに、あの日剣を向けられたような気がした。それからもう片方の手をガチャガチャと動かしていた。まるで数、十四を示すように。
もう十七時も三十分を越そうかというのに、まだこんなにも太陽が強い。嫌な日だ。
「あの時の」
「そうよ。あたしよ。予告通りになったわね」男の声だった。そういう人間なのだろうと思う。
「ああ、そう。あれは、そういう意味だったの」
私たちを見下ろす圧倒的な影、それに狼狽えながらも警察は私の腕を離そうとはしない。
「警察のお方、その子は国籍もなにも持たないわ。人ではないもの。この世にいてはいけないの。ゾンビなんかよりもよっぽどね。だからあたしが殺してあげるわ。おどきなさい。ことが終わってから取り調べなら受けるから」
「ええ、そうね。間違いない。私ってそういう存在で合っている」
じりじりと足元から夜のような、砂のような、あるいは虹のような、そういうどす黒いなにかが私を包み込もうとしていた。警察もさすがに巻き込まれるのは危険と判断したのか距離を取り、警備用アームヘッドに乗り込んで様子を見始めた。
まだ明るいというのに、明らかな夜が円環状に広がり、ばちばちばちと黒い電気を走らせて、そこから銀色の、細身の、龍のような、虫のような、そういうものが現れて、そのお尻のあたりのハッチが開いて、私を搭乗させた。
「インディヴィジュオウル」私のアームヘッド。世界に禁じられても尚そこに存在する私のアームヘッド。
そして、その手にはライフル。光距離兵装ホライゾン。それは、どこであろうと一秒未満で目標に到達する。プロトデルミスもバイオニクルフレームも塵と化すエネルギー体を必ず届ける。

しかし相手は構えない。その怪しげに燦々と煌めく剣を未だ構えない。
「どう、席をなくした感想は」
「元々そうよ。私はアンキャスト。席も役もない。どこにもいつにもない。」
「そう。そうね。あンた達アンキャストはみんな席も役もないっていうのに、それをわかってないやつが多すぎるの。あンたはかわいいのね。その辺、わかっているのなんて。じゃあおとなしく消えてくれるかしら」
「嫌よ。それにそうかしら、私は私をかわいいとは思わない。かわいいんじゃない。あの子が言ったもの。美しいのよ、私は」
「ふうん。そう。じゃあ、はじめましょうか」
そう言って剣を構える眼前のアームヘッド。だから躊躇なくライフルの引き金を引いた。球は出ない。そういうものではない。距離も方向も関係なく引き金の分確かにエネルギーは敵を捉える。何度も引き金を引いたのは、目の前の存在を塵芥としたかったから。
だって、このアームヘッドを眼前にしてますます匂いがきつくなった。それに、ああ、なんだろう、この舌に乗ったべっとりとした気持ち悪さは。
だからインディヴィジュオウルの攻撃を受けて無傷で立っているアームヘッドを見た時に感じたものは、一言で言えば納得。それから、後追いで来たのが焦燥感だった。だって、この機体はこれしかない。これを防げるものなんてないはずなのに、プロトデルミスの装甲をどうして溶かせないのか。

「普通ね、最初の一撃って結構重たいのよ。無傷とはいかないことが多いの。あンたはだめみたいね。最初から、自分の敗北を知っているって感じだわ」
「何を」
「あたしのこの、エクスカリバーはね、あたしの心の強さであンたの心の弱さを打倒せるのよ。あんたをも打倒せる。心が勝っていれば不可能からでも可能な勝利を引き上げられるの。けれどこれが本領を発揮するのは途中からよ。だって最初はみんな勝てると思ってるんだもの」
「だから何、私は死なないし、負けないわ」
「だったら簡単でしょう。あたしより強い心があればあたしなんて一瞬で倒せちゃうわよ。あンたは、そういう力を持っているんでしょう」
ホライゾンを放つ。何発も、何発も。強い心で臨まねばと思っているのに、引き金を意識するたびにあの腹に食い込ませた短剣の感触を思い出す。
「あンた、とっても心が弱いのね。だめよ。もう一度言ってあげる。心が折れない限り必ず勝利をつかみ取ることのできる調和能力よ。あンた、思っているよりずっとかわいいのね。力を持っているだけのガキじゃない。いい女だと思うわ。女はバカなほどいいもの」
なんだか、簡単に予測できてしまった。この後起こることが。
「嫌よ、死なない。美しいんだから」

その後に起こったのはただ一方的な蹂躙。予想通り。予定通り。
私はこの時に初めて知った。私の舌に乗ったこの気持ちの悪いものを通して、ものの味というものを知った。やっぱり、私の味覚は失われていたんだ。それを、こんな形でか。死の味で知ることになるなんて。
そうか、私は負けられたのか。私は死ねたのか。私とインディヴィジュオウルに、こんな終わりがあったなんて。
受けるべき世界からの斥力は調和能力で無効化している。だから私の寿命は永遠に近い有限のはずだった。なのに、私はまだ三十年だって生きていない。

相手の持つ剣は私に傷一つつけられるはずがないものだったのに、その聖剣の輝きがインディヴィジュオウルを切り付けるたびに私の僅かな勝利の確信はそぎ落とされていった。
最初はそれだけ。確信が削られるだけ。それが、ある時ホライゾンを折った。それで違う確信が生まれた。敗北あるいは死。
インディヴィジュオウルに通用する攻撃は世界そのものの概念を破壊するものか、あるいは世界のスピードを速めて数億年の寿命を削り取るもの。それだけだと思っていた。
だけど違っていた。相手の必ず勝利を掴むという力の前に屈してしまった。いや、違うか。心が相手よりもずっとずっと、弱かった。切りつけられるたびにあの子の笑顔が思い出されてしまうのだ。心を強くなど、もてない。
初めて痛いという気持ちを知った。なるほど、心が折れなければ勝利をつかみ取る能力とはなんて出鱈目な。あんなの、魔剣じゃないの。
心が弱かった。なんだか、自分の中にあるものがすべて否定されたようだった。私は、私は、心だけは弱くてはいけなかったのではないか……。

ついに両の腕はもがれ、円環状のエネルギーパネルはすべて剝かれて、インディヴィジュオウルは倒れこむ。アームキルされ、未だ自壊していないのが奇跡だ。
ばきんという音とともにコクピット周りの装甲がはがされ、私の体が引きずり出された。 傷と血にまみれた体が地面にぼとりと落ちる。
それから、相手の男はアームヘッドから降りて私の目の前に姿を現した。なんだ、なんて綺麗な男か。気に入らない。
「十三年、だそうね」聞かないように。
「生きるわ……」
「どうして、十三年で急にあの子を殺してしまったのかしら」聞かないように。
「私は死なない。あの子との思い出があれば」
「ダメよ。あンたにはそれは、その真似はできないわ」
脳を突き抜ける衝撃を感じた。その感覚を鈍らせたくて、何か別のことを考えようとした。ああ、シーツを換えなきゃ。今日汚してしまったからあの子が気を利かせて自分で変えてしまう前に。
いや、違う。ほかのこと。ああ、さっきあの子と私をつなぐ指輪を、左の薬指のあれを落としてしまったのだっけ。拾ってこないと。なんであの子のを。って、ああ。

ああ、本当に不自然。
「この間あンた達を見た時、もしかしたらって思ったのよ。あんまり仲がいいから。もしかしたらって。そう、思ったのよ。あたしは、それを、期待したのよ」
「あ、ああ」
「とっても悲しいわ。あンたは、猿真似を続けてしまった」
ひどい嗚咽だった。みっともない。強く噛み締めてしまっているから、口の中で逃げ場をなくした吐しゃ物が鼻からも流れ出ていて、とてもじゃないけれど、私はあの子の愛した美しい私ではない。
「あンたの猿真似は本当に本当に、芯の部分に一つもかすりもしなかったわね。あンたの父は、愛した人間を――」
「いうな!」喉が裂けるほどの声を出した。血か、吐しゃ物か、わからないものがたくさん口からあふれ出た。
「あンたは、猿真似で愛した人を殺して、真似た人を汚して」
「やめて」父、私のルーツ。私があり得ない存在だから、アンキャストだから、その男は本来の親ではない。姿も、名前も、その背中の頼もしさも知らない。知らないはずなのに。父の恋が尊いものだとどうしてだか知っていた。私がその結果でないことが悔しかった。
私は、そうだ。なにかに突き動かされるように生きてきた。突き動かされるように旅をして、味もわからないのにいろんなものを食べて、あの子と恋に落ちて。突き動かされるように、今日を迎えた。
おかしいと思った。この意地でも生きていなきゃいけない気持ちはなんなのか、わからなかった。けれどわかった。そうか。あの強迫観念に近いものは、私のルーツへの羨望、あるいは憧憬。
つまり、私はその猿真似のためにあの子を殺したんだ。

すっと楽になった。なってしまった。死んでもいいと思った。死ぬべきと思った。

そうは思う。思うのだけど。

「あンたが望むなら、あンたの父親に会わせてあげるわ。もう、あんたは――」
「なにそれ。望まない。いやよ。私が真似ていたんでしょう。真似た私がこんななんだからわかる。その人、私の死に目に嫌味でも吐いてどこへなりと去っていくんでしょう」
「そう、かしらね。ええ、そうね。そうかもしれないわ」
冷たくなっていく自分の体を強く抱きしめる。体中の骨が折れるほど、強く。それは、真似。知らない男じゃない、愛した女の。
「私、最期は愛された記憶で死んでいきたい。世界に拒まれても、あの子に愛された。その記憶に押しつぶされて死にたい。そうよ。どんな始まりでも私の恋は、猿真似なんかじゃないわ」
「――ええ、それは、そうね。申し訳ないことを言ったわ。ええ、そうね、あンたの恋は、あンたとあの子の紡いだ、二人だけのものだったわね。でも、あンたはそれを猿真似のために終えたのよ」
「そうね。だけど、愛しているわ」
あなたにはわかるまい。私たちのことなど。
最期の一言とともにインディヴィジュオウルが砕けた。完全に自壊した。その調和が失われた途端に襲い来る鮮烈な痛み。これが本来世界に存在しないはずの、してはいけないアンキャストが受ける世界の斥力か。ありがとう、インディヴィジュオウル、これから護るためにい今まで耐えてくれて。おかげで、あの子に届けられた。

最期の時が近い。記憶をたどる。思い出をたどる。
これは、私の楽しかったあの子との――。






ノティア・ワールリフューズはそれからもう少しだけ耐えて、事切れた。
「なんて偶然。美しいじゃないの」
メリーが息を引き取った時間から七時間二十分経ってのこと。偶然なんかじゃない。彼女の心が護った約束。ふたりの時。

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最終更新:2016年10月16日 10:41