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すばらしき新世界(前編) - (2022/05/03 (火) 11:10:25) のソース
*すばらしき新世界(前編) ◆WwHdPG9VGI 氏 あたしは自分のことを特別な人間のように思ってた。 家族といるのが楽しかった。 自分の通う学校の自分のクラスは世界のどこよりも面白い人間が集まっていると思っていた。 でも、そうじゃないんだって、ある時気付いてしまった。 あたしが世界で一番楽しいと思っているクラスの出来事も、日本のどこの学校でも起こっているありふれたものでしかない。 そう気付いたとき、あたしは急に周りの世界が色あせたみたいに感じた。 あたしのやってることの全部は普通の日常なんだと思うと、途端に何もかもがつまらなくなった。 あたしは抵抗した。できるだけ違う道を行こうとしてみた。 あたしなりに努力してみた。訴えてみた。足掻いてみた。 けれど何も変わらなかった。何も起こらなかった。 そうやってるうちに高校生になった。 高校なら何かが変わるかと思った。 でも、高校に入っても何も変わらなくて。結局全てが平凡に見えて。 あたしの世界は灰色のままだった。 ――SOS団を作るまでは。 ううん、違う。 ――あいつと、会うまでは。 ■ 「……うっ」 頭に響く鈍痛に、涼宮ハルヒは思わず呻き声をもらした。 体が熱い。視界がぼやけて状況が分からない。 息が苦しくて頭が回らない。 (ここは……。あたし……何、を……) 混濁する意識をハッキリさせようと、ハルヒは頭を振った。 「ようやくお目覚めかい? 眠り姫さんよ」 突然耳元で響いた聞き慣れない声に、ハルヒの意識は急速に覚醒向かった。 「……あ、あんた……誰?」 エンジンのかかりきらない頭ではその問いを発するのが精一杯だった。 鼻を鳴らす音がし、 「ハっ! 危ねえ所を救った上に、ここまでつれてきてやった恩人に対する第一声がそれたぁ泣かせてくれるぜ。 ジャパニーズは礼儀正しいって聞いてたんだが、あたしの勘違いだったみてぇだな」 皮肉の成分が存分に含有された声が聞こえた。 (……危ない所……救っ……) 頭部の鈍痛と体の熱さを苦労して意識の隅に押しやりながら、ハルヒは思考を巡らした。 (……あの金髪、セイバーに襲われて、しんちゃんと分断されて……トウカさんが……足止めに残って……。 なのにあの女が現れて……その後――) いくつもの顔が頭の中で明滅し、いくつもの声が、耳の奥に蘇ってくる。 (この人……キョンと一緒に……) 思い出した。 ラフな格好とショートの黒髪。 この女はキョンと一緒にこっちへ走ってきた――。 総毛立つような感覚がハルヒを襲った。 ――キョンは? ――キョンは、どうしていないの? 「ねえ! あいつは! キョンは!? 」 気がついた時には絶叫が喉から飛び出していた。 一呼吸あって、 「……いてぇよ」 不機嫌極まる声が返ってきた。 ハルヒははっとして手をみやった。女の手の包帯が巻かれた箇所を握ってしまっている。 慌てて手を放し、 「ごめんなさい! 謝る、謝るわ! だから、だから教えて! あいつは……。キョンはどこ!?」 みっともなく声がひっくり返っているのが分かる。 でも抑えることなんか出来ない。 心臓が耳元に移動したんじゃないかと思うくらい煩くて、変な汗が吹き出てくる。 喉がカラカラだ。 ――どうして答えてくれないの? ハルヒの心の壁を恐怖が這い登った。 体が勝手に震えだす。心臓が万力で締め上げられているように痛む。 「お願い! 答えて!! 答えなさいよ!!」 悲鳴のような声が赤く染まりつつある無人の町に響き渡った。 はあっと大きなため息が聞えた。 「そんなに知りたきゃ教えてやる。とりあえず、あたしの背中から降りな。そんだけ喋れりゃ歩けんだろ」 言われるままにハルヒは黒髪の女性の背中から滑り降りた。 足が地についた瞬間視界が回転し、ハルヒはたたらを踏んだ。 身体に力が入らない。 頭痛が治まらない。体が熱くて熱くてたまらない。 それでもハルヒは必死に目に力を込め、レヴィに視線を送った。 そんなハルヒの様子を見て、レヴィは思わず髪をクシャクシャと掻き回した。 (っとに……。やっぱ、着いてからにすりゃあ良かったぜ) ここで事実を告げれば面倒くさいことになるのは間違いなさそうだ。 どう見てもこの少女は、人死に慣れているタイプには見えない。 (その上、この取り乱し方からすっと……。答えは一つっきゃねえわなぁ) 場末の映画館なら、優しい大人がヒロインを労わりながら沈痛な面持ちで告げる場面だろう。 音楽もさぞかし物悲しく流れ、悲劇の場を演出するに違いない。 だが目の前の少女にとっては不幸なことに、場を演出する音楽は風。そして告げる大人は御法に触れることもやる運び屋だ。 ――ハルヒを……よろしく、お願いします…… ワリィな、とレヴィは記憶の中の死に行く少年に向かって言葉を返した。 (あたしに慰める役割なんか期待されても困るぜ。あたしゃただの運び屋だ。 中華料理屋でパスタ頼んでも出てきやしねえことを、あの世で勉強しな) 心の中で悪態をつき、レヴィは口を開いた。 ■ 「――レヴィさん!」 レヴィは無言で声のした方に顔を向けた。 道の向こうからツインテールの少女が走り寄ってくる。 「おめーか……。何やってんだ? こんなとこで」 レヴィは顔をしかめた。 凛の格好は、あまりまともとはいえない。 ありていに言えばボロボロだ。 顔は煤け、目には疲労の光が宿っている。 「その、まぁ……色々あったのよ。レヴィさんこそ――」 「スト~ップ! まず、てめぇからだ。 人に物を聞くときは、まず自分からだとママに教わらなかったのか?」 凛は首をかしげた。 (なんか違うような気がするんだけど……) とはいえ、別に抗弁する必要もないし、くだらない言い争いをする気もない。 凛が先に経緯を話すと、レヴィも口を開いた。 「――ってわけだ」 レヴィが話し終えるのと同時に、凛の形のよい眉がひそめられた。 「じゃあ、カズマさんは単独でセイバーを追ってるのね?」 凛の声は石のようで、その表情には暗いものがありありと浮かんでいた。 何故か面白くないものを感じ、 「まぁ、確かにあの女はバケモンだがな……。カズマの野郎もそれなりのもんだ。 ンな簡単に負けるヤツじゃねえぜ、あいつはよ」 乱暴に言い捨て、 (何であたしが、あの野郎を持ち上げてやらなきゃならねーんだ!?) レヴィは思い切り舌打ちした。 ――俺が戻るまでにくたばってんじゃねぇぞ! 声と共にカズマの不敵な顔がレヴィの頭をよぎった。 (さっさと片付けてさっさと戻ってきやがれ! 一発殴ってやっからよ!) 弁護料としては破格の安さだ。 レヴィは小さく口元を歪めた。 「……あの」 きょろきょろと辺りを見回しながら、凛が物問いたげな視線を向けてくる。 「あん?」 「その……。レヴィさんが連れてきた……。ハルヒはどこに?」 レヴィの口から嘆息が漏れた。 面倒くさそうに、レヴィは一点を指し示した。 息を呑む気配がし、 「……え?」 聞こえてきた凛の呻き声に、レヴィはもう一度嘆息した。 「キョンっつうのが死んだって教えてやったら、あーなっちまった……。 おめぇ、なんとかできねえか? 同じジャパニーズで、同じくれぇの歳だろ?」 「無理よ……。私、そういうの苦手だし……。それに私、ハルヒにはまだ疑われたままだと思うし……」 凛は目を伏せた。 (そういや、ロックの野郎も初めはこいつのこと疑ってやがったんだっけか?) クソっとレヴィは地面の石を蹴り飛ばした。 (かったりぃな……。クソっ!!) 何故こうも次々と問題ばかりが起きるのか。 レヴィは苛立たしげな視線を後ろに向けた。 その先には、空虚な瞳で民家の壁にもたれかかる涼宮ハルヒの姿があった。 ■ 何も聞こえない。何も感じない。 無音の世界に囚われたようにすら感じる。 ――死んだ。 キョンが死んだ。 レヴィという女の発した音が鼓膜を震わせ、脳がその意味を認識した瞬間、 世界が真っ白になって音が消えた。 ――嘘だ。 そう怒鳴って生死を確かめに駆け出すところなのかもしれない。 或いはひたすら号泣するところなのかも。 でも、涙は流れない。動き出すこともできない。 何処かに大きな穴が開いていてそこから何もかも抜けていく、そんな感じがする……のだと思う。 ――分からない。 何も分からない。分かりたくない。 だって。 キョンがこの世にいないことを認めてしまったら。 ようやく色と音を取り戻した世界を形作るピースが壊れてしまったと認めたら――。 「おい! いつまで呆けてんだ!!」 大声と共に身体を引き摺り上げられた。 レヴィと名乗った女の怒りを露にした顔が間近にみえる。 「おらっ! 行くぞ!」 前に引っ張られた。 ――どこへいくんだろう? そんな疑問が頭をかすめるが、ハルヒは引っ張られるままに歩き始めた。 何もかもどうでもよかった。何も考えたくなかった。 しかし、ハルヒの空虚な瞳にある人間の像が映った瞬間、ハルヒの心の中で火花が散った。 (あいつ、あいつは……) 間違いない。 ――遠坂凛だ。 ハルヒの心に炎が生まれた。殺意という名で呼ばれる漆黒の炎が。 (あいつは、アルちゃんを、殺した) 水銀燈という人形とグルになってアルルゥを殺した。 足手まといがいると生き残るのが難しくなるからという理由で殺した。 漆黒の炎がすさまじい勢いでその火勢を強めていく。 ――あんなヤツがいるから。 (みんな死んでいくのよ……) 遠坂凛がたじろいだようにこっちを見ている。 (何よ? その理不尽だと言わんばかりの目は!?) 身体を蝕んでいた疲労も、体にこもった熱も、気にならない。 「おい? どうしたってんだ?」 ハルヒはレヴィの手を振り払った。 「離れてて! あの女は、敵よ!!」 「はぁ? 何を言ってやがん――」 「あいつはアルちゃんを殺した! だからあいつは、私の敵!!」 ハルヒの絶叫が大気を震わせた。 「待って! それは誤解よ!」 「黙れっ!!」 この期に及んで言い逃れをするのか。 ――ふざけるな。 ハルヒの漆黒の炎は既に心の壁を焼き焦がすほどであった。 ――今の自分には力がある。 桃色の髪の女に襲われた時は、アルルゥの手を引いて逃げることしかできなかった。 映画館では戦力外と評価され、有希とトグサにおいていかれた。 病院では峰不二子とかいう女にまったく歯が立たなかった。 エルルゥが撃たれた時、ただ立ち尽くしてただけだった。 セイバーに襲われた時、トウカを援護することはできなかった。 誰も守れなかった。 でも今は違う。 今の自分には力が――。 ――そう? 本当にそう? 心の中に沸き起こったそんな問いが、一瞬殺意の炎を吹き払った。 ――じゃあどうして、キョンは死んだの? 震えだそうとする体を押さえつけようとするように、ハルヒは左肩を右手で掴んで握り締めた。 (うるさい! うるさい!) ――今度こそ。 今度こそは守ってみせる。 生き残った仲間を守ってみせる。 ルパンのように、アルちゃんのように、ヤマトのように、トウカのように、魅音のように、沙都子のように、 有希のように、みくるちゃんのように、鶴屋さんのように、 ――キョンのように。 (殺させたり、しない!!) 今度こそ必ず守る。 守れるなら命なんか惜しくない。 漆黒の炎がハルヒの双眸から噴出した。 ――殺意が、全てを、塗りつぶしていく。 「あんたは……。あんただけはぁぁぁっ!!」 ハルヒの怒りを体現するように巨人が空間からぬっと姿を現した。 青い巨人、ハルヒの世界の人間達が神人と呼んだそれは、腕を振り上げた。 ■ 「なっ!?」 驚愕の槍が凛の心を貫いた。 いきなり襲いかかってこられたという事実に。ハルヒの力に。 『protection』 何とか発動させることができた盾は――。 あっさりと砕け、無音の拳が凛の視界を埋め尽くす。 咄嗟に地を蹴り、転がって緊急回避。 一刹那遅れて巨人の拳が凛がいた場所に激突。 爆風と砂煙が巻き起こり、凛に押し寄せてくる。凛の漆黒の髪が爆風に煽られて舞い上がった。 「くっ……」 手で顔を覆いながら、凛は戦慄する。 (結構な、威力ね……) おちおち思考している暇もない。 砂煙を引き裂いて巨人がぬっと姿を現した。 意識を集中。 『Protection Powered』 凛の作り出した桃色の力場が振り下ろされた巨人の拳を遮った。 「これでっ……どう?」 凛は奥歯を噛んだ。 巨人の拳と凛の作り出した力場の接触面から粒子が飛び散り、振動が大気を震わしている。 なんとか相殺に持ち込め――。 怖気が凛の背筋を駆け抜けた。 『Flier fin』 飛行魔法の効果発動と巨人がもう片方の手を振り下ろすのはほぼ同時。 半刹那の差で凛が競り勝った。 無音の拳が地面に突き刺さり、またも爆風が発生。 肝を冷やしながらその光景を眼下に見下ろし、凛は距離をとって着地した。 「チョコまかと……。逃げんなっ!!」 ハルヒの怒声と共に、巨人がゆらりとこちらを向いた。 (どうしたものかしらね……) ハルヒを無力化するのはそう難しくない。 ハルヒの一挙一動からは、まだまだ「戸惑い」が見られる。 明らかに能力を使いこなしていない。絶対的に錬度が足りていない。 とはいえ、あの巨人の力自体はなかなかものだ。 (勝つは易く、傷つけずに無力化するは難し、か) 凛の顔に苦渋の皺が刻まれた。 ――何を迷うことがある。 相手がこちらの話を聞かずに攻撃を仕掛けてきているのだ。 反撃してもそれは正当防衛の範疇だ。 凛の冷徹な部分はそう言っていた。 けれど――。 「レヴィさん!」」 凛は我関せずとばかりに離れた場所で突っ立っているレヴィに、声を飛ばした。 「……ヨハネ伝第四章、第3節を知ってっか? 厄介ごとを押し付けるなこのアマ、だ。 てめぇの不始末のケリはてめえでつけな! あたしゃ、疲れてんだ」 「そのつもりよ!」 小さく笑い、 「レヴィさん、ちょっとお願い!」 凛はレイジングハートをレヴィに投げ渡した。 弧を描いて飛んだレイジングハートはレヴィの手の中に納まり、 当然の如くバリアジャケットが解除され、凛はアーチャーのジャケットを纏っただけの姿になる。 『マスタ―?』 気でも狂ったかといわんばかりにレイジングハートが声をあげた。 冷静沈着なレイジングハートらしからぬ語調に凛は苦笑した。 凛の行動に意表をつかれたらしく、ハルヒも顔をしかめて立ち尽くしている。 柔らかな黒髪をかきあげ、 「昔から言うでしょ? 和平の使者は槍を持たないって」 『それはただの小話です』 「……誤用を辞さないという心意気ぐらい理解しなさいよ」 半眼になってぼやくように凛は言った。 『気持ちは分かりますがあまりにも危険――』 「口を閉じなさい。レイジングハート」 凛然とした声が響いた。 その声に圧され、レイジングハートは沈黙を強いられてしまう。 相棒たる杖に向かって心配するなというように笑いかけた後、凛はハルヒの顔を真っ向から見た。 凛の眼光には清冽さがあり、ハルヒは思わずたじろぐ。 「何のつもりよ……」 「私に戦闘の意思はない、ってことよ」 「あんたにはなくても、あたしにはあるわ! あたしはあんたを……。絶対に許さない!!」 黒々とした殺意の込められたハルヒの怒号にわずかに顔をしかめつつも、 「さっきも言ったけど、誤解よ! 私はあなたのいうアルちゃん――。アルルゥって子を殺してない! 殺して回る奴以外と戦う気も、ないわ!」 きっぱりと凛は言った。 「……それを信じろってわけ? となると何? 次は、あの人形を使って参加者を襲わせたりもしてないって言うんじゃないでしょうね?」 「ええ。私はそんなこと言ってないわ」 「あんたの言う事なんか……。信じるもんですか!」 魅音の言っていた事と目の前の女、どっちを信じるかなんて考えるまでもない。 「……どうやったら信じてもらえるのかしら?」 「何をどうやったって……。信じないって言ってるのよ!!」 横殴りに振るわれた巨大な拳が凛を吹き飛ばした。 ■ 「ぐっ……はっ!」 背後から突き抜けた衝撃で肺から全ての空気を吐き出してしまい、 叩きつけられたブロック塀をずるずるとすべり落ちながら、凛は大きく咳き込んだ。 せきこんだ瞬間、肋骨と背中から激痛が走った。頭からも痛みが間断なく襲ってくる。 (聖骸布がなかったら……。どうなったことや、ら?) 視界が朱に染まっている。どうやら頭部から派手に出血しているらしい。 (けど……。叩き潰そうとしないところをみると、手加減はして――) 急に視界が翳った。 「ふべっ!」 衝撃は上から来た。 (やって……くれるわね……) 潰れたカエルの格好そのままに地面に横たわりながら、凛は凄絶な笑みを浮かべた。 ――死ねる。 このままもらい続ければ十分に死ねる威力が巨人の拳にはある。 手加減はあるようだが、無抵抗な相手に暴力を振るう忌避感からくる無意識レベルのものだろう。 傷ついた肋骨は損傷の度合いを増し、ひっきりなしに痛み喚きたてている。 地面と熱烈な接吻をかわしたせいで唇は裂け、呼吸するたびに鼻から痛みが走る。 口の中と鼻が血で溢れかえっていてすごく息苦しい。 ペッと地面に血の塊を吐き捨て、凛は立ち上がっ――否。立ち上がろうとして崩れ落ちた。 (いっ……っ……ぁ……) どうやら肋骨に派手にヒビが入ってしまっているらしい。 動こうとしただけで意識が吹っ飛びそうになる。 (立ちなさい! 立つのよ!) 超過労働にストライキを叫ぶ体の各部を宥めすかし、怒声を浴びせ、ようやく凛は立ち上がった。 「何よあんた……。何のつもりよ!?」 喚き声が聞えた。 真っ赤に染まった視界の中で黒髪の少女が顔をゆがめている。 「……参加者を殺して回る奴以外とは戦わない、って言った、でしょ」 「うるさいっ!!」 今度は正面から来た。 浮遊感が数瞬あった後、路肩の電柱に激突。 悪質ドライバーを狩る路上のトップマーダー電柱の破壊力は凄まじかった。 左肩から焼ききれんばかりの痛覚という名の高圧電流が、凛の脳の回路を焼き焦がした 痛みに意識がすっ飛んだ。すぐに地面と激突した痛みで現実に引き摺り戻された。 (砕けてる、かな?……左肩) 左肩が燃えるように熱い。動かそうと意識するだけでのた打ち回りたいほどの痛みが走る。 さっきからずっと息が苦しい。鼻が折れているせいだ。 脇腹も異様に痛い。アバラはほほ全滅だろう。 ――顔が熱い。 アスファルトの余熱で地面と接している頬が熱い。 全身から発せられる痛みで朦朧としながら、凛はぼんやりとそんなことを思った。 「騙され……ないわよ……」 聞えてきた声は弱弱しかった。 苦笑しようとして、顔面と胸部から走った激痛に凛は顔を引きつらせた。 「抵抗しなさいよ!」 「それ、は出来、ない、相談ね……」 頭と鼻から流れてくる血が口に入って喋りにくい。 何度も血を吐き出しながら凛は言葉を紡いでいく。 「……え?」 「あんたを、叩きのし、たら……。あの子、アルルゥっていうあの子が、きっと……」 ――悲しむ。 ドラえもんの話では、あの獣耳の子はいたくハルヒに懐いており、 眠っているハルヒの側を心配そうに行ったりきたりしていたという。 間接的に命を奪っておいてその子の大事な人までどうにかしたら、申し訳が立たなさ過ぎる、 アルルゥという子の無残な姿が瞼の裏に蘇り、凛は思わず顔をしかめた。 全身を紫色に変色させ、顔は苦悶で歪み、口内は黒い異臭を放つ変色した血で一杯だった。 何よりも目が酷かった。 時間がたちすぎたせいで白濁してしまっており、眼球が見えなかった。 あまりにも無残なので瞼を閉じさせようとしても、死後硬直のせいで閉じてくれなかった。 ティッシュペーパーを瞼の間に押し込んでようやく閉じさせることができた。 それでも。 列挙すればきりがないほど無残な有様であってすら、生前は愛らしい子であったことがよくよく注視すれば分かった。 あれほどいとけなく、愛らしい子を無残極まる姿にさせてしまった。 ――もっと自分がしっかりしていれば防げたのに。 その上自分は――。 (フェイト……) 凛の奥歯が軋みを上げた。 フェイトは片目を失った。 戦術的に正しかった。能力的にみてフェイトが適任だった。 反論ならいくらでもできる。 ――でも子供だ。 いくら大人びているといっても、あんなに小さな子を死地に置いて自分は戦線離脱したのだ。 (許されない、わよねぇ……。私も少しくらい、痛い目に、遭わないと……) この程度で許されるははずもないが、それでも万分の一でも味わっておかなくては、 (私の気が、すまないのよ!) 震える膝を伸ばし、身体を起こそうとして――。また崩れた。 滑らかな黒髪がばっと散らばり、飛び散った血が、地面に火牡丹を咲き乱れさせた。 「私は、あなたと、戦わ、ない。残った人達の誰とも戦わ、ない……。 それぐらいしか、私に出来ることは、ないから。 私のせいで死んだあの子に、償う方法が思い、つかないから……。 あなた、の気持ちは分かるけど、私のこと信じて、欲しいんだけど、な」 顔面を朱に染め、痛みと呼吸困難で顔をゆがめながらも、凛は必死に語りかけた。 ■ ――どうして? ハルヒの頭はその言葉で埋め尽くされていた。 遠坂凛は悪党だ。魅音の証言からして間違いない。 遠坂凛は殺人者だ。アルルゥを殺した許せない相手だ。 それは間違いない。 ――間違いないはずなのに。 自分の頭で描く遠坂凛の人物像と、目の前の遠坂凛がまったく一致しない。 すぐに馬脚を表すと思ったのに、凛は抵抗もせず、されるがままだ。 レヴィがいるゆえの芝居だと考えても、幾ら何でもダメージを受けすぎているように思える。 ハルヒの心に迷いが生まれた。 次の一撃を振るうべきか否か、ハルヒは躊躇して立ち尽くす。 「HEY! なぶるのも大概にして、そろそろトドメさしてやんな。 早くヤっちまわねぇと、日が暮れちまうぞ!」 声が響いた。露天でホットシュリンプを注文する時に発するような声が。 総毛だつものを感じて、ハルヒはレヴィに視線を向けた。 驚愕で揺らめくハルヒの瞳とは対照的に、レヴィの闇色の瞳には、まったく揺らぎがなかった。 『レヴィ嬢! ですから私のマスターは水銀燈に騙されていただけだと何度も――』 「だとしても、だ」 レヴィは淡々とレイジングハートの抗議を遮った。 「このガキがあの調子じゃ、遅かれ早かれドンパチが始まる。 これからお手手つないで脱出しようってんだぜ? そりゃまずい。どう考えてもノープロブレムじゃねえ。 あたしゃ、他のやつに足を引っ張られて死ぬのは真っ平だね」 絶句するレイジングハートに向かって、レヴィは唇を吊り上げてみせた。 「おい! な~にやってんだ!」 ハルヒの体がビクリと震えた。 「とっととヤっちまえ! そうすりゃ晴れてお前もロストバージン。オトナの仲間入りってわけだ」 ククっと暗い笑いを漏らし、 「あのリンってのは分かっちゃいねーようだが、お前は分かってるみてぇだな。 金と力がありゃ天下泰平。金はどうかしらねーが、お前は力を手に入れた。 後は度胸だけってなもんだ。ムカつかせてくれる野郎は片っ端からヤっちまえば、気分は上々。 この世はこともなし、だ」 「違う!!」 甲高い悲鳴が大気を震わせた。 「私は……。私は、そんなんじゃない!」 「そんなんじゃありません、だぁ~!?」 ひとしきり笑声が響き、唐突にやんだ。 「じゃあ何だ?」 地の底から響いているのかと思えるほど冷たく暗い声だった。 気圧されながらもハルヒは口を開いた。 「私は……守ろうと……」 「ああん? 誰から、誰を守るってぇ?」 沈黙の川が二人の間に横たわった。 ややあって、 「あの女から……みんなを……」 「おまえなあ……。ひょっとしてテレビ伝道師か何かじゃねえだろうな?」 呆れたというように片手をふりふり、 「自分も信じきれちゃいねーことを、語ってんじゃねーよ、タコ」 ――自分も信じきれてない。 レヴィの言葉は弾丸となってハルヒの心を射抜いた。 開いた穴に迷いがどっと流れ込んでくる。 誰も殺されなくてすむように、もう悲しみが生まれないように、戦おうと思った。 敵を倒してみんなを守ろうと思った。守れるなら命も惜しくないと思った。 ――それなのに、どうして。 (どうしてこうなるのよ……) さっきあの杖が叫んだ通り、悪いのは全て水銀燈で、遠坂凛は騙されていただけなのか? 遠坂凛がさっき言ったことは本当なのか? ――多分、本当。 ハルヒの理性はそう言っていた。熱で満たされた頭の中でわずかに残る冷静な思考はそう判断していた。 絶望がハルヒの心を満たした。 (また私……間違っちゃったわけ?) ヤマトとアルルゥを死に追いやった時のように。 キョンに無理を言って引き止めて、彼を死に追いやった時のように。 がくん、とハルヒの膝が落ちた。 巨人がゆらめき、姿を消していく。 (分かって、くれ、た……) 巨人が完全に姿を消すのと同時に、凛の中で張り詰めていたものが切れた。 糸が切れた人形のように、凛は地面に倒れ込んだ。 ■ 『……分かっていたのですか? レヴィ嬢』 「あん?」 『ハルヒ嬢がマスターを殺す事ができないことを、です。 そして、心に迷いを抱えていることを。だからあんな煽るようなことを――』 レヴィは肩をすくめた。 「分かるわけねーだろ、んなこと」 『なっ……』 絶句するレイジングハートに向かって皮肉げに笑ってみせ、 「おら、帰んな! お前さんのご主人様のとこへよ」 凛に向かってレイジングハートを放り投げ、レヴィは壁にもたれかかった。 実の所、ハルヒが武装解除して説得しようとしている凛を殺さないだろうと考えた事に、根拠らしきものがないではなかった。 (何たって、生者の町の住人だからなあ) ハルヒの町に行ったことはないが、日本というのは何処もかしこもいつぞやの町のようだと聞いている。 ロックや最後まで分水嶺を越えるフリをしていただけだった眼鏡の少女のことを考えるに、 生者の町にどっぷり浸かって生きてきた人間は、そんなに簡単に分水嶺を越えることはない。 それが根拠といえば根拠だった。 だから一応揺さぶってみたのだが――。 (ま、結果オーライってやつだな) 遠坂凛を病院に連れて行くという仕事は受けていない。仮に死んだ所でそれはそれだ。 (それにしても……。クレイジーな奴だぜ) 命に関わるほどボコボコにされながら、それでも意地を張り続けるとは。 (ジャパニーズってのは、たまに妙なのがいやがるよなぁ……) 普段はホワイトカラーのようなナヨっちい言動をするクセに、土壇場では意地を張り通すロック。 迷わずに金髪女の前に出た、あのどっからどうみてもたらふく食って育ってきてそうだったガキ。 ――誇りはねぇのか。 耳の奥に聞き覚えのある声が蘇った。 (誇りねぇ……。するってぇとアレもそうなのか?) 凛の行動も『誇り』とやらに関わることだっただろうか? そんなことを考えながら、レヴィは凛の方に視線を移した。 レヴィの視線の先では、凛が地面を這いずりながら、レイジングハートに手を伸ばしていた。 ■ 「心配、かけた、わね。レイジ、ング……ハート」 息も絶え絶えという形容詞がふさわしい調子で凛が言う。 『会話よりまず、傷の手当てを』 レイジングハートの返答に怒りが込められているように感じられたのは、おそらく凛の気のせいではないだろう。 「はいはい……」 言われるままに凛は傷を治療していく。 一発、二発、とカートリッジが白煙を噴いて杖から射出され、転がっていく。 セイバーとの闘いのために温存しておくはずだった魔力とカートリッジを派手に消費し、身体はボロボロ。 「レイジングハート、私のやったことって馬鹿げてるって思う?」 『はい』 即答であった。 確かに、合理的に考えれば、と枕詞をおくのもアホらしい。 どう考えても自分のやったことは、ウルトラスーパー馬鹿のやることだ。 「確かに私もそう思うわ……。でもね、レイジングハート……」 体の各部から間断なく伝わってくる痛みは正直耐え難い。 ――だというのに。 「我ながら不思議なんだけど……。悪くない気分なのよ」 凛は微笑を浮かべた。 ――悪くない。 今の気分は悪くない。 ややあって、 『あたなは私にとって、今までで一番最低で――最高のマスターです』 凛は、もう一度笑った。 ■ ――私達に掛かれば首輪なんてイチコロよ! この世界で初めて会った男、ルパンに向かって自分は確かにそう言った。 この世界に来るまでは、大抵のことは何とかなると思っていた。 ましてや、SOS団のみんなでかかればできない事はない。 そう、思っていた。 それなのにこの世界に来てからは何もできなくて。思い知らされるのは自分の無力さばかりで。 SOS団の団員達も、新団員達も、次々と死んでいって。 力を手に入れたと思ったのに。 結局無力で。また、間違ってしまって。 (おかしいわよ……。こんなの) 幾らなんでも上手くいかなすぎる。 (そうよ……。おかしいのよ、ここは……) そうだ。この世界はおかしいのだ。 間違いばかり犯してしまう世界。死ぬ理由なんか何一つない人たちが次々と死んでいく世界。 こんな世界に連れてこられたせいで、自分は何もかも失ってしまった。 仲間も。友達も。 ――キョンまで。 (世界がおかしいのが、全部悪いのよ) この間違った世界にいる限り、自分は間違い続けてしまう。 いいや、自分だけではない。 みんなが理不尽な目にあって、間違った結末を迎えてしまう。 だから、この狂った世界で起こったことなんか受け入れちゃいけない。 ――認めてはいけない。 この世界で起こったことは、起きてはならないことなのだから。 (お願い……) 涼宮ハルヒは願った。心の底から。 間違いが正された世界を。これ以上間違いをおかさなくてすむ世界の存在を。 ハルヒの願いは魂の絶叫だった。 その絶叫は、音もなく空間に響き渡り――。 世界が生まれた。 *時系列順に読む Back:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]Next:[[すばらしき新世界(後編)]] *投下順に読む Back:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]Next:[[すばらしき新世界(後編)]] |289:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]|ロック|290:[[すばらしき新世界(後編)]]| |289:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]|野原しんのすけ|290:[[すばらしき新世界(後編)]]| |289:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]|レヴィ|290:[[すばらしき新世界(後編)]]| |289:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]|涼宮ハルヒ|290:[[すばらしき新世界(後編)]]| |289:[[静謐な病院Ⅱ ~それぞれの胸の誓い~ (後編)]]|遠坂凛|290:[[すばらしき新世界(後編)]]|