今別町史

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肴倉彌八『今別町史』今別町、1967年

「荒馬/今別のネブタ祭りに二等の荒馬が各戸口で踊り、その後に花笠、赤ジュバンの踊り子はネブタばやしおもしろく、踊りながら続いて町をねり歩く。/この踊りは田植えが終わり、田の神が天に昇るとき、農民が神に加護と感謝のために催される、神送り、サナブリの行事である。一体、津軽地方のサナブリはボーの神とよばれる男女二体の藁人形を先頭に、太刀振り、傘鉾、サラ、荒馬の順序で、笛、太鼓のはやしに送られて村中をねり歩き、のち鎮守の森の木に藁人形をかけて帰るのである。近年これが簡略され、太刀振りと荒馬になりつつある。/それが今別では荒馬のみとなって、口綱をとる菅笠姿の早乙女にひかれて、荒馬は笛、太鼓のはやしに合わせて踊りだすが、だんだん本性を現しわし荒れだし、少女が口綱を離してからますます荒れ狂う。それをとり巻きながら踊り子は、ネブタばやしにつれてエンジンをつくり踊るのである。/荒馬行事は今別を中心に山崎方面に行われ、太刀振りは三厩、六条間方面で踊られている。さらに大泊部落では太刀振り、荒馬を一緒に踊っている。今別では荒馬二頭であるが、他は一頭である。文字どおり荒馬で疲れ、踊り子は二、三回で他と交替しなければならないほどである。/この文化財の保護に、昭和三十八年二月、今別町荒馬保存会が結成された。荒馬は県の文化財と認められ、昭和三十九年津軽華子さんが御来県の際、御覧に供し、さらに劇団わらび座がこれを取り上げ、中国に紹介するなど、今後の発展が期待されている。/創設 昭和三十八年二月/会長 中井芳二郎/副会長 小鹿忠彦 太田健治/事務局長 佐藤正勝/会員 三十人/活動状態/昭和三十六年八月 青森県無形文化財大会参加(青森市)主催青森県文化財保護協会/同三十七年八月 青森県無形文化財大会参加(三沢市)主催青森県文化財保護協会/同三十八年十月九日 青森県オリンピック前夜祭参加(青森市)/同三十九年八月 常陸宮妃津軽華子歓迎会参加(青森市)/同三十七年九月 劇団わらび座が今別町の荒馬を郷土芸能として劇化し、日本、中国で公演。」[肴倉 1967:505-506]

「七夕祭は昔から大正五年頃までは、人物、または動物を象れる大燈篭、即ち、ネブタを作製し、陰暦七月一日から子供らは扇形か金魚ネブタを行なうが、一般は五日から七日まで神社祭礼とかねて実施し、ネブタの行列は、荒馬、太刀振り踊りとなって、笛、太鼓と相和し、村中二列縦隊になって運行する。/荒馬はゆかたに襷がけ、手拭鉢巻の扮装、馬は木馬に化粧まわしをし、手綱をとって、ジグザグに進む。/太刀振りの扮装は前者と同様、わらじにほうし、手甲をつける。はやしは「竹に短冊七夕祭りだ、ヨイソラ、ソラヨ、ハアーヤットセ、ヤットセ」、各人六尺棒を携え、下方より上方に逆に振り廻し、相合って石突きをもって両々相打ち、再び地を突くこと数回連続し、帰りは、前方に向いて右側に棒を廻し、相合って石突きを頭上で相打ち、再び地を突くこと数回連続、白兵戦の状をなして進行し、勇壮活発な振舞をする。/踊りのはやしは「ネブタ流レロ、マメノハコ、トツバレ、アー、ヤサヤサヤサ」と拍子をとる。扮装は婦人用の襦袢に襷がけ、手に扇かよもぎを持って頭に手作りの花笠かぶり、往きは半返し、帰りは千鳥型になる。(袰月)各部落によって、多少違って踊る」[肴倉 1967:513]
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