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人魚は報われない」(2012/01/12 (木) 17:47:23) の最新版変更点

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人魚を知ってる? そう、あの下半身が魚で上半身が人の女の姿のあれ。人魚姫の最後に泡になっや、そう人魚。若い女性がマーメイド、男の場合はマーマン。男もいるんだよぜ。知らなかっただろ。  元はといえばジュゴンの見間違いから端を発したという話なんだけど、科学的根拠はないらしいんだ。要するに、本当にいるかもしれない。 「はぁ」 そうとしかわたしはこたえられなかった。ついさっき図書館で会った人に急にそんな、パフェをガツガツと食べる藍色の着物の女性にいわれても困る。 「君はさ、人魚にどんな印象を持ってる?」 話しかける時はちゃんと顔をこっちに向けて喋ってくれるのはありがたいのだが、口の中のパフェ(色がグロテスク)が見えるでやめてほしい。 答える言葉を探すため、おごってくれるということで注文したコーヒーを口元へ運ぶ。眼鏡が曇るが、もう慣れた。 口の中へとコーヒーを入れる。思った以上に熱くってすぐに口元から離した。わたしの向かいの着物さんは、案の定パフェしか視界に入っていない状態だった。見られていたらからかわれるに違いない。 「悲しい印象、ですかね」 「コーヒーは冷ましてから飲むものでしょ、普通」 見られてた。 「で、なんで悲しい印象なの?」 パフェはすでに食べ終わったらしく、変な形した容器にはクリームの残骸がこびりついていた。もっときれいに食べられなかったのだろうか。 「人魚姫のはなしがすごい切なかったから」 「なるほど」 着物さんは腕を組、「うーむ」なんてうなってから、おそらくゲップを飲み込んだ。汚らしい。 「人魚は不吉な象徴とされることが多くって、たいていの文学作品では人魚は最後まで幸せなままなことはないんだよ」 「はぁ」 「それに、東洋の人魚のイメージは、ヨーロッパの人魚のイメージを蛇女房、龍女房伝説と重ね合わせたもので、不知火や仙崎のお静伝説、お静伝説ってのは不死の肉により八百年生きる少女の話ね。で、日本の有名な八百比丘尼伝説が生まれることになるわけ」 「なんです、その有名な伝説」 わたしが眉をひそめていうと、「普通知ってるだろ。日本のほとんど全国に分布している伝説だぞ」と驚いたような顔をした。常識ってわからない。 「地方により細かな部分は異なるんだけど、大筋は同じ。とある漁村の庄屋の家で、浜で拾ったという人魚の肉が振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることは知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰り道に捨ててしまった。 だが一人だけ話を聞いていなかった者がおり、それが八百比丘尼の父だった。父がこっそり隠して置いた人魚の肉を、娘が盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十代の美しさを保ったまま何百年も生きた。だが、結婚しても必ず夫に先立たれてしまい、父も年老いて死んでしまった。終いには村の人々に疎まれて尼となり、国中を周って貧しい人々を助けたが、最後には世を儚んで岩窟に消えたそうだ」 「へー」 あまりの偉そうな口調に驚きながらも返事をした。 けど、そうしても引っかかることがある。 「いまさらで申し訳ないんですけど、なんで人魚のはなしをわたしにするんですか」 着物さんは「よくぞ聞いてくれました」といったような顔と「あれ、言ってなかったけ」という顔をたして割ったような顔をしたあと、にやりと笑って答えた。 「人魚を殺しにいくんだよ。人と関わった人魚は幸せであってはいけないんだ」 これがわたしの新年を迎えて、2012年になって初めての問題行動だった。 わたしは黒の腕時計を見る。1月3日午後3時27分である。 *12月9日午後4時58分 青木一志・山内総菜  歌が聞こえた気がした。女性の美しい声。  本日最後の授業の国語にて、うとうとしていたら歌が聞こえてきた気がする。どんな歌詞だったか、ちゃんと日本語だったかどうかがわからない。  ただあるのは頭にうっすらと残ったメロディーと、伸びのある女性の美しい声。  頭がまだちゃんと覚める前に、日直の掛け声とともに授業が終わり、教室内の静けさは崩壊した。品のない声が、せまい教室の中で混ざり合う。  考えてみる。授業中に歌が聞こえるということは絶対にないことである。どっかのクラスが、こんな時間に歌うなんてことはない。授業で歌ったとしても、防音のちゃんとした音楽室がある。歌なんて聞こえないのが当然だ。  まわりのはなし声がうるさくなっていゆく。声をいろいろと聞いてみるが、「歌が聞こえた」なんて言葉はでてこなかった。聞こえてくるのは昨晩のテレビやラジオについて、メールや電話について、先生の悪口などといった、いつもと変わらない中身のないくだらない内容だった。  放課後始まりの合図、放送部による音楽が流れ始めた。BUMP OF CHICKENの「Merry Christmas」だ。藤君のやさしい歌声が校内で響く。  まわりがクリスマスについてはなしはじめて、クリスマスとフジファブリックの志村の命日の存在に気ずく。腕時計の日付を見て、二週間後にあることに気がついた。  僕は窓を見た。雪が降っている。雪のベールのせいで、いつも窓から見える海は見えない。  つい最近までの空気は暑くってうっとおしかった。けれども今の空気は、冷たくって突き放すかのような空気だ。秋だなんて存在しなかったかのように、季節はすでに「冬」となってしまっていた。時の経過というものははやいものだ。  昨年のこの時期、まだ雪なんか降っていなかったが、どうやら今年はとても寒い年らしい。新潟市からすれば、十二月の頭で雪が積もるだなんてはやすぎる。今年はどうやらホワイトクリスマスのようだ。憂鬱だ。  冬になったもんだから日は短くなる。授業終わりなのにすでに真っ暗である。いや、雪が降っているから真っ白なのかもしれない。視覚というものはあいまいなことを忘れてはいけない。だまし絵とか、まさにそう。「百聞は一見にしかず」なんて嘘くさくってしかたない。  授業中に聞こえてきた歌について考えることをやめて、帰り支度として机の横にかけておいたコートとマフラーを机の上に置き、リュックに教科書などを詰め込んでいたら、 「なにしてんの?」 と声をかけられた。 長い黒髪、整った大きい目、黒い制服、赤いチェクのスカート(校則破りの短さ。見てるだけで寒い)、赤いマフラー。顔は例えるなら猫(ただし長いヒゲは生えてるわけではない)。幼稚園の頃からの幼馴染であった。 幼馴染の異性というのは苦手である。思春期という壁があろうとも、まるでそれが存在しないかのように、なにごともなくはなしかけてくる。 ようするに、僕が嫌がってもはなしかけてくるのだ。 「これから帰るところだよ」 マフラーを首に巻きながらこたえる。僕の発言に対して彼女は「ああ」と納得した。僕のすでに装着した黒いマフラーとコート、机の上の将来を左右する紙の束の詰まったリュックを見たからだ。どうやら彼女は視覚よりも口が先に動くみたいだ。 「さっきの授業うとうとしてたね」 「うん」 適当にこたえながらコートを着る。 「コート着てるのなんて君だけだよね」 「寒いんだよ。みんなやせ我慢しすぎ」 学校指定のリュックを肩に背負いで、マフラーで口が隠れる程度に上げながら歩き出す。右足、左足、右足、左足……と。僕の意思によって動く足。そのひとつ後ろにも、ことりことりとついてくる足……。彼女の足だ。 「一緒に帰ろうよ」 彼女の顔を見る。僕が彼女に顔を見たとたん、彼女は不機嫌そうに、「なんでにらむの」なんていうから、「にらんでない。見てただけ」と返すと「……そう」と返してきた。人をにらんだことなんか、一度もないのに。 廊下は寒く、階段は冷い。靴がゆかとすれる音が、どことなく心地よかった。 「Merry Christmas」は終わったらしく、サカナクションの「ネイティブダンサー」が流れ始めていた。なんで「スノースマイル」を流さないのだろうか。  そういえば最近、音楽聞いてないな。 雪道は得意だ。下を向いて歩くから、転ばないのだ。 いつからかはわからないが、下を向きながら歩く癖がついていた。だからこの季節、外を歩く時の視界は6割が白だ。人にあたることはそうないが、電柱にあたることならよくある。 目にかかるかかからないかぐらいに伸びた髪が、すこしだけうっとしい。けど、たぶんしばらくの間は切らなさそうなきがする。 人と関わることを避けるようになったのはいつからだったか、思い出そうとしたときに彼女が「さみっ」とつぶやいて、両手をこすった。きれいで美しい、男にはないうつくしさのある手が、赤くかじかんでいた。 聞かなかったことにしようと、白い息を無意識に吐いてから手をコートのポケットにつっこもうとしたら、左手をつかまれた。 「つめてっ」といって僕が飛び跳ねるて手を振りほどくと、「そんなに拒絶しなくてもいいじゃん」といって、僕の手をまたつかんできた。そうなると、僕の手が寒さゆえに行き場をなくしたので、いっそのことを思って彼女の手ごとポケットにつっこんだ。彼女は「これじゃ君の手のあったかさがわからない」とでもいいたそうな、不機嫌な顔をした。けれど、どこかうれしそうにも見えた。いや、気のせいだろう。 手をつっこんだあとに、彼女との距離を近づけてしまったことにきがついて、すこしだけ顔があつくなった。 僕の顔を見て彼女は「なに赤くなってるの」なんて笑いながらいうもんだから、「寒いからだよ」と言い訳をつけて鼻をすすった。冷たい空気が肺へ入るのがわかり、鳥肌がたった。 僕と彼女が歩くたびに、足元の音楽隊が音を鳴らす。「さくり」「さくり」、「ぎゅぎゅ」「ぎゅぎゅ」という四重奏。シンプルな音であるがゆえ、うつくしい。 誰も歩いていない、雪の絨毯の上でしか演奏されない演奏。今の季節ならどこでも聞けるが、二人で聞くとなるとまったくもってそれは別のものとなる。 彼女は白を吐きながら、言った。 「もうそろそろクリスマスだよ」 僕は素っ気なく「まだ二週間ぐらいある」と返すと「もう二週間しかないんだよ」と、うったえかけるように言った。 「別になにかあるわけじゃないんだから」と僕がいえば「クリスマスがあるんだよ」と、どこかかみ合わない返事がきた。 「君みたいな美人は彼氏といちゃいちゃしてれば……」 「彼氏なんていないよ。彼氏なんていたことないし」 人の言うことは最後まで聞いてほしいものである。 それにしても以外であった。 「彼氏いないんだ」 「いないよ」 じゃあなんでうれしそうに言うの? 彼氏ができたことがないってことは処女なんだ、とか言いそうになったが言葉を飲み込んだ。 「好きな人とかいないの?」 彼女が僕に聞いてきた。 「友達のいない僕にきくような質問じゃないだろ。つか、きくまでもないだろ。いないよ」 すこしだけ足がはやくなった。彼女が「はやいよー」なんていう。 「おまえはいないの?好きな人」 「いるよー」 足元のカルテットはリズムを崩した。 「最近の恋愛小説ってさ、けっこうにてるんだよ。鈍感で引っ込み思案の草食系男子がすっごいもてるの。」 彼女は得意げに口を動かした。 僕は適当に返事をしながら、歩いた。 彼女の手は、妙に汗ばんでいた。ポケットの中の湿気かもだけど。 彼女との記憶をおもいだそうとしてみる。だめだ、あんまり覚えていない。 ふと思う。記憶というものは雪に似ているのかもしれない。記憶も雪も淡くってもろくって、かんたんになくなってしまうし、積もる。 顔を上げてみたら雪が降っていた。いや、学校を出る前から降っていたか。 また、帰り道もだいぶ終盤であった。海沿いの道である。 冬の海は荒くって好きじゃない。四重奏は波の音を加えて五重奏となった。 「ねぇ、クリスマスってあいてる?」 急に質問をされて戸惑う。 「ん、うん。あいてる。」 「ねぇ、ウチあいてるんだけどさ、一緒に過ごさない?」 提案された。 「いいよ、予定ができなければ」 予定がないのだ。別にこいつとだったら過ごしてやっても悪くはない。 僕が答えるや否や、彼女はやけにうれしそうな顔をした。なんでだろう。 「じゃあわたしケーキつくるよ」 「スポンジのつぶれたのとか出来そうで怖いな」 「ひどいこと言うなー。こう見えても家庭科5なんだぞ」 「裁縫だけだろ。針の扱いが人殺し並みに神がかってたとか」 すこしだけいじめてみる。 「ち、ちがうよっ。料理上手だもん」 「自分で上手とかいってる奴なんて信用ならん」 「ち、ちくしょう。今にみてやがれー。ほっぺた落ちるような料理作ってやる」 「酸とかでほっぺを溶かして落とすのかな、きっと」 僕がそういったいじわるをすると、彼女は小さい声で「このヤロウ、絶対にうまいっていわせてやる……」と、怨むような言い方をしていた。 彼女の顔を見ようと、顔をあげたら、視界に異様なものがうつった。 青いなにか 浜辺にうちあげられているなにか。人の肌の色に、青い色……目を凝らそうとしたら髪が目に入った。痛い。 「なあ、あれなんだ」 彼女がぶつぶつと呪文めいたことをいうのをやめ「なにが?」と聞いてくるやいなや、僕にしかきこえないような驚いた声をだした。 「人魚……?」 痛みと涙をぬぐって、前髪をどけて目を凝らした。 そこには、冬の海によってうちあげられた人魚がうつぶせで倒れていた。 上半身は裸。下半身は魚。 人魚だ。 SPECIAL OTHERSとDragon AshのKjがコラボして作った「Sailin'」という曲の、不思議な心地になるイントロが頭の中で流れた。 初めて聞いた時、サビの「セイリン」を「セイレーン」だと、聞き間違えていたことをおもいだす。 ああ…… 僕は本能的に、彼女の手をポケットにつっこんだまま、今まできた道を走り戻っていた。 家を帰るのに、普段海を見ることなんかないのに。 彼女は白い息と文句を吐き、僕はただ走った。 彼女の手は、暖かかった。 *12月9日午後5時24分 杉村楓・山村奈美子
人魚を知ってる? そう、あの下半身が魚で上半身が人の女の姿のあれ。人魚姫の最後に泡になっや、そう人魚。若い女性がマーメイド、男の場合はマーマン。男もいるんだよぜ。知らなかっただろ。  元はといえばジュゴンの見間違いから端を発したという話なんだけど、科学的根拠はないらしいんだ。要するに、本当にいるかもしれない。 「はぁ」 そうとしかわたしはこたえられなかった。ついさっき会ったばかりの、パフェをガツガツと食べる藍色の着物の女性にいわれても困る。 「君はさ、人魚にどんな印象を持ってる?」 話しかける時はちゃんと顔をこっちに向けて喋ってくれるのはありがたいのだが、口の中のパフェ(色がグロテスク)が見えるでやめてほしい。 答える言葉を探すため、おごってくれるということで注文したコーヒーを口元へ運ぶ。眼鏡が曇るが、もう慣れた。 口の中へとコーヒーを入れる。思った以上に熱くってすぐに口元から離した。わたしの向かいの着物さんは、案の定パフェしか視界に入っていない状態だった。見られていたらからかわれるに違いない。 「悲しい印象、ですかね」 「コーヒーは冷ましてから飲むものでしょ、普通」 見られてた。 「で、なんで悲しい印象なの?」 パフェはすでに食べ終わったらしく、変な形した容器にはクリームの残骸がこびりついていた。もっときれいに食べられなかったのだろうか。 「人魚姫のはなしがすごい切なかったから」 「なるほど」 着物さんは腕を組、「うーむ」なんてうなってから、おそらくゲップを飲み込んだ。汚らしい。 「人魚は不吉な象徴とされることが多くって、たいていの文学作品では人魚は最後まで幸せなままなことはないんだよ」 「はぁ」 「それに、東洋の人魚のイメージは、ヨーロッパの人魚のイメージを蛇女房、龍女房伝説と重ね合わせたもので、不知火や仙崎のお静伝説、お静伝説ってのは不死の肉により八百年生きる少女の話ね。で、日本の有名な八百比丘尼伝説が生まれることになるわけ」 「なんです、その有名な伝説」 わたしが眉をひそめていうと、「普通知ってるだろ。日本のほとんど全国に分布している伝説だぞ」と驚いたような顔をした。常識ってわからない。 「地方により細かな部分は異なるんだけど、大筋は同じ。とある漁村の庄屋の家で、浜で拾ったという人魚の肉が振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることは知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰り道に捨ててしまった。 だが一人だけ話を聞いていなかった者がおり、それが八百比丘尼の父だった。父がこっそり隠して置いた人魚の肉を、娘が盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十代の美しさを保ったまま何百年も生きた。だが、結婚しても必ず夫に先立たれてしまい、父も年老いて死んでしまった。終いには村の人々に疎まれて尼となり、国中を周って貧しい人々を助けたが、最後には世を儚んで岩窟に消えたそうだ」 「へー」 あまりの偉そうな口調に驚きながらも返事をした。 けど、そうしても引っかかることがある。 「いまさらで申し訳ないんですけど、なんで人魚のはなしをわたしにするんですか」 着物さんは「よくぞ聞いてくれました」といったような顔と「あれ、言ってなかったけ」という顔をたして割ったような顔をしたあと、にやりと笑って答えた。 「人魚を殺しにいくんだよ。人と関わった人魚は幸せであってはいけないんだ」 これがわたしの新年を迎えて、2012年になって初めての問題行動だった。 わたしは黒の腕時計を見る。1月3日午後3時27分である。 *12月9日午後4時58分 青木一志・山内総菜  歌が聞こえた気がした。女性の美しい声。  本日最後の授業の国語にて、うとうとしていたら歌が聞こえてきた気がする。どんな歌詞だったか、ちゃんと日本語だったかどうかがわからない。  ただあるのは頭にうっすらと残ったメロディーと、伸びのある女性の美しい声。  頭がまだちゃんと覚める前に、日直の掛け声とともに授業が終わり、教室内の静けさは崩壊した。品のない声が、せまい教室の中で混ざり合う。  考えてみる。授業中に歌が聞こえるということは絶対にないことである。どっかのクラスが、こんな時間に歌うなんてことはない。授業で歌ったとしても、防音のちゃんとした音楽室がある。歌なんて聞こえないのが当然だ。  まわりのはなし声がうるさくなっていゆく。声をいろいろと聞いてみるが、「歌が聞こえた」なんて言葉はでてこなかった。聞こえてくるのは昨晩のテレビやラジオについて、メールや電話について、先生の悪口などといった、いつもと変わらない中身のないくだらない内容だった。  放課後始まりの合図、放送部による音楽が流れ始めた。BUMP OF CHICKENの「Merry Christmas」だ。藤君のやさしい歌声が校内で響く。  まわりがクリスマスについてはなしはじめて、クリスマスとフジファブリックの志村の命日の存在に気ずく。腕時計の日付を見て、二週間後にあることに気がついた。  僕は窓を見た。雪が降っている。雪のベールのせいで、いつも窓から見える海は見えない。  つい最近までの空気は暑くってうっとおしかった。けれども今の空気は、冷たくって突き放すかのような空気だ。秋だなんて存在しなかったかのように、季節はすでに「冬」となってしまっていた。時の経過というものははやいものだ。  昨年のこの時期、まだ雪なんか降っていなかったが、どうやら今年はとても寒い年らしい。新潟市からすれば、十二月の頭で雪が積もるだなんてはやすぎる。今年はどうやらホワイトクリスマスのようだ。憂鬱だ。  冬になったもんだから日は短くなる。授業終わりなのにすでに真っ暗である。いや、雪が降っているから真っ白なのかもしれない。視覚というものはあいまいなことを忘れてはいけない。だまし絵とか、まさにそう。「百聞は一見にしかず」なんて嘘くさくってしかたない。  授業中に聞こえてきた歌について考えることをやめて、帰り支度として机の横にかけておいたコートとマフラーを机の上に置き、リュックに教科書などを詰め込んでいたら、 「なにしてんの?」 と声をかけられた。 長い黒髪、整った大きい目、黒い制服、赤いチェクのスカート(校則破りの短さ。見てるだけで寒い)、赤いマフラー。顔は例えるなら猫(ただし長いヒゲは生えてるわけではない)。幼稚園の頃からの幼馴染であった。 幼馴染の異性というのは苦手である。思春期という壁があろうとも、まるでそれが存在しないかのように、なにごともなくはなしかけてくる。 ようするに、僕が嫌がってもはなしかけてくるのだ。 「これから帰るところだよ」 マフラーを首に巻きながらこたえる。僕の発言に対して彼女は「ああ」と納得した。僕のすでに装着した黒いマフラーとコート、机の上の将来を左右する紙の束の詰まったリュックを見たからだ。どうやら彼女は視覚よりも口が先に動くみたいだ。 「さっきの授業うとうとしてたね」 「うん」 適当にこたえながらコートを着る。 「コート着てるのなんて君だけだよね」 「寒いんだよ。みんなやせ我慢しすぎ」 学校指定のリュックを肩に背負いで、マフラーで口が隠れる程度に上げながら歩き出す。右足、左足、右足、左足……と。僕の意思によって動く足。そのひとつ後ろにも、ことりことりとついてくる足……。彼女の足だ。 「一緒に帰ろうよ」 彼女の顔を見る。僕が彼女に顔を見たとたん、彼女は不機嫌そうに、「なんでにらむの」なんていうから、「にらんでない。見てただけ」と返すと「……そう」と返してきた。人をにらんだことなんか、一度もないのに。 廊下は寒く、階段は冷い。靴がゆかとすれる音が、どことなく心地よかった。 「Merry Christmas」は終わったらしく、サカナクションの「ネイティブダンサー」が流れ始めていた。なんで「スノースマイル」を流さないのだろうか。  そういえば最近、音楽聞いてないな。 雪道は得意だ。下を向いて歩くから、転ばないのだ。 いつからかはわからないが、下を向きながら歩く癖がついていた。だからこの季節、外を歩く時の視界は6割が白だ。人にあたることはそうないが、電柱にあたることならよくある。 目にかかるかかからないかぐらいに伸びた髪が、すこしだけうっとしい。けど、たぶんしばらくの間は切らなさそうなきがする。 人と関わることを避けるようになったのはいつからだったか、思い出そうとしたときに彼女が「さみっ」とつぶやいて、両手をこすった。きれいで美しい、男にはないうつくしさのある手が、赤くかじかんでいた。 聞かなかったことにしようと、白い息を無意識に吐いてから手をコートのポケットにつっこもうとしたら、左手をつかまれた。 「つめてっ」といって僕が飛び跳ねるて手を振りほどくと、「そんなに拒絶しなくてもいいじゃん」といって、僕の手をまたつかんできた。そうなると、僕の手が寒さゆえに行き場をなくしたので、いっそのことを思って彼女の手ごとポケットにつっこんだ。彼女は「これじゃ君の手のあったかさがわからない」とでもいいたそうな、不機嫌な顔をした。けれど、どこかうれしそうにも見えた。いや、気のせいだろう。 手をつっこんだあとに、彼女との距離を近づけてしまったことにきがついて、すこしだけ顔があつくなった。 僕の顔を見て彼女は「なに赤くなってるの」なんて笑いながらいうもんだから、「寒いからだよ」と言い訳をつけて鼻をすすった。冷たい空気が肺へ入るのがわかり、鳥肌がたった。 僕と彼女が歩くたびに、足元の音楽隊が音を鳴らす。「さくり」「さくり」、「ぎゅぎゅ」「ぎゅぎゅ」という四重奏。シンプルな音であるがゆえ、うつくしい。 誰も歩いていない、雪の絨毯の上でしか演奏されない演奏。今の季節ならどこでも聞けるが、二人で聞くとなるとまったくもってそれは別のものとなる。 彼女は白を吐きながら、言った。 「もうそろそろクリスマスだよ」 僕は素っ気なく「まだ二週間ぐらいある」と返すと「もう二週間しかないんだよ」と、うったえかけるように言った。 「別になにかあるわけじゃないんだから」と僕がいえば「クリスマスがあるんだよ」と、どこかかみ合わない返事がきた。 「君みたいな美人は彼氏といちゃいちゃしてれば……」 「彼氏なんていないよ。彼氏なんていたことないし」 人の言うことは最後まで聞いてほしいものである。 それにしても以外であった。 「彼氏いないんだ」 「いないよ」 じゃあなんでうれしそうに言うの? 彼氏ができたことがないってことは処女なんだ、とか言いそうになったが言葉を飲み込んだ。 「好きな人とかいないの?」 彼女が僕に聞いてきた。 「友達のいない僕にきくような質問じゃないだろ。つか、きくまでもないだろ。いないよ」 すこしだけ足がはやくなった。彼女が「はやいよー」なんていう。 「おまえはいないの?好きな人」 「いるよー」 足元のカルテットはリズムを崩した。 「最近の恋愛小説ってさ、けっこうにてるんだよ。鈍感で引っ込み思案の草食系男子がすっごいもてるの。」 彼女は得意げに口を動かした。 僕は適当に返事をしながら、歩いた。 彼女の手は、妙に汗ばんでいた。ポケットの中の湿気かもだけど。 彼女との記憶をおもいだそうとしてみる。だめだ、あんまり覚えていない。 ふと思う。記憶というものは雪に似ているのかもしれない。記憶も雪も淡くってもろくって、かんたんになくなってしまうし、積もる。 顔を上げてみたら雪が降っていた。いや、学校を出る前から降っていたか。 また、帰り道もだいぶ終盤であった。海沿いの道である。 冬の海は荒くって好きじゃない。四重奏は波の音を加えて五重奏となった。 「ねぇ、クリスマスってあいてる?」 急に質問をされて戸惑う。 「ん、うん。あいてる。」 「ねぇ、ウチあいてるんだけどさ、一緒に過ごさない?」 提案された。 「いいよ、予定ができなければ」 予定がないのだ。別にこいつとだったら過ごしてやっても悪くはない。 僕が答えるや否や、彼女はやけにうれしそうな顔をした。なんでだろう。 「じゃあわたしケーキつくるよ」 「スポンジのつぶれたのとか出来そうで怖いな」 「ひどいこと言うなー。こう見えても家庭科5なんだぞ」 「裁縫だけだろ。針の扱いが人殺し並みに神がかってたとか」 すこしだけいじめてみる。 「ち、ちがうよっ。料理上手だもん」 「自分で上手とかいってる奴なんて信用ならん」 「ち、ちくしょう。今にみてやがれー。ほっぺた落ちるような料理作ってやる」 「酸とかでほっぺを溶かして落とすのかな、きっと」 僕がそういったいじわるをすると、彼女は小さい声で「このヤロウ、絶対にうまいっていわせてやる……」と、怨むような言い方をしていた。 彼女の顔を見ようと、顔をあげたら、視界に異様なものがうつった。 青いなにか 浜辺にうちあげられているなにか。人の肌の色に、青い色……目を凝らそうとしたら髪が目に入った。痛い。 「なあ、あれなんだ」 彼女がぶつぶつと呪文めいたことをいうのをやめ「なにが?」と聞いてくるやいなや、僕にしかきこえないような驚いた声をだした。 「人魚……?」 痛みと涙をぬぐって、前髪をどけて目を凝らした。 そこには、冬の海によってうちあげられた人魚がうつぶせで倒れていた。 上半身は裸。下半身は魚。 人魚だ。 ああ…… 僕は本能的に、彼女の手をポケットにつっこんだまま、今まできた道を走り戻っていた。 家を帰るのに、普段海を見ることなんかないのに。 彼女は白い息と文句を吐き、僕はただ走った。 彼女の手は暖かかった。 *12月9日午後2時48分 杉村楓・山村奈美子 「ありがとうございました」 自分がそう言うなり、レジカウンター越しのイルカのサイダーゼリーとカメの大きいぬいぐるみを購入していったお客さん(推定65歳の男性と、おそらくのおじいさんのお孫さん推定3歳)を見送りながら、意味がわからない言葉を発した。「これから帰って飯だー」「めしだー」なんて大声をあげながら帰っていく。「ありがとうございました」という言葉を毎日、感覚が狂うほどいってしまっているからだろう。意味がわからない。 平日だからかお客さんは少ない。今日の売り上げは1800円だ。だが、これから冬休みに入るので、ゆっくりしていられるのも今のうちだ。 そもそも水族館の売店なんて、忙しいか忙しくないかのどちらかと、極端なのだ。 「あのー」 藍色の着物に赤ぶち眼鏡。身長は165ぐらいの顔の整った女性が、遠慮がちに話しかけていた。 「今日のイルカショーってどこでやるんですか」 首をすこしだけ右に動かす。 「今日は看板がでてないから外ですね」 「そう……ですか、ありがとうございました」 女性はペコリと頭を下げて、小走りで外へつながる扉へと向かっていた。片手に大きいスケッチブックと数本の鉛筆を持っていた。歩くだびにからんからんと音がする。下駄のようだ。 外を見たら、雪が降っていた。今年は例年よりも寒いらしい。何年かぶりにホワイトクリスマスが楽しめるかもしれないそうだ。 雪降ってるのに外でイルカショーって、寒そうだな。 「お仕事おつかれー」 仕事の立場上偉いおばちゃんがやってきた。 「今日の売り上げはどんなかんじー」 「ぜんぜんですね。平日ですからね」 そりゃそうだ、とおばちゃんは笑ってから 「今日はイルカショー見てきれいいよ。どうせ誰もこないし」 「ありがとうございます」

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