軽工業の勃興(テキスト1)

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L:軽工業の勃興 = {
 t:名称 = 軽工業の勃興(イベント)
 t:要点 = 紡績,熱心に働く,女工
 t:周辺環境 = 工場
 t:評価 = なし
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  *軽工業の勃興のイベントカテゴリ = ,,,藩国イベント。
  *軽工業の勃興の位置づけ = ,,,特殊イベント。
  *軽工業の勃興の内容 = ,,,失業率が20ポイント低下する。資金100億を得る。
 }
 t:→次のアイドレス = 衣料の特産品(イベント),重工業の勃興(イベント),女性の社会進出(イベント),???(イベント)
}

軽工業概要


1)本来の軽工業と土場式軽工業の違いについて


軽工業とは、容積の割合に比べて重量の軽いものを生産する工業である。
主に繊維・食料品・雑貨・窯業・木材加工・食品加工・製紙・印刷などで、主に生活資材に属す財貨を生産する。
高度な技術や大きな資本を必要としないことから、小規模経営が可能であるが、
土場はあえて、大規模工場を建設による軽工業の国家的推進を行うことに踏み切った。


重農政策によりあまった労働力の吸収先という目的はあったが、それよりも
経済グループという大きなくくりを手に入れた現在
小規模な工場では、国際化という大きな波に太刀打ちできないことは自明の理だったからである。
規模の経済がうまく回るためにも、需要を読み、最大の生産を行うことが重要なことであった。
また、前ターンで都築藩国が得た、帝國環状線、合併によって得るであろう共和国環状線も
この政策を後押しする上で役に立った。

規模の経済とは

規模の経済とは、生産量の増大につれて平均費用が減少する結果、
利益率が高まる傾向をいいます。

では、なぜ大量に生産すると安くなるのでしょうか。
答えは簡単です。ある商品を生産する上での費用は大きく分けて2種類になります。
固定費と変動費です。

固定費は、どれだけモノを生産しても一定量かかってしまう費用です。
変動費は原材料費などでたくさんつくればつくるほど多く必要になる費用です。
固定費は、いくらモノを作っても一定ですので、作れば作るほど
1個あたりの単価は下がるというわけです。

2)技術の開発と二種類の工業形態


売れる商品を大量に販路にのせる作戦と書いたが
実際「どの商品が売れるか」というのはわからない。
最初のうちは消費者は安いほうがいいと思うが、全体として
消費者が豊かになってくれば、いずれ細分化された市場となることも
予想されていた。
部品の共有化、知的財産の確保、新技術の開発などやるべきことは多く、
工業化を行いながらも、次の課題が見えている状況であった。
各課題への取り組みは後述する。

彼らは大きく「大規模(国営)工場」「小規模(町)工場」という2種類の工業形態を
作り出すことにした。
国営(大規模)工場は書いて字のごとく国営であり、大量生産を担う。
基本的に自ら開発も行うが、ラインごとに生産管理されている。
後に、国営工場への技術供与により多額の資金を得た街工場が
大規模な工場を建てて生産に踏み切ることを容認したため、
小規模/大規模工場という区分けにされた。

布製品を例として取り上げてみる。
紡績つまり糸の段階では、大規模工場で仕上げる。
その糸を各小規模工場に売り渡し、その小規模工場で各工場が
オリジナルの加工をほどこし、各マーケットに応じた商品として販売されていくのである。

3)大規模工場の役割


輸出用の製品の生産及び大規模雇用の要となる場所である。
学園都市トリニティとの研究開発の橋渡しともなり、小規模工場では
簡単に導入できない技術などを真っ先に導入。
活用試験などを行い小規模工場へデータの公開を積極的に行った。
また共通化された部分を大量生産し、安価で小規模工場に売却。
細分化された市場に対応するように努めた。

4)小規模工場の役割


小規模工場では、細分化された市場に対応すべく、顧客のニーズにあった
生産が行われた。
また国からの援助を受け独自に技術を開発する専門部署があり、
既存の技術の発展や、新技術の開発を行うものも数多くあった。

主要な開発を手がけることが確定すると予算とともに
学園都市トリニティの開発室が与えられ、毎月の報告と同時に
補助金が支給されるなど優遇政策が採られた。
開発した技術の権利は本人がもてるが一定期間は
国が技術を借り受け。大量に売れた場合は報酬が支払われる
ことになった。

5)技術立国について


根幹技術や国家プロジェクトに関連する技術については
権利の保護に努めると宣言。
国の基本的な技術は特許権や、ビジネスモデル特許などを
積極的に取り入れることとなった。

6)女性の社会進出の増強


土場は、元々女性優位の国家であったが、今までの藩国産業が農業や
戦闘など、体力のいるものが多かったため、女性が社会進出できる機会は
きわめて少なかった。
有能な女性であれば、社会にでて輝けるといってはいるが実際のところ
戦闘において有能である、女性のみが脚光をあびるシステムであったといえる。
軽工業の発展は、この流れを大きく変えることとなるであろう。
軽工業においては女性のしなやかさ、豊かな発想。生活に根ざしたアイデアなどが
優遇される局面が多々ある。

紡績工場の女工の出身のファッションデザイナーで、いまや土場で一ブランドを
築いた女性などは、この最たる例といえる。

コラム【女性の時代】


パォトゥ・ラチャ=ブリ
ブランド"王の丘(ラチャブリ)"で知られる女性デザイナー。

彼女のキャリアはまず紡績工場の女工からスタートする。
当時彼女は17歳。
ドラゴン戦役(多くの民が家族や家を失った災害である)で
身寄りをなくした直後であった。

焼け野原で何もないところから、彼女のキャリアはスタートする。
当時、工場の制服は味気なく。働く女性にとって耐えがたいものであった。
男女兼用のせいか、サイズもまちまちで、不満も多かったという。
彼女はもともと裁縫が得意で器用に同僚たちの服のソデを詰めたり、
ズボンの裾をたくしあげたりしていたという。

写真は、17歳当時の彼女のスナップ。まだあどけなさを残している。

その後、彼女の技術に目をつけた工場長により
彼女は紡績工場で出たあまり布や、B級品の布を使い、安くて丈夫な作業服を
作り始めた。
これが ラチャブリ ブランドの始まりであった。

小さな町工場からはじめ、
現在では大きな大規模工場を作り上げる身となってはいるが、
当時は作業服を作るブランドであったのだ。
安くて丈夫な布から動きやすく美しいフォルムを持つ
女性のための服を作るというテーマは、当時の女性
とくに女工に非常にウケた。

彼女たちの支持を受け、ラチャブリブランドは、
今日も革新的な技術を提供し続けている。
※現在のラチャブリ社長の姿。
今でも服のデザインを1日に2着はあげるという。
働いていても着飾りたい女性のためのブランドを全面に出し、
労働者階級の女性から、今後はさらに力をつけた資産階級の女性のための
ブランドにも進出するとのこと。

7)労働環境

重農政策以降、この軽工業の勃興まで首脳部最もが懸念したのが、
産業の急激な発展による労働環境の悪化である。
前述の女性の社会進出もだが、熱心に働くものほど搾取されるという
状況ではなく、働けば働くほど豊かになるのだが、一定の歯止めをかけるようにと
言っている。

強制労働・児童労働・奴隷使用を禁止し、
労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための
必要を充たすべきものでなければならない、として、最低賃金を定めた。
これは福祉として与えられる生活保護資金よりは高く設定されている。

さらに、労働者の人種、信条又は社会的身分を理由として、
賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならないとし
移民差別や、経済グループ内部での人の取扱について厳しく定めた。
また同一業務に関しては同一賃金を支払うように定め、特定の移民に対して
しわよせがこないようにも努めるよう宣言している。

労働時間について
一月に180時間までは通常勤務(1日の最高は9時間、月の出勤日数20日で計算)とし
それ以上働く場合は、超過勤務とし賃金の2割5分以上5割以下の範囲内で
計算した割増賃金を支払わなければならないとした。
またその超過勤務も一月に90時間を越えてはいけないと定めた。

FAREの軽工業レポート


 フェザーワルツを始めとして一部重工業はあれど、土場藩国内の大部分はこの有り余る農業が占めていた。
これは土場藩国の採った重農政策による影響が大きいと言われている。
すでに一国の持つ分量をはるかにこえて生産される農作物は農村部の労働力あまりを引き起こし、
それらの人々が都市部に流入し、貧民層が生まれた。 そんな土場藩国に新しい流れの萌芽が見られた。

 それはながみ藩国の食料が再度輝きを取り戻した頃のことだった。
予測されていた結果は農業立国として成り立つ土場藩国への打撃。だがしかしその時点において、
すでに土場藩国はもう一歩抜きんでたともいえる。

 つまりは先を見越しての農業立国よりの脱却である。

1.食料をレムーリアに回すことで大量の食料を消化して大量の資源を得る、
2.工業向けの各種農産物への転換推奨政策を織り交ぜ農業全体の新たな使用用途を生み出す。

 表にこそ出てこないがこの部分が軽工業の目覚しい発展に寄与したのは言うまでもない。
 特に被服部門でその傾向は顕著である。
経済グループ内では土場藩国発のアパレルメーカーの席巻と言う形で顕著に表れている。
これは既存の枠にとらわれない自由な発想と素材に関する無茶を許容する工業力がその原動力であることは想像に難くないだろう。

 国内はおろか経済グループ内、帝國環状線圏内より取り寄せられる様々な素材より作り出される土場の素材。

 これらは帝國に供給してもなお過剰にも思える土場藩国の農業事情を改善するのだろうか。

土場工業団地について


軽工業の発達と同時に、国家事業として工業団地の誘致が開始された。
もともと重農政策で農業を手放さざるを得なかった人々の住む場所と働き口を
用意するために計画された都市計画の始動である。

雇用の中心である大規模工場、研究開発の場であり、細分化された市場対応のために
作られた小規模工場を組み合わせ、その人にあった仕事を紹介し
さらに、居住区もセットにした新型都市である。

地図には表示されていないが、周辺地区には農園が広がっている。
これは、田舎のほうが土地が安く大規模な都市を作るのに向いていたという理由が大きいが
重農政策では対応しきれなかった小さな農家を兼業農家として生かし、
都市周辺の近郊農業として地産地消、働くものの職の安全を確保する作戦の1つでもあった。
また、自分たちが食べるものが近くで生産されていることをアピールすることにより
企業活動による廃棄物や、土壌汚染などを勝手な行動を防ぐという心理的圧力という裏の目的もあるという。

工業団地内部の施設について

工業団地地図


社宅

近くの工業に勤める人のための住宅が並ぶ地域である。
社宅といっても工場が用意して税金に対して優遇を受けている物件と
国が運営している公営住宅の2種類がある。
基本的に間取りや、住環境に大差はない。
また、工場が近い分、騒音などの被害が予想されるため、
家賃は他の居住区より安めに設定されている。

公営住宅では、国が補助金(後に分割返済する必要がある)を出す制度があり、
失業者や家を失った人でも、働く意思と能力があれば受け入れる場所でもある。
工場と隣接している部分には緑地帯が用意されて、居住環境が悪化しないよう配慮されている。
遠方への買出しに不住しないように駐車・駐輪場も完備されている。

また、単身者だけでなく、この町で子供を産み、育てられるように
近くには公園も併設された。

社宅の様子。ベランダに洗濯物は、この地域の美観を損なうと建築家には不評であったが、
住む人にとっては当たり前の光景である。

防災センター


都市内部でのトラブルや、労働災害があったときに最初に対応してくれる場所である。
また、居住区の治安を守るため、交通規制や夜回りなどを行っている。
警察・消防への窓口であり、警備員に分類される。
マニュアル整備がされており、物事の初期対応であり、専門的な行為はできないが、
初動対応の早さがモノを言う火災や、頼るものがすくない見知らぬ他人同士が寄り合う社宅において
外部への連絡を迅速に行える部署があることは、安全保障のためかつ
円滑な社会生活を送る上で重要なことであった。

廃棄物集積場・再生工場


工業活動を行ううえで、でてくる廃棄物の一次処理を行う場所である。
、全部一度にやれば、個別でやるより結果的に
安くつくというコスト意識のたまものである。

小規模工場が軒を連ねている関係上、どうしても廃棄物の処理にまで
手が回らないところが出てくることを見越した上で作られた。

捨てればゴミ、分ければ資源というスローガンのもと
各工場から出る廃棄物を集積し、分類、再利用できるものは
再生工場で再生し、安価で各工場に売却された。
以前、クローンが増えすぎたときに足りない生物資源を食料で代用したという
国民の動きを、藩王は大変面白いといい、その発想を別に生かせないかというのが
この再生工場ができた理由である。
クローンを増やしすぎたことは、悪いことだが、足りないものを他で補うという精神に
いたく感動したらしい。

ここで、処理しきれないものは藩国所有のゴミ処理場に送られ
処分されることになる。

大規模工場・小規模工業団地


大規模工場外観


土場の政策で紹介したとおり、ここでは
大多数のニーズにこたえる大規模工場・細分化された市場対応と
技術の発展を担う小規模工場の2種類が存在している。

この2つの工場は、どちらが優勢という話ではなく、お互いに
パートナー企業として尊重し合えるようになっている。
また小規模工場のなかには、大規模工場の開発室が分社化されて
配置されているものもあり、工場で働くものの出自はさまざまで
異業種同士のコラボレーションなども頻繁に行われるようになっている。
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