最近若い人たちのバイク離れが進んでいるようです。
と、こんな風に書くとどこぞのマスコミみたいですが私もそう思います。スクーター以外のバイクに乗っているのって私を含めてオッサンばっかり。
色々な原因があると思いますがその中の一つに不景気で金が無い、と言うのがあります。
最近トヨタが免許を取ろう、と30歳になったのび太青年に訴えてる訳のわからぬドラえもんのCMを打っていますがそのあたりの若者に免許を取らせ新車を買わせたかったら先ずトヨタが派遣や期間工をやめて全員正社員にしたら、とか思ったり思わなかったり。
まあそんな遠回りで穿った見方はさておき私が高校生だった頃はバイトをガンガンやって稼いだ金を殆どバイクに突っ込んでいるなんて同級生が数多くいました。
かく言う私もそんなバイククレイジーな連中程酷くありませんでしたがバイトして稼いだ金の多くをバイクに突っ込んでいました。
現代でも殆どの高校生は親と同居していてバイトで稼げば稼いだお金は殆ど自由に使えるのでは無いでしょうか?
既に就労して時間もお金もカツカツな若者はしょうがないにしても一番バイクに乗って欲しい高校生が苦労してまで欲しいと思わない理由、それは間違いなく若者を引き付ける魅力が無いからでしょう。

今のバイクは色々贔屓目にみてもやっぱり魅力が無いです。
乗り物としてはとても完成されていると思いますがバイクを単に乗り物としてみれば車の方が余程快適ですし首都圏であれば電車やバスの方が楽です。
やはりバイクには機械的な魅力が不可欠であると思います。
高校生の頃から弄る派だった私は勿論の事、走り屋連中の同級生達も多かれ少なかれ皆バイクの機械的魅力に魅了されていました。
しかし現行のバイクは殆どが熟成された技術によって作られる上、規制にコストやその他しがらみ等とがんじがらめで魅力のあるバイクを作れ、と言っても難しいのでしょう。
熟成されたが故に高性能かつ高精度で一般人が横槍を入れるような余地が無くただ人の言う事を素直に聞く下僕みたいなバイクしか作れないし社会的にも許さないといった風潮です。
割と最近出たホンダのCB1100の紹介記事で機械らしさを出すために敢えてエンジン内のバランスを崩したなんて記事を読むと完全に終わってるなぁ、と思わざるを得ません。
最早理想と解っている形をあえて崩さないと機械としての魅力が出ないとメーカー自らが認めてしまっているのです。
結局設計も部品そのものも高精度であるのがものづくりでは正義ではありますが人の感情に訴える趣味性の高いバイクと言うカテゴリーでは突き詰めすぎるとただの下僕になってしまい面白くなくなります。

そしてそういったバイクを作ったが故に一般人が機械いじりをしなくなったというか出来なくなったのも衰退の大きな原因でしょう。
昔は皆自分でバイクを整備したり改造していました。比較的簡単に弄れるし弄ってもその応答に融通がありました。
私が高校生だったころも回りの走り屋連中は皆拙いながらも自分で弄ってましたしその頃から既に只のバイクカタログになっていた月刊オートバイも60年代は例えばCB72のチューニング方法、それもバルブシートの削り方とかカムタイミングの取り方といった今となってはありえないようなかなり突っ込んだ内容でした。
こういった人と機械の素晴らしい距離関係をないがしろにした、と言うか時代に流されて無くしてしまったのも衰退の大きな原因であると思います。

まあ一番の原因は不景気だからでしょうね、と最後は今までの全て否定する方向でまとめてみますw
だってSDあんまり乗って無いし新しいプロジェクトの気配も無いので書く事も無いんで・・・・



今回は初めて動画を張ってみます。実は私、古い戦闘機も好きなんです。
エンジンがかかった時の歓声、オッサンのガッツポーズ等機械と人間の関係かくあるべし、と言う素晴らしい姿が垣間見れます。
おすすめ。
フォッケが目覚めた後のP51の味気無さよ・・・まあ本来であればフォッケもボッシュ製スターターぶっこんでスマートにエンジン掛かる筈なんですけどね。

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最終更新:2011年12月05日 01:29