海賊の姿は一時期FVBからほとんど完全に消えていた。そこにはいろいろ不幸な行き違いがあり、政治の手落ちがあり、あざなえる縄のごとき禍福が完全に裏目に出ていたからなのだが、それについてここでは語らない。
ただ、いかなるときでも海賊の魂はそこにあった。
忠義に厚いサムライと、自由を謳歌する海賊。一見すると水と油のような関係だが、その根っこの部分は1つだった。
「正義のために英雄的であれ」
その正義が個人の自由を圧迫するものでない限り、そして皆が同じものを食べ、同じ戦場で戦っている限り、そこに矛盾はなかった。
だが、それが若き海尉の悩みの種だった。
彼らの乗り込む帆走艦の乗組員の多くは元海賊だった。
今も海賊かも知れないし、ただの船乗りかも知れないが、同じことだ。自分たちが認めた上官でなければ進んで従おうとはしないのだ。どいつもこいつも命令不服従ぎりぎりの態度で様子をうかがっている。
上官が、本当に自分たちの命を賭けて仕えるのにふさわしい英雄の資質があるのか見極めているのだ。ある意味において、すごく共和的であった。そして、衆愚に堕するのではなく、英雄的な言動によって民心を掌握する指揮官を求めるところがかなり帝國的であった。
はっきりいって、海尉任官試験よりもかなり辛い。
砲列の並ぶ下層甲板の天井は低い。気を抜くとすぐに頭を何かにぶつけてしまう。
そんな砲列甲板を身軽にひょいひょい駆け回っているパウダーモンキーがうらやましくなるときがある。
パウダーモンキーとはもともとは見習水夫のこと。16世紀あたりの地球では、まだ10歳にもならないような子供が、砲弾の飛び交う中、火薬庫と砲架の間を火薬を運んで往復していたのだ。
そのパウダーモンキーが人間の子供ではないということには心がわずかばかりだが慰められる。
高度なテクノロジーの大半が機能しない、低物理域のレムーリアでもFVBのカラクリ人形は動くのだ。電子部品など使われてもおらず、バネとゼンマイと歯車くらいしか入っていないらしいのに、宰相府のロボット並に動く。ただ、当然のように無線を受けることはできないから、指示はあくまで口頭で伝えなくてはならない。
しかし、オールド・テクノロジーの塊であるガレオン船ではそれで十分だ。子供のようなサイズのカカシロイドが、火薬の袋を抱えてかっしゃんかっしゃん走り回る。
レムーリア近辺での哨戒が任務に入っているため、この艦の主砲は前装式のカルバリン砲だ。
火薬がやたら煙の出る粉末火薬ではなく、粒状火薬だということには感謝すべきだろう。射撃時に視界が確保されているかいないかでは雲泥の差だ。これだけで生き残る確率は跳ね上がる。FVBの艦隊士官はまず、このカルバリン砲と黒色火薬に馴染んでから宙に上がる。
だから、宇宙艦での苦労は何かとあっても、ガレオン艦勤務になることを思えば物の数ではなくなってしまう。宇宙艦の居住区が狭いといってもガレオン船ほどではなく、振動が酷いと言ってもガレオン船ほどではなく、宇宙戦闘が過酷といっても……。
それでも、洋上艦隊勤務を希望する者が少なくないのは不思議なことだ。きっと、この潮風の所為だろう。
そんなガレオン船にも若干だが子供は乗り込んでいる。艦長の身の回りの世話もするからということで乗り込んだ書記見習いの少年は、今では書記職はおろか主計室まで掌握して水夫たちから愛情と敬意を込めて小覇王と呼ばれている。
なにしろこの世代の子供たちは頭の回転は早いし、記憶力や計算能力も高い。それでいて、宇宙での船外作業も帆船のマストロープ上での作業も身軽にこなしてしまえるのだから、まさにFVBという藩国そのものに特化した子供たちである。彼らの時代はすぐそこに来ている。
「石けんに料理用油、白米に玄米、ジャガイモにサツマイモ、梅干、白菜漬け、味醂乾し……」
私が主計室に入ると、大きな机に隠れそうになりながら少年が買い物リストをチェックしていた。
今回が初航海の彼にとっては、電気が使えないのがこんなに面倒くさいと思わなかったという様子だ。無線装置などはレムーリア圏内で機能しなくなったら元電源を切って物置に投げ込んでおけばいいが、冷凍冷蔵庫が止まったら食品は全滅だ。だから原則として常温で長期保存できるものしか詰め込めない。缶詰も19世紀初頭のものだから、保存食としては不的確だ。
ただ、幸いなことに東国人の国だから、食事はカチカチのビスケットと虫の湧いた塩漬け肉などというものよりは遙かにマシなものとなっている。米があり、味噌があり、醤油があり、漬け物があり、干し魚があり……となったら、基本メニューは陸での生活と大差ないものが用意できるのだ。
問題は、その材料を買付るための資金のやりくりだ。限られた予算で、必要な量の物資をいかにそろえられるかが会計の重要な任務となる。
「……海尉、くさやってなんですか?」
「干物の一種だ。美味いがむちゃくちゃ臭うからやめとけ。艦長が嫌いだ」
「了解です」
そう言ってリストに線を引く姿を肩越しにのぞき込む。
「ああ、納豆もダメだ。常温保存じゃ日持ちしない」
「……好きなのに」
しょんぼりするが、すぐに気を取り直す。
「えっと、なにか御用でしたでしょうか?」
にこりと笑う小覇王に、掌帆長からの伝言を伝える。
「帆布が心許ないようだ。もう2セットなんとかして欲しい」
「……予算的には3セットでもいけます。収納にも問題ありませんし」
「よし。ロープも必要だぞ」
「はい」
適度に指示を与えるだけで、子供たちはすばらしい仕事をする。彼らに足りないのは歳月だけだ。経験ともいう。
「よし、いいこだ」
そう言って少年にポケットから取り出したラムネ味のアメ玉を手渡した。「ボクは子供じゃありませんよ」と文句を言いつつ、少年はそれを口に放り込んだ。
カルバリン砲が轟音を上げる。ぐらりと揺れた衝撃でカカシが転んだ。平衡機能が対応しきれなかったのだ。レムーリア仕様だから、これくらいは仕方がない。
反動で砲架が一気に砲列甲板上を後退し、固定具とロープでガクンッと揺れて止まった。
「次発装填は鎖弾。急げっ!」
掌砲長の声で水夫たちが一斉に砲へ駆けよった。
先端から濡らした布を巻きつけた棒を突っ込んで、砲身の内部をぬぐい、火薬を装填したら続いて砲弾を装填。ぐいぐいと押し込んで隙間ができないようにすることで圧を高め、飛距離を伸ばす。
砲は16世紀地球から連綿と受け継がれてきている前装砲だ。砲の前から砲弾を装填する。後装砲と比較して操作は面倒で照準も合わせにくいが、故障する余地はない。これはいざとなったらリムーリア圏の海域での作戦が求められることもある帆走艦では重要だ。そうでなければ最初からムーン級フリゲートを投入すればいいのだ。
「押し出せーっ!」
号令に喚声が応え、1門に水夫4人がかりで押し出していく。その間に倒れたカカシロイドは起き上がって、また火薬を抱えて走り出す。
砲撃はリズムだ。
ただ、装填できたら撃てばいいというものではない。
波があり、風が吹く。当然、艦は揺れる。砲撃が行われる側が下に傾いているタイミングで撃っても魚を驚かせるだけだ。波が頂点となっている時、砲弾が適切な放物線を描くタイミングで撃たねばならない。そういう意味で、宇宙艦戦よりも難しい。もちろん艦の速度は文句なし向こうが速いし、実体弾がビーム兵器より遅いのはあたりまえだが、こちらにはコンピュータのアシストはない。すべて人間の能力で処理しなくてはならないのだ。
こちらが撃つより先に、敵艦の舷側に黒い煙が立ち上った。まだ恐怖はない。自分が死ぬかも知れなかったと気がつくのはすべてが終わってからだ。
「撃て」
「撃てーっ!」
ベテランの掌砲長は最高のタイミングで砲列を開放した。
右舷10門の18ポンド砲が火を噴き、やや遅れて上甲板で6門の9ポンド砲の放たれる音が聞こえてくる。同時に、先に向こうの放った砲弾がこちらの艦に着弾した。何人かの水夫が血肉の塊と化し、無数の木片が周囲に降りそそいでさらに数人が倒れる。艦載鶏の悲鳴がココココケコケと聞こえてくる。
水夫たちの喚声が上がった。
鎖弾は、砲弾が鎖で繋がれた2つの半球に分かれるものだ。飛距離は落ちるが、敵艦の帆を破り、マストを倒すには絶大な効果を上げる。
「命中っ!」
こちらまで聞こえるような音を立てて主帆柱が倒れた。下敷きになった水夫の悲鳴が上がる。
「斬り込みます!」
上の階から小覇王が叫んだ。隠れていればいいものを、伝令なんかやっているのか。
「奇数番は葡萄弾! 装填でき次第ぶっ飛ばせ! 残りの者は甲板に上がれ! 白兵戦だっ」
そう言って、私は艦剣を抜くと階段を駆け上り始める。その間にも艦は手際よく回頭を始め、往き足の止まった敵艦に接舷し始めた。
帆桁の上に配置された海兵隊員が狙撃を開始していた……。
「まあ、60点というところじゃな」
穴の開いた帆を繕っていた、前歯の欠けた老水夫がひゃっひゃっと笑った。好々爺然とした風貌にごまかされていたが、こいつも元海賊に違いない。
密輸船は拿捕したが、こちらも無傷というわけにはいかなかった。
あちらこちらで昼間の戦いの損傷を直すべく、厨房から米の炊ける匂いが漂ってくる中、夕暮れになっても誰もが忙しく立ち働いている。
「厳しい採点をしてくれるね、爺さん」
「まあな。ただの水夫と違って、あんたは士官だ。運良く死ななければ、いずれは艦長になる。もしかしたら、今日なっていたかもしれん」
そう言いながら、針路について打ち合わせている艦長と副長をちらと見た。
「あんたが右足を先に出すか左が先かで、わしらの生死が決まるかもしれんのだ。そりゃあ、厳しくもなるさ」
老人はぐいっと針を刺して糸を通すと器用に結んで止めた。
「死んだ英雄はいらん。無謀と勇気は違うが、生に執着する臆病者もいらん」
遠慮のない言葉だ。
軍という組織において階級差は絶対だ。最下層の水夫が士官に言っていい言葉ではない。
だが、戦闘中ではない。私たちは自由な民だ。命令不服従は許されないが、言いたいことを言う自由くらいあるだろう。
「士官というのはなあ、わしらが死地に喜んで赴けるだけの正義を与えてくれなきゃいかんし、1つでもたくさんの正義を貫くために、ちょっとでも長生きできるようにしてくれんとな」
「精進するよ」
そう言って私も笑った。
私たちは帝國に忠誠を尽くす一振りの刀である。
正義には忠節を誓った道具である。