人名・あ~そ

天野 喜孝(あまの よしたか)

 イラストレーター。『ファイナルファンタジーシリーズ』のキャラクターデザイン・イメージヴィジュアル・タイトルロゴを手がけている。
 幻想的な作風はFFの方向性を定めたといっていい。特に初期FFはモンスターデザインもしていたこともあって天野色が強い。シリーズを経るごとに天野絵は前面に出なくなっていったが、タイトルロゴとイメージヴィジュアルは最新作のXIVまで健在である。
 天野絵をドット再現するのは難しかったのか、FF5のバッツなどゲーム中グラフィックとかけ離れたデザインも多く(特に躊躇なのはディシディア ファイナルファンタジー)、リメイクやリファインに悩まされることも多い。
 時折画展を開くこともあり、その知名度・影響力は未だ健在である。

飯島 多紀哉(いいじま たきや)

 シナリオライター、小説家。旧ペンネームは飯島健男。通称「メシジマ」
 『ラストハルマゲドン』『ONI』『BURAI』『学校であった怖い話』など多くの名作を手がけたゲームクリエイターであった。
 全般的に話は重く、複雑なシナリオを得意としている風があり、隠れてはいるが良作を数多く作り上げていた。
 しかし、今の彼の名前は 『四八(仮)』『ONI零 戦国乱世百花繚乱』『Apathy 鳴神学園都市伝説探偵局』とクソゲー三冠王を生み出してから、クソゲーまとめに乗っている方が有名である。
 この三作品発表後から結構時は経つが、未だに彼の巻き返しは見られない。

池田 恒基(いけだ つねき)

 ケイブのチーフプログラマー。愛称はIKD。
 シューティングゲームメーカーの雄として鳴らした東亜プランの社員であったが、同社倒産後にその気風を受け継ぐ会社ケイブを設立する。その後、チーフプログラマーとして活躍し、『怒首領蜂』で同社と自らの名をとどろかせ、その後も『怒首領蜂大往生』『ケツイ~絆地獄たち』『虫姫さま』などの数々の名(迷?)作弾幕シューティングを生み出している。2010年現在は取締役でありながらなお開発の第一線にあり、たぶんケイブで一番忙しい人。
 現在のアーケードシューティング業界をリードしている人物の一人。シューティングゲームに対する考え方は保守的で、基本的に戦車とヘリコプターが大好きの模様。
 SFモノの怒首領蜂でもヘリを飛ばし、和風ホラーの『ぐわんげ』でも木製戦車を走らせる。
 一方でその言語感覚には独特のものがあり、「光翼型近接支援残酷戦闘機」「必ず死なす」など、ハッタリを利かせているつもりでもなんか笑えるフレーズを多く生み出している。
 近年は『大往生』や『ケツイ』などで発生した難易度インフレを反省し、抑えたゲームを作る一方で「人類に挑戦してみようかと…」「自己責任でお願いします」と言いつつ、同じゲームに天井知らずの高難易度モードを実装することが多い。

伊藤 賢治(いとう けんじ)

 イトケンの略称でも親しまれている作曲家。
 代表作はサガシリーズ。『サガフロンティア』までの顔となった。主にHMやプログレ等、ロックの影響を色濃く受けた烈しい戦闘曲が人気を集め、同人CD等でのアレンジも数多い。
 ニコニコ動画でも彼の戦闘曲メドレーは非常に人気があり、他の作曲家の楽曲をイトケン風にアレンジした、という動画も数多く投稿されている。『ファイナルファンタジーIV』や『ファイナルファンタジーV』にも関与しており、そこでは効果音を務めている。えもいわれぬバイオのシンセ音と騎士剣の涼しげな金属音が好評。

伊藤 裕之(いとう ひろゆき)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』におけるATBを発明した人物。
 やりこみを視野に入れたゲームバランスが特徴で、FFシリーズでよくある「ボス戦で経験値等が貰えない」のは彼の「ボス戦はプレイヤーを試すテスト」という思想によるところが大きい。
 ATBの他にFF5のジョブ・アビリティシステム、FF8のジャンクションシステムおよびカードゲーム、FF12のADB・ライセンス・ガンビットなどを開発した。
 ゲーム内テキストや作詞も手がけている。コミカルな作風が特徴で、有名なFF4の「いいですとも!」も伊藤氏によるものである。

いのまた むつみ

 元アニメーターで現在はイラストレーター。愛称はむっち。
 繊細かつ可憐なタッチで今も昔も多くのファンに支持されている。ゲーム業界ではテイルズオブシリーズのキャラデザとして有名だが、ハードカバー・文庫版の小説ドラゴンクエスト全シリーズにて挿絵を担当し、小説ならではの世界観の構築に大きな役割を果たしている。
 少年漫画を地でいく鳥山明とはあまりにもタッチが違ったこともあり「ドラクエじゃねえ」「こっちの方が良い」などいろいろと物議も醸したが、概ね好評だったよう。しかし、新たに発行された新書版では挿絵は別絵師のものに差し替えられている。
 これ以外のゲームへの関わりとしては、パソコンゲーム誌『テクノポリス』(徳間書店・休刊)の表紙やパソコンゲーム『アルファ』(86年、スクウェア)のパッケージイラストを手がけている。

岩田 聡(いわた さとる)

 現・任天堂社長。
 かつてはHAL研究所の「天才」と呼ばれたほどのプログラマーで、『ゴルフ』や『バルーンファイト』と言った作品のプログラミングを一人でこなしていた。また、『MOTHER2 ギーグの逆襲』の制作が行き詰まっていたときヘルプとして呼ばれ、「今あるプログラムを使うと完成まで2年かかります。ですが私が一から作れば1年で出来ます」と豪語し、事実その通り完成させたという。
 後にHAL研が多額の負債によって倒産の危機に陥った際に任天堂社長(当時)山内溥がHAL研の社長に岩田を指名。その後、『星のカービィ』や『大乱闘スマッシュブラザーズ』などの大ヒット作を生み出し経営再建に成功。ちなみに社長になったあとも休日出勤してプログラムを打っていたという逸話がある。
 その後、岩田は山内に任天堂に呼ばれ、任天堂社長に就任。『ニンテンドーDS』や『Wii』によって見事にゲーム業界の覇権を取り戻すことに成功する。
 非常に露出が多く、自ら積極的にPR活動を行うという社長としては珍しい特徴がある。有名なのは『社長が訊く』であろう。ゲームの開発者に自らインタビューするというものである。自身がその製品を愛用しているApple社の、スティーブ・ジョブズの影響もあるのかもしれない。
 彼自身も相当なゲーマーであるようで、前述の『社長が訊く』においてもしばしば非常にマニアックな知識を披露する。

植松 伸夫(うえまつ のぶお)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』の音楽を手がける作曲家。愛称「ノビヨ」。現「有限会社スマイルプリーズ」代表。
 坂口博信氏に説得されてスクウェアに入社して参加したFFIでは、ファミコン音源でメロディアスなBGMを表現し、プレイヤーを魅了した。
 その後、天野とともにFFの顔として活躍、「愛のテーマ」「ビックブリッヂの死闘」「片翼の天使」「Eyes on me」などの名曲を多く産み出すが、FFXを契機に単独作曲ではなくなり、FFXIIやFFXIIIではほとんど絡まなかった。
 スクエニ退社後はミストウォーカーのゲームやアニメ『グイン・サーガ』の劇判音楽などを手がけ、後にFFXIVで久々にFFシリーズに復帰した。

遠藤 嘉一(えんどう かいち)

 故人。日本アミューズメント業界(AM業界)の先駆者にて技術者。
 日本遊具機械の父であり、ゲームの歴史をたどる上で彼の存在を欠かす事はできない。1922年にわけあってコンドームの自動販売機を作ったところ売り上げが増加。これは後のガチャポンの原型となる。これをキッカケに多くの自動販売機を製作した後、28年に日本自動娯楽機製作所(現ニチゴ)を設立。ピンボールやエレメカのような機器から遊園地の巨大遊具まで、さまざまなAM機を開発製造した。
 この人がいなければ、「屋上遊園地」、すなわちデパートの屋上にティーカップや観覧車、ゴーカート(豆自動車)などが作られることはなかったかも知れない。今でこそ廃れつつあるが、かつては休日にそこで遊ぶことは、子供たちにとって何よりも楽しみな一時であったのだ*1
 2001年に102歳で老衰により死去。大往生であった。

小倉 久佳(おぐら ひさよし)

 通称OGR。作曲家。
 1983年にタイトーを入社。影の伝説、『奇々怪界』やダライアスシリーズで一躍脚光を浴びる事になる。
 同社サウンドチームZUNTATAに所属し、80~90年代タイトー作品の楽曲を支えてきた。著名な代表曲の一つである『DADDY MULK』など、独自の哲学や思考を取り入れた楽曲は多くの熱狂的ファンを生み出した。一方、あまりにも強い個性の小倉がいたためか彼以外のZUNTATAメンバーの評価が低くなると言う不思議現象が起きるほど。
 2007年に退社、現在はフリーで活動している。

小島 秀夫(こじま ひでお)

 ゲームデザイナー。コンマイの小島・MGの小島。普通の作品ならば「ディレクター」とクレジットされているところで、「監督」を名乗ることから、たびたび小島監督とも呼ばれる。
 元々映画作家を目指していたが、『イーアルカンフー』を出していたコナミに興味を持って入社。MSX部門に配属され、ハード制約の関係から、敵や飛び交う弾丸をほとんど出さずに済むデザインのゲームとしてメタルギアを製作。その後、元来の映画好きを生かし『スナッチャー』や『ポリスノーツ』等、映画の風を取り込んだゲームを製作していった。
 メタルギアシリーズや『Z.O.E』を手がけ、2001年暮のニューズウィークに「未来を切り開く10人」に選ばれた。
 彼の手がける作品は濃厚な世界観と咽返るような雰囲気を持ち、映画的演出を多く取り入れる傾向にある。これは「その世界観を理解しなければ訳がわからないゲームが多い」という意味でもある。
 本人もそれを知ってか、「解る人だけついてくればいい」とライトユーザーを突き放すような物言いが多い。

坂口 博信(さかぐち ひろのぶ)

 『ファイナルファンタジーシリーズ』の産みの親。現ミストウォーカー代表。
 FFI~IXまでに関わり、スクウェア黄金期を築き上げた。彼のストーリーテリングの特徴として「自己犠牲」「死を乗り越える」「大きな魂」などがあり、FFII・FFIII・FFIV・FFVII・FFIXなどのFFシリーズのみならず、退社後に製作した『ロストオデッセイ』『ASH』などでも顕著である。
  ゲームハードやソフト進化に伴って映画的表現を追求するようになり、小島秀夫と並んでゲーム業界の「ムービーゲー化傾向」の流れを作った人物でもある。先端の映像演出に注力した作品として有名なのは、巨額の開発費を投じたFFVII・FFVIII、世界初のフルCG映画『ファイナルファンタジー』など。
ネット上では、数多くの名作を世に出しゲーム業界全体に多大な影響を与えた反面、会社の業績悪化(前述した映画は、史上最も損額の大きな映画としてギネス登録されている)や開発費の高騰などの問題にも関わってしまった、功罪ある人物として語られている。

崎元 仁(さきもと ひとし)

 フリーのゲーム音楽作曲家。
 80年代後半、同人シューティングゲーム『REVOLTER』のサウンド(岩田匡冶氏との合作)が高く評価され、活動を始める。
 『伝説のオウガバトル』『タクティクスオウガ』『ファイナルファンタジータクティクス』(いずれも岩田匡冶氏との合作)のサウンドでその地位を確立するが、他にもシューティング、アクション、RPGなど幅広いジャンルで数多くの作品を手掛け、いずれも高い評価を得る。しかし、オウガでは「明るさの限界を突破」「発酵女」、紅蓮隊では「突撃秋嵩君」のような趣旨の分からない曲名をつける傾向がある模様。
 オーケストラ調の重厚なサウンドが特徴的だが、テクノやトランスを交えた作品も多い。
 一時期はスクウェアに所属していたことがあり、社員としては『ベイグラントストーリー』を手掛ける。
 その後は再びフリーとなり、『ファイナルファンタジーXII』『戦場のヴァルキュリア』などに関わるが、近年は自ら設立した会社ベイシスケイプに所属する他作曲家との共同制作が多い(『オプーナ』『朧村正』など)
 また、サウンドプログラマーとしても活躍しており、『ドラゴンクエストVI』、『ドラゴンクエストIII』(いずれもSFC版)などに編曲、プログラミングとして関わっている。

桜井 政博(さくらい まさひろ)

 ゲームデザイナー。ハル研究所出身。『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』の生みの親として知られる。
 学生時代から大量のゲームを買いこんでは研究を重ねており、その習慣を現在まで続けている、文字通りゲームを作るために業界の門を叩いた人物。
 そうした研究によって培われた独自の視点により、既存のジャンルに斬新なシステムを入れつつも元のジャンルの面白さを括り出し、簡単な操作と巧みなバランスで初心者にも上級者にも楽しめる万人受けを目指すというゲームデザインを持ち味としている。
 これまでに作ったゲームは『星のカービィ』(横スクロールアクション)『ニンテンドウオールスター! 大乱闘スマッシュブラザーズ』(対戦型アクション)『カービィのエアライド』(レース)『メテオス』(落ちものパズル)など。現在は『新・光神話 パルテナの鏡』(TPS)を製作中。
 人物面では、童顔ゆえのゲームクリエイターの中では比較的端正な顔立ちと、それとギャップのある渋い低音な声、簡単な言葉を用いた分かりやすい文章などが特徴。
 その渋い声を生かしてか、一部のカービィシリーズやスマブラXではなんと氏自らがデデデ大王の声優を演じていたりする。
 現任天堂社長の岩田聡はハル研究所時代の上司で、経営難に陥っていたハル研究所が桜井の作った『星のカービィ』のヒットで持ち直したことから、現在まで岩田は桜井に全幅の信頼を寄せている。2009年には岩田の「特命」を受け、開発スタジオ・プロジェクトソラを新たに設立、『新・パルテナの鏡』の開発に取り組んだ。
余談になるが、とあるファンが彼の画像を年代順に並べてみたところ年を経る毎に若返っているようにしか見えないというちょっとしたホラーな事実が判明した。

桜庭 統(さくらば もとい)

 作曲家。スターオーシャンやテイルズシリーズの音楽を手がけた事で有名。名前の読みづらさでも有名。
 ジャズやロック、オーケストラなどの様々なジャンルの音楽を得意としている。特に戦闘曲やダンジョン曲で評価が高く、ハイテンポでインパクトの強いメロディーが多い。
 変拍子が多用されているなどで、非常に複雑なつくりの曲も多く、演奏者やアレンジを手がける別の作曲家からは「演奏し難い」「作り難い」という意見も少なくない。にもかかわらず様々な音楽サイトで彼の曲のアレンジが聞ける事等から、その人気の高さが窺い知れる。
 また作曲速度が異様に速いという特徴があり、ピアノの即興曲なら10分、複雑な曲でも一日あれば作れると語っている。
 そのせいか、近年は脅威の4作品掛け持ちという離れ業を披露している。ただしその弊害か、氏のファンからは「曲のクオリティが劣化している」など厳しい意見を言われるようになってしまっている。

下村 陽子(しもむら ようこ)

 2010年現在、フリーで活躍しているゲーム音楽作曲家。
 元々カプコンサウンドチームALPH LYLAに属しており、『ストリートファイターII』の作曲を手掛けたことで一気に知名度を上げる。
 その後スクウェアに移り、『ライブ・ア・ライブ』『フロントミッション』『スーパーマリオRPG』『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』『キングダム ハーツ』など多くの名作、大作の音楽を担当。フリー以降はキングダムハーツシリーズ、マリオ&ルイージRPGシリーズ、『ゼノブレイド』などを手掛けている。
 シーンによって世界の色がころころ変わるLALやKH、ストIIなどを手掛けていることからわかるとおり、いかなる世界観にも対応できる曲幅の広さがある。
 また、作曲者が女性とは思えないほど熱く哀愁深いバトルミュージックを作るのが特徴。その旋律はファンから「下村節」と呼ばれ、本人も自らの音楽を「直情型」と評している。
 ブログを開設しており、ユーモア溢れる発言やオープンな性格から人柄の面でも人気が高い。

森気楼(しんきろう)

 元SNK、現カプコン所属のイラストレーター。
 SNK在籍時は『餓狼伝説』、『龍虎の拳』、『サムライスピリッツ』、『THE KING OF FIGHTERS』、『月華の剣士』、『メタルスラッグ』など主要シリーズのほとんどに携わり、同社の看板絵師として名を馳せる。
 2000年にデザイン室を通じて交流のあったカプコンへ移籍し、『CAPCOM VS. SNK 2』、『バイオハザード』派生作、『タツノコ VS. CAPCOM』などのイラストやカバーアートを担当。
 アメコミテイストの写実的で陰影の濃い人物描写が持ち味。キャラクターの特徴を的確に表現しながらも自己主張しすぎず、見る者に想像の余地を残す独特の絵柄はゲームのイメージイラストのお手本と言われ、退社した現在も「SNKといえば森気楼」というイメージを持つファンが多い。
 海外でも評価が高く、本場のアメコミ関連の仕事をこなしている他、『MARVEL VS. CAPCOM 3』でもメインイラストレーターに抜擢された。
 イラストを描くスピードはかなり速く、『CAPCOM VS. SNK』のインタビューで当時カプコンの社員だった西村キヌが脱帽するほどであった。
 絵を目にする機会に比して森気楼本人が公の場に顔を出すことは皆無と言っていいほどなく、活動や来歴に謎が多い人物でもある。
 ちなみにペンネームは蜃気楼のようなボーっとした性格に由来しており、SNKがゲーム会社であると知らずに入社したと言われている。弟子にSNKプレイモア作品のイラストを描いているおぐらえいすけ、ヒロアキがいる。
 自分が描いてきたキャラの中ではチャン・コーハン(『KOF』シリーズの韓国チームの巨漢キャラ)が好きらしい(なぜかチャンは他のSNKのイラストレーターたちにも大人気である)。

すぎやまこういち(椙山 浩一)

 作曲家、フリーディレクター。『ドラゴンクエストシリーズ』の作曲で有名。
 非常にゲーム好きであり、旧エニックスのパソコン版『森田将棋』に向けて書いたものの放置し、家族が代わりに送ったアンケート葉書がメーカーの目に留まり、『ウイングマン2 -キータクラーの復活-』を作曲する事になった事がある。バックギャモン協会など、多数のゲーム系協会に籍を置いていることでも有名。
 『ドラゴンクエスト』の曲を担当する事になる際には、プログラマー・中村光一が難色を示したものの、2人が面会すると、すぎやまが非常にゲームがわかる人物だということで承諾となった経緯がある(因みにかなり後に「征服王」というダイスを使ったウォーシミレーション番組において中村と一緒にタッグで参戦している)。ゲーム中のBGMに対しては非常にうるさく、BGMがゲームに合わない場合は消音して別の曲を聴きながらプレイするほどである。
 現在では色々な意味で衰退している「日本レコード大賞」において、1988年に『交響組曲ドラゴンクエスト I・II・III』が 「特別企画賞 新しい子供達の音楽のために」 を受賞している。VとVIIIには彼が主人公につけている名前である「すぎやん」という名前の仲間モンスターも存在(V…ヘルバトラー3匹目、VIII…ドラキー3匹目)し、語感のよさからそのまま彼自身のニックネームにもなっている。  『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』にいたってはテストプレイで200時間、Vジャンプでも発売前に、すぎやまのテストプレイキャラクター『ナイン』を紹介。発売後には『すぎまろ』『すぎやん』の2キャラまで作成している。
 ちなみに元東京都知事・故、青島幸男とは中学からの幼馴染。また、2ちゃんねらーであることも公の場で明らかにしており、あまり叩かれる事は無いが日本を主体においた保守派的な発言(左翼・安易なグローバリズムとは対極の)・音楽著作権問題での強い著作権重視発言には評価が大きく分かれている。

鈴木 裕(すずき ゆう)

 セガの名物ゲームクリエイター(だった人)。
 製作するゲームは美麗なグラフィックによる3D表現を行った『ハングオン』『スペースハリアー』、
 スプライトの重ね合わせによって背景などの様々な演出を表現した『アウトラン』『アフターバーナー』『パワードリフト』、
 ポリゴンを使った『バーチャレーシング』『バーチャファイター』など、技術的ブレイクスルーによる最先端のハードに頼ったゲームデザインが特徴で、
 時代と共に価値が薄れ色褪せていく弱点はあるが、当時のプレイヤーにとっては記憶を鮮烈に焼き付けるものであり、「時代を先取りするセガ」の象徴的存在であった。
 最後に大きく関わったゲームは家庭用ゲーム機の性能が高性能化し、業務用に追いつき始めた頃に作られた『シェンムー』。ギネスに載るほどの莫大な制作費をかけたため、悪い意味でセガの命運を決定付けたゲームであったが、根強いファンを多く産み、またシェンムーのようなスタイルが後年大きな評価を受け、超大作のジャンルとして定着していく。
 一方で黒い噂も多い人で、現在では色を失いすっかり忘れ去られてしまったが、その功績は大きい。

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最終更新:2015年03月13日 09:51

*1 当時の日本は「月月火水木金金」という言葉が流行するぐらい「働け、働け」の時代であり、週休は日曜日のみ、会社によってはそれすらないことも珍しくなかった。親に遠くへ連れて言って貰いたくても到底無理だったのだ。40代以上の方で「近場のデパートの屋上遊園地で小遣いを与えられ、遊んだ」経験のある人はとても多い。