―俺は泣かねぇ。

男は泣かないものなのさ。そういうもんだ。
仕事から疲れた体を休めようと思った。
仕事をして、くだらねぇ雑事をこなして、最後に汗を流して寝る。
週末には病院通いで趣味や楽しみなんかは忘れちまった。
いや、勿論コーヒーが俺の楽しみではある。
俺を分かってくれるのはこの暗闇だけだ。これしかねぇ。
だが、俺はこのくらいで騒ぎ出すほどガキじゃねぇんだ。
砂を噛むような人生だってこなして行ける。
こんなに強い俺なんだ、ちょっとやそっとのことじゃあ、泣くわけがねぇだろ。
俺はふらふらと力なく家の中を歩きながら
意味も無いような、いわば物思いにふけっていた。



「チッ。あのまま寝ちまったのか・・・。」
記憶が無いながらもベッドまで辿りついた俺に関心しながらも、
俺は時計に目をやろうとして、あれをかけようとその機械に手を伸ばした。

俺はこの瞬間が嫌いだ。
別に寝過ごしたわけじゃないんだぜ。
時計を見るためにはあれをかけなければならない、あれは横に置いてある。
つまり、横を向かなければならない。当たり前だ。
横を向くと


隣にいる筈の人間がいない。

よく見えねぇが、感覚でわかる。



空虚がそこを支配する。俺はそれに頭を悩ませる。

そりゃ、人間は皆悩みやら、色んな気持ちを抱えて生きている。
そしてそれを乗り越えてこそ・・・自・・人間と・・・・・成・・・し・・・・・・・

「・・・クッ。・・・畜生ッ・・・!」

鼻をすする音が響いて、「何か」が俺の頬を伝う。
暖かいような、冷たいような、何かだ。
俺はこれが何かは知らない。
俺はこれを見たことが無い。
今だって見えねぇ。なぜなら、あの邪魔な仮面のようなものをまだ付けていないから。
あれがねぇと俺の目は見えないも同然だ。使えねぇのさ。

ただ、目が見えないって事に俺は一つ、助けられてることがある。
最近よく、この「何か」が頬を伝うんだ。
俺はそれが何かを知りたくないから、目がよく見えなくて助けられてる。

俺はその「何か」が頬を伝いそうになるとき、仮面をそっと外す。



その人のことを思い出すとき、その「何か」は現れるんだ。

それがもし涙だったとしたら・・・?

俺の感情は一気に溢れ出して、俺の気持ちはどうしようもならなくなってしまうだろう。

俺が生き返ったその時、千尋はこの世にいなかった。
その時、俺は泣けなかった。

でも暫くして、俺は一人で泣いた。声をあげて泣いた。

あれ以来、俺は泣かないと決めた。
ちゃんと一人で立って、一人で生きていける。
千尋だって、幻影にすがりつく野郎なんざ嫌いだろう。
せめて嫌われないためにも俺は強く生きると決めたんだ。

男に二言はねぇ。男は泣かねぇ。そういうもんだ。



ただ、この「何か」はよく現れるみたいだ。

その人のことを思い出すとき
喜びだとか、嬉しさだとか思い出だとか、本当に色んな感情が蘇る。
そして何故か一緒に、その「何か」まで現れる。
どうしてだ。

それが何かくらい俺にだって察しはつくさ。そこまで馬鹿じゃねぇ。

ただ、それを認めてしまうわけにはいかねぇのさ。
もし認めてしまったら、感情があふれだして、俺自身じゃ抑えきれなくなるだろう。
それに、・・・・俺はそんなに弱い人間じゃねぇからな。

こんな姿の俺を千尋が見たらどう思うだろう。

そんなことを考えてしまった。



また俺は、一人で泣いた。
最終更新:2006年12月12日 20:20