神乃木×千尋(5)
ここに繋ぎ止められる想いは、決して偽りの物ではない。
長い年月を経た物が、どんなに愛しくても。

過去よりも今を、今よりも未来を。

-見合事情-

 ある日。
 本当に何の変哲も無い日常に、何時もと違う物が送られて来た。
 ある人物のデスクの上に、大きめの封筒。
 それを見て、少し不思議に思った人物……この事務所の若手ナンバーワンとも言われている男性、神乃木 荘龍が触れる。
 宛名はこれだ。
 『綾里 千尋  様』
 仕事であろうか。
 しかし、依頼の封筒にしては、妙に立派な封筒であったし、中身も何だか厚めの何かが入っているようである。
(何だこりゃあ)
 神乃木がそれを手に取り、上下に振ったり光に透かしたりして中身を特定しようとするものの、やはり立派な封筒に護られているために、中身はそう簡単には見えて来ない。
「……」
 少しムッとした。
 元々好奇心が強い方ではない。だが、千尋相手の荷物なら話はまた別である。
 何と言っても……彼女は神乃木にとって、面倒を見なければならない新米弁護士である。即ち面倒を見るべき後輩であり、そして神乃木にとって本当に大切な存在であるからだ。
 立派な封筒とは言っても、やはり開封のための口は在る訳で。
「……」
 バレないように開ければ、恐らく誰も気付かないのではないだろうか。そう考えた神乃木は、そっとその封筒の開封口に指を掛ける。
「……先輩」
「!」
 後ろからいきなり声を掛けられて、神乃木は慌てて後ろを振り向いた。
 そこには、少し冷ややかな目をした千尋が居た。

「何をしているんですか、人サマの机で」
「クッ……見て分からないか?」
「ええ、分かりませんね。勝手に人の郵便物に手を掛けて、透かしたり振ったりした後に、その郵便物の開封口を開けようとしている事しか分かりません」
「分かってるじゃねえか」
 そんな事を言いながら、「降参だ、降参」と神乃木は郵便物を千尋のデスクの上に置いて、両手をヒラヒラと掲げた一方の千尋は納得の行かないような表情をしながらも、溜息を吐く事でそれ以上を求めなかった。
「…出て行かないんですか?」
「何でだ?」
「いえ、もうお昼時で、先輩方は昼食を食べに行きましたが」
 千尋の言葉を聞いてから、神乃木は時計に目を向けた。そこにはもう腹が空く時間を示す時計が在った。
 神乃木は黙って千尋の方を見る。
「ど、どうしたんですか?」
「いや…コネコちゃんは昼に行かないのか?」
「わたしはお弁当を作ってますから」
 ちゃっかりしやがって、と言う神乃木に、千尋がくすくす微笑んで応える。
「で、俺の分は?」
「は?」
 すかさず冷ややかな声で千尋が言うと、神乃木はムッとしたような表情になった。
「おいおい、それはないだろう、コネコちゃん」
「コネコ言わないで下さい。何が気に入らないんですか」
「さっきの発言だな。それが先輩に対して言うような態度か?」
「でも、その割には上下関係あんまり厳しくありませんよね」
「そんな事、今はどうだって良いのさ。要は年上のヤツに敬意を払えるか、否か。オレに興味が在るのはそれだけ、だぜ」
 そう言いながら神乃木がコーヒーカップをあおると、千尋の方を見た。
「もしかして、お弁当が欲しかったんですか?」
「クッ……」
 千尋の言葉に、神乃木が笑うと、コーヒーカップを突き付けた。
「入れろ」
「……あの、先輩。ちょっと今日は言っている意味が訳分かりませんが」
「御託はいらねえ。俺は今、無償に機嫌が悪いんだ」
 そう言ってから、神乃木は千尋のデスクの上に置いてある封筒に再び目を向けた。

「出しっぱなしだったんですね、わたし」
 そんな事を言いながら、千尋はその封筒を手に取る。だが、しまう前に神乃木が千尋の手を掴んでそれを阻む。
「?」
「ちょっと興味が在るな。コネコちゃんに当てられたお手紙に、な」
 神乃木の言葉にしばらく千尋はきょとんとしていたが、やがてにっこりと笑った。
「別に、大した物じゃ在りませんよ」
「いや、嘘だな。大した物じゃなければ、そんなに綺麗な封筒に、しかも中身の分厚い物は入れない」
 神乃木の鋭い洞察力と観察力に、千尋は思わず舌を巻いた。
 大した物だからこそ、こんなにも厳重に包まれているのだ。だが、それを見ただけで判断してしまうとは、流石は星影法律事務所若手ナンバーワンとうたわれているだけの事は在る、と千尋は感心した。
「……」
 千尋は困ったように笑うと、神乃木の方を見た。
「これ……故郷からなんです」
「故郷?」
「ええ。ここから二時間弱掛かるんですけどね」
 そう言ってから、千尋は封筒の封を切り、中身を見て溜息を吐く。
 神乃木は覗き込むように封筒の中身を見詰めた。と、そこにはハードカバーの物を布地で丁寧に包んでいる何かが在った。
「これは?」
「ええと……」
 千尋は苦笑しながら、それを取り出す。
「……お見合いの、写真なんです」
「ぶっふおおおええええっ!」
 思わず神乃木は吹いた。傍に居た千尋は悲鳴を上げて飛び退く。
「な、何ですか、急に! しかも最後の方、吐いてませんでしたか!?」
「クッ……気のせいだ。それよりもコネコちゃん…」
 そう言って神乃木が千尋にずずずいと擦り寄る。寄られた千尋は「な、何ですか」と言って少し後ずさる。
「お見合い、だと?」
「え? は、はあ」
 困るんですけどね、と言って溜息を吐く千尋。

 その横顔が神乃木には何にも替え難くて。
 なのに、目の前の女性に縁談が上がっているとは。そう考えるだけで世の中の不条理さにコーヒーをぶっかけてやりたいくらいだ、と神乃木は心の中で毒吐いた。
「も、も、もしかしてコネコちゃん、その縁談……」
 受けるのか? と聞こうとしてみたが、情けない事にそう聞く勇気が自分には無い事に気付いた。
 普段あれだけ堂々と出来るのに、と神乃木は自分に嫌気が差した。
「引き受けるつもりなんて全然無いんですけどね。だから今までも逢わずに断っていたんですけど」
 神乃木が尋ねない代わりに千尋が答えた。その言葉に、神乃木は安堵感を覚えた。これで千尋が乗り気であったらどうしようか、などと思ってしまった。
「何でまたお見合いなんだよ」
「えっと……」
 そう言って千尋は胸元に在る勾玉に目を向けた。澄んだ瑠璃色の勾玉が、事務所の明かりに照らされて神秘的に輝いている。威厳を何処か漂わせて。
「ちょっと、わたしの故郷って古い慣習がまだ残っていて」
「ほう」
「後継ぎ問題って言うのが、まだ残っているような地なんです」
「なるほど。それでお見合いか」
 神乃木の言葉に、千尋がうなずいた。
「でも、わたしは故郷を出て、後継ぎ問題などに適応しないようになったんです」
 千尋のその言葉に、神乃木は首を傾げる。
「待て。そうしたら、何で千尋にお見合いの話が出て来るんだよ」
「…………」
 苦笑して、千尋がお見合い写真の方を見る。
「きっと、呼び戻したいんでしょうね。里としては」
「それほどまで、大事なのか? その、慣習が」
 神乃木がぽつりと尋ねると、千尋はじっと神乃木の顔を見た。
「わたしの家系、ちょっと特別なんです」
 お見合いの写真をじーっと見ながら、千尋は神乃木の質問に答えて行く。
「たまたまわたしが、その特別な家系に生まれて、しかもその慣習を続けなければならないような…特性、とでも言うんでしょうか。それが備わっているんです」
 今は弁護士見習いなので、その特性を使わないようにしているんですけどね、と言って千尋が微笑む。

「……里を中途半端に捨てたようなものなんです」
「…………」
「だから、里の人達は、何とか里に戻らせようと、お見合い話を持って来てるんです。もう送らなくて良いって言ったんですけど…やっぱり送られ続けますね」
「何時かは帰るのか?」
「……」
 千尋がうつむいた。
「わたし、勇気が無いんですね。里を捨てられないんです。後継ぎ問題を放棄しようとしたのも在って、里を下りて弁護士になったんですけど」
「…誰だって、勇気が足りない時は在る」
 神乃木の言葉に、千尋は目を細めた。
「だが、相手に逢わずに断るって言うのは効果が薄いな」
 その言葉に、千尋は顔を上げる。
「そんな……逢ったら余計、断れるかどうか分からないじゃないですか」
「おいおい、コネコちゃん。弁護士は度胸とハッタリが命、だぜ」
 そんな事を言いながら、神乃木は空のカップをあおり、そしてしばらく黙った。
「……コーヒー、煎れてくれ」
 注文しただけでコーヒーが煎れられていない事を思い出した神乃木は、心無しか恥ずかしそうにそんな事を言ってからそっぽを向いた。


「……で、コレは何です、先輩」
「クッ……勇気を持てないコネコちゃんを、きちんとリードする。それがオレのルールだぜ」
 机を挟んで、二人は向き合っている。
 律儀に、コーヒーカップが神乃木だけで無く千尋の前にも置かれている。
「まあ、普通は茶なんだろうが、コーヒーの苦味で我慢してくれ」
「いえ、それは構わないのですが……」
 苦笑しながら、千尋は周りをきょろきょろと見渡す。そんな千尋の格好はいつもの黒いスーツ姿ではなく、少しお洒落な私服であった。
 対する神乃木は、普段と全く同じような格好だったりするのだが。

「休日に先輩が自室に呼ぶから、てっきり何か仕事の手伝いかと思ったら、大人の女性らしい服で来いとか言って……かと思えば、先輩は仕事服じゃないですか」
 ちょっと動きにくい格好で来ちゃいましたよ、と言って千尋が少し唇を尖らせる。
「まあそんなに怒るな。今日は仕事じゃないさ」
「え。じゃあどうして先輩は仕事服なんですか?」
「服のレパートリーが無い」
「…………」
「まあ、オレの服はどうでも良い。それよりも、大事なのはコネコちゃんが仕事服ではなく、きちんと人前で何か出来るような服で来ているかどうか、だ」
 いまいち神乃木の言葉の意図が掴めず、千尋は眉をしかめる。神乃木は軽く笑ってから、目の前に在るコーヒーカップをあおり、それから再び千尋の事を見詰めた。
「それじゃあ、始めるとしようか」
「え?」
「お見合いだ」
「……………………え。えええええええっ!!?」
 思いがけない神乃木の言葉に、千尋は驚き立ち上がった。そして、神乃木と自分の格好を交互に見てから、思い切り赤面する。
(ど、どうしよう……そんなの、聞いてないわ…こんなお見合いできるような格好でもないし、第一どうして先輩がわたしとお見合いなんか…そ、それに…あああ、どうしよう! 今は取りあえず結婚せずに、弁護士としての人生を歩もうと思っていたのに!)
「どうした、コネコちゃん?」
「きゃっ…え、ええと……その」
 お見合い、と言う事となると話は別だ。普段何気なく話している間柄でさえ、こうした状況になれば緊張するし、何かしらの期待も持ってしまう。
(き、期待って何よ、千尋!)
 心の中で自分に突っ込みながら、千尋は目の前に居る神乃木にそっと目を向ける。
 神乃木は少し面白そうに千尋の事を見詰めている。
「せ、先輩はどうしてわたしなんかと……」
「おっと、待ちな」
 千尋の言葉の途中で、神乃木は声を入れて千尋の発言を制する。その絶妙なタイミングに、思わず千尋も黙ってしまう。そうした姿を見てから、神乃木は満足そうに机に肘を着いてにやりと笑う。
「その質問は、お見合いの冒頭としてはマナー違反、だぜ」
「そ、そんな……」

 彼にとって、お見合いはどのように位置付けられているのだろうか。やはり、普段のように千尋の事をからかうようなそんな手段なのだろうか。
「名乗るのが互いのセオリーだ。ま、知っているとは思うが、一応名乗り合うとしようぜ。オレの名前は神乃木 荘龍だ。よろしくな」
「え……ええと、はい。その、わたしの名前は、綾里 千尋です」
 千尋の返答に「よし、上出来だ」と神乃木が言った。
「じゃあ、コネコちゃん……まず、アンタの趣味でも聞こうか」
「しゅ、趣味ですか?」
 いきなり質問に入られ、しどろもどろになる千尋。そんな千尋の姿を見て、神乃木は本当におかしそうにニヤニヤ笑う。その笑みに、(そのニヤニヤ笑い、止めて欲しい……)と千尋は心底思った。
 今や彼女の心境は、ハゲタカにじわじわと近寄られている生まれたてのガゼルであった。
「その…えっと……弁護士を、少々」
「おいおい、それは職業だろう。それは後の回答だぜ」
 飽きれたように神乃木がそう言ってから、こつこつと机にカップの底を軽くぶつける。
「えっと…それじゃあ、竹刀を少々」
「………もちっとマシな趣味は無いのかい、コネコちゃんには」
「そ、そんな事急に言われたって、思い付きませんよ」
「考えなければならねえ。でないとコネコちゃんはオオカミに食べられちゃうぜ」
「……その例えが、いまいち良く分からないのですが」
「つまりは、何も準備をしていないと、あっと言う間に相手のペースに乗せられて、断る事さえ出来ないぜ」
「だから、急に言われてもわたしは……え、断る?」
 千尋が尋ねると、神乃木はゆっくりとうなずいた。
「逢って断らない限り、相手は何度でも来る。だが、コネコちゃんはこうした事に対して決定的に経験が足りない。なら、オレが出来る事は一つ」
 神乃木はカップを千尋に突き付けた。
「オレを納得させて断れ」
「えええっ」
「しかも、頭ごなしなんかじゃねえ。キチンと手順を踏んでから断るんだ」
 そんなムチャクチャな、と千尋は思ったが、神乃木のその瞳は、どうもからかいだけではない、本当に千尋の事を心配しているような、そんな雰囲気が伺える。

「…………」
「さあ、お見合いの続きをしようか」
「で、でも手順なんて……」
「分からない、か。そのためにオレがこうしてコネコちゃんにお見合いの手ほどきをしてるんじゃねえか」
 お見合いに手ほどきも何も在ったものではないが、お見合いの方法について何も知らない千尋にとっては、それが唯一すがれるものであった。
「……相手が一番へこむのは、少しでも相手の事を理解して、付き合いたいと思った時に断られる事だ。茶を濁した返答で断られても、相手は納得しない」
「はあ…へこむ、ですか」
 神乃木の教えに、ふんふんと千尋がうなずいた。そして、改めて自分の趣味を考えてみる。
「じゃあ、取りあえず霊媒、と言う事で」
「ぶ」
 神乃木が吹いた。「れ、霊媒だぁ?」と言いながら、神乃木は千尋の方を見る。
「あのなあ、コネコちゃん…」
「だ、だって今回のお見合いはそれに最終的に関連するんですよ」
 千尋が慌てて補足する。それを聞いてから、「……まあそれなら良い。今回はそれでオーケーにしてやる」と言って、肩をすくめながらコーヒーを飲む神乃木。
「それじゃあコネコちゃん」
「その前に先輩。一応お見合いなんですからコネコちゃんは無いじゃないですか」
「そう言うコネコちゃんだって、オレの事を『先輩』って呼んでるじゃねえか」
「え…だって、先輩。以前言っていたじゃないですか。年上に敬意を払わなくちゃならないって」
 その言葉に、「クッ……」と神乃木が笑う。
「コネコちゃん。それはデスクワークでの話だ。だがこれはプライベートな話だ」
 それにしたって、と千尋は想ったが、神乃木に何を言っても通じなさそうであった。なので代わりに千尋は目を伏せて、少し頬を赤らめる。
「その……それじゃあ、わたしが先輩の事を先輩と呼ばなければ、先輩もコネコちゃんと言う風にわたしの事を呼ばない訳ですよね?」
「まあ、そうなるな」
 それじゃあ、と言って千尋は姿勢を正したが、ふと呼ぶのを中断して神乃木の事を見詰める。
「あ、あの」
「何だ、コネコちゃん」
「その、普通お見合いって、名字で呼ぶんですか、それとも……名前、ですか?」

 その質問に、神乃木はしばらく黙っていたが、やがてニカッと笑う。
「オレは名前を希望するぜ」
「そ、そんな……」
「きっとお見合いの相手はコネコちゃんの事を名字では呼ばないだろうぜ。何せ、その家柄のお見合いらしいからなあ。名字で呼ぶよりも、名前で呼んだほうが確実って言う訳だ」
「はああ、なるほど」
 ぼんやりと千尋はそんな事を呟いてから、神乃木の目を見た。目が合った途端、千尋はまるでそれが禁忌であるかのように、そそくさと視線を外して、そして先程から染めっぱなしの頬をまた赤く染めて、黙ってしまった。
「ん、どうしたい、コネコちゃん。顔が真っ赤だぜ?」
「き、気のせいです! ええと……神乃木さん」
 千尋の言葉に、神乃木は想わずズっこけた。その姿を見て、「ど、どうしたんですか、先輩!」と慌てて尋ねる。神乃木は苦笑しながらそれでも恨めしそうに千尋の方を見詰める。
「あのなあ、コネコちゃん。オレはさっき何て言った?」
「え……ええと、名前で呼んだほうが確実、ですか?」
「そう! それだ。なのに何故コネコちゃんは俺の事を苗字で呼んでいやがるんだ?」
「え、だってわたしにとっては、相手方の名字で呼んだって別に確実じゃないですか。相手の方に嫁ぐ訳でもないし」
「そうだけどなあ……」
 神乃木は苦笑する。それから、「ま、良いさ。コネコちゃんがそう呼びたいんならな」と言った。
 その反応に、千尋は思わず頬を膨らませた。
「どうした?」
「だって、わたしはちゃんと、先輩の事を『神乃木さん』って呼んだのに、先輩ったらずっとコネコ扱いするんだもの。わたしの事も、コネコじゃない何か呼び方が……」
「悪かった悪かった。千尋さん。こんなんで良いのか?」
「……………」
「何だ、不満なのか?」
「せ、先輩が誰かを『さん』付けするのは、似合いま……」
「じゃあ、千尋」
「!!」
 思い切り言葉を遮られた上に神乃木の言葉が余りにも恥ずかしく思え、千尋は思わず発していた言葉を飲み込んだ。そんな千尋の姿を見ながら、神乃木はニヤニヤとやはり何時も通りの笑みを浮かべながら、そんなしどろもどろとしている千尋の反応を楽しんでいた。

「そ、そのニヤニヤ笑い、止めて下さい!」
「クッ……愚問だな。アンタ、食事も取らずに一年が過ごせるかい?」
「で、出来ませんけど……」
「それと同じ、さ。目の前に面白い事態が繰り広げられていると言うのに、笑わずに居られるか」
 そう言いながら、コーヒーを一口飲む。この余裕の男性を、何とかして屈服させたい、と千尋は心の底から思った。
「そ、それでは神乃木さん。質問の続きを、どうぞ」
「おっと、そうだったな。それじゃあ千尋。アンタの職業を教えて貰おうか」
「ええと、さっきも言いましたね。弁護士やってます」
 千尋の回答に、「違うな」と神乃木が言った。
「アンタはまだ弁護士見習いのはずだ。そうした情報もきっちり伝えなくちゃ、利点にすぐ相手は食らい付いちゃうぜ。特に、弁護士なんてのはなあ」
「そ、そうですか?」
 見習い、という言葉は余り使いたくないのだが、使う事で少しでもお見合いを断れるような可能性が増えると言うのなら、安い物である。
「べ、弁護士見習い、やってます」
「オーケーだ」
 満足そうに神乃木が言った。
 千尋は緊張の余り目の前のコーヒーにやっと手を延ばした。そして、コーヒーを一口飲み、はぁ、と溜息を吐いた。
「お見合いって、緊張しますね。した事無いですから、余計に緊張します」
「まあ、そんなモンだろう。オレもお見合いなんざやった事は無いがな」
 神乃木の言葉に、千尋は「え……」と言った。神乃木はその千尋の呟きを気付かなかったかのように聞き流し、再びコーヒーを飲む。
「知らないのに、どうしてお見合いの手方なんて知ってるんですか?」
「クッ……長年の功だ」
(わたしと4つしか歳が違わないくせに……)
 眉をしかめながら、千尋はそんな事を思った。
「良いか、お見合いってヤツは堅苦しいヤツだ。何せ、人生で最大のイベントなんだからな。それが玉の輿になれるかも知れないチャンスなら、なおさら男は堅苦しく責めつつ息抜きの時点で攻撃を仕掛けて来やがる。そんなモンなのさ、お見合いって言うのは」
「……本当ですか?」
「クッ…昼メロでの知識だ。間違ってはいなそうだぜ」
 しょうも無い知識に、思わず千尋は苦笑する。

最終更新:2006年12月13日 08:35