成歩堂×真宵(9)
成歩堂×真宵(7)から続く

「スラップスティック」
───6月17日 午前14時27分
    成歩堂法律事務所・所長室

ここ、成歩堂法律事務所の若き所長、弁護士成歩堂龍一はここのところ少し憂鬱だった。
原因はおよそ一ヶ月前にとった行為のせいで、この事務所の助手である綾里真宵に関することだった。
表面上は何も変わりは無かったが、このふたりの間には確かに何らかの感情の動きが見て取れた。
お互いに何事も無かったように努めた。傍目には誰にもわからなかったであろう。

「ふぅ…」
今日もヒマだね、真宵ちゃん。
成歩堂がそういいかけたとき、事務所のチャイムがちりりんと鳴った。
「あ!お客さんだ!」
所長の成歩堂がデスクから立ち上がるより前に、自称:副所長、真宵は玄関に駆け出していった。
彼女は今日もいつもと何も変わらない修行中の装束姿でいた。
もう十分に霊媒師として活躍できる実力を備えているのに、なぜだか今も彼女はこんなしがない弁護士の助手を勤めている。


もう一度、成歩堂は深いため息をついて椅子にもたれかかった。椅子がきゅっときしむ。
あれは5月も終わりの頃だった。勢いにまかせて無理やりに彼女を抱いた。
彼はこの一ヶ月、このことについて悶々と想いめぐらせていた。
成歩堂に組み敷かれて、腕の下でせつなげにあえぐ真宵。涙目で見上げる顔。汗ばんだ細いからだ。胸元にかかる熱い息。
あの時の真宵の姿を思い返しただけで陰茎に血が集まっていく。

……だ、駄目だ駄目だ!いったい何を考えているんだ、ぼくは。
腰の辺りをどろりと鈍い痺れにも似た感覚が襲う。
ひょっとしたら依頼人が来てくれているかも知れないのに。成歩堂はあせった。

「あああああーっ!ひさしぶりだねーっ!!」
真宵のすっとんきょうな歓声が成歩堂を現実に引き戻した。
誰だろうと思うまでも無く、真宵と同じ装束姿の少女が転がり込んできた。
「なるほどくん、真宵さま!本当に、本当にごブサタしておりました!」
聞き覚えのあるこの声。真宵の従姉妹、綾里春美だ。なんとなくだけど、少しだけ大人びたみたいに見える。
(まあ、もともと妙に大人びた少女ではある)
「まあまあ、まずはお二人におみやげ持ってきましたので、どうぞお召し上がりくださいっ!」
「お、さすがにはみちゃん、気がきくねー…ってこれ、と、と、と、トノサマンジュウじゃないのっ!」
とのさまんじう…か。もう矢張はとっくにマンジュウ売りはやめたはずだが、まんじゅう自体はまだ作り続けているようだ。


成歩堂には理解できない世界で二人はきゃあきゃあとうれしそうに盛り上がっている。
だが実際、成歩堂は春美に心の中で感謝していた。
春美が来たことで、どことなく緊張した雰囲気がゆるんだように思えたからだ。

真宵自身は、成歩堂が彼女にした愚かしい行為(と、彼自身は考えている)について少しも責める様子はなかった。
責めるでもないが、かといって許容しているわけでもないようだ。
真宵の心境は成歩堂には分からなかった。
ただ、不思議なことに、これまでと同じように真宵は振舞った。まったく何もなかったかのように。
それが成歩堂には辛かった。いつもと同じ行動、いつもと同じ台詞、何もかもが元通りのようで、何かが違う。
受け入れられないならせめて罵ってほしい。徹底的に嫌われれば、逆に少しは安らぐというものだ。
しかし真宵はまったく隙を見せなかった。
こういうところは亡き姉、千尋さんに少し似ている、と成歩堂は思った。

「じゃあ、あたしお茶いれてくるね!ゆっくりしてってよ、はみちゃん」
真宵が飛び跳ねながらキッチンに立つ。すると間髪いれずに、こそっと春美が成歩堂のデスクにすりよってきた。
なにやらもの言いたげな様子で、少しコーフンしているようだ。成歩堂はちょっと身構えた。

「あ、すこし背がのびたね、春美ちゃん。ははは…」 特に話題は無いのでとりあえずはぐらかそうとしたが、春美はじとっと不穏な顔で彼を睨み付けた。
(…ああ、そうか…サイコ・ロックがかかった人はこんな心境なんだな…)
そういえば、(気のせいかもしれないが)春美の胸の勾玉がほんのりと光ってるようにも見える。
ひょっとして春美には全てを知られているのではないか。
成歩堂の額にちょっと冷たい汗がにじんだ。先程の不謹慎な気分はすでに吹き飛んでいた。

「……なるほどくん!!」
春美の強い語気に成歩堂の背筋がびしっと伸びる。
「は、は、は、はいっ!?」
「…ジツは、最近真宵さまの様子がすこしヘンなのです……」
「……。」
そんなことは成歩堂もよく分かっていた。その原因がおそらく自分にあることも。


「わたくし…シンパイでシンパイで…」
「……。」
「…なるほどくんだって、もちろんお気づき、ですよね!?」
ぐっ、と春美が成歩堂に詰め寄る。
「うっ…」
綾里家の女性は強い。まだ幼い春美にまでその才能は発揮されているようだ。

「真宵さま、いつだってわたくしに相談してくださってたんです…
でも、今回は…今回だけは、ナニも教えてくれないんですっ!」
春美がうつむく。
「春美ちゃん……」
この子は本当に心から真宵を慕っているんだなぁ。成歩堂の頬がふっと緩む。
だが春美は成歩堂をきっと睨みつけた。
小学生のおんなのこの射抜くような眼光に26歳の弁護士の腰がちょっと浮いた。

「わたくし、考えました。…真宵さまが何も言わないのは…
…ひょっとして、なるほどくんがカンケイしているからでは…!?」
成歩堂は言葉に詰まった。どうせ嘘はすぐにバレる。
春美の発言にはまったく根拠はないが、成歩堂は自分がキツイゆさぶりを受けるのには慣れていなかった。
しかしそれにしても、年端のいかぬ少女に、いい大人がたじたじになっているのはかなりみっともない光景だ。
「へんじをしない…というコトは!
…その通り、なんですね!もうユルせません!!」
春美が振り上げたビンタは鼻先をかすめて空を切った。

「そ、そうだ!今お茶をもってくるから、春美ちゃんはちょっとそこで待っててよ!ね!!」
単にお茶を淹れるだけにしてはやけに長い間真宵がキッチンから出てこないので、理由をつけてそそくさと迎えに行った。
さもないとまたいつかのように、顔が変形するまでぶたれてしまう。
成歩堂は綾里家の女にどうも弱い。

まだ真宵はキッチンにいた。お盆を持ったまま、何事か考え事をしているようだった。
「…真宵ちゃん?」
ぼーっとしている真宵の肩に成歩堂がぽんと手を置いた。
「きゃああああぁぁ!!」
「ええええっ!?」
驚いた真宵の手から、湯呑みを3個載せたお盆が滑り落ちた。
湯呑みの一つは運悪く、成歩堂のすねを直撃した。
次の瞬間、焼け付く痛みが襲う。
「───!!」


「真宵さまあっ!なるほどくんっ!?」
湯呑みが割れる派手な音と悲鳴を聞きつけ、春美がキッチンに飛んできた。
「…きゃーーーっ!!」
この悲鳴は春美のものだ。
二人の姿を確認したあと、すぐに顔を手で覆い隠してキッチンを出て行ってしまった。
奇しくもその時、足に熱湯を浴びた成歩堂が反射的にズボンを下げているところだった。
それも、ちょうど真宵の目の前で。
(待ってくれ、これは不可抗力だ!)
幸いにも足の火傷は大したことは無いようだが、かわりに成歩堂の頭が激しく痛み出していた。
最終更新:2009年02月22日 19:45