似たもの同士

「お嬢ちゃん……もうちょっと他に、無かったのかい?」
「え?駄目ですかコレ……結構気に入っているんだけどな」
ゴドーの苦笑混じりの声を受け、真宵は不思議そうに数度瞬いた。
それからスカートの端を摘んでくるりとその場で踊るようなターンを決めてみる。
回転を受けてふわりと広がるスカート、そこから覗く白く細い足にゴドーは思わず視線を逸らした。
普段の霊媒装束ではなく可愛らしい服装に身を包んだ真宵は、そんな彼の動きを見て不満顔だ。
ぷっくり突き出された唇は艶やかで、彼女にしては珍しく口紅なんか塗っている。
(この娘も色気を出すような年頃になったのか……)
ゴドーはそんな彼女の姿を見て、また己のしみじみとした考えに小さく笑みを零す。
そして突き出された真宵の唇を軽く摘む悪戯を仕掛けた。
唇を摘む指から逃れようと真宵は軽く首を横に振る。そして何処か恨めしそうにゴドーを見上げた。
相手を気遣い、それでも抑え切れぬといった風に零れる微かな笑い声。
ゴドーの笑顔を見られる事は真宵にとって最大の喜びでもあったが、少し、ほんの少し不服でもあった。
「ジョウジョ……シャクリョ……とか、モハンシューとか何かそんなので」
「情状酌量な」
「と、とにかく。神乃木さんはもう、晴れて自由の身なんだから」
「…………」
「お祝い!お祝いしなくちゃ!今日はめでたい日なんですよ!」
「……色々と言いたい事はあるが、まずひとつ……」

出所してから数日経った日の事。身辺整理だ何だと忙しい日々を送っていたゴドーの元に一本の電話が入って来た。
それは綾里真宵からの、出所祝いをしたいという誘いの電話だった。
最初はその気持ちだけでと断ったゴドーだったが、
結局真宵に押し切られ、今こうして待ち合わせの場所にて彼女と対峙している。
絶対にこの日じゃなくちゃ駄目なの。そう言う真宵にその理由を尋ねてもはぐらかされてしまう一方。
複雑な心境ではあるが、目の前で自分の事のように、いやそれ以上にはしゃぐ少女を見て口を噤んでしまう。
そんな彼が一拍の間を挟んでから指摘したのは真宵の服装について。
「だってお祝いなんだからおめかししなくちゃ」
「……それで?」
「だから、とっておきの服を」
今時の子はどうしてこうもスカートの丈を短くするのだろう。目のやり場に困る。刺激が強い。確実に。寒くは無いのか。
気が緩むと表情が崩れてしまいそうになる。ゴドーは成る丈真宵から目を逸らす事で耐えようとした。
真宵はいつだって元気だ。元気じゃない時が少ない。
少ないからこそ彼女が落ち込んでいたりすれば、ちょっとした騒ぎになる。
今もゴドーに会えた事が嬉しいのか歩くスピードは早く、時にはスキップまで混ぜている。
その度にひらひらとスカートが舞い、足が覗いてしまう。足どころかその奥まで見えそうだ。
成る丈目を逸らそうとしていたゴドーだったが、それは真宵の手によって阻まれてしまう。
真宵はゴドーの腕を掴み、早く早くと急かしてくるのだ。
腕を引っ張られればバランスが崩れ、つい前を向いてしまう。すると視界に真宵の姿が入って来る。
どうする事も出来ない……ゴドーは本日何度目かの溜息を零した。
真宵の若さ溢れるパワーには敵わない。腹を括って、彼女のしたいように身を任せる事にした。

「お祝いといったらおめかし!そしてまずは美味しいご飯でお祝い、ですよねっ!」
「……で、此処か」
「此処ですよー!」
引っ張られ連れて来られた店を見上げ、ゴドーの肩から力が抜けていく。
風に揺られはためく布には大きく『ラーメン』の文字。真宵の笑顔が眩しい。
また腕を引っ張られるまま、ガラガラと引き戸を開けて店の中へと入って行く。
ヘラッシェーと店主の元気な挨拶、そして麺を茹でる熱気が二人を出迎えた。
真宵は元気の良さそうな笑顔を殊更明るく輝かせて、早速カウンター席へと腰を降ろす。
明るくハツラツとした少女に手を引かれるまま店に訪れた仮面の男。
異様な組み合わせに店主が怪訝そうな面持ちをするのも仕方の無い事か。
真宵から席ひとつ分離れて座るゴドーだったが、真宵はそれを許さず、
こっちだと言わんばかりに己の隣の席を叩いて示す。
ゴドーは少し戸惑いを見せたが、真宵には敵わないと腰を上げてその席に移動した。
「何にします?」
「んっとねー……ミソラーメン!神乃木さんは?」
「……コーヒーは無ェのかい」
真宵はメニューを広げて食いつきそうな勢いで眺めていたが、結局のところ好物のミソラーメンに落ち着く。
冗談か否か、ゴドーがぽつりと呟いた言葉を聞いて真宵はくすくすと笑い声を零した。

矢張り今日の彼女は普段以上にご機嫌だ。
ゴドーは彼女の勢いに気圧されながらほんのり遠くを見つめる。
数分後、湯気が立ち昇る熱々のラーメンが二人の前に差し出された。
結局ゴドーも真宵に習うままミソラーメンを注文した。
いただきます、と元気な声が店内に響く。次いで、箸が割られる小さな音。
そんなに焦らなくともラーメンは逃げやしない。
そう突っ込みたくなる程の勢いを持って、真宵の口へと消えていく麺の動きをゴドーは黙って見つめる。
「あちあち……んぐ……うぐ、……ふぐ」
「お嬢ちゃん……そんなに焦らなくても誰も取りゃしないぜ」
とうとう我慢しきれずツッコミを挟んで、熱いラーメンと格闘する真宵を宥める。
己の言葉を受けて些か落ち着きを取り戻した風ではあるが、その勢い自体は衰えはしていない。
ラーメンと格闘する真宵を眺めるのは楽しかったが、自分の分が冷めてしまうと我に返ると、
ゴドーも箸を取ってラーメンと向き合い始めた。
麺の歯応えはなかなかのもので、それでいてつるりとした喉越しが次へ次へと食欲を誘ってくれる。
絡みつく味噌味もしつこくなく食べやすい。真宵が目の色を変えてがっつく気持ちがわかった気がした。

「おやっさん……ふぐ……今日もいい仕事して……むぐ……るねっ!」
ラーメンの熱を受けてぽっと顔を赤らめる真宵。
口の中をラーメンで一杯にしながら告げられる感想を聞いて店主は嬉しそうに笑った。
そして、落ち着いて食えとゴドーと同じ事を言う。
真宵は双方から言われて漸く照れたか、それ以降は黙々とラーメンに集中していった。
「おいしかったー!ね、ね、神乃木さんもおいしかった?格別でしょここのミソラーメン!」
「ああ……そうだな」
「んもー素直じゃないなー神乃木さんは!そういうのをね、つんでれ、って言うんだよ!」
真宵の力いっぱい間違えた情報を耳に流しながら、ゴドーは席を立ち、
ポケットから財布を取り出して二人分のラーメン代を支払う。
それを見て真宵は慌て、自分が払うからと抗議するがゴドーは耳を貸さない。
このラーメン屋は真宵が気に入るだけあって客入りも多く、そして回転も早い。
ゴドーは長居無用だと見切りをつけてさっさと店を出て行こうとする。
真宵は慌ててその背を追い駆け、続いて店から飛び出していった。

「か、神乃木さん!お金……払いますってばあっ!」
店が並ぶ繁華街は夜に向けての準備で騒々しい。
街へと向かう人の流れに反してゴドーの足は駅へと向かう。
その背には真宵の声が幾つもぶつけられてくる。これじゃお祝いにならないとか何とか。
振り向きはしなかったが声が聞こえるという事は真宵が傍に居るという事だ。
腹も膨れたし、今は真宵のペースに巻き込まれてもいない。
それでゴドーに油断が生まれてしまっていったのだろう。
ふと気付くと、ぎゃあぎゃあ煩い程降り掛かっていた真宵の声が聞こえなくなっていた。
雑踏に掻き消されたというワケでもない。ほっとけば一人でべらべらずっと喋っていた真宵。
声が聞こえなくなったという事は……ゴドーはここで初めて後ろを振り返る。
仮面で顔を隠す己に向けられるのは人々の疎ましげな眼差し。
そんな流れ行く人混みの中にどれだけ目を凝らしても元気な真宵の姿が見えない。
しまった、はぐれてしまった。ゴドーは少しばかり取り乱し、今来た道を引き返す。
人で溢れかえる繁華街、しかも今は夜。あんな格好の真宵を一人にしておくのは危険だ。
ゴドーは慎重に来た道を戻り、辺りを何度も確認しながら真宵の姿を探していく。
そうして漸く真宵を見つける事が出来た。
ビルとビルの間にある路地。まるでかくれんぼをしているように小さな身体をより一層小さくして。
ただのかくれんぼであれば良かった。しかしそれは叶わない。
真宵の前には柄の悪そうな青年が二人、彼女を囲むようにして立っていた。
真宵の表情からして、事態は悪い方向へ進んでいるのだろう。ゴドーは自分の軽率な行動を恥じた。

「―― 神乃木さんっ!」
ゴドーは場に割って入ると、一人の男の手を掴んでそのまま上へと捻り上げる。
無理な方向に曲げられ、男の口からは悲鳴が上がった。
脅しを掛けるだけだったのでゴドーはすぐに手を離す。男は捻られた己の腕を擦りながらゴドーを睨んで来た。
だが、結局はゴドーの気迫に押されてしまう。
繁華街のネオンを背に受けて、その迫力は通常よりも倍近くあった。
法廷での闘いとここに来るまで幾度も乗り越えてきた修羅場によって培われた精神。
それらを持ってすれば不良を蹴散らす程度の事、朝飯前というものだ。
一言二言脅しの文句を投げつけてやれば、不良達はそそくさとその場から逃げていく。
緊張も解けて真宵は思わずゴドーに抱きついてきた。
「神乃木さんっ、足……早いよ……帰れないって思った……こわかった~!」
その柔らかな感触に、不良を蹴散らしたゴドーの気迫は何処へやら。
ゴドーにとって不良よりもやくざよりも殺人犯よりも、真宵の存在の方が強かった。
真宵からふわりと香るのは、香水でも何でもない。太陽の香り、石鹸の香り。
それらに似た、優しい香りだ。ゴドーにとってそれは下手に化粧で彩られた女性達よりも刺激が強かった。
己の腕の中でくすんくすんやっている真宵はか弱く、ちょっと力を込めただけで壊れてしまいそうだ。
成熟しきった大人とは違う、未だ成長中の身体つき。抱き締めてみればしかと柔らかい。
ゴドーは己の欲望を奥底へと押し遣って、すまなかったなと小さく謝罪を零した。
それでもまだ真宵は落ち着かない。余程怖かったのだろう。その様子が益々ゴドーの中の罪悪感を育てていく。
ゴドーはそっと真宵の小さな手を取ると、慰めながら路地へと抜け出て、道を進んで行った。
繁華街を抜けると喧騒は遠くなり、やがて二人の前には大きな公園が姿を現す。
まずは真宵を落ち着かせる事が先だと、ゴドーは迷わずその公園へと入っていった。
―― そしてすぐに、後悔した。

真宵の事ばかりが気がかりで深く物事を考えていなかった。再びゴドーはうろたえる羽目になる。
夜の公園は恋人達の天国だ。静かな場をこれまた静かにムードを持って照らす電灯。
その下で睦言を交し合う恋人達。己が居ていい場所ではない。
ゴドーは内心困り果て、すぐにもこの場から逃げ出したい気持ちで一杯になった。
しかし傍らで未だすすり泣く少女の存在を思い出すと、それも踏み止まってしまう。
一先ず彼女を空いているベンチへと座らせて、己もその隣へと腰を降ろした。
今度はラーメン屋の時のようには離れず、真宵を安心させる事だけを考えてすぐ隣に。
ゴドーの気持ちが伝わったのか、真宵は少し安心したようにゴドーへと肩を寄せてくる。
「……ごめ……ごめんなさい、びっくりしちゃって……」
「俺も悪かった。いや……お嬢ちゃんは悪くない、俺が悪かった。怖い思いをさせちまったな……」
ゴドーの声は優しい。真宵は漸く落ち着きを取り戻し、まだしゃくり上げてはいるが笑顔を見せる。
「そうですね、神乃木さんの足が早いのが悪いんですよね」
「……随分はっきり言ってくれるねえ」
「だって本当の事じゃないですか、それとも包んで言った方がいいです?本当に怖かったんだから」
「……参った。俺の負けだ。……すまなかった、お嬢ちゃん」
安心したのは真宵だけではなかった。元気を取り戻した真宵の笑顔と話を受けて、ゴドーもホッと安堵する。
園内に設置された電灯で辺りは明るいと言っても、時間帯が時間帯だ。
真宵に視線を落とせば、薄暗い中泣きすぎて少し疲れているかのような様子がぼんやりと見えた。

「ハンカチ……洗って返しますね」
「いいさ、そんな気ィ使わなくて」
「でも……」
真宵は手の内でゴドーから借りたハンカチを弄りながら口篭ってしまう。
先程までは少し取り乱していたゴドーだったが、座ってしまうと落ち着きも取り戻せる。
睦言を交し合う恋人達の存在も、視線を夜空へと投げてしまえば気にならなくなった。
「神乃木さん」
「んっ?」
ネクタイが引っ張られ、軽く息が詰まる。
声の主へと視線を落とせば元々近かった距離が何時の間にか更に縮められていた。
真宵はじっとゴドーを見据え、その表情はゴドーが見る初めての真剣な表情だった。
「あたしの顔、ちゃんと見えていますか?」
ゴドーはその問いに言葉では答えず、口端を軽い笑みで緩ませる。
そしてそっと手を上げてその指先で真宵の目元を擽り、それを答えとした。
指先の動きはそのまま滑り降りて顔の輪郭を辿っていく。真宵は擽ったそうに肩を小さく震わせた。
「可愛いお姫様に泣き顔は似合わねェな」
ゴドーの武骨な指が離れていくと、真宵は少し物足りなさそうな表情を浮かべる。
しかしその表情は次いでゴドーの口から飛び出した気障な台詞に消されてしまった。
照れてゴドーから視線を外した真宵。その視線は己の膝へと落ちていく。

「お祝い……したかったんだけどな。ごめんなさい、こんな事になっちゃって」
「その気持ちだけで俺は充分嬉しかったぜ。……散々言うが、怖い思いをさせてすまなかった」
照れ臭かったんだ。言いにくそうにゴドーが続ければ、真宵は一度落とした視線を再び上げた。
「お嬢ちゃんが俺を迎えてくれたのも、傍に居てくれるのも、祝ってくれるのも、何もかも照れ臭くてな」
ゴドーは真宵を見ず、その視線は宙へと投げられている。
余裕一色という感じの大人な対応ばかりしてきたゴドーが、照れて真っ直ぐ少女を見つめる事が出来ない。
真宵はゴドーには悪いと思ったが、それでも笑い声を抑える事が出来なかった。
「……お前さんにはどれだけ謝っても足りない事ばかりしているな」
しかしその笑い声は、続くゴドーの自嘲気味な呟きに消えてしまう。
真宵は何と答えていいかわからず、ただその場は首を横に振って返した。
「本音を言えば、お嬢ちゃんにはもう逢いたくなかった」
「……いやだ」
「生きて罪を償いたいとは思っていたが……」
「……いやだよ」
「……どの面下げて……俺は……お嬢ちゃん……チヒロ……何と言っていいか……」
「いやっ!」
ゴドーは真っ直ぐ前を見つめて喋っていた。
その声は普段の落ち着きを持って張りも良く、一変の曇りも無い言葉。
だが子供のように駄々を捏ねる、彼女自身の手に寄って塞がれた真宵の耳には途切れがちにしか届かなかった。

「あたしは神乃木さんに逢いたかった!ずっとずっと……ずっと待っていたんだもん!
 何でそんな事言うの……神乃木さんのばかあ~……っ
 お祝い……楽しい思い……もう、わすれて……あたっ、あたし……あたしぃ~……」
堰を切ったようにまくし立てる真宵。声は再び震え始め、涙混じりになっていく。
ゴドーの声を押し潰す、叫びにも似た悲痛な声は、徐々に掠れていって最後には完全に涙に代わってしまった。
「ああ……今日のお嬢ちゃんは悪い虫に好かれるようだな」
今度は泣き虫だ。ゴドーはからかいも含めて真宵を慰める。
そっと真宵の小さな肩を抱き寄せ、その髪を撫でてやった。
今度ばかりはそれでも落ち着かないらしく、真宵は暫く泣き続けた。
二人を撫でる夜風は涼しい。この年は冷夏だっただけあって冷え込みも早いもの。
しかしゴドーは寒さを感じる事は無かった。
腕の中でしくしくと泣き続ける少女のぬくもりに救われていた。
恨まれてもしょうがない、憎まれる事が正しい事ばかりやってきた。
だが少女は己を恨む事も憎む事もせず、己を笑顔で出迎え、己に逢えた事を一心に喜んでくれた。
それだけでも充分嬉しかった。救われた気がした。そしてそれが途惑いをも生んだ。

好意には誠意を持って答えたいと思っていたのに、素直に受け入れる事が出来ず、
己が勝手に生み出した途惑いで再び少女を泣かせてしまった罪悪感。
「……お嬢ちゃんは天使なのかそれとも悪魔なのか……」
ゴドーが呟いた独り言は小さなもので、果たして真宵の耳に届いただろうか。
真宵を抱き締める腕に少し力が篭る。出来る事なら、叶う事ならこのぬくもりを永遠に味わっていたい。
(愛する人を守れなかった己が、もう一度愛情を求める事は……果たして罪になるのだろうか?)
ゴドーは己が中に生まれた疑問に葛藤を覚えた。
情けという愛情でも、縋りつきたくなってしまう弱さに自嘲が零れた。
いつからこんなに弱くなってしまったのだろう。ゴドーは真宵を抱き締めながら記憶の糸を手繰り寄せる。
少女のたった一人の母親を。自分も心から愛した、少女にとってはたった一人の姉を。
どこから弱くなったとかではない、自分は元から弱かったのだ。
自嘲は後悔を呼び起こし、寒さから来るものでは無い震えがゴドーを襲った。
「……ホントは、ゲーセンとかも行きたかったんだけどな」
真宵の掠れた声を耳にしてゴドーは我に返る。苦しそうにも聞こえたのは気のせいじゃない。
ゴドーはつい力の加減を忘れて抱き締め続けてしまった事を侘びる。
「そんでね、カフェとかで時間を潰すの。神乃木さん……コーヒー好きでしょ?」
何時の間にか真宵はゴドーの服を掴んでいた。離れようとしてもそれは叶わない。
せめてと抱き締めていた腕を解き、その代わりに己のシャツを掴んでいる真宵の手を取る。
まるで赤ん坊がするように、真宵はゴドーの指を握り返してきた。

「今日はお祝いなんだもん……神乃木さんには沢山楽しい思いをしてもらいたい。……今何時!?」
それまでしんみりとした調子で話していた真宵だったが、その空気は一気に吹き飛ばされる。
勢い良く顔を上げて立ち上がってまで時計を探し始めた。
ゴドーは離れていったぬくもりを確かめるように、数度手を握ったり開いたりを繰り返してから、
袖を軽く引いて嵌めていた腕時計で時間を確認し、真宵に伝える。
「うわっもうそんな時間!?大変……終わっちゃう!終わっちゃうよー!」
「……帰るのなら今度こそちゃんと送っていくぜ、終電にはまだ間に合うだろう……」
現在時刻を聞いて慌てふためく真宵。いつもの彼女が戻ってきたが些か複雑でもある。
この年頃の少女はこう感情の起伏が激しいものなのか……ゴドーは口元を笑みで緩ませた。
真宵はゴドーの言葉を受けず首を勢い良く横に振り、詰め寄る勢いを持ってゴドーに手を伸ばしてくる。
そして彼の腕を強く掴むと、このか細い腕の一体何処にそんな力があったのか、無理矢理ゴドーをベンチから立たせた。
行き先を告げぬままゴドーの腕を引っ張り、公園を後にして行く。
ゴドーは真宵に引っ張られ、否、引き摺られる形でついていくしかなかった。
何処に行きたいんだ、少し落ち着け、待ってくれ。
色々言いたい事はあったが、真宵の放つオーラにその言葉は塞がれてしまう。
再び舞い戻ってきた繁華街。人混みも難なく掻き分けて突き進んでいく真宵。
ゴドーはというと、未だ真宵に引き摺られて何度も人とぶつかり、その度に謝罪を入れるの繰り返し。
漸く真宵の足が止まった。引っ張られた事で乱れた服を直し、軽く息を吐くゴドー。
しかし顔を上げて真宵の見据えている、眼前に聳え立つ建物を見て勢い良く噴出してしまった。

繁華街のネオンからひっそりと身を隠すような作り。
料金表だけはその存在を強く訴え、煌々とライトで照らされている。
入り口は外の者にはすぐ見えないように薄暗くわかりにくい位置に置かれていて……
「ラブホじゃねえか!」
あまりの驚きに声の質を抑える事も出来なかった。ゴドーの声は静かな場に響き渡り木霊する。
ゴドーの声を受けて真宵はここで初めてもじもじと恥ずかしそうにする。
恥ずかしいのは真宵だけじゃない。混乱もあったがゴドーも充分羞恥を覚えた。
真宵とゴドーは親と子程まではいかないが、歳は一回りもしっかり離れている。
淫行罪なんかで再び刑務所送りにはなりたくない。それだけは勘弁願いたい。
本日何度混乱を覚えた事だろう。こんなにも取り乱し続ける日は生まれて初めてだ。
ゴドーは軽い眩暈を覚えながら、真宵に視線を落とした。
「お……お祝いなの。神乃木さんには……喜んでもらいたいのッ!」
さて。どこからどう切り込みつっこむべきか。
そんな一拍の間が隙となって逆に真宵に特攻されてしまう。
受けた攻撃のダメージを回復する前に、再び腕を捕まれてホテルへと連れ込まれるゴドー。
その口はさながら金魚の如し。ぱくぱくと空気を掴むだけで言葉が出てこなかった。

部屋を選択する電光掲示板の前に立ってゴドーの腕を引き、彼の指で適当に選択した部屋のボタンを押させる。
「これで残る指紋は神乃木さんのだけだもんねっ!」
嫌な知恵をつけてきた真宵が、今日初めて恨めしく思えた。
取り出し口に転がり落ちてきた鍵を掴んで、エレベーターへと飛び込む二人。
ゴドーは相変わらず真宵に引き摺られるままだったが。
真宵は時間ばかりを気にしているのか、エレベーターが上がる間中地団駄を踏み落ち着きが無かった。
エレベーターが目的の階に着き、扉が開くと同時に飛び出す真宵。やっぱり引き摺られるままのゴドー。
ドタバタと廊下を忙しなく走り抜け、二人が無差別に選んだ部屋へと鍵を使って無事到着。
扉を閉めたところで、緊張の糸が切れましたとばかりに真宵はその場にへたり込んだ。
ゴドーも同じく、ずるずるとその場にしゃがみ込む。
「お嬢ちゃん……一体全体どういうつもりなんだい……」
息も切れ切れに真宵に疑問を向ける。真宵もぜえぜえと一頻り呼吸を繰り返してから、
「お……お祝い……」
「それはもう聞き飽きたぜ」
掠れる声で返って来た問いに、ゴドーは頭を抱えた。

最終更新:2006年12月13日 09:16