成歩堂×千尋(in 真宵)①

「また、後でね」
 そう言って微笑んだ千尋さんの顔をまだ覚えている。千尋さんの妹さんと一緒に食事をしようと
話が決まった時のことだ。
『また後で』……それは確かに約束であったはずなのに、叶えられることはとうとうなかった。
事務所に戻った時、待っていたのは変わり果てた千尋さんの姿だったからだ。
 あれは、千尋さんが初めて破った約束だった。
 約束事に関しては誰よりも几帳面だった千尋さんが、人生の最期をそんなふうにして閉じるなんて、
思えば何と言う皮肉なことだったろう…。



 さら…さらさら…。
 まるで水でも掬い上げたかのように、豊かな黒髪が指の間を滑り落ちていく。……さらさら…さら…。
 冷たい髪だ。窓から落ちてくる月光を吸い込んだせいかもしれないなどと、埒のないことを考えたくなる。
 光沢に濡れた一房が、指の間を滑って、事務所の革張りのソファの上に音もなく落ちかかる。…さら。
「千尋さん」
 手の中の髪が全てこぼれ落ちると、何故だかふいに不安にかられて、名前を呼ぶ。
「……本当に千尋さんなんですよね。あなたは」
「おかしなことを聞くのね」
 ぼくの下でかすかに微笑んだその表情は、確かに懐かしいあの人のものだった。もうこの世には
いないはずの人。不幸な事件によって命を落とし、それでも自分の妹とぼくを助けるために、
彼岸から力になってくれた、大切な人。
 霊媒という不思議な力によって、千尋さんは妹の体を借りて、少しの間だけ此岸に戻ってきている。 
 濡れ羽色の黒髪は妹の真宵ちゃんのものだが、細い髪の感触はやはり遺伝だろうか、本来は
茶色い髪である千尋さんのものとそっくりだ。千尋さんのわずかに首を傾ける癖のたびに、さら…と
柔らかく流れていた、あの髪と。
 月明かりに濡れた肌は、ほのかに青みを帯びて透き通るように白い。卵型の輪郭の頬に、ゆっくりと唇を
押し当てる。
 ……千尋さんの肌は、一瞬、背筋がひやり、とするほど冷たかった。
 死人を抱いているような錯覚に陥るけれども、すぐに原因に思い当たる。もう晩秋に近いこの時期に、
事務所の電気も暖房もつけないまま薄着でいたのだ。体が冷えていないはずがない。
「寒くないですか。千尋さん」
「……あなたが、暖めてくれるんでしょう?」
 ……情けない質問をしてしまった気がする。
 と、そんなぼくの心情を察したのか、千尋さんの両手がぼくの頬をとらえた。手のひらも冷たい。
人形のように……幽霊のように。いや、確かに幽霊には違いないだろう……などと考えているうちに、
千尋さんの手はぼくをキスのできる位置まで導いてくれる。
 そのまま、唇を重ねた。
 柔らかくてひんやりした唇に触れると、体の奥で何かが疼き始める感覚があった。法廷で証人を
問い詰めるあの歯切れのいい詰問や、ぼくを叱り、励まし続けてくれた言葉は、この唇から
発せられていたのだと思うと、それに触れている自分が何だか不思議になってくる。
 誘うように千尋さんの唇が薄く開かれる。舌を差し込んで歯茎や歯列、そして舌を舐めていくと、
鼻腔から甘えるような息が漏れるのがわかった。
 遠慮を振り切って着物の袷から手を差し込み、豊かな胸を両手で掴む。リズムをつけて軽く揉むと、
張り詰めた皮膚の弾力がぼくのかける力を跳ね返してきた。大きすぎて掴みきれないその柔らかな肉を、
今度はやや力を込めて握り込む。
「ん……ふぅ……」
 少し苦しげにしかめられた千尋さんの顔。綺麗だ、と思う。
 足の間に指を這わせると、そこはもう濡れ始めていた。下着の湿り気を感じながら、布地の上から
そこを擦ると、千尋さんの喉からすすり泣くような声が零れる。
「あ…ッ、…ぅふ、んんっ」
 張りのある太腿が悶えるようにぼくの手を挟み込む。大事な部分を責める指の動きを押し留めようと
するようでもあり、離すまいとしがみついてくるようでもあった。
 中指で責めを続けながら、親指で股間の突起を押しつぶすようにこねると、びくんっという反応が返ってきた。
「ゃっ……ぅううんっ…あ、な、なるほどくっ…」
 法廷でどんな揺さぶりにも負けたことのない千尋さんが、ぼくの僅かな指の動きに翻弄されている。そう
思うと、痺れるような満足感が腰から背中にかけて走る。
 千尋さんが薄く目を開けて、
「なるほどくん…も…いいわ。いいから……」
「何ですか?」
 何をねだられているかはわかっていたが、わざと焦らしてみる。千尋さんは濡れた瞳でぼくを軽く睨み、
「…っな、ふうに、あなたを教育した覚えはないわよ…っふ、ぁ…」
「欲しい証言のためにゆさぶりをかけなさいと教えてくれたのは千尋さんでしたよ」
 言いながら、濡れたショーツを引きずりおろす。ぼくも自分の性器を取り出した。硬くなったそれを
入り口に押し当てると、ぬるっと濡れた感触がある。
 一息に貫くと、嬌声以外の何ものでもない、千尋さんの高い声が上がった。
「うっ、は…ぅっ、ぁああ…っ!」
 ぼくのモノが粘液の助けを借りてスムーズに千尋さんの中に入っていく。奥に入るにつれて千尋さんの
白い喉が反り返る。
 まるで吸い付いてくるように締め付ける内壁に、あっという間に達しそうになり、ぼくは慌てた。
千尋さんの中は熱くて、狭い。濡れそぼったそこに奥まで突き入れると、千尋さんは喉の奥で泣き声の
ような声をたてながら、ぼくの背中にしなやかな腕をまわしてきた。
 ぼくも自然と千尋さんを抱きしめる姿勢になり、深くキスを交わす。
 長いこと憧れていた人と、とうとう一つになれたと思うと胸が熱くなったが、それを言葉にすることは
野暮のような気がして、ただ一言「動きますよ」と告げる。千尋さんが、ちいさくうなずいた。

 もうただひたすらに、ぼくを締めつけてくる感触に溺れて、ぼくは腰を引いては打ちつけた。ちゅっ…
ぬちゅっ…ぐちゅ…。粘膜がこすれるたびに卑猥な音があがり、聴覚からも快感を呼び起こしてくる。
「ぁっ、ああッ、んぁ、あ、い…、なるほ…く…ぁふ、ぅうん…ッ」
 耳のそばで絶え間なく上がる声とともに、千尋さんの熱い吐息が耳朶にかかる。千尋さんの声自体が
温度を持って、ぼくを刺激してくるようだ。
「くっ…、すご、イイです、ちひろ…さん」
「ん。あっ、あっ、あぁ……わ、たしも…よっ…。ぁ…もっと…、ッんん」
 黒髪が乱れて、汗で濡れた千尋さんの頬に貼りついていた。胸の谷間にも、一筋、黒髪が流れており、
ぼくらが動くたびに揺れる二つの乳房の間に挟みこまれている。その黒髪をなぞるようにして指で
胸の間をすうっと辿ると、千尋さんはまるで子供のようにこぶしを口元に当て、強く目を閉じた。感じたらしい。
 始めは締めつけてくるだけだった千尋さんの膣は、次第に複雑な収縮を繰り返すようになった。貫くたびに、
細かな襞の綴りが一つ一つの生き物のようにぼくのモノに絡みついてくる。突き立てた肉棒を柔らかく
受け止めるかと思えば、腰を引く時には離すまいとぎゅっと締めつける。
 精緻なその動きにほどなくこらえきれなくなって、絶頂へと追い立てられた。
「ち…ひろさ…、も、イッて、……い、ですか」
「…いわ…、ぁぁん、い、いい…んぅん、…も…わ、たし…も…ぁ…、ぁん、は、ぁぁああッッ!」
「…く、ッ。千尋さん…っ」
 千尋さんの膣の収縮に合わせるように、ぼくのモノがびゅくびゅくと痙攣しながら白濁液を注ぎ込んだ。
千尋さんの中に、ぼくの吐き出した精液が広がっていく。射精の快感で腰が痺れるような、溶けるような
感覚に、まるで下半身が千尋さんと一つになったような錯覚を覚える。脳裏は神経が焼き切れたかと思うほど、
真っ白だった。……。

「……そろそろ、行かなくちゃね」
 シャワーを浴びてすっかり衣服を整えた千尋さんが言う。
「もう、ですか?」
「いつまでもこの子の体を借りているわけにもいかないでしょ」
 笑顔で言う千尋さんの言葉に、胸が痛くなる。すっかり忘れていたことを思い出したからだ。
 …千尋さんはもうこの世の人ではない。
 さっきまでぼくの腕の中にあった、肌の熱さも、その下に流れる血液の確かな脈拍も、
心臓の鼓動も、全てかりそめのもの。抱き合っている時は、あんなに確かに思えたものだったのに。
 服装も髪型もきちんと直して、整然と微笑む千尋さんを見ていると、あの行為自体までも
幻だったのではないかと思えてくる。
 千尋さんが既に死んだ人であることを、否応なく実感した。……ぼくが守れなかった命。あの日、
あと十分でいいから、早く事務所に辿り着いていれば。
 あの夜から何度となく繰り返した後悔が、またぼくの胸の中で疼いた。 
「もう。そんな情けない顔しないの」
 くすっと笑う声がして、千尋さんの手が、ぼくの手をとった。手は千尋さんの口元まで導かれ、
そしてそのまま、ぼくの指先に、千尋さんのやわらかい唇が触れた。
「死んだからと言って、何が終わるわけでもないわ。こうしてまた、あなたとも会えて話もできるし、
触れ合うこともできる。私が弁護士として築いてきたものは、あなたが確かに受け取ってくれた。
……何を悲しむことがあるの?」

「で、でも、千尋さん……」
 居場所を失い、肉体を失い、これから築いていくはずだった未来を奪われて、何が幸福だったと言える
はずがない。
 けれど千尋さんは、それでも笑ってみせてくれるのだ。その千尋さんの強さが何とも言えず悲しくて、
胸が詰まった。
「こら。何て顔してるの、なるほどくん。しっかりしなさい!」
 ぴしりと声が響いた。いつもぼくを叱ってくれた千尋さんの口調だ。反射的に背筋が伸びる。
「は、はい!」
「あなただから、この事務所を預けたのよ。私がいなくても立派にやって行ってくれるって。
……信じていいわね?」
「……はい」
 千尋さんの瞳に吸い込まれるようにして、ぼくはうなずいていた。千尋さんがにっこりと笑う。
「よろしい」
 ぼくの手を握っていた千尋さんの手が離れた。今さらながらに、行為の前とは違って、
その手のひらがとても暖かかったことに気づく。
「それじゃ……」
 最後の言葉は、ぼくの予測していた言葉ではなかった。「さようなら」、千尋さんはきっと
そう言うと思い込んでいたのだ。けれど、先ほどのぬくもりを逃がさないようにこぶしを
握り締めるぼくに、笑いかけて、千尋さんはこう言った。

「……またね」



                                END
最終更新:2006年12月13日 07:57