「おっはよーはみちゃん!あれ、どっか出かけるの?」

「真宵様!お早う御座います!」

朝早く、修行のため起き出した真宵は春美に声を掛けた。
しかし今日は春美の修行はないはず…

「今日ってはみちゃんの修行無いよね?どこいくの?」

真宵に聞かれ、春美は少し頬を染めた。

「きゅ、九太君のところですわ。」

真宵は目を丸くした。
九太とは、あのトノサマンが大好きな少年である。
一瞬この2人の接点が思い浮かばなかった真宵だったが、すぐに思いついた。

「あぁ~、はみちゃん九太くんと同じクラスになったんだっけ、この春。」

春美は九太と同じ小学校へ通っていた。
しかし、小学校は里から通える距離に無かったので、いつも成歩堂の自宅からの通学だった。
今は1月の正月明け―つまり冬休みで本家に帰っていたのだった。
もう二週間以上も九太と会っていない春美は、そわそわと目を泳がしたり顔をさすったり…
真宵は初々しいその姿に笑みをこぼした。

春美は…九太が好きなのだ。

「うん、わかった行っといで!みんなには私が言っといてあげるよ。」

春美はぱっと顔を上げて、満面の笑みを真宵に向けた。

「ありがとうございます真宵様!では行って参りますね!」

言うが早いか、春美は雪の降り積もった軒先へ飛び出し、バス停のある道へと走っていった。
真宵は、遅くともどんどんと遠ざかる小さい背中を見つめながら叫んだ。

「はみちゃーん!九太君とはもうチューはすんだのー!?」

思い切り叫んだせいか、その声は周りの山々に反射し、木霊した。
春美は顔を真っ赤にして振り返り、

「まっ…まだですわー!真宵様こそなるほどくんとチューはお済みになられたのですかー!?」

多少ムキになっているのか、春美はそう返した。
まったく可愛いったら無い。

「ふふん、もうチューは終わってるよー♪」

そう呟き、真宵は再び早歩きを始めた春美の背中を見つめていた。
純粋に、ただひたすら純粋に一人の男の子を愛する少女。

「妬けちゃうなぁ九太君。泣かせたら承知しないぞ。」

真宵は春美の姿が見えなくなると、修行をすべく本堂の中へと入っていった。


午前11時 ひょうたん湖公園前


「ひょうたん湖公園」と描かれたプレートの前に、春美はいた。
ここで九太と11時に待ち合わせである。
もうすぐ―もうすぐ九太くんと―

「よう春美、待ったか?」

春美の心臓が大きく跳ね上がる。
声のした方を振り向くと、そこには九太がいた。
彼はいつも独特な姿をしている。
頭にはトノサマンの髷のついた帽子をかぶり、首からは常にカメラを提げている。
鞄はいつもトノサマングッズであふれ、ポスターなどはチャックの隙間から顔を出している程だ。
しかし、春美はそんな彼が好きなのである。
何故かって、それは―

「おい、何ぼーっとしてんだよ春美!さっさと行こうぜ!」

「あっ、ちょっと…」

九太は春美の手を引く。そしてそのまま自分のジャケットのポケットに入れた
春美は火照っていた顔を更に赤くする。
そう、春美はこんな九太の優しさに惚れ込んだのだ。
九太は、もう片方の手にしていた手袋を春美に渡した。

「素手は寒いだろ。俺はジャケットのポケットがあるからそれしとけよ。」

そう言って九太は歩くペースを遅くする。
春美に合わせているのだ。
春美は一度九太から手を離し、手袋を手にはめる

あたたかい…

「…九太くん」

「な、何だよ…」

「ありがとうございます…っ!」

嬉しくて嬉しくて、春美はもう一度九太の手を握った。
今度は九太が赤くなる番だった。

「…おう。」

顔を真っ赤に染めたこのカップルは、この銀世界で少し浮いていたかも知れない。
しかし、どんな恋人達より初々しく、可愛らしいものだった。

 

 

午後2時 某ファーストフード店内

 

 


「あぁーっ!!すっげぇ面白かったなぁトノサマン・ザ・ムービー!!」

春美はウーロン茶を飲みながら、舞い上がる九太をニコニコしながら見つめていた。

「あそこでよぉ、こーやってこーやってトノサマンがアクダイカーンを―」

九太は、トノサマンの話をしているときが一番輝いている。
春美はそれを眺めるのが大好きだった。
今日は、冬休み恒例となった「トノサマン・ザ・ムービー」を見に来ていた。
それが先程終わり、2人は遅れた昼食を取りにファーストフードに寄っているのだった。
変わらずニコニコと九太の話を聞き続ける春美。
例えトノサマンがどんなものなのかちっとも分からなくたって、九太がそこで笑っていてくれるなら―

「春美」

急に呼ばれ、春美は弾かれたように前を見た。

「何ですか、九太君?」

九太がまじまじとこちらを見ている。
そして口を開いた。

「お前…泣いてんのか?」

目尻にたまっていた雫が、春美の頬を伝い 落ちた。

午後4時 ひょうたん湖公園内


ひょうたん湖には雪が積もっている。
ただただ一面の銀世界を前に、若いと言うには幼すぎる2人がベンチに座っていた。

「なぁ」

「はい…」

「寒くねぇか?」

「はい…」

さっきから春美は「はい」しか言わない。
九太は困ったように頭をがしがしと掻いた。
その様子にびくっと肩を揺らす春美。

九太が怒っている。

そんな先入観に縛られ、春美は先程からまともに話すことが出来ない。
どうしよう どうしよう
せっかく九太君が楽しみにしていたトノサマンの映画、これで台無しになってしまったかも知れない。
私が…私が泣いてしまったから…!
でも、何故あのとき涙が出てきたのか、自分でも分からない。
どうして良いか分からなくて、どうしようもなくて、春美の目からは再び大粒の涙が出てきた。
ずっと春美を見ていた九太は、ポケットからハンカチを取り出して春美の顔を拭いてやった。
どんなときにでも優しい九太君。
しかし、今の春美にとってその優しさは逆に苦しかった。
春美は急に立ち上がり、今にも再び泣きそうな顔を九太に向けた。

 

「九太君…今日はすみませんでした。折角楽しみにしていたトノサマンだったのに…これでは台無しですね。私、もう帰ります。」

 

九太の顔が歪んだ。
そんな九太の顔を見て、春美は更に心に詰まったが、もうその場には居られなくて走り去ろうとした

瞬間


「待てっ春美!!」


がしっ


九太に腕を捕まれ、春美はそれ以上進めなくなった。
幼いとはいえ力の差はある。
春美はベンチに戻され、そのまま九太の腕の中に収まった。

「きゅっ、九太くん…!」

春美は九太を押し戻そうと胸を精一杯押した。
しかし九太は離れてくれない。
もうどうして良いか分からない―
春美はまた泣いてしまった。

「うっ…ぐすっ…ふっ…ふぇっうぅぅ…っ!」

腕の中で小さく震える春美を感じ、九太も切なくなった。
九太は分かっている。何故春美が泣いているのか。
そして今自分がすべき事も。
全て分かっていた。

「なぁ、春美…」

呼びかけても春美は震えるだけ。
構わず九太は話し続けた。

「俺、今日は映画も楽しみにしてたけど、一番楽しみにしてたのは…お前に会うことだったんだぜ?」

春美の肩が一層大きく揺れる。
泣き声もやんだ。まるでこれから話される一言一句を聞きのがさまいとするかのように。

「映画だって、お前と一緒ならもっと楽しいだろうと思って…それで誘ったんだ。
 トノサマンだってそりゃあ大好きさ。でも…」


でも?


その次は?


早く早くと春美の鼓動が高鳴る。


「今一番大好きなのは、お前なんだよ…春美。」


今まで空っぽだった心に、何かあたたかいもので満たされていく。
春美はそんな気分だった。
涙もいつの間にか引いていた。
嬉しくて、あまりにも嬉しくて、春美は自分を抱きしめる九太を抱き返した。


「好きだ。好きなんだ、春美。」

「はい…!はい…っ!私も大好きです!」


また ぽろり と、春美の瞳から雫がこぼれ落ちた。
しかしそれはさっきまでの冷たいものではなく、とても温かいものだった。

 

その後しばらく抱き合った後、他愛ないおしゃべりをして、2人は楽しんだ。
もう一時間は経ったろうか。
そろそろ帰らないと、春美は夜までに里に帰ることが出来ない。
名残を惜しむように2人は立ち上がり、不意に見つめ合った。
さっきまであんなに離れたかったのに、今ではもう、お互い片時も離れたくない気分になっている。
2人は公園前のバス停まで手をつないで歩いた。

 

「駅から1人で大丈夫か?」

「はい、今日はありがとうございました九太君、ではまた学校で…」

軽く一つ礼をした後、春美は九太に借りていた手袋を返そうと脱ぎ始めた。
九太が振り向くと、バスはもうすぐそこまで来ていた。
春美は慣れない手袋にもたもたと戸惑い、下を向いている。

「―ッ春美!!」

「は――ぅンッ!!」

春美が上を向くと、とたんに口を塞がれた。
目の前には九太の顔。
しかしそれも一瞬のこと。次の瞬間にはもう一定の距離を保っていた。
けれど、唇にはまだ感触が残っていて―
春美の顔にどんどん血が上っていく。九太も同じく真っ赤だった。

プシュー

バスの扉が開く音が聞こえる。
いつの間にかバスは横に到着していた。

 

「あ…」

 

躊躇している春美を見て、九太は背中を押した。

「ほら行けよ春美、その手袋はやるから。」

「で、でも九太君、それじゃお寒いのでは…!」

「大丈夫だよ、お前が片方持っててくれんならそれだけで」


俺は温かいから。

 

プシュー…

 


扉が閉まる。
壁が2人を隔てた。
どんどんと遠ざかる愛しい人。
九太は春美が見えなくなるまで手を振り続けていた。
もちろん春美も同様に。

春美は最後部席でひざ立ちだった足を下ろし、行儀良く座る。
そしてさっきのあの感触を思い出す。
柔らかくて、温かくて、優しい あの感触
春美はそっと自分の唇に触れた。
まだ熱を持っているみたいに温かい。

「ふふっ、真宵様もこんな感じだったのかしら。」

春美は、手元にある片方だけの手袋を力一杯抱きしめた。

「大好きですわ九太くん。いつか…いつか」

 

私をお嫁にして下さいね。

 

 


― END ? ―

 

 


某時  ひょうたん湖公園内

 

 

「ったくよぉ、最近のガキはマセてるっつーか何つーか…って俺ガキにまで負けてんのかよぉぉ!!!」

 


ひょうたん湖のベンチ横で、カステラを売りながら一部始終を見ていた矢張。
その負け犬の遠吠えは、ひょうたん湖に哀しく響いたのであった。

 


― END ―

 

最終更新:2020年06月09日 17:53