絆―きずな―
  1

 葉桜院の事件から約1年―。綾里舞子の件は再び世間を騒がせたが、
最近になってようやく落ち着きを取り戻している。
そんな中、マスコミのごく一部は19年前のDL6号事件を引っ張り出し、
倉院流霊媒道はインチキだのペテンだのと煽っていたようだが、
真宵はさほど気にしていなかったようだった。
 季節は桜も満開なる春、4月上旬。季節が変わっても成歩堂法律事務所は
いつもと変わらぬ風景である。事務所の主成歩堂龍一と倉院霊媒道の家元で
自称カゲの所長綾里真宵、そしてたまに事務所に顔を出しては真宵とともに
仕事を手伝ってくれる小さな霊媒師(のたまご)綾里春美。
相変わらずの顔ぶれである。
「そういえば、彼女とはどうなったの?」
「彼女って?」
「やだなぁ、あやめさんだよ。去年出所してきたんだよね?あれからどうなったの?」
 真宵はその後の成歩堂とあやめの関係を毎日のように興味津々で聞いてくる。
「どうって、たまに会うくらいでまだ何も・・・ってどうしてそんなことばかり
聞いてくるんだよ。それもほぼ毎日。」
「決まってるじゃない。私は副所長である前になるほど君のお姉さん代わりだよ、これでも。
だから、なるほど君が幸せになれるその日まで見届けるギムがあるでしょ。」
「小姑みたいなこと言うなよ。真宵ちゃんこそ自分の幸せを見つければ?」
「私よりなるほど君が先だよ。それに私は今でも十分幸せだし。」
笑顔で答える真宵に成歩堂は安堵の表情を浮かべる。いつの間に彼女はこんなに成長したのだろう。
いつも一緒にいる時間が多い成歩堂でさえ最近まで気づかなかった。
彼女もいつか暖かい家庭を築いていくんだろうか。
成歩堂が物思いにふけっていると、机上のデジタル時計の時刻を見てハッとする。
「えぇっ!もうこんな時間!?依頼人の面会が入ってたんだ。真宵ちゃん、悪いけど留守番頼むよ。
あ、あと御剣のやつが来るかもしれないから。」
「え?・・・あ、うん。わかった。いってらっしゃい。」
成歩堂は残りのコーヒーをぐいっと飲みほし、「じゃ、いってきます。」と言い、足早に事務所をあとにした。

御剣が来るということ聞いて、真宵は一瞬気持ちが焦ったような気がした。
それが何故かは分からない。ただ真宵は御剣に対してどうしても聞きたいことがあった。
しかし、恐くてなかなか聞けずにいた。
 しばらくするとドアをノックする音が聞こえた。
「はぁい。どーぞー。」
「お邪魔する。」
 御剣がいつもと変わらぬ風貌で事務所に入ってきた。
今は、検事局に戻って仕事をしている。そういえば、来月あたりから
また数ヶ月間海外で研修に行くとか。真宵は特に焦ることもなくいつもどおりに接する。
「あ、御剣検事。いらっしゃい。今紅茶入れますね。」
「ああ。ところで成歩堂はどうしたのだ?姿が見えないようだが。」
「なるほど君なら今留置所の方に行ってますよ。多分しばらくは帰ってこないと思います。
あ、もしかして大事な用とか?」
「いや。大した用事ではない。過去の事件の資料を渡しに来ただけだ。
あとであいつに渡してもらえないだろうか。」
 御剣はかばんの中から大きめの茶封筒を取り出し、机の上に置いた。
「では、私はこれで・・・」
「ちょっと御剣検事!せっかく来たのにすぐに帰らないでくださいよー。
紅茶入りましたよ。」
「あ、あぁ、そうだったな。ではお言葉に甘えて。」
席を立とうとした御剣はまた座りなおす。真宵も紅茶を載せたお盆を運んでやってきた。
そのときだった。

ガタガタガタガタガタガタ

「きゃわっ!」
突然の大きな揺れに真宵はバランスを崩す。
転んだり尻餅をついたりはしなかったものの彼女が運んできた紅茶は
よろめいたときにお盆の上に見事にこぼれてしまっていた。


「うわぁ、ごめんなさい。また入れなおしてきますね、御剣検・・・・・」
 真宵が御剣のほうを見た瞬間、彼女は言葉を失った。
御剣が体を丸め、荒い呼吸をしている姿を目の当たりにしたためであった。
「御剣検事!」
真宵はお盆をテーブルの上に置き御剣の隣に座った。
そして、片手で彼の手を握りもう一方の手で背中をさすって御剣に必死で呼びかけた。
「御剣検事、苦しいですか?」
返事はない。真宵の握っている手からかすかに震えているのが分かった。
顔色も真っ青だし、短時間で冷や汗も多く出ている。
真宵の呼びかける声も次第に弱々しくなってきた。
(どうしよう。・・・・・・!)
真宵は何かを思い出したようにゆっくりと顔を上げる。
そして、背中をさする動作をやめ、席を立ち、御剣の正面に身をかがめて
彼をそっと抱きしめた。そして、再び背中をゆっくりとさすり始める。
「御剣検事。私の声、聞こえますか。もし聞こえてたら、そのまま聞いていてください。」
真宵は御剣の耳元で優しく語り掛ける。いつもの彼女からはあまり想像のつかない
大人びた女性らしい声。すると、さっきまで不規則だった御剣の呼吸が次第に
落ち着いた状態になっていくのが分かった。真宵はそのまま話しかける。
「地震はもう大丈夫ですよ。落ち着いたら紅茶一緒に飲みましょう。
あ、そういえば紅茶ひっくり返しちゃったんだ。あとでまた新しいの入れ直しますね。
それと帰るときは途中まで送ります。この近くにはサクラも菜の花も
たくさん咲いてるんですよ。一緒に見ましょう。」
 真宵は御剣を優しく抱きながら話しかける。しばらくすると、彼の両手がゆっくりと上がってきた。
無論、真宵はそんな彼の行動に気づくはずもなく、語り続けている。
上がってきた御剣の両腕は真宵の背中あたりでいったん止まり、そのまま軽く抱き返した。
お互いが抱き合う形となる。
「ひゃっ!・・」
ようやく気づいた真宵が驚きからびくっと体を震わせ、御剣の背中からぱっと自分の手を離す。
真宵は自身の鼓動が高鳴るのを感じた。しばらく沈黙が続く。が、真宵は御剣から離れることもなく、
またゆっくりと抱きしめた。


春の暖かい日差しとともに優しい時間が二人を包む。
真宵の腕の中で御剣がそっと口に出した言葉がある。
本人は分からないように言ったのかもしれないが、真宵にははっきり聞き取れた。


       「ありがとう」と―――――

最終更新:2020年06月09日 17:52