成歩堂所長の女性関係について


「ところでさ」
「はい? なんですか、オドロキさん」
「成歩堂さんって……みぬきちゃんを引き取った時、カノジョとかいなかったのかな」

 それは何の気なしに思いついた疑問だった。
 王泥喜法介の何気ない問いに、成歩堂みぬきは「うーん」と可愛らしく人差し指を唇に
当てて考え込む。当時8歳の少女を引き取った、という成歩堂の行為。それは彼自身の責
任感やら何やらも入り混じった結果だっただろう。
 しかし、当時、もしも成歩堂に恋人が居たとしたら?
 突然8歳の娘のパパになってしまった男を、どう思うだろうか。

「カノジョ、はいなかったと思いますよ? パパ、そういうのあんまり興味なさそうだし」
「興味がない?」
「はい。……みぬきと一緒に、とりあえず事務所を立ち上げるので一杯一杯でしたし」

 みぬきの言葉に法介は首を捻る。興味が無いという言葉は今ひとつ信じられなかった。
小さな娘にそういう生々しい部分を見せないように成歩堂が気を遣った。そう考えるほう
が筋が通っているように思える。
 というか、当時20代後半の男性が女性に興味が無い、というのはいかがかと思う。二
次元が良いとか、男じゃなきゃ駄目だとか、そういう特殊な性癖の持ち主でもない限り。

「成歩堂さんって、そういえば特撮とか好きみたいだよな」
「? どうかしたんですか?」
「いや。なんでもない」

 あの病院のベッド脇に山積みにされたトノサマンシリーズDVD全集を思い出す。
 法介の頭の中で、なんだか事務所所長である成歩堂龍一に対するイメージが変わってき
たような気がした。夜毎ビデオデッキを数台駆使してCMカットとかしたりして。自選の
名場面集とか作ったりなんかして。行き着いた先では部屋中にポスターとフィギュアなん
かが溢れかえっていたりして。
「……いやいや。そんな。いやっ! 俺は趣味や嗜好で人を差別したりなんかしないぞっ!」
「どうしたんですか、オドロキさん。突然大声を張り上げて……あ、やめてくださいね! あんまり発声練習されるとお隣からまた苦情が――」


 みぬきが顰め面、と呼ぶには可愛らしく頬を膨らませて人差し指を法介に突きつける。
 その辺り、なんだかんだ言って親子なのだろうなぁ、なんて暢気なことを考えた法介は
事務所のドアに人影が映ったのに気付いた。
「あれ、みぬきちゃん。誰か来たみたいだ」
「え? ――あ」
 途端、みぬきの表情が今度こそ『不機嫌』になった。
「また来たんだ……」
「え?」
 ドアが開く。そしてそこから顔を出したのは。
「こんにちは、成歩堂さん……はいないみたいね」
 そこには、細いフレームの眼鏡をかけ、どこか「ギョーカイジン」っぽさのあるスーツ
姿の女性がいた。後ろ髪をアップにまとめ、切れ者っぽさが漂っている。歳の頃は成歩堂
と同じくらいだろうか。20代以降の女性の年齢というのは、法介の目では今ひとつ見分
けがつかないのだが。
「こんにちは、みぬきちゃん。元気だった?」
 事務所を見回し、そこで不機嫌そうな顔をしたみぬきを見つけた女性は、にっこりと微
笑んだ。そして、その隣に立っている法介に視線が移る。
「……あら。もしかしてみぬきちゃんのカレシかしら? お邪魔だった?」
「だ、誰がカレシですか! オレ、こう見えても弁護士ですからっ!」
 法介の慌てふためいた抗弁に、女性が楽しそうに笑う。
「ふふ、ごめんなさい。えっと……確かダイジョーブ君、だっけ? 成歩堂さんから聞い
てるわ。ちょっと変な名前だけど、見所のある新人弁護士さんだって」
「いやっ、俺、その、オドロキホースケですからっ!」
「――それで。なんの用なんですか、華宮さん」
 そんな法介を他所に、みぬきは普段の愛想のよさは何処へ消えたのか、不機嫌極まりな
い声で尋ねる。
「……ふふ。そんな怖い顔しないの。成歩堂さんに頼まれてたチケットが手に入ったから、
渡しに来ただけなんだから」
 そういうと、華宮という女性は封筒をみぬきに差し出した。
「チケット、ですか?」
「ええ。トノサマングランドレジェンドショーのチケット」
 この人も特撮なのか――なぜか法介の中でそんな考えがグルグルと回った。凄い切れ者
っぽいのに。凄い美人なのに。何故に特撮。何故にトノサマン。
「それじゃあ、これ。成歩堂さんに渡してもらえるかしら?」
「……はい」
 みぬきが渋々という顔で頷くのを見て、女性は踵を返した。
「じゃあ、パパによろしく伝えておいてね、みぬきちゃん」
「――う~」
 何やら消化不良な顔をするみぬきを他所に、女性はスタスタと事務所を出て行く。
 残されたのは、今も唸り声を上げ続けているみぬきと、事情がさっぱり分からずに呆然
とする法介の二人きりだった。


 カチリ、と時計の針が動く音がした。
 法介はマグカップを口に運びながら、そっとみぬきの様子を窺う。
 先ほどの華宮なる女性の来訪以来、みぬきの不機嫌は変わらなかった。何やら難しい顔
をして封筒を眺めている。
「あー、あのさ」
「……はい。なんですか?」
「さっきの人って……誰なの?」
「……パパの知り合いです。華宮霧緒さんっていって。昔、芸能事務所に勤めていたこと
があるらしくて、成歩堂芸能事務所を立ち上げる時、少し手伝ってもらったって言ってま
した」
「はぁ。芸能界の関係者、なんだ」
「今は違うそうですけど、昔の伝手でこうして手に入りにくいチケットとか探してきてく
れるんです」
「……ふーん」
 みぬきの声はどこか低いままだった。法介は地雷を踏まないように細心の注意を払いつ
つ、情報を得るためにさらに先に進むことにした。
「みぬきちゃん、あの人が嫌いなの?」
 ――所詮、法介は法介なのであるが。

「嫌いっていうか……あの人、パパにすぐ近づくから」
「近づくから?」
「……別に、嫌いじゃないです」
 プイ、とそっぽを向いたみぬきを見て、法介はなんとなく合点がいった。
 要するに、父親を取られたような気になって嫌なのだろう。子供が親に持つ独占欲、だ
ろうか。法介自身にはよく分からない感情だったが。
「ところでさ! このチケットってどうするつもりなんだろ、成歩堂さん」
「あ。それはきっと、真宵お姉ちゃんたちのためだと思いますよ?」
「マヨイ? お姉ちゃん?」
 法介の顔に疑問符が浮かんだ。

 

2

 

「異議あり! 弁護人の論証はまったく意味が無い。検察側の立証は何一つ揺らぐものではない!」
「検察側の異議を認めます。弁護側はもう少し考えて反証するように」
「……ぐ、ぐぅぅ」
「御剣検事。やはり、あなたの立証は完璧としか言い様がありませんな」
「無論だ」
 フッと笑い、弁護席を見るのは御剣検事。検事局随一のやり手検事である。
「王泥喜くん。今回は残念でした。しかし、御剣検事の立証を参考に今後の糧とするよう
に。それでは判決を言い渡します!」

 木槌の音が、法廷中に響き渡った――。


「……ううう。惨敗だ」
 法廷からの帰り道、王泥喜法介は肩を落としながら歩いていた。
 今回の依頼人は誰も弁護の依頼を受けず、やむを得ず国選弁護人として選出された王泥
喜法介が担当したものだった。何故誰も受けなかったかといえば、明らかに、誰がどう見
ても犯人が被告以外にいなかったからである。
 担当検事は御剣怜侍。検察局きっての辣腕検事であり、あの牙琉響也ですら頭の上がら
ない主席検事らしい。彼の一分の隙もない立証を前に、法介はなす術もなく敗北したので
ある。
「……あれ」
 ふと、見知った背中が目に入った。
 ニット帽を被っているが、そのニット越しにすら分かるツンツン頭。少し無精ひげが生
えたままらしい顎。ポケットに突っ込まれたままの両手。
 成歩堂なんでも事務所所長、成歩堂龍一その人の後ろ姿である。
「……くそ、人が苦労して働いてたってのに、何してんだあの人は」
 敗北の苦さも手伝ってか、法介は機嫌悪そうにつぶやいて成歩堂を睨みつけようとして、
立ち止まってしまった。
 成歩堂の右腕に掴まるというよりは、絡めるようにして隣を歩いている少女の後ろ姿が
目に入ったから、である。
 背格好からして、みぬきと同じくらいだろうか。何やら着物じみた服を着た少女が、楽
しそうに成歩堂の腕に自分の腕を絡めて歩いているのは、ある種怪しさすら漂っていた。
 何せ成歩堂の今の見た目は、胡散臭い親父以外の何者でもないのである。
 傍目から見れば援交の現場とも見えなくもない。まあ、だとしても少女の装束は中々に
奇抜であるのだが、コスプレとも考えられる。
 ふと、視線が動いた。
 成歩堂と少女の少し前にあったCDショップから女性が出てきた。――途端、周囲の男の
視線がその女性に釘付けになったのが法介には分かった。
 成歩堂の隣に居る少女と同じような装束を着ている――けれど、なんというか、こう、
ボンキュッボーンな体型をしているのである。装束の裾から伸びている太ももの白さが目
に眩しい。
「……って、え?」
 その女性はにっこり笑って手に持ったビニール袋を掲げて見せたかと思うと――成歩堂
の空いている左腕に自分の腕をするりと絡ませてしまった。
「――は?」
 成歩堂はといえば、特に表情に変わりは無い様子で横を向いて話しているのが見える。
 法介はしばし呆然としたまま立ち止まってしまい、そのまま歩み去る成歩堂と女性二人
の姿を見送ってしまったのだった――。


「……た、ただいま~」
 事務所のドアをそっと開ける。いつもなら五月蝿いとみぬきに怒られる声は、蚊の鳴く
ように小さい。
「あ、お帰りなさい。オドロキさん」
 宿題でもやっていたのか、教科書とノートを広げていたみぬきが、顔を上げて法介を迎
え入れてくれる。
「ただいま……あ、あのさ。えっと、成歩堂さんは?」
「パパ? パパならちょっと出かけてくるって言って、そのままですけど」
 娘をほっぽって何してるんだ、あの人は。心の中だけでそう吐き捨てる。
 よりによって、あんなコスプレした女(しかも二人)と街を歩いているだなんて。
「? どうかしたんですか? あ、今日の裁判どうでした?」
「……惨敗。元々分かってはいた結果だけど、検察側が手ごわすぎてどうにもさ……」
「あー。今回の担当検事って御剣のおじさまでしたっけ。それはオドロキさんには荷が重
いですよねー」
 みぬきのあっさりとした言葉に、法介は顔を上げた。
「知ってるの? あの、ひらひらした検事のこと」
「御剣のおじさま、ですよね? ええ。知ってますよ? パパのお友達だし」
「は?」
「おじさま、容赦ないからなー。あ、でも嫌わないであげて下さいね。おじさまもお仕事
なんだし」
「――はぁ」
 なぜ、味方であるはずの彼女が、こうもあのひらひらした検事をフォローしてるのだろ
う。そんな疑問を抱きながら、法介はカクンと頷いた。
「ただいまー。お、ちゃんと帰って来てるね。感心感心」
「あ。パパ、おかえりなさーい」
 そんな法介の背中にかけられた、気の抜けた声。振り返らなくても分かる。あれは、こ
の事務所の所長にして売れないピアニストな成歩堂龍一その人だ。
「……はぁ。おかえりなさい……って」
 渋々振り返った法介の目には、成歩堂の姿が映っていた。正確にはその両腕である。
 左右から成歩堂の腕を抱きかかえている、二人の女性。一人はみぬきと同年代らしい、
可愛らしい少女であり、もう一人は、なんていうかこう、色気すら漂っている美女である。
「な……」
 あの街中で彼と一緒に歩いていた二人である事は、間違いなかった。
 呆然としているオドロキを見て、成歩堂の左腕を掴まえていた年上らしい女性が、その
雰囲気から想像できないくらい闊達な笑みを浮かべた。
「お。君がオドロキくん? ふふん、後輩君は先輩に挨拶はなしなのかな?」
「え? あ、あの、王泥喜法介、です」
 なんとなく、冗談交じりながらも促された。呆然としたまま、それでも軽く頭を下げて
みせる。


「うん。はじめまして、綾里真宵です。君にとっては先輩、かな?」
「先輩……? あの、あなたも弁護士……なんですか?」
「あはは、違う違う。事務所の先輩。なんたってあたしは倉院流霊媒道の現当主にして、
この成歩堂……えっと、今はなんでも事務所なんだっけ? 成歩堂なんでも事務所の副所
長様なんだから」
「は?」
 豊かな胸を強調するように胸をそらして見せる真宵を前に、法介は口をガクンとロボッ
ト玩具のように開く。
「で、こっちが」
「……あの、綾里春美です。真宵さまの従姉妹です。霊媒を嗜んでおります」
 真宵に促され、ぺこり、と成歩堂の右腕を離して頭を下げる楚々とした美少女。
「あ、ど、どうも。よろしくお願いします……」
 何がなんだか分からないまま、法介は成歩堂の顔を見た。
 なんだか、ニヤニヤしている。
「いやぁ、それにしても今日のオドロキ君のやられぶりは爽快だったね!」
「あっはっは。まあ、御剣の奴が相手じゃ、今のオドロキ君じゃ相手にはならないだろう
ね」
 かと思えば、真宵の発言ににこやかに受け答えをし――。
「って、今日の法廷、見に来てたんですか、もしかして!」
「うん。ちょうど時間が合ってたから、二人を迎えに行くついでに」
「いやぁ、オドロキ君の法廷は、あれだね。昔のナルホド君の法廷よりも危なっかしいよ
ね。スリル満点!」
 笑い飛ばす真宵と、そんな彼女と法介を見比べて、困ったようにオロオロしている春美。
そして、そんな二人を一歩下がったところで見ている成歩堂。
「……なんなんですか、この人」
 思わずそう呟く法介であった。

最終更新:2020年06月09日 17:51