でこつん(響也×茜) 


「あれっ、君も来てくれたんだ」
 ドアをノックすると、久しぶりに見る牙琉響也が中から顔を出した。
 ライブの後の、ガリューウエーブの楽屋を訪ねた茜は、にこりともせず両手に抱えていた紙袋を差し出して言った。
「招待券、もらっちゃいましたからね。一応挨拶に来ました。はいこれ、差し入れ」
「わざわざありがとう、刑事クン。中へ入りなよ。お茶くらいは出すからさ」
 紙袋を受け取った響也は、営業スマイルを浮かべながら茜を中に招き入れた。
「どうぞ、その辺に座ってて」
 雑然とした室内に置かれたパイプ椅子に、茜は腰掛けた。壁際のソファの上には、ファンからのプレゼントと思しき包みや花束が、無造作に置かれている。
 響也は一旦楽屋の奥に引っ込んだ。少し待つと、彼は片手に湯気の立つ紙コップが二つ乗ったお盆を持って戻って来た。
「あとね、せっかくだから、これも食べちゃおうか」
 紙コップを傍のテーブルに置くと、茜が差し入れた紙袋をごそごそと探って、かりんとうの袋を取り出した。紙皿にざーっと開けると、茜に勧めてくる。
「じゃ、まあ、いただきます」
 茜はかりんとうをさくさくと無言で食べ始めた。
「あのさあ。前から思ってたんだけど」
 立ったままその様子を見ていた響也は、両手を腰に当て、茜の顔を覗き込んだ。
「そんなにかりんとうばっかり食べてて、太らないかい?」
「……う……」
 思わず、かりんとうを運ぶ手が止まる。
「それって、結構甘いよね。君、いつも片手に持ってるよね。虫歯とか大丈夫なのかい?」
「…………」
 こつん。
「イタッ!」
「太りません。見りゃわかるでしょ」
「あっはっはっは」
 赤くなってかりんとうをぶつける茜に、響也は硬い営業スマイルを崩して笑った。
「そうそう、おデコくん達も招待したんだ。さっきここにも来てくれたよ。とっくに帰ったけどね」
 それはそうだろう。ライブが終わってから、すでに二時間は経っている。茜も響也も、まだここにいるのが不思議なくらいだ。
「刑事クンは今までどこにいたんだい? まさか、ライブが終わってから来たってワケじゃないだろう?」
 茜は口を尖らせながら、しぶしぶ答えた。
「……人がはけるの、待ってたんです。ファンの人達、楽屋に殺到してたでしょ。一応お礼は言っとかなきゃなーと思ったから」
「そう」
「検事さんは、なんでまだ残ってるんですか? 他のメンバーの人は?」
「ああ、もう帰ったよ。僕は、夜中になってから出るつもりだけど」
「なんでまた」
「まあ、色々あってね。夜中なら道も空いてるし。追い掛け回されるのは、さすがにもうウンザリだから」
 響也は茜の近くにパイプ椅子を持って来て、ドサッと座り込んだ。天井を仰いで、深いため息をつく。
「大変ですねえ、キャーキャー騒がれるのも」
 皮肉のつもりで言ってみたが、聞こえているのかいないのか、響也は答えなかった。相当疲労が溜まっているように見える。
「……じゃ、私、もう帰りますね。どうも、ごちそうさまでした」
 その空気になんとなく気まずさを感じて、茜はそそくさと立ち上がった。
「待ちなよ。もう遅いからさ、送っていくよ」
「へ?」
 響也は、窓際に行ってブラインドの隙間から外を見た。
「今君一人で外へ出たら、すぐに囲まれるよ。『牙琉響也とはどういう関係ですか』って。もういないかと思ったけど……懲りずにまだ張り込んでいるみたいだし」
「だっ、誰が?」
「僕を追い掛け回してる奴らさ。残念ながら、ファンじゃないみたいだけどね」
 茜もその窓から、外を覗いてみた。確かに、会場の出入り口に人影が見える。暗がりでよくわからないが、ちょっとした人数のようだ。
 茜が今日のライブで目にした、ガリューウエーブのファン達のようなそわそわした雰囲気ではなく、じっとこちらの様子を伺っていたり、何かの機材をいじっている様子がわかる。


「……テレビ局とか?」
「ああ。雑誌とか新聞とか……色々かな。どれでも同じことだけど」
 響也は窓から離れると、テーブルに置いたままのかりんとうをひとつ取って、かじった。
「やっぱり、甘いねこれ」
「べ、別に、無理に食べなくたっていいです。誰か食べてくれる人にあげてください」
「でも嫌いじゃないよ、かりんとう」
「…………そうですか」
 会話が微妙に噛み合わないような気がする。元々、何を考えているのかよくわからない人だけど。
 茜は話を元に戻そうと思った。
「追い掛け回されてるのって、やっぱり……あの裁判のことで?」
 お兄さんのことでとは、あえて言わなかった。
「…………まあ……そんなとこかな」
 やっぱりそうなんだろうなあ、と茜は納得した。
 新しい試みを取り入れたということで、ただでさえ世間から注目を浴びていた裁判だったのだ。
 そこで暴かれた真犯人の実弟、しかもその法廷で検事席に立っていた男、そしてもっと言えば、その人物は人気絶頂のロックバンドのリーダー兼ボーカルなのだ。マスコミの格好の標的になるのは、考えてみれば当たり前だった。
 もしかして、あれからずっとこんな調子なんだろうか……。
「ホントに、大変そうですね」
「まあね」
「いつもの調子も出てないみたい」
「ああ、それは、風邪引いちゃったみたいだから」
「風邪?」
 ……似合わない。
 そう思ったが、口には出さないでおいた。本当かどうかはわからないが、別にどうでもよかった。
 響也は窓から離れると、ドアへは向かわずに、なぜかソファを埋めるプレゼントの山をどかして、そこに仰向けに寝転んだ。
「あの……何やってるんですか」
 響也は目を閉じて、長いため息をつきながら答えた。
「ちょっと仮眠を取ってから行くことにしたよ。君はその辺で適当にくつろいでて」
「またそんな勝手な……」
 茜の抗議を聞かず、響也は本格的に寝入ることに決めてしまったようだった。茜が立ち尽くしたままでいると、すぐに深い寝息が聞こえてきた。
「まったくもー……」
 そのまま一人で帰ろうかとも思ったが、しつこいマスコミに捕まるのはごめんだと思い直し、響也が起きるまで待つことにした。どうせ、そんなに長い時間眠っているわけではないだろう。
 すでに真夜中近い時間になっていることもあって、人気のない帰り道を一人で行くのが、心細いと思えないこともない。
 しばらく手持ち無沙汰にうろうろと楽屋の中を歩き回ったが、特に興味を引くものもなく、結局は元の椅子に腰掛けてじっと待つことにした。
 そうなるとどうしても、ソファで眠りこける響也に目が行ってしまう。
「…………」
 なんだか、ただ座っているだけなのも馬鹿らしい。
 茜はそっと立ち上がり、響也を起こさないように忍び足でソファに近づいた。ポケットからルーペを取り出し、観察する。
 最初に会った時から、この検事は苦手なタイプだった。法廷でも、大事なことを茜に教えてくれなかったせいで恥をかかされたりと、散々だったこともあるのだ。
 この機会に、何か弱点を見つけてやろう。
 眠っている時の恥ずかしい癖とか、何かないだろうか。
「うーむ……こうして見ると、結構キレイな顔してんのよね」
 顔を観察するついでに、つい片方の瞼を二本の指でこじ開けた。
「うわっ!!」
 途端に悲鳴を上げて、響也が飛び起きる。茜はビクッとして、急いでルーペをしまった。
「なんなんだよ!! 何するんだ君は!!」
「あれー、狸寝入りだったんですか」
 素直に謝るのもシャクなので、そっぽを向いて茜は意地悪く言った。
「眠ってたよ! 見ればわかるだろ」
 響也はムスッとした顔で茜の顔を睨むように見たが、再び仰向けになって目を閉じた。
「もう邪魔しないでくれよ」
 それっきり、また静かになる。
 ……やっぱりもう、帰ろうかな。
 この人には、いつも振り回されているような気がする。
 どっと疲れが出てきて、茜は楽屋を出ようとした。
「う……」
 背後から、苦しげな呻き声がした。振り返ると、目を閉じたままの響也の顔が、苦しげに歪んでいる。
「……ふふーんだ。騙されないんだからね」
 腕組みをして、背中を向ける。
 ……が、足がその場から動かない。


「うう……」
 背中を引っ張られるような、うなされた声が聞こえる。
「…………」
 肩越しに振り返り、散々迷った後、茜は響也の横たわるソファへ戻った。
 屈み込んで、今度はルーペを使わずに見ると、うっすらと額に汗が滲んで、顔全体が赤くなっている。
「や、やっぱり、ホントに熱があるのかしら」
 疲れていそうに見えたのは、それが原因だったのかもしれない。追い掛け回されたストレスが、溜まっていたのだろうか。この人でも本当は、やっぱりそういうことがあるんだろうか。
 じっと響也の顔を見ながら考え込んでいると、突然両肩を掴まれた。
「……また何か、企んでるね」
 響也が不適な笑みを浮かべて、茜を捕らえていた。思いの他、強い力だ。驚いて振りほどこうともがくが、がっちりと掴む響也の手はびくともしない。
「な、なんだ。元気じゃないですか」
 虚勢を張りながらも更にもがくが、響也の指が両の二の腕に食い込んできて、どうしても外れない。
「元気じゃないよ。さっきも言っただろう? 風邪を引いたって」
 響也は半身を起こして、茜に顔を近づけてくる。
「! ちょ、ちょっと……!!」
 あたふたとパニックに陥る茜を、響也はぐいっと引き寄せた。
 ごつん。
「痛ッ!?」
「ほら。ちゃんと熱はあるだろう」
 響也は自分の額を茜の額に押し付けて、至近距離で両目を覗き込んでくる。
 唖然として声も出せずにいると、響也は額をくっつけたまま、すっと茜の肩を放した。
「そうはいかないよ」
 すかさず体を引こうとする茜に、今度は響也が意地悪く笑う。
 一度離した両手で、今度は茜の両頬を挟んだ。
 響也は、焦ってじたばたと暴れる茜の唇を自分の口で塞いだ。
「んんんッ!!!」
 目を白黒させて、拳でドンドンと響也の胸を叩くが、まったく効いていない。
「ん――――ッ!!!」
 何度目かのパンチで、ようやく響也の唇は離れた。男物の香水の匂いが、茜の鼻先をくすぐる。思わずクラクラとするが、必死で響也を睨みつけた。
「……ごめんね。風邪うつしちゃったかもしれないね」
 いつもの余裕の笑みで言う響也に、ふつふつと怒りがこみ上げてくる。
「こ……この……ッ」
 体がわなわなと震えだす。
「さて、そろそろ帰ろうか。君のおかげで眠気も覚めたしね」
「バカアアアァァァァァァ――――ッッ!!!」
 ゴッッ。
 のけぞって思い切り反動をつけた茜の頭突きが、響也の額を直撃した。
「……くっ…………」
「アンタってやっぱり最悪ッ!!」
 怒りに任せて怒鳴ると、そのまま勢いよくドアを開けて楽屋を飛び出す。
「刑事クン!」
 呼び止める響也の声に、殴ってやろうかとキッと振り向く。
「刑事クン、帰るの? 送るよ」
「結構ですッ!」
「そうかい? 無理にとは言わないけどね」
 響也は朗らかな笑顔を浮かべた。
「ごちそうさま。かりんとうも、ね」
「……知りませんッ!!」
 叩きつけるようにドアを閉める。
 ゆでだこのようになって猛然とその場を走り去った茜は、今ならどんなにしつこい追っ手だろうと蹴散らせるような気がしていた。

最終更新:2020年06月09日 17:50