成歩堂×茜(成歩堂視点)

――終わった・・・。

絵瀬まこと氏への判決が下されたとき、僕はそう思った。
7年前のあの裁判、あの忌々しい事件への判決が永久に失われたときから、僕の弁護士としての時間は止まってしまっていたんだ。
そして今日、僕とあの男との決着を、若き弁護士と検事がつけてくれた。
全ては終わった。

この法廷にはもう僕の居場所はなかった。
今の僕は、そう、しがないピアニストなのだから。

 

「成歩堂さんっ!」
裁判所をでようとしてとき、彼女に呼び止められた。
振り返ると彼女は軽く走った後のようだった。
「茜ちゃん、か・・・。」
「成歩堂さん、帰るんですか・・・?」
「うん、ここにはもう僕の居場所はないからね。」
「・・・。」
彼女は少し下を向いた後、僕に一緒にカフェテリアに来るように言った。


裁判所のカフェテリアには以前来たときと相変わらず静かな雰囲気が漂っていた。
彼女は入り口から右に向かって3番目の席に座ろうとしたが、僕は呼び止めて4番目の席に座るように言った。
3番目の席はあの人が毒に倒れた席だったから。

僕はコーヒーを、彼女はレモンティーを注文した。

「成歩堂さん、全部、終わったんですよね?」
彼女が重い口を開く。
「うん、終わったよ。」
と、僕は答えた。
そして再び2人の間を沈黙が襲った。
僕も彼女もお互い気まずい雰囲気になって、何だか生きた心地がしなかった。
「あの時の約束、覚えてますか?」
「あの時?」
「日の丸スタジアムの事件の公判のとき、約束しましたよね。
 全てに決着がついたとき、あたしに本当の事を話してくれるって。」
「あぁ、あのことか・・・。」

約束というのはガリューウェーブのライブ中に起きた殺人事件の公判中にしたものだ。
僕がオドロキ君を励まそうと被告人控え室に行く途中、彼女から爆竹の残骸を託された。
約束はその時の話の流れで何となく、ついしてまった。
自分の行動に、しまったなぁと感じた僕はそれを悟られぬよう、オドロキ君に証拠を渡すとき
”あの刑事さん”とあえて他人行儀に彼女を表現した。

しかし過失でとはいえ約束は約束、破るわけにはいかない。

「話して・・・くれますよね?」
「分かった、話すよ。」
僕がそう言うと、彼女は少し緊張した状態で唾を一度飲み込んだ。

僕は全てを話した。
或真敷ザックの弁護を担当するきっかけになったポーカー
僕が提出した手記の一部が捏造だと立証されるまでの経緯
みぬきを僕の養子に迎え入れたきっかけ
オドロキ君とみぬきの真の関係
或真敷一座の魔術の上演権利譲渡について
他にも僕は数え切れないほど多くのことを語った。

僕はいつの間にか置いてあった、少し冷めはじめたコーヒーを一口飲んだ。
「これが、全てだ。」
「・・・。」
彼女は僕の話を聞きながら、静かに涙を流していた。
「ごめんなさい。」
「?」
「あたし、成歩堂さんが捏造なんてする人じゃないって信じてた、なのに・・・。
 一度だけ、あなたの事を疑ってしまったことがあった、ごめんなさい・・・。」
「あの時の僕の態度じゃあ、疑うほうが自然だよ。
 『君自身はどう思っているんだい?』だなんて、笑っちまうよね。」
「・・・9年前から比べて、あなたは変わってしまったと思ってました。
 でも違った。あなたのその真実を追い求めるその瞳、それは今でも変わらないんですね。
 あたしはそれが嬉しかった。」
彼女は頬に溜まった涙を一旦拭いて、再び話を始めた。
「それになのにあたしはその瞳を信じることができなかった。
 最低な女ですよね、あたしって・・・。」
「それは違うよ茜ちゃん。」
「ううん、あたしはあなたの気持ちを裏切って・・・。」

異議ありっ!

「!」
「茜ちゃん、それは違うんだ。
 いいかい?君は自分のことを酷い女だと思っているかも知れない。
 でもね、君は僕のことをずっと慕いつづけてくれたじゃないか。
 僕のことなんて嫌いになっても当然だと思っていたのに、君は変わらず僕を慕ってくれた。
 僕はそれが凄く嬉しかった、嬉しかったんだ。
 君は決して酷い女なんかじゃない。むしろとても素晴らしい女性なんだ。」
「・・・。」

彼女はもう一度、頬に溜まった涙を拭いた。
「成歩堂さん、弁護士に戻るつもりは・・・?」
彼女は僕が一番返事に困るような質問をぶつけてきた。
「さっきも言ったけど、ここにはもう僕の居場所はないんだ。
 戻る理由もないしね。」
「どうして?どうしてそんなこと言うんですか?
 あたしは弁護士だったころのあなたに救われて、凄く格好いいと思いました。
 正直、今のあなたの悲しそうな顔は見ていて心が苦しくなる・・・。」
「・・・。」
「あたしはただ、あなたに弁護士に戻って欲しいだけなんです。
 それがあたしのわがままだったとしても・・・。
 だめ、ですか・・・?」
彼女はただまっすぐに、僕を見つめていた。
「茜ちゃん、どうしてそんなに一生懸命なんだい・・・?」
僕がそう尋ねると、彼女は顔を赤らめ、一層強く涙を流し始めた。
そして何かを決意したかのように、言った。
「成歩堂さんが・・・、あなたのことが好きだから・・・。」
「君が・・・、僕を・・・?」
「あたしはあなたのことが好きなんです。愛しているんです・・・!
 だから、あなたの悲しそうな顔は、みたくないんです・・・。」
告白を終えた彼女は顔を両手で覆い、わっと泣き出した。
そんな彼女を見て、僕ははじめて彼女のことを”美しい”と思えるようになったんだ。
応えるべき返事を思いつくこともなく、僕はただ彼女に自分の胸を貸すことしかできなかった。


暫くして彼女は大分落ち着きを取り戻していた。
「落ち着いたかい?」
彼女は静かに頷いた。
僕はあの告白にどう応えればいいのだろう。
言葉では言い表せない彼女への気持ちに僕は戸惑っていた。
そんな時、僕はあの言葉を思い出した。

”発想を逆転させる”

言葉では彼女に応えることはできない。
ならば行動で、彼女に応えようではないか。
「顔を上げてごらん?」
僕がそう言うと彼女はゆっくりと顔を上げた。
僕は何も言うことなく、彼女の顎に指を2本添えた。
「え・・・。」
そのまま僕は彼女の唇に、僕の彼女への気持ちを刻み付けた。
時間がゆっくり流れているかのような錯覚があった。

彼女の唇からそっと惜しみつつも僕は離れた。
彼女の瞳は焦点が合っていないようだった。
「これが、僕の気持ちだ。」
「成歩堂さん・・・。」
そして彼女は僕に抱きついてきた。
僕は抱きついてきた彼女を、そっと抱き返してあげた。


7年に及ぶ物語に決着が着いて、もうこの法廷に僕の居場所なんてないと思っていた。
でもそんな僕を呼び止めてくれる光に、僕は今ようやく気づいたんだ。
これからうまくやっていけるかどうか、正直自信はない。
でも僕が弁護士に戻ることで喜んでくれる人がいるというなら、それでもいいかな、と思えてきた。
小学校の頃から幼馴染として僕と付き合ってきてくれた御剣の為に
弁護士時代の副所長で、今でも僕と深く交流をもっていてくれる真宵ちゃんの為に
7年間僕のことを父親として慕いつづけてくれたみぬきの為に
僕に憧れて法曹界に入ったオドロキ君のために

そして
こんな僕を好きだと言ってくれた彼女――茜ちゃんのために


10月も中旬に入り、秋真っ盛りでこれからだんだんと冬への兆しが見えてはじめてくる頃。
けれど僕の心の中はそれとは正反対に、これからだんだんと暖かくなっていくのだろう。

最終更新:2020年06月09日 17:50