『存在確認』


 病院の廊下という静寂な空間を、突然激しい勢いの足音がかき乱した。
場違いな場所で全力疾走していたのは、王泥喜法介。
 「廊下は走らないで下さい!」という看護師の注意を何度か聞き流し、彼はようやく目的だった部屋にたどり着いた。

 『宝月茜 様』

 病室のドアに恭しく掲げられたネームプレートを見て、限界だった心拍数がさらに跳ねあがる。
 王泥喜はたった今まで走っていた勢いそのままに、部屋のドアを開け放った。

「アカネさんっっっ!」


「さくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさく……あん?」


 ドアの向こうに見えたのは、ベッドの上でかりんとうを頬張っている茜の姿だった。
 二人はそのまま互いに見つめ合う。
 微妙な空気をさらに珍妙にするのは、かりんとうを噛み砕く軽やかに香ばしい音。

「…………あ、アカネさ………」

 しばしの後、王泥喜は情けない声をあげながらヘナヘナとその場に座り込んだ。
「うぇぇ!? ちょっとアンタ、大丈夫?」
 がっくりと力尽き肩でぜいぜいと息をする王泥喜。
 突然座り込んだ姿を見て、さすがの茜もかりんとうそっちのけで彼に歩み寄った。

「"大丈夫?"って聞きたいのはオレのほうですよ。大丈夫なんですか?! 怪我は!!」
 王泥喜は目の前の茜に半ば掴みかかりそうな勢いで聞いた。
「はぁ、怪我? ケガって何?」
「何、じゃなくて! 刑事課に行ったら、犯人確保の際、格闘になって、アカネさんが大怪我したって……!」
 王泥喜は言いながら、自らの言葉と目の前の真実に食い違いがあることに気付いていった。
「………病院に緊急搬送されたって聞いたから、オレ……」
 まだ息が上がっている王泥喜の消え入ってゆく声を聞いて、茜は噴出した。
「で、そんなにおデコ汗だくにして走ってきたってワケ? あっはっはっはっはっ、傑作!」
「笑わないで下さいっ。マジで心配したんですから、オレ!」

「それはどうもありがとう。でもこの通り大丈夫よ。
 確かに犯人と揉みあいになったりしたけど、そこはホラ、叩いてもホコリしか出ないから、あたし」
 茜は軽く拳を握って見せた。
 その姿も声も、本当に元気そうだった。
 その事実を認識すると唐突に、王泥喜の目頭に熱いものが込み上げた。


「えぇ?! ちょっと、泣くことないでしょ!」
 茜は、目の前の相手の突然の涙に慌てふためいた。
 とりあえず、開け放たれたままの部屋のドアを閉め、次に病室のパイプ椅子を引っ張り出し、王泥喜を座らせる。
「しっかりしなさい。男でしょ。弁護士でしょ。
 弁護士はピンチのときこそフテブテしく笑うものって、……どっかで聞いたわよ」
「す、すみません」
 王泥喜はあふれ出る涙をごしごしとぬぐった。
「オトナの涙は切り札。そんな気安く使うんじゃないの!」

「気安く? 気安く泣いたと思ってるんですか?」
 茜の言葉に、顔をこすっていた王泥喜の手が止まった。
「え?」
 じっと見つめられて尋ねられた。
 その瞳に急に強さを感じて、茜は戸惑った。
「言ったじゃないですか! マジで心配したって」
「あ、ご、ごめんなさい。そうね、心配かけたわ……」
「はい。心配しました」
 王泥喜はパイプ椅子から立ち上がり、茜の両肩に自分の手を置いた。

「あんまり無茶しないで下さい」
「大丈夫大丈夫。今回だってちょっと転んだだけなのよ。ぶつけたのがアタマだったからこんな大事になっちゃったけど。
 検査とかもう終わったから、結果が出ればすぐにでも帰れ…………え?」
 両肩に置かれていた王泥喜手が背中に回るのを感じ、茜は息を飲んだ。
「ちょっと……」
「無茶しないで下さいって、言ってるんです。だいたい、アカネさんはいつもそうだ」
 すぐ耳元で聞こえる王泥喜の声。
 体に回る腕を振りほどこうとしたが、その腕の力は意外なほど強く、そして意外にたくましい。


「アカネさんの無鉄砲さには、見ててハラハラさせられる。いつもいつも。
 今回の事は特にこたえました。
 ……正直、こんな思いはもう二度としたくない」
 王泥喜はそういうと、茜の身体に回す腕に力をこめた。


「え……ちょっと……」
 茜は戸惑い、拘束を解こうとした。
 しかし王泥喜はさらに強く彼女を抱きすくめる。
「黙って。しばらくこのまま……」
「何、するのよ……」

「存在確認、です。
 今回ばかりは、こうしてアカネさんの無事を確かめずにいられない」

「でも、王泥喜く……」
 茜の異議は強くなった腕の力に却下され、静寂が訪れた。
 聞こえてくるのはただ、どちらのものともつかない鼓動だけ。

 とくとくとくとく………

 どれくらい、その確かな音に聞き入っただろうか。
 やがて、茜の体に回る腕はゆっくりと解かれた。

「すみません……突然こんなこと」
 茜を開放した王泥喜は決まり悪そうに俯いた。
「カッコ悪ィ……こんな形で告白するつもりじゃ……なかったんだけどな」
「王泥喜くん……」
 今起こった出来事に、開放されてもなお、茜は動けずにいた。
「あーカッコ悪ィ。こんなんだからオレ、いつも成歩堂さんにいい所持ってかれちまうんだよな。
 法廷でも、茜さんの前でも……」
「そんな……そんなこと、ないわよ」
 茜はゆっくりと口を開いた。

「かっこ悪くなんかない。その……嬉しかった」
「え?」
 王泥喜は俯いていた顔を上げた。
 顔を上げると、茜の戸惑ったような怒ったような笑ったような、そして少し頬を赤らめたような顔があった。
「これ以上、なんて言ったらいいのかわからない。あとは解釈して、王泥喜くん」
「アカネさん……」
 一度は離れた王泥喜の両腕が、再び茜の体に触れる。

「カッコ悪いついでに聞きますけど、その。……もう一度抱きしめていいですか?」

 近づいてきた王泥喜に、茜は今度は自ら体を預けた。
「かっこ悪くなんかないって、言ったでしょ。ばか」

 王泥喜は飛び込んできた茜を力強く抱きしめた。
 再びその存在を腕に確認する。
 そのあと、唇を重ね合わせた。

 はじめは軽く触れるだけ。
 しかしキスはだんだん激しくなり、気付くと舌が絡み合っていた。
「んっ」
 王泥喜は茜の歯列をなぞる。
 茜はたまらないといったように体をよじった。少しだけ離れた茜の唇から軽く吐息が漏れる。
「……だめだよアカネさん。そんな溜息つくなんて。オレこれ以上カッコ悪い姿晒せない」
「……かっこ悪くなんかない。何度も言わせないでくれる」
「アカネさん……いいんですか? 途中でやめたりなんて、できないですよ」
 小さく、しかし確実に、茜が頷くのを見届けると。
 王泥喜は再び茜を抱き寄せ、ゆっくりとベッドの上にその体を導いた。
 
 キスをしながら白衣を脱がせ、頭のサングラスを取り、胸元のスカーフを解く。
 露になった首筋に唇は移動した。
 細いそのラインをなぞって鎖骨へたどり着くと、強く吸われたその部位に赤い跡がつく。
 
 自分と茜。
 二人分の着衣を解き終えると、王泥喜は茜の白い胸に手を伸ばした。
 腕輪が無いほうの手で片方を揉みしだき、もう片方の胸の、形良いカーブの頂点に唇を寄せる。
「あっ……」
 鮮やかな桜色に染まり、硬さを増した乳首を口に含むと、茜はビクっと体を硬直させた。

「んん……ん」
 茜は、自分の体のどこかからか、衝動が湧き上がってくるのを感じた。
 抑えようとすると、腰が浮き上がる。
 王泥喜はその細い腰を両足で挟んで抑えた。
 為す術の無くなった茜は、ぎゅっとシーツを掴むしかない。

 そんな茜の様子に気付き、王泥喜は耳元で囁く。
「アカネさん……その手、オレの背中に回してください」
 茜は首を横に振る。
「引っかこうが叩こうが、何してもいい。大丈夫ですから」
 王泥喜は茜の手を取ると、それを自分の背中に導いた。
 その体勢のまま、茜の上半身への愛撫が再開する。

 年下の男の子だと思ってたのに。
 体をすっぽりと包み込む王泥喜の腕や胸に、男性のたくましさを感じ……。
 巧みなリードにされるがままになって……。
 茜は大いに揺れていた。
 そして次第にそんなことさえも考えられなくなってくる。
 茜は、王泥喜の背中に爪を立ててしまいそうになるのを、不意に声が漏れてしまうのを、抑えることだけで必死だった。

「我慢しないでアカネさん……大丈夫」
 王泥喜は微笑みながら、汗で頬に張り付いた茜の髪を優しく梳いた。
「すごく可愛いです。顔も声も体も。だから我慢しないで」
「王泥喜くん……あぁっ……」

 王泥喜の長い指が茜の秘められた部分に伸びた。
 堅く閉じられていたはずの茜の両足が何故かすぐに開かれ、そこに王泥喜の体が滑り込む。
 触れられた局部はすでに十分な潤いをたたえていた。
 軽く触れただけで、ちゅくちゅくと滴の跳ねる音がする。
「やっ……んっ……」
 内部をかき回す音が、茜自らの耳にも届いた。
 恥ずかしい……そう思っているはずなのに。
 奥を弄られる音を聞けば聞くほど、熱い蜜があふれ出すのを感じた。
 茜の体からあふれ出る液体を王泥喜は舌で絡め取る。

「あっ、んっ……はぁんんっ」
 激しく感じてしまい、タガの外れた声が漏れる。
「お、王泥喜く……んっ……」
 茜は思わず、王泥喜の背中に強くしがみついた。
 王泥喜は浮き上がってくる茜の腰を押さえつけ、その奥まで舌を差し入れた。

押さえつけている腰が軽く震えている。
 王泥喜は自らと茜が、供に絶妙のタイミングであることを認識し、茜の局部から口を離した。
 口元に滴る、どちらのものともつかない液体を手の甲で拭いながら、囁く。

「アカネさん、好きです。どうしようもなく好きだ……」
 王泥喜の言葉に、茜は応える代わりに一つ頷いた。
 それを確認すると、王泥喜は愛欲で熱くなった楔を、熟しきった茜の中へゆっくりと挿しこんだ。

「ああぁぁっ、んんんっ」
 結合部が奥へ奥へと進んでいくたびに、茜の声が切なさを増し、吐息が熱くなる。
 耳で声を聞き、吐息を受け、下半身はさらに茜の最深部を求めた。
「はぁっ、んんっ」
 最深部まで進むと、入口ギリギリまで引き抜いて、再び挿す。
 熱く尖った楔は幾度も打ちこまれ、回数を経るごとに、二人の臨界点が近づいていった。

「……アカネさん、オレ、そろそろ限界」
 王泥喜が引き抜こうとすると、茜はふるふると首を横に振った。
「やっ……このまま……」
「でも、アカネさん……」

「このまま、中に……。お願い。……法介」

 懇願する眼差しに射抜かれた。
「……っ、アカネさん……茜っ」
 王泥喜はそのまま、茜の中に自らの全てを解き放った。


    ★★★★★★★


《エピローグ》

 ベッドに横たわり、軽く抱き合ったまま余韻を楽しんだ後。
 王泥喜はゆっくり起き上がった。
「どうしようオレ……幸せすぎて顔が緩みっぱなしなんですけど」
「……………」
「? どうしたんですかアカネさん。……やっぱ怒ってます? こんなことになって」

 問いかけに答えず、茜はベッドサイドに置きっぱなしになっていたかりんとうの袋に手を伸ばした。
「さくさくさくさくさくさくさくさくさく……」
「アカネさん?」
「さくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさくさく!」

「すみませんオレ……こんなカッコ悪くて……」

 ―――こつん!

 至近距離から放たれたかりんとうが、王泥喜の額にヒットした。
「イテ。な、何すんですか!」
 額を押さえる王泥喜。
 茜はその鼻先に、びしっと人差し指を突きつけていった。 

「かっこ悪くなんかないっ! そんなこと二度と言わないで!」

「は、はぁ……」
「……それにあたし、怒ってなんかないから」
「だって、不機嫌そうですよ。全然こっち見てくれないし」
「……不機嫌じゃないわ。ただ」
 茜はそこで、伏せ気味ながらも、ようやく王泥喜の顔を見た。

「ただ、あたしも舞い上がりそうで、どんな顔をしてたらいいのか……わからないだけよ!」

「…………っ!!!!!」

 普段は絶対に聞けない茜のセリフに、王泥喜は心の内部から大きくゆさぶられた。
 それに反応して、高まっていく体温。

「やっヤバイです、アカネさん」
「え? 何が?」

「もう一度、抱きたくなってきました」

 王泥喜の腕が茜に伸び、そのまま再び抱きしめる。
「ええ、ちょっと! ウソっ……!」
「そんな可愛いなんて、卑怯だアカネさん」
「卑怯も何も……んっ」
 王泥喜は茜の唇に自分の唇を強引に重ねた。

「あっ、ちょっともうっ。ダメっ」
「いや、ダメなんてオレがもうダメです。って何言ってんだかわからないな。
 とにかく、収拾つきそうに、ないから……」
「んんっ……馬鹿」

 こうして。
 二人の体は、絡み合いながら、再びベッドに沈み込んでいった。

(END)

最終更新:2020年06月09日 17:50