「自分の始末は、自分でつけたな。あいつ」

主席検事室で、『裁判員制度』テストの中継を見届けて、御剣は言った。
7年間、歯がゆい思いをさせられた親友を、責任者に起用するに当たってはこの男もかなりの権力を行使した。
「裁判における証拠の位置。この制度の導入で我々の今までの」
「その議論は、し尽くしたと思うけど」

中継の終わったモニターにリモコンを向けて電源を切り、狩魔冥は御剣の言葉をさえぎった。
「・・・そうだったな」
「成歩堂龍一に、おかえりを言わなくてはならないわね」
「あいつに、その気があれば、バッジを返還するかどうか、弁護士会が検討するだろう。おかえりを言うのはそれからだ」
御剣は、こみ上げる笑いをこらえるように表情をゆがめた。
「言葉のわりに、うれしそうだこと。主席検事」
「う・・・ム。そうだろうか。君こそ、晴れ晴れとした顔をしているように見えるが」
冥はピシッと鞭で空を切った。
法廷以外でむやみに振り回すことがない鞭だが、御剣の前では時折照れ隠しにふるう。
「私は、牙琉響也がそこそこいい仕事をしているからっ」
「そういえば、牙琉検事の指導係は君だったか。・・・なるほどな」
勝敗だけにこだわる、若い頃の自分や冥なら、牙琉をこんな風に育てることはできなかったかもしれない。
法廷において大切なのは、検事と弁護士が勝敗を競うのではなく、互いに全力で戦うことにより真実にたどり着くこと。
牙琉響也は、最初からそれを知ることが出来た。冥の指導で。

「この後裁判所で今日の裁判について会議がある。帰りは遅くなると思うのだが」
御剣が言いにくそうに冥を見た。
「かまわないわ」

葉桜院の事件で、緊急帰国した御剣と冥は、検察局の意向でそのまま日本にとどまることになった。
自分のマンションを残していた御剣はともかく、冥は父が不在の狩魔邸に帰りたくなかった。
部屋が見つかるまで、と転がり込んだ御剣の部屋で、冥はもう8年も「部屋を探し」つづけていることになる。
もちろん、表向きはそんなことはおくびにも出さず、出勤も帰宅も時間をずらし、知人に目撃されそうな近場に二人で出かけることはしない。


実際、その日の真夜中になって御剣は自室のドアを開けた。
冥は休んでいるだろうと思ったが、リビングのソファにノートパソコンを置いて床に座り込んでいた。
「寝ていなかったのか」
「今日のこと、真宵にメールしたのよ」
綾里真宵は倉院の里で、いまや家元としてマスコミにも時々姿を現していた。
「そうか。真宵くんも成歩堂のことは気にしていただろうな」
「成歩堂が復帰できないようなら、誰かを霊媒して弁護士会に乗り込んでやるそうよ」
「誰かというのは・・・誰だ?」
「さあ。誰か、じゃない?弁護士会の連中がおびえるような・・・、無罪に出来なかった被告人とか」
「・・・やりそうで怖いな」
上着をクローゼットにかけて、襟元のクラバットを解きながら、御剣は数人の顔を思い浮かべた。
「ゴドー・・・神乃木の弁護士再登録でも揉めてたからな。弁護士会の連中、一気に老け込むかもしれん」
「神乃木荘龍には、検察局に残ってもらいたかったのだけど」
ノートパソコンを閉じて、冥がつぶやく。

ふいに、御剣がソファに腰を下ろした。
床に座り込んでいた冥の目の高さに、御剣の脚がある。
「君はずいぶん彼に肩入れするのだな」
「・・・あなたが真宵を気にするほどではないと思うのだけれど」
下から見上げる冥に、御剣は思わず視線をそらした。
「ばかな。私が、なぜ」
「目をそらしたわよ、御剣怜侍」
「・・・いや」
それは、君が。
もう幾年、一緒に暮らしても。
何度肌を合わせても。
冥に見つめられると、御剣はどきりとしてしまう。

「もう、休むといい。明日に響く」
「逃げるの」
「・・・ム。そのような、アレではない・・・」
艶やかな目で御剣を見つめて、冥はくすっと笑った。
指先で、御剣の脚をなで上げる。
「いいわ。週末にでも、はっきりさせましょう」
「・・・・どういう、ことだろうか」
週末まで、待てるだろうか。
御剣は、冥に気づかれないように息をついた。

目を覚まして、御剣は反射的に手を伸ばした。
冥がいるはずの場所が、空いている。
がばっと起き上がり、軽くめまいを感じてこめかみを押さえる。
朝に弱い男だった。
昨夜は冥の帰りが遅く、風呂上りのまま待っているうちにソファでうたた寝して、
帰宅した冥に鞭で打たれるように寝室へ追い込まれたのである。
「風邪でも引くつもり?私、病人の看病は苦手なのよ」
狩魔は看病も完璧なんじゃないのか。
そう言い返したかったが、せっかくの週末をすねた冥の機嫌取りに費やすのは不毛だった。
裁判員制度のテストもあって、今週の疲れがたまっていたのか、
ベッドにもぐりこんだ記憶もあやふやなまま眠ってしまったのだ。
ベッドから脚を下ろすと、リビングで人の声がした。
冥が電話でもしているのかと思って寝室のドアを開けると、元気な声が迎えた。
「うっわー、御剣検事さん、ピンクのパジャマですか?!」
これは、夢の続きだろうか。
「とってもかわいらしいです、みつるぎ検事さん」
アイランドキッチンの向こう側で、冥が不敵な笑みを浮かべている。
「・・・どういうことだろうか」
御剣の周囲で、『家元』の装束を着た真宵と、春美が大騒ぎをしている。
「なんかさー、ナイトキャップとかもかぶってそうだよねー」
「真宵さま、いけませんわ、みつるぎ検事さまのパジャマを勝手に脱がせては」
「・・・やめたまえ、真宵くん、ボタンをはずすなっ」
真宵と春美に身ぐるみはがれそうになってパジャマをかき合わせている御剣に、冥が言った。
「顔を洗って着替えてくる、というのはどうかしら。そうしたらコーヒーを入れてあげてもいいわ」
「ウ・・・ム。そうしよう。説明は、そのあとで聞かせてもらう」
あたふたとバスルームへ駆け込む。
私としたことが。
まさか真宵くんと春美くんが居るなどと思いもせずに、うかつだった。
いや、7年ぶりの再会が、日曜の朝の自宅へのふいうちというのはいかがなものか。
シャワーを浴びようと思ったが、着替えを取りに戻るにはまたリビングを通らねばならない。
なにやらリビングで盛り上がっている三人から隠れるようにして寝室へ戻り、
サイフォンがいい香りを立てる頃に、隙のない身支度を整えて、リビングへ出て行った。


「・・・それで」
振り向いた真宵は、御剣をわずかに動揺させた。
くるくると変わる表情豊かな顔は、7年前の面影を残したまま、大人の女性に変貌している。
冥と同い年のはずだった。
小さな女の子だった春美は、つぼみが開花する頃の少女になり、はにかむ癖はそのままに、こちらも照れさせるような仕草で見上げてくる。
「なぜ、君たちはここにいるのか」
真宵は御剣が腰を下ろしたソファの隣に、勢い良く座った。
「あーあ、ご挨拶ですね。ひさしぶりなのに」
「・・・元気そうだ」
「はいっ、もう真宵さまは倉院の若き美人家元として人気スターなんですっ」
「私は聞いたことがないが・・・っ」
成長した分、春美のビンタはパワーアップしている。
御剣の前に冥がコーヒーカップを置いた。
紅茶党の御剣が、一日で唯一コーヒーを飲むのが朝だった。
狩魔はコーヒーも完璧に淹れた。
「・・・ビンタされても嬉しそうね、御剣怜侍」
「な、なにをいうのだ」
「言ったでしょう、週末にはっきりさせるって」
確かに、言った。
それは、御剣が真宵を気にしているかどうか、本人を前にしてみようということだったのか。
御剣はコーヒーカップを取り上げる振りをして隣に座った真宵から、わずかに離れた。
「それで、まだ答えを聞いていないのだが」
「なんですか?御剣検事。あ、もう御剣主席検事でしたっけ。出世したんですね。なるほどくんと大違い」
真宵がそう言って首をかしげる。
裾の長い家元の装束が、大人っぽくなった真宵に似合う。
ちらりと隣に送った視線に、何かが絡み付いてくる気がした。
春美が、ニラみつけている・・・。
あれほど「キライ」と言っていた冥と和解した春美が、今度は御剣を敵視している。
「真宵さまとわたくしは、なるほどくんのところへ行くのです。ここへは、そのついでに寄らせていただきました。真宵さまは、なるほどくんに」
「は、はみちゃん」
そうか、成歩堂に会いに来たのか。
ほっとした反面、春美とみぬきが顔を合わせたらどうなるのか、不安でもある。
御剣がコーヒーを飲んでいる間に、真宵と春美はステレオでしゃべりつづけ、冥に見送られて風のようにマンションから出て行った。


先ほどの真宵とは正反対に、重さを感じさせないほど静かに冥が御剣の隣に腰を下ろした。
「顔が赤いわよ、御剣怜侍」
「・・・ム。真宵くんたちには不意をつかれた。私は聞いていなかった」
「このあいだ成歩堂のことを知らせたから。倉院から出てきたついでにここへも来るって」
御剣の手から、空になったカップを取り上げる。
「気づいてないのね」
「・・・」
なんだろう。
なにを聞かれているのだろう。
御剣は表情を変えないように抑えつつも脈拍が速くなるのは抑え切れなかった。
冥は御剣の肩に手をかけて、耳元に唇を寄せた。
ささやきの代わりに白くて長い指で御剣の脈打つこめかみに触れる。
「・・・気の小さいオトコ」
ぷっと小さく吹き出して、冥はそのまま彼の肩に頭を乗せた。
「コーヒー豆を変えたのよ。頂き物なのだけど。今までのより深煎り」
御剣はどっと、冷や汗が噴出す気がした。
泣く子も黙る御剣主席検事。
笑う子も泣かせる狩魔検事。
世間の評価は正しい。
私は、君にはかなわないのかもしれない、狩魔冥。
「・・・頂き物?」
ふと、なにか予感がして御剣は冥の手からもう一度コーヒーカップを取った。
肩の上で、冥の頭が揺れた。
笑ったのだ。
「ゴドーブレンド、何番だったかしら」
やられた。


御剣は体を起こし、カップを置いて冥を抱き寄せた。
「・・・ドアに、鍵をかけただろうか」
真宵たちが成歩堂たちを連れて引き返してきたりしたら、たまらない。
答える唇をふさいで、深く口づけた。
そのまま、首筋をなぞる。
「神乃木に、なぜ会った」
私服のブラウスを片手で脱がせながら、言葉で責めた。
答えようとした唇を、またふさぐ。半裸になった冥を抱き上げて、まだかすかにぬくもりの残るベッドへ下ろした。
細いデニムを引きおろして、華奢な体をわき腹から腰にかけてねちっこく撫で回す。
「・・・・ん」
冥の腰をまたぐように膝立ちして、御剣は二の腕から肩、肩から鎖骨を通ってわき腹、形のいい臍から腰骨、そして太ももへと執拗に手と唇で愛撫する。
「・・・・ぁ」
冥の唇が開いて、切なげな声が漏れた。
「なぜ、会ったんだ?」
じらすように内腿を撫で回しながら、御剣は意地悪く言った。
「ん・・・っ、ああ・・・」
「ずいぶん、彼に肩入れするのだな」
御剣も、神乃木が知人や世話になった人にむやみと自家焙煎のコーヒー豆を試飲させるクセがあることは知っている。
「真宵を気にしている」と言った冥に、お仕置きをしてやりたい気分なのだ。

その日、御剣は冥が起き上がれなくなるまで、嬌声を上げつづけさせた。


END

最終更新:2020年06月09日 17:49