「で? これはなんなのかしら? 御剣怜侍」
目の前にいる、狩魔冥の眉間にはハッキリとシワが刻まれていた。それについてコメントしたいところでもあったが、もしそれを言えば、その手に握られた鞭でどんな目に遭わせられるか……それはイトノコ刑事の日常で、狩魔冥のシワ以上にハッキリと立証されている。
「誤解はしてほしくないのだが……これは私が買ったものでは、断じてない」
「もしあなたが買ったものだとしたら、失笑モノね。その変態さ、誰にも負けていないわよ」
「……話を続けていいだろうか」
ごほん、と咳払いをしながら、どうしてこんな役回りが自分に回ってきたのかを呪った。
「これは、今度始まる新制度のプロモーションも兼ねた新商品だ」
「所謂、『コラボレーション』ね」
「その通りだ。そして、この……新商品を着用した君を、モデルにしたい、と。上層部の考えは、そういうことだ」
「それでこれを、あなたが持ってきたワケ? この趣味の悪い置物を」
御剣が持参した紙袋から、汚らわしいものを触るように摘み上げられたそれは、金色の『新商品』だった。それを興味なさげにひらひらと振り、机の上に乱雑に放り投げる。
「置物、ではない。女性用の下着だ。一応。台座を取り付ければ、天秤にもなると……うおっ!」
ピシリと音を立て、鞭が御剣のそばを掠めた。
「そんなことはどうでもいいわ。御剣怜侍。あなた、こんなセクハラまがいのことを、検事局公式でやれと?」
「わわわ、私が発案したのではない! 法務省からの特別な依頼があった、と上層部から……」
「で、何故私が? こんな下着を着けて、裁判員制度のプロモーションのモデルなんかを? 私はたかが一検事よ」
「そ、そうなのだがな。新制度をアピールする以上、現役の検事が相応しかろう、と」
「で、何故私が? 私はただの、一検事」
同じ言葉を、先ほどよりゆっくりと繰り返す彼女の手で、不吉に鞭がうねる。これに打たれ続けたという成歩堂の気持ちが、少しだけわかったような気もした。
「……上層部の意向らしい。どうやら君は、女性検事の中で1番の人気を誇るらしい」
ふん、と冥の鼻が鳴った。

「それは光栄だけれどね。そんなこと、頭の軽そうな雑誌モデルなんかにやらせればいいじゃない。私は嫌よ。しかもそれ、ノーギャラでしょう?」
「ああ。だから検事局も、お金はかけられないということだ」
「だから、私が? 随分と私の価値は安いのね」
紙袋に新商品のブラジャーを突っ込むと、冥は御剣に袋を突っ返した。
「お断りするわ。申し訳ないけど私、上層部のオジサマたちのセクハラに付き合っているほど、暇じゃないの」
「そ、そうか」
何故だか、ホッと息を吐いてしまう。正直なところ、引き受けられても困った。断られたといえば上層部は落胆し、その責任を御剣へ転嫁するだろうが、それぐらいで済むならばいい。
それより、同じ師に教えられ、ここまで検事としての道を共に歩んできた姉弟子であり大切な存在である彼女の、恥じらいのない下着姿を衆目に晒す方が、よっぽど嫌だった。
「では、私の用件はこれだけだ。手間を取らせたな、狩魔検事」
「まったくだわ」
紙袋を受け取り、部屋を出ようとドアに近づいたその時、ぽつりと漏らされたその言葉を御剣は聞き逃さなかった。
「そもそも、ブラジャーなんて……いらないわよ」

924 :ミツメイ[sage] :2008/11/14(金) 00:49:50 ID:bzJT/osy
そういえば、最近御剣の、『恋人』と呼べる関係になった冥であるが、また『コト』は果たしていない。
そして常々気になっていたのは、胸である。
その強気な態度に時たま忘れそうにもなるが、冥はまだ19歳の、うら若き女の子である。そして今までは気のせいだと言い聞かせてきたが、どうやらそれは確信に変わった。
冥は、ブラジャーを着けていない。
だから、服に……胸の頂の『それ』が浮かび上がってくるときがある。
冥は割とスレンダーな体型ではあるが、成長すべきところは成長していっている。
そう、だから『それ』は目立つ。いやでも目立つ。気のせいだと言い聞かせてはきたが、もう限界だ。
『乳首』が浮かび上がっている。それに欲情する自分がいる。それに対し、御剣はかつてない自己嫌悪に襲われていた。
(私は……おそらく、こんなことを考えていると知ったら、メイはムチを振り回すだけでは済むまいな……)
そのためには、『それ』を解決するしかない。そう考えた御剣は、決心した。

「で?」
昼間、ブラジャーを見せたときよりも深いシワを眉間に刻み、冥は御剣を一瞥した。
「今度は、検事局公式ではなく、あなた一個人のセクシャル・ハラスメントというワケ?」
「う、うム……いや、違う! そうではなく、だな。その。君の、その。アレがだな」
「……ハッキリ言いなさい。何よ」
今の御剣の心境はといえば、かつてないほどの危機を感じていた。下手なことを言えば、彼女の機嫌はたちまち悪くなり、烈火のごとく怒り出すだろう。
(成歩堂……貴様、メイを相手に法廷に立つ時は、いつもこんな感じだったのだろうか……)
親友の、ある種の打たれ強さを微かに尊敬した。
「キミは、所謂。その。『ブラジャー』というモノは身に着けないのだろうか?」
「……はぁ?」
冥の反応で示されたとおり、自分は何と馬鹿なことを言っているのだろうと御剣は思った。しかし、口に出してしまった以上は言うしかない。
「あー、その。常々思っていたのだが。キミの、胸に……その。所謂『乳首』が……うおおっ!」
昼間よりも勢いよく空を切り、ヒュオンと鞭が御剣の頬スレスレを掠めた。もし当たっていたら、大の男である御剣でも涙が止められなかったかもしれないような、そんな勢いだ。
冥は眉間のシワはそのままに、口元をにやっと歪めた。
「御剣怜侍……あなた、そんなに私のムチの餌食になりたいのかしら? 馬鹿の馬鹿げた性癖は、馬鹿馬鹿しくて馬鹿にしか理解できないみたいね。少なくとも、私には理解不能だわ」
「な、ななな、何を言う! 誤解だ、メイ!」
「昼間っから、セクハラを繰り返す……問答無用よ。レイジ。あなた、いい加減になさい」
「メイ、誤解だ!」
「ええい、うるさいうるさい!」
冥が鞭を振るう。その瞬間に、冥の形のいい胸が、ぷるりと揺れたのを御剣は見逃さなかった。

どくん、と脈打つ欲望が、そのシンボルに向かって勢いよく流れていくのを感じた。
正直な話、健全な男子である御剣には、もう限界だったのだ。
ぴしゃーん!
鞭が身体に当たって、そこがじんじんと痛んだが気にしない。いや、気にしたかったが、己の欲望を解き放つほうが、今の御剣にとっては重要だったのだ。
「メイ」
その鞭を持つ手を、ぐいっと掴んで抑える。
「な、なによ」
「……キミは、まだわかっていないのか? キミはまだ19歳だ」
「だからなによ」
「そんなキミが、下着を着けずに男の前にいるということ……その真意がどうあれ、『誘っている』と誤解されても仕方あるまい」
「………………」
冥は黙ったまま、ふいっと顔を下に向けた。薄い色の髪が顔にかかり、表情がわからなくなる。
それには構わず、御剣は続けた。
「メイ。キミはどう思っているかわからないが、私はこれでも健全な男子だ。いくら幼い頃から志を共にした仲間といえど、限界というものがある」
「………………」
「メイ、その……うム。だから、ええと……」
「だから……なによ」
改めて言われると、『だから、なんなのだ』である。不器用な御剣は、法廷ならいざ知らず、プライベートでは自分の思うことをそのまま口にすることが苦手だった。
そんなとき、昔からの悪友のちゃらんぽらんな男の顔が浮かぶ。
(アイツなら……まぁ、イヤになるほどストレートに言うのだろうな)
しかし、御剣にはできそうにはない。考えた末、出てきた言葉は、
「……大切なキミと……今日は、一夜を共にしたい」

「…………一緒に、いるだけでいいっていうの?」
「う、う……いや、そうではなく」
「ハッキリ、言いなさいよ」
ずっと下を向いたままの冥が、どういう真意で言っているのかはわからない。
「……だから。キミは……私にとって、大切な存在だ。それを、証明する。まがりなりにもキミは、私の……恋人……だからな」
「……ふ……」
メイの肩が、微かに揺れを刻み始めた。最初、泣いているのかと御剣は思った。しかし、違った。
「ふ。ふふふ……あーっはっは! ふふふ、レイジ……あなた、本当に……ふふふ」
「め、メイ……?」
笑っていた。その切れ長の瞳に、涙を浮かべるほどに。何がそんなにおかしいのか、御剣には全くわからなかった。
しかし、冥はひとりで納得したように笑っている。
「ふふ、あなた、本当に昔っから変わらない。不器用なのね」
「む……ムぅ」
「でも、それは私も変わらないかもね」
メイが腕を、御剣の首に絡めた。そのままぐいっと御剣の顔を引き寄せ、唇を微かに御剣のそれに重ねた。ふわっ、と甘い香水の香りがした。
「……いいわよ。あなたがそんなにしたいなら、しましょうよ」
「む……そ、そうか」
冥が微笑んだ。それは正直な微笑であるようにも見えるし、どこか小悪魔を連想させるような微笑でもあった。
「ねぇ、どうして私がブラジャーを着けていなかったか、わかる?」
耳元で囁かれる。その声の色気に頭がくらくらして、その言葉の真意がわからない。
着けていない理由……? 必要がないからではなかったのか。
それをそのまま言うと、冥がくすくすと笑った。

「馬鹿ねぇ。あなたの言ったとおり、私は19よ。どこかの霊媒師さんならいざ知らず、普通、ブラジャーくらい着けるわよ」
話の引き合いに出された『どこかの霊媒師さん』は、ブラジャーをつけていないのか。
いやいやいや。
そこが問題ではない、と御剣は思い直し、問いかける。
「では、どんな意味があったというのか?」
冥は御剣の手を自らの胸に導く。服ごしに、柔らかい感触が伝わる。
「そりゃあ、私も年頃だもの。してみたいじゃない。……恋人、とね」
「………………!」
微笑む彼女の顔が、今度は間違いなく小悪魔に見えた。
御剣は、冥の胸の頂で存在を主張する『それ』を、指先ですりあげた。
「あんっ」
布とこすれ、冥は甘い声をあげる。御剣は、耳元で囁いた。
「では、今夜はキミのお望みどおりに」
「……あなたが、望むとおりに」
こうして、夜は過ぎていく。不器用な男と、小悪魔の彼女と一緒に。

次の日から、彼女は下着を着け始めた。不器用な男が、「少し派手ではないか」とハラハラするくらいの下着を。

最終更新:2020年06月09日 17:21