白いタイルで敷き詰められた狩魔邸の大室内プールには、人魚像の瓶から流れる水音だけが静かに響き渡っている。中庭からは昼の日差しが射し込んでいるが、庭に生い茂る木々のおかげでその強さは和らいでいる。
狩魔冥は白い天上を見上げながら、マットボードの上に寝そべり水中に浮かんでいた。淡い水色のセパレートビキニ。その胸元を飾るリボンが、時折水をかぶり、揺らいでいる。
検事になってから数ヶ月、自分の年齢も忘れて働き通した。
御剣怜侍と勝敗の数を(勝手に)争っているので、必然的にハードワークにならざるを得ず、見かねた父に厳命されて、ちゃんと夏休みを取ることにしたのだった。
冥は体を俯けにすると、プールサイドにいる父親に目をやった。
狩魔豪は、タイは付けていないが真夏でもキッチリと長袖の白いシャツを着て、英字新聞を広げていた。
あのシャツの匂いが好き――冥は目を細める。アイロンのかかった清潔なシャツは、いつも陽光の匂いがした。
パシャパシャとボートを足で漕ぎ、冥は父親の元に近づきながら、言った。

「……ねえ、パパ。レイジはお盆休みも取らず働いているって本当?」

静かな室内で、冥の声はよく響いた。

「そのようだな……ふん……まあ、我輩が仕事を押し付けたようなものだが」
「どういうこと?またパパの代理?」

冥がいつものように御剣怜侍に対して競争心を露にしたので、狩魔は軽くいなした。

「……お前に頼むほどの事ではない。……雑用だ」

そう言うと、冥はホッとしたように涼し気な笑みを浮かべた。
御剣怜侍に頼んだ雑用、それは巌徒海慈主催のプール・パーティーへの代理出席だった。
社交も勉強の内だと御剣には言ったが、狩魔は単にクソ暑い日にクソ暑苦しい男と顔を合わせたくないだけだった。
実際、今まで一度も出席したことがない。にもかかわらず、毎年招待状を送ってくる厚かましさに、さすがの最強検事も少々ウンザリさせられていた。
だが、今ごろ御剣もあの男のテンションに戸惑っていることだろう。そう考えると狩魔は愉快であった。 

「なんだか楽しそうね、パパ」

ふと顔を上げると、いつのまにかプールから上がってきた冥が側に立っていた。乳白色の肌を覆う水滴が、陽に照らされて輝いている。 

「…………お前と一緒だからかもしれんな」
「……ほんとう?」

まさかそんなストレートな言葉が返ってくるとは思わず、冥の表情はたちまちほころんだ。
狩魔は新聞を置くと、冷やしておいたワインボトルを開けるため立ち上がろうとした。そこで冥がすかさず、

「私が開けるわ、パパ」

そう言って、すぐ脇のテーブルに置いてあるワインクーラーからボトルを取り出すと、ろくにソムリエナイフの扱い方も知らないくせに開け始めた。
小さなヒップを揺らしながら、悪戦苦闘している。やがて哀れにもコルクはボロボロになるだろう。
だがその愛らしさを目にして、狩魔豪はつい冥をからかいたくなってきた。
狩魔は人差し指を冥のパンツに引っかけて引き寄せると、腰のくびれ部分に舌を置いた。

「ひっ……!」

ビクンっと、跳ね上がる冥。ナイフがタイルの上に転がり落ちる。呼吸が止まり、冥はそのまま身を固くして動かなくなった。
プールの塩素臭は気に入らなかったが、暖かい塩味は殻を開けたばかりの岩牡蠣を、狩魔に想起させた。

「や……くすぐったい……パパ……」

牡蠣を用意させなかったのは失敗だった――今さら惜しむように、狩魔はただ一点に舌を這わせ、味わう。人差し指がちょうど冥のヒップの谷間に当っていたが、まるで頓着していないようだった。

「んっ……ぁ……」

冥の指は、何かをつかもうと空の中でもがいていた。そして指先がちょうど父のピアスに触れた瞬間、冥は解放された。
力が抜けたように膝をつき、熱くなった自身の体を抱きしめながら、冥は身を震わせていた。そして簾のように垂れ下がる銀髪の隙間から、請うような眼差しを父親に向けた。
それが豪の嗜虐心を刺激した。
自然と浮かんでくる邪な笑みを隠すことなく、彼は言った。

「……ところで、冥……お前のその、水着か?……少々子供っぽくないか?」
「えっ!?」

急に弾かれたように正気に戻る冥。

「ふん……友達と選んだのか知らんが、いかにもませた小学生が選びそうなやつだな」
「………………!!」

冥はカッとなって立ち上がった。父親以外の誰かにそんなセリフを吐かれたら、間違いなくムチの餌食にしていただろう。代わりに当る御剣怜侍も、今はいない。
ぶつけどころがない怒りと恥ずかしさで、泣くつもりがなくても、冥の瞳が潤んできた。
だが、この父が相手でこそできる返答もあると、冥の直感がすぐ彼女を行動に移させた。 
冥はひと呼吸おいて澄ました表情を取り戻すと、勢い良く水着を脱ぎ出した。そして白い均整のとれた肢体を、臆せず狩魔の前にさらす。
諸処に大人の兆候は見られたが、そのラインはまだ女性と言うにはほど遠く、妖精のように両性的だった。
だが何より自分を見つめる強い眼差しに、狩魔の心が躍る。
狩魔豪は納得したように頷いてみせると、冥はそのままそっぽを向いてプールに飛び込んで行った。欲情はしないが良い眺めだった。
狩魔はワインをグラスに注ぎ、水中から顔を出した冥に向かってかかげた。
琥珀の液体越しに、ふてくされた、少し悲しそうな冥の表情が見えた。
あとでタオルで包んでやろう――狩魔は思った。

「…………いい休日だ」

そう呟くと、ワインを口に運んだ。


END

最終更新:2020年06月09日 17:55