「真宵ちゃんの匂いがする」
「っ! な、なるほどくんのバカ、何いいだしてんの! 意地悪!」
「意地悪じゃない、僕はただ事実を言っただけ。 真宵ちゃんの御香の匂いが、ここにも残ってる」

首筋を吸血鬼のようにかぷ、と噛み付けば唐突のことに驚いたのか彼女は小さな悲鳴をあげた。
それが心地よくて、更に聞きたくなって噛み付いたところをペロリと舌を這わせる。
悲鳴をあげないように、唇を噛んでこらえている姿はいじらしく、それが一層成歩堂を煽り立てる。 恥らう姿も、苦悶に顔を歪める姿も、恍惚とした表情も、どれもこれも全てが見たい。
彼女の様々な表情を見ることが出来るのは、自分だけであればいい。 他の奴になんか見せてやるものか。 優越感に浸り、手の甲に口付けを一つ落とす。

「髪にも、首にも、手にも、足にも、多分全身に御香の匂いが染み付いてるんだよ」
「ちょ、ちょっとっ、なるほどくん……!」
「甘い匂いだね……頭おかしくなりそう」

人の話を聞かない成歩堂にされるがまま、その長い黒髪を指で遊ばれ、手の甲に口付けされ、額、瞼、頬、喉元、あちこちに触れるだけの口付けを繰り返される。
それだけの行為でも、頭がグラグラと眩暈を感じる。
自らが思いを告げるためにここまで来た筈だったのに、なぜこんな展開になっているのか。 思考は全くついてきてくれない。
触れられたそこから発火するかのように熱を感じて、体のあちらこちらから火が出ているような錯覚を覚え、どうにか抵抗しようと口を開けば異議を認めないとばかりに甘い口付けを施される。
鼻と鼻がくっつきそうなほど近く、かちあう目には自分自身が不安げに映っていた。
聞こえてくる呼吸音は荒々しく、口は半開きになっておりそこからチラチラと覗く舌は艶かしく彼を手招いている。 誘われるように、そのまま舌を絡めとれば彼女は驚き、そして抵抗するかのように僅かな力を込めて何度も成歩堂の背中を叩いた。
だが、あえて彼女の懇願を無視して歯列をなぞり、真宵の絹のようにさわり心地の良い髪を梳き、髪の止め具を離す。 長い髪が重力の為すがまま、するりと落ちた。 何気ない行為だというのに、とても扇情的で、目がちかちかする。
髪を右手であげてうなじあたりを左手で撫ぜる。 たったそれだけのことで彼女の肩は再びびくり、と弱弱しく震えた。

「んんっ……な、るほどくっ……待って」
「……何?」

漸く口を離せば真宵は困惑しているのか、それとも羞恥からか顔を俯かせたまま成歩堂を見ようとはしない。 何やら口ごもりながら、背に回していた手をずらし、服の裾を弱弱しく握っている。
出来るだけ優しく手を包み込み、あまったもう片方の手で頬に触れ、顔を上げさせれば彼女の瞳には生理的にあふれた涙がうっすら浮かんでいた。 親指でぬぐってやればくすぐったそうに彼女は目を閉ざした。

「どうしたの?」
「……ど、どうしたとかなんでヘーゼンと言えるかなっ! じゃなくて、あの……その、だ、ダメだよ」

首を横に振って「No」と意思表示をする真宵に成歩堂の笑顔はピシリ、と石膏の如く音を立てて固まった。
それは、恥じらいからの拒みの言葉ではない。 ……完全なる「拒否」だった。

あわよくばそのまま雰囲気に身を委ねてしまおうと邪まな考えを持ってしまったのが悪かったのだろうか?
いやけれども彼女は合意の上でやろうとしていたのではないだろうか。 待てよでも真宵ちゃんは一言も「いいよ」とは言っていなかった。
確かにお互い想いあってるのは今確認しあったことによって立証されたけれども、だからといって体を重ねるのはまだ早いというのだろうか?
つまり今のところは「好きだけど口付け止まりにして」ということなんだろうか、いやいやでもわざわざ誰も居ない時に来てくれるという事は男としては据え膳なんじゃないか。
落ち着け成歩堂龍一、千尋さんが言ってたじゃないか。 発想を逆転するんだ、落ち着け落ち着け。

……と、硬直しながらも、成歩堂の思考回路は目まぐるしいスピードで摩擦によって発火してしまうのではないかと思う位に考えが整理されていく。
普段の姿からはまるで想像もつかないが、弁護士時代窮地に立つと彼はよく師である千尋が言っていた言葉を実践してきた。 今ソファーに沈もうとしていた真宵の体は拒んだとはいえ、ぴたりと成歩堂にくっついている。 ということは、百パーセント「いや」ではない。
彼はふー、と脱力するように溜息をやがて、一つ零した。 考えれば考えるほど考えはごちゃごちゃしてしまい出口の見えない、しかも入り口前ですらない迷宮の「中途半端極まりない」場所に突き落とされた気分になってくる。
成歩堂龍一に残された選択は三つしかない。
一つ、真宵の意志を尊重し彼女を抱くことを諦めるか。 二つ、真宵の意志を無視して少々荒っぽくなるが抱くか。 三つ、彼女の話を聞くか。
既に最初の選択は候補に上げた瞬間に欲望により蹴落とされている。 二つ目は彼自身の理性と矜持が絶対に嫌だと叫んでこれまた蹴落とされた。 残された選択は、一つ。
意を決したように溜息をもう一度つき、彼女の髪を撫でて視線を合わせる。

「……真宵ちゃん?」
「う、うん、あの、そうじゃなくて、えっと、あの……ここだと、その、ダメ」
「 “ここ” だと?」

それは逆に言えば「ここでなければ行為の続行に関して異議はない」ということだ。 それならそれで早々に場所を移動すれば事済むことではあったが、成歩堂の心の中に何かが引っかかる。
彼女が「ここではダメ」だという理由は何か。
成歩堂の半居住区状態だから? チャーリーがいるから? 汚いから? みぬきがいつ帰宅するか分からないから?
一通り彼女が言い出しそうな案が脳内を巡ったが、そのどれでもない答えをぽつりと真宵は呟いた。


「ここは……おねえちゃんの、事務所だから」


その言葉に、成歩堂はこれでもかといわんばかりに瞠目した。
確かに、この場所は今となっては「成歩堂芸能事務所」だ。 そして、その前は「成歩堂法律事務所」であり、更に遡れば「綾里法律事務所」だ。 その所長は成歩堂の恩師であり真宵の実姉、千尋。
彼女にとって、この場所はきっといつまでも姉との思い出の場所であり、自分との思い出の場所でもある。 千尋が死んだこの場所で、男女の営みをすることは彼女にとって背徳的で、許せなかったのだろう。
例えば、その思い出の場所が今はグチャグチャにものが散乱していても。 姉の購入した家具が押やられていても。 ―― それでも、真宵にとっては事務所は姉と、成歩堂の居場所だ。

「だ、だから、その……ここはダメ、おねえちゃんが、その、見てるから……」

霊媒師なのだから、霊力が一般人よりあって当たり前だ。 真宵はその中でも家元、当主だ。 その力は従妹の春美より弱いと真宵や他者は思っている様だが、いざというときの真宵の霊力は春美を凌ぐ。
それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。
真宵は裾を掴んでいた手を離すと、成歩堂をじっと見据えた。

「べ、別になるほどくんとその、こーいうことするのが、ヤなんじゃなくて……だ、だからそんな顔しないでよう!」

おろおろと困惑している真宵の表情はとても二十歳を越えた女性の表情とは思えない、十代の頃を思い出す可愛らしいあどけない幼い表情だ。
自分自身を拒絶されたわけではない安堵感からか、成歩堂は肩の力が抜ける勢いで溜息をつき、真宵の頭に自分の顎を乗せて抱く力を更に込めた。 良かった。 心底良かった。
けれども、ここまで来た状況で場所を移動しようなんて気持ちは成歩堂の中には既にない。
目の前に居る彼女を堪能したい。 腕に抱き、手を絡め、肌を重ね合わせることで数年の失われた時間を取り戻したい。
……それに、今から出かければ間違いなく監視されている成歩堂にとっては不都合きわまりない。 間違いなく、「あいつ」は弱みに付け込んでくる。
そうなった時危険な立場にいるのは真宵になる。 自分の近くにいるせいで。 彼女に危険が及ぶ事は何としても避けたかった。 けれど、余計な負担はかけたくない。
唯でさえ連絡を取ることすら、盗聴ぐらいされていると思っておかないとならない状況下に自分は居るのだから。
成歩堂はそこで、前々から考えていた戦法に出ることにする。
……ごめんなさい、千尋さん、ダメな弟子ですが男の性なんです。 小さく内心で謝罪をしながらも、それを表情には出すことなく彼は真宵の頬に手を滑らせた。


「千尋さん、ここで何もなかったと思う?」
「……え?」

真宵の額にかかった前髪を掻き分けて、額にキスを落とすとこれでもかと言わんばかりに成歩堂は笑顔を作った。
策士的な、腹の底が見えない笑顔に真宵は一瞬たじろぐ。 次に出てきた言葉は想像をしなかった言葉だ。

「もし仮に、ゴドー検事が何事もなく神乃木荘龍のままでいたなら。 千尋さんが事務所をここに作った後に……ここで千尋さんを抱くぐらいのこと、してたんじゃないかなぁ」
「!」

一瞬だけ頭をよぎった、自分の恩人であり本来ならば義兄にあたるはずだった人の顔と、姉の顔。 そして、彼らの絡み合う姿を真宵は想像した。
……直ぐにそんなことを考える自分に自己嫌悪して顔を背けたが、そんな状況の真宵を成歩堂は両手をずらし、頬を挟み込む。 まるで、全てを見透かしたように。

「……ほらね」
「しょ、証拠ないじゃない……! そ、想像にすぎないのはダメ、って言ってたじゃない! 弁護側はケッテーテキな証拠に欠けてますっ!」
「発想を逆転してみるんだよ、真宵ちゃん。 千尋さんになったつもりで考えるんだ。 仮眠室なんて、普通法律事務所になんかいらないだろう?」


ここを借りると決めた時の所長、千尋さんのマンションはここからそんなに遠くなかったはずだしね、と付け加えながら成歩堂は相変わらず真宵を押し倒した状態でキスを繰り返す。
よくもまぁ、ここまでサラサラと言葉が出てくるものである。 流石は元弁護士というべきであろうか。
しかし、ハッタリもここまでいくと神業である。 あっという間に真宵は言い包められて、言い逃れが出来なくなった。
嫌ではないといった手前、文句をいえない立場にはあったが――それとこれとは、何だか違う気がしてしょうがない。

「で、でも」
「真宵ちゃんは、嫌じゃないんだろ? ……それとも、怖い?」

その言葉に、真宵は大きく首を振った。 怖くないといえば嘘になる。 けれども、怖いといえばそれもまた嘘になる。
成歩堂だから、大丈夫。
言葉にすることは出来なかったが、視線を向ければ綻んだ顔で彼は「そっか」とだけ言って真宵を痛いほどに抱きしめた。

そんな彼の行動につられて、口元が一人でに緩む。 こんな感情は数年前ならなかった。
離れてから気づいたことなのだといえばそれきりかもしれない。 それでも、確かに彼女の心に一筋の光が差し込んだ。
けれど、その感情と略同時に自分の内側に先ほどまで身を潜めていたネガティヴな感情が再び動き出し、どこかで自分を引き止めていた。
それでいいのか、本当にいいのか。 自分はよくても彼はいいのだろうか。
考えるよりも先に、彼女は口を開いた。

「なるほどくん」
「ん?」
「……綾里の血ってね、呪われてるんだって。 ……それでも、いい?」
「呪われた……って、真宵ちゃん、ワイドショーとか女性雑誌の見すぎ」

こつん、と小突いて成歩堂は笑った。
出会えたこと自体が奇跡の始まりだから。 その奇跡に感謝をしなくてはならない。
出会ってくれて有難う。 思ってくれて有難う。 傍にいてくれて有難う。 好きだといってくれて有難う。
有難うだけでは足りない「ありがとう」の言葉。
呪われた血と称されて、その血に関わったから成歩堂は弁護士をやめさせられたのだと言われた。
そして、家元になって彼がバッジを剥奪され捏造疑惑が出た途端にあんな男に近寄らないほうが言いと罵倒されもしたが、気持ちは揺らぐどころか増すばかり。
確かに、成歩堂の人生には綾里の女が常に絡んでいてその度に事件に巻き込まれてきた。 大学時代も、弁護士になった時も、そして今も。
そんな自分たちの「血」を彼は何事もなく、すんなりと受け入れた。
……真宵の心中にある困惑や悲壮感を打ち砕く答えを、まるで何事もないかのように返してくれる彼の暖かい言葉が彼女に勇気と力を分け与えてくれる。

彼は言う。 「千尋さんに会えたから、今の僕がいる」のだと。
彼は言う。 「舞子さんがいたから、君に逢えた」と。
彼は言う。 「真宵ちゃんに出会えたから、こうして笑える」と、甘い笑顔で。
成歩堂の優しさに、泣き出してしまいそうになったけれども、ぐっと堪えて真宵はつながったその手をぎゅう、と更に強く握り返した。
彼は笑って「痛いよ」なんて言っていたけれども、聞こえない振りをして、何事もなかったような顔をして、彼女も笑った。

「それに、呪われたっていうなら僕は捏造弁護士だけど?」
「……うそ、なるほどくんがするわけないもん。 それに、あたしさっき言ったよ。 ……かっこ悪くても、弁護士じゃなくても、なるほどくんだから好きなんだよって」
「じゃあ、その言葉そのまま返すよ。 助手じゃなくても、家元じゃなくても、呪われた家系でも、真宵ちゃんだから好きなんだよ」


少しの沈黙の後、お互いに見つめあい、そして同じタイミングで噴出して笑いあう。 結局お互いに似たり寄ったりなのだ。 言い出したところで、変わらない。
彼だから好きになったのであり、自分だから彼は好きになってくれた。
答えは、それで十分だ。

本当に少しの時間だというのに、手を絡めあい、何気ない会話をして、笑いあったその時間は永遠のように長く感じる。
ずっとそうであればいいのに。 適わぬ願いだと知りながら、心の中で真宵はそう呟いた。 けれどすぐに現実に引っ張り戻されて首を横に振る。 そんな夢物語など語れる暇は自分にも成歩堂にもない。
家元として。 父親として。 「やらなければならないこと」がお互いに山積みで、もう元には戻れないことなど、お互いに既に分かっている。
それでも。

―― それでも、この瞬間だけは、どうか。

自分だけの、自分しか見れない成歩堂龍一と、彼にしか見れない綾里真宵でありたいと、彼女は心底で願い心中で叫んだ。

たかが口付け、されど口付け。
彼女は先ほどの熱がぶり返すようにあっという間に舌を絡めとられ為すがまま、彼の思うがままに翻弄される。
呼吸をしようと息継ぎをすれば、甘い誰の声だか分からないような高い声が部屋に漏れる。

「んん……っ、ぁ……」

この声は、ほかの誰でもない綾里真宵本人の声だ。 けれど真宵自身、自分がそんな声を出せるとは知らなかった。
もう二十代だ、男女の営みがどのようなものであるかなんて知識がない筈がない。
ましてや法曹、政治、芸能……様々な業界に精通する膨大な力を持つ綾里家の家元なのだ。 男女の怨恨の末路の除霊や、霊媒なんてことも依頼として舞い込んでくることもある。
けれど、自分がいざそんな声をあげるのかと想うと気恥ずかしくて顔を背けたくなる。 それも、相手が元自分の相棒とあっては余計に。
僅かな抵抗として手に力を込めたが、その抵抗もむなしく、彼の右手が彼女の両手を束ね、手首を押さえつける。
漸く唇が離れると、離れがたいという己の意思かはたまた成歩堂の意思か、銀色の糸が彼らを繋いで、そしてぷつん、と切れた。

「……なるほどくん、あたしね、みぬきちゃんがちょっとだけ、羨ましいんだ」
「みぬきが?」

その時の成歩堂の顔は、少しばかり驚いて目を見張っていた。 成歩堂の表情がなんだかおかしくて、なんだか懐かしくて真宵は小さく笑う。
話しても、幻滅されないだろうか。 そんな少しばかりの不安が残るが、いっそのこと全てを言ってしまえという自分の感情に身を委ね、真宵は言葉を続ける。

「もう、なるほどくんにはみぬきちゃんが居るから、あたしやはみちゃんが前みたいになるほどくんと一緒に笑ったり、一緒にいたりっていうのは、出来ないんだなぁ、って」
「……」
「で、そんなこと考えたらグルグルまとまんなくなっちゃって……」
「それで、態々二時間かけて逢いに来たの?」

バレバレだったことが少し恥ずかしかったが、小さく頷くと成歩堂の手が見えるようにして再び絡みとられる。
成歩堂は、笑っていた。 少し照れくさそうにして、伸びた髭をあまったもう片方の手で覆って「参ったなぁ」なんて呟いて。

「ま、参ったって……! だって、うう……」
「や、うん、そうじゃなくて、なんだろう、こう……僕って愛されてるなぁ、って思って」
「あ、ああ愛って……!」
「だってそうだろ?」

間違ってはいない。 間違っては居ないけれど、面と向かって、素面でそんなことを言われたら恥ずかしい。
羞恥心から穴があったら入りたい勢いに、真宵はうう、と小さく呻きながらソファーに体を身を委ねる。 ぼすん、と音がして何だか懐かしい香りがした。
成歩堂と、姉の匂いだ。 懐かしさと恥ずかしさが入り混じってそっぽを向けば成歩堂は真宵が拗ねたと思ったのかごめんごめん、と軽く謝り、唇を掻っ攫う。
すぐに鼻腔が成歩堂の匂いを嗅ぎ分けて、安堵する。 ああ、ここに彼は居るのだという実感が沸く。

「確かに、前みたいにずっと一緒じゃないけど…。 真宵ちゃんのことが好きっていうだけじゃダメかな?」
「……なるほどくんの場合の好きのパターンって「ごめんなさわああああん」でしょ? ……なんだかなぁ」
「どーしてそこでそれが出てくるかな……」

余り触れられたくない思い出だ。 もう10年以上昔の、しかも彼女と出会うよりも前のこと。 真宵はクスクス小さく笑いながら、成歩堂の髪を撫で、そして自ら体を浮かせ彼の唇を奪う。
突然のことで驚いたが、直ぐに負けてたまるかと闘争心を燃やし顎に手をかけ、ぐっと持ち上げるとより深く彼女を味わおうと舌を這わす。
生々しい音、艶やかな音が無音の事務所に響き渡り、背徳感から余計に背中があわ立って仕方ない。
和服といえば浪漫なのは「あーれー」と「よいではないかよいではないか」なのだが、如何せん余裕がないのか何度も口付けを交わし、崩れ落ちるようにソファーに倒れこんだ二人には互いの瞳しか見えていない。
とても四捨五入して三十の男と、二十代の女性には思えない雰囲気だ。
真宵の服は既に嘗ての装束ではない。 立派な振袖を身に纏い、綺麗な飾り結びをしている。 先に言っておくが当然着物の脱がし方等成歩堂が知っているわけもない。 着付けもまた然り。

「っ、ん……」

甘い、甲高い声が耳を打つ。 感性を研ぎ澄ませて、滑り落ちるように指を這わす。 触り心地のように彼女の素肌に触れるだけで肩が振るえ、真宵は声を上げる。
感度がいいのだろう。 それとも、こうなることを待ち望んでいたのか。

「あの頃の僕は若かったんだよ」
「っちょ、息、かけて言わないでっ……」
「先に煽ったのは君だろ。 ……これ、畳まないでいいんだよね」

帯締めの飾り帯をいささか乱暴に振りほどき、帯を一気に引き抜けばくるん、と彼女は回った。
……これがいわゆる「あーれー」なのだろう。
確かに男の浪漫だ。 しみじみとそんなことを思いながら、真宵に視線を落とした。 華やかな振袖の模様の中で、恥じらいながら抵抗する姿は男心を擽る。
先人たちが着物の柄に拘っていたのはこういう理由だったりするんじゃないだろうか、なんて間違いなく違うであろうことを思った。
自分だけ脱がされるのは堪らないとばかりに真宵は服の裾を引っ張り、成歩堂に無言の訴えをよこした。
彼女の言いたいことをすんなりと理解して成歩堂は笑うと、額に口付けを落とし己の衣服をあっさりと脱ぎ捨てた。

「で、話戻すけど……みぬきは大事だよ。 でもその大事、とは違う大事、っていうのじゃ駄目かな」
「っ、ぁ……! な、なるほどく……」
「真宵ちゃんを好きになったのは「恋」だからじゃない。 ……でも、妹みたいな存在からだったからなんて言い訳はしない。 どうしてか分かる?」
「わ、わかんないっ、よ……」

耳朶を甘く噛み、彼女に問い、彼は笑う。 行き場を失った真宵の手を片方掴むと、掌にキスを落とし、そのまま指をちろりと舐め上げる。 一本一本、丹念に丁寧に、舐めればそれだけでビクリと彼女の体が身動ぎをした。
逃さないように肩に手をあてれば、音を立てて振袖が片方落ちた。 長襦袢から覗く足は白いが健康的で、嘗て普通に出していた足だというのに貴重性が増したせいだろうか、その足を見つめているだけでクラクラする。
悟られないように、あくまでも自分が上手だということを知らしめるように成歩堂はもう片方の振袖が引っかかった肩から振袖を落とすとぐいと彼女を抱き寄せた。

最終更新:2020年06月09日 17:38